萬屋錦之介の妻は誰だったのでしょうか。昭和を代表する時代劇スターとして知られる萬屋錦之介は、生涯に3度結婚しています。最初の妻は女優の有馬稲子、2人目は女優の淡路恵子、そして最後の妻となったのが元宝塚歌劇団のスター・甲にしきです。
3人との結婚は、それぞれ異なる時代背景と経緯を持っています。有馬稲子との結婚生活は約4年で終わり、淡路恵子とは約20年にわたる夫婦生活を送りました。その後、1990年に甲にしきと再々婚。1997年3月10日に萬屋が亡くなるまで、最後の妻として夫を支えました。
この記事では、2026年現在の情報を踏まえ、3人の妻のプロフィール、結婚・離婚の時系列、再婚に至った背景、子供や家族構成、最後の妻のその後まで整理します。
【結論】萬屋錦之介の妻は3人!有馬稲子・淡路恵子・甲にしきの関係

萬屋錦之介の結婚歴を先に整理すると、有馬稲子、淡路恵子、甲にしきの3人です。
本名は小川錦一。映画界では長く中村錦之助として活躍し、1972年に萬屋錦之介へ改名しました。
妻となった3人はいずれも芸能界で活動した女性ですが、出会いや結婚生活の内容は大きく異なります。
1人目の妻:有馬稲子- 結婚:1961年
- 離婚:1965年
- 関係:最初の妻
- 出会い:映画『浪花の恋の物語』
- 結婚:1966年
- 離婚:1987年
- 関係:2人目の妻
- 子供:萬屋との間に2人
- 入籍:1990年
- 関係:3人目の妻・最後の妻
- 元職業:宝塚歌劇団の男役スター
- 1997年:萬屋の死去時の妻
この3人の関係を理解するうえで重要なのは、淡路恵子との離婚と甲にしきとの再々婚が同じ時期の出来事ではないことです。別居が報じられた時期、正式な離婚、そして再婚にはそれぞれ時間差があります。
平凡社の『日本大百科全書』や日外アソシエーツの芸能人物事典でも、3人が順番に妻となったことが記録されています。
【初婚】有馬稲子との結婚は1961年!約4年で離婚した背景
萬屋錦之介の最初の妻は、宝塚歌劇団出身の女優・有馬稲子です。
2人が知り合ったきっかけとして知られるのが、1959年公開の映画『浪花の恋の物語』でした。
当時の萬屋は中村錦之助の芸名で活動しており、有馬も映画界で人気を集めていた女優でした。
1961年に結婚、1965年に離婚2人は1961年11月27日に結婚しました。
当時の有馬稲子は、映画女優としてだけでなく舞台女優としても活動の幅を広げていた時期です。
一方、萬屋も映画スターとして多忙な日々を送っていました。
結婚生活は約4年で終わり、1965年に離婚を発表しています。
BSテレ東の番組「私の履歴書」では、有馬稲子の人生を振り返る中で、萬屋との出会いから結婚、離婚までが紹介されています。
同番組の紹介によれば、有馬は舞台での仕事が増えて多忙となり、夫婦のすれ違いが離婚につながったとされています。
有馬稲子は離婚後も女優として活躍離婚後の有馬稲子は、女優として独自のキャリアを築いていきました。
特に舞台女優としての評価は高く、水上勉原作の舞台『はなれ瞽女おりん』では、長年にわたって主演を務めています。
テレビ朝日のインタビュー記事でも、映画『浪花の恋の物語』での萬屋との出会いや、その後の舞台活動が取り上げられています。
つまり、有馬稲子との結婚は萬屋の人生における最初の夫婦生活であると同時に、2人がそれぞれ俳優として活動の幅を広げていった時代の出来事でもありました。
【再婚】淡路恵子と1966年に結婚!約20年間の夫婦生活と離婚の経緯
有馬稲子との離婚から間もなく、萬屋錦之介は女優の淡路恵子と再婚します。
淡路恵子は松竹歌劇団(SKD)を経て女優となり、喜劇映画からシリアスな作品まで幅広く出演した実力派です。
2人は映画での共演などを通じて関係を深め、1966年4月に婚約を発表。同年11月20日に結婚式を挙げました。
淡路恵子との間に2人の実子が誕生淡路との結婚生活では、2人の息子が生まれています。
- 三男:小川晃広
- 四男:萬屋吉之亮
淡路には萬屋と結婚する以前のパートナーとの間に2人の息子もいました。そのため、家庭には合わせて4人の息子がいたことになります。
長男の島英津夫は俳優として活動し、萬屋にとっては義理の息子に当たります。
日刊スポーツの2012年の記事でも、島英津夫が淡路の前のパートナーとの間に生まれた長男であり、淡路と萬屋の結婚後に2人の息子が生まれたことが紹介されています。
1982年の中村プロダクション倒産と闘病夫婦生活の転機となった出来事の一つが、1982年の中村プロダクション倒産です。
萬屋は自ら設立したプロダクションの経営問題に直面し、さらに重症筋無力症を患いました。
病気による療養と経済的な問題が重なり、家庭生活にも大きな影響を及ぼしました。
淡路は夫を支えながら生活を続け、借金返済のために仕事を再開したことも報道されています。
日刊スポーツの淡路恵子追悼記事では、夫の事務所倒産や闘病、淡路が借金返済に奔走した経緯が伝えられています。
離婚の経緯は?1986年の別居と1987年の正式離婚淡路恵子との離婚については、1986年に別居が明らかになり、1987年1月に正式離婚したという時系列が重要です。
当時の芸能報道では、萬屋と甲にしきとの関係が離婚の背景として取り上げられました。
日刊ゲンダイの過去記事では、甲にしきが1986年から萬屋と生活を共にするようになり、淡路との夫婦関係が解消されるまでの経緯が紹介されています。
また、日刊スポーツも1986年9月の別居報道と1987年1月の正式離婚を記録しています。
このため、淡路恵子との離婚年については、1986年と1987年の両方が検索されることがあります。
ただし、両者は矛盾する情報ではありません。
- 1986年: 別居が報じられた時期
- 1987年: 正式に離婚した時期
淡路恵子との結婚生活は約20年間に及びました。3人の妻との関係の中でも、最も長く家庭を築いた時期です。
【再々婚】最後の妻・甲にしきとは1990年に入籍!宝塚時代からの経歴
萬屋錦之介の3人目の妻となったのは、元宝塚歌劇団花組トップスターの甲にしきです。
本名は小川甲子。宝塚時代には男役スターとして活躍し、退団後は女優として舞台やテレビに出演しました。
甲にしきの宝塚時代甲にしきは1960年に宝塚音楽学校を卒業し、宝塚歌劇団に入団しました。
花組の男役スターとして人気を集め、1974年に退団しています。
退団後は女優に転身しましたが、1987年には芸能界を引退しています。
その後、萬屋との結婚を経て、2001年には東京宝塚劇場の支配人に就任しました。
産経新聞の宝塚関連記事や一般社団法人ユニバーサルコミュニケーションデザイン協会のインタビューでは、小川甲子として劇場運営に携わった経歴が紹介されています。
1990年4月に再々婚萬屋と甲にしきは、1990年4月に入籍しました。
この結婚によって甲にしきは萬屋の3人目の妻となり、1997年の死去まで法律上の妻でした。
注目されるのは、淡路恵子との離婚から甲との入籍までに約3年の期間があることです。
つまり、淡路との正式な離婚は1987年、甲との入籍は1990年です。
甲にしきは、萬屋が晩年に中咽頭がんの治療を受けた際にも支えとなった人物です。
BS朝日の人物紹介番組「昭和偉人伝」でも、重症筋無力症からの復帰や晩年の闘病を支えた妻として甲にしきが取り上げられています。
萬屋錦之介の最後を看取った妻甲にしきが最後の妻として知られる理由は、1997年の萬屋の死去まで夫婦関係が続いていたことにあります。
1997年3月13日の通夜、翌14日の告別式には、甲にしきだけでなく、元妻の有馬稲子と淡路恵子も参列しました。
3人の妻が同じ場に集まったことは、当時の芸能報道でも大きく取り上げられました。
日刊ゲンダイの記事によると、甲にしきが喪主を務め、淡路と有馬もそれぞれ故人を見送っています。
この葬儀の記録は、萬屋の結婚歴を振り返るうえで象徴的な出来事となっています。
【結婚歴・家族構成】萬屋錦之介の妻3人を年表と関係一覧で整理
ここまで紹介した結婚歴を、時系列と人物関係に分けて整理します。
萬屋錦之介の結婚・離婚年表| 時期 | 出来事 | 関係・備考 |
|---|---|---|
| 1959年 | 有馬稲子と映画で共演 | 『浪花の恋の物語』 |
| 1961年11月 | 有馬稲子と結婚 | 初婚 |
| 1965年 | 有馬稲子と離婚 | 約4年間の結婚生活 |
| 1966年4月 | 淡路恵子と婚約発表 | 再婚に向けて進展 |
| 1966年11月 | 淡路恵子と結婚 | 2人目の妻 |
| 1982年 | 中村プロダクション倒産・闘病 | 家庭生活にも影響 |
| 1986年 | 淡路との別居が報道される | 甲にしきとの関係も報道 |
| 1987年1月 | 淡路恵子と離婚 | 正式離婚 |
| 1990年4月 | 甲にしきと入籍 | 再々婚 |
| 1997年3月10日 | 萬屋錦之介が死去 | 享年64歳 |
| 人物 | 主な経歴 | 萬屋との関係 |
|---|---|---|
| 有馬稲子 | 宝塚出身の女優 | 1961~1965年の妻 |
| 淡路恵子 | 映画・舞台女優 | 1966~1987年の妻 |
| 甲にしき | 元宝塚花組トップスター | 1990~1997年の妻 |
萬屋錦之介と淡路恵子の家族構成を理解するには、淡路の前の結婚生活も知っておく必要があります。
公表されている人物事典や報道を整理すると、次のようになります。
| 人物 | 続柄 | 備考 |
|---|---|---|
| 島英津夫 | 淡路の長男 | 萬屋にとって義理の息子 |
| 淡路の次男 | 淡路の次男 | 前のパートナーとの子供 |
| 小川晃広 | 萬屋の三男 | 淡路との実子・1990年死去 |
| 萬屋吉之亮 | 萬屋の四男 | 淡路との実子・2010年死去 |
特に間違えやすいのが、俳優の島英津夫との関係です。
島英津夫は萬屋錦之介の実子ではなく、淡路恵子が以前のパートナーとの間にもうけた長男です。
その後、淡路と萬屋が結婚したため、萬屋にとっては義理の息子となりました。
一方、小川晃広と萬屋吉之亮は、萬屋と淡路の間に生まれた実子です。
この区別を押さえておくと、萬屋の家族構成を正しく理解できます。
【1997年に死去】萬屋錦之介の最期と最後の妻・甲にしきの現在
萬屋錦之介は、1997年3月10日、64歳で亡くなりました。
晩年は中咽頭がんの治療を受けていました。病状の悪化によって、1997年放送予定だったNHK大河ドラマ『毛利元就』の尼子経久役を降板しています。
日刊ゲンダイの1997年を振り返る記事によると、闘病中は手術を受け、声を出すことが難しい状態になりながらも、再び舞台に立つことを目指していました。
しかし、肺炎を発症し、1997年3月10日に帰らぬ人となりました。
最後の妻・甲にしきは現在どうしている?萬屋錦之介の最後の妻である甲にしきは、結婚当時から元宝塚スターとして知られていました。
萬屋の死後も、甲にしき自身の経歴として注目されるのが東京宝塚劇場での仕事です。
2001年1月1日の東京宝塚劇場リニューアルオープンに際して、支配人に就任したことが報じられています。
これは元宝塚スターが劇場運営に携わるという点でも注目された出来事でした。
産経新聞の記事では、小川甲子としての仕事や宝塚への思いが紹介されています。また、2013年のインタビューでも劇場運営に関する経験が語られています。
2026年現在の甲にしきの活動については、継続的な公式発表や近況報道が限られています。
そのため、現在の職業や生活状況を具体的に断定することはできません。
ただし、萬屋錦之介の最後の妻が甲にしきであること、そして萬屋の死去後に東京宝塚劇場の支配人として活動した経歴があることは、公開資料から確認できます。
淡路恵子と有馬稲子は葬儀に参列した萬屋の葬儀では、最後の妻である甲にしきに加えて、最初の妻・有馬稲子、2人目の妻・淡路恵子も参列しました。
日刊ゲンダイの報道では、甲が喪主を務めたことや、元妻2人がそれぞれ焼香したことが伝えられています。
特に淡路は、長年の結婚生活を振り返りながら、萬屋との間に残された子供や思い出について言及したと報じられています。
3人の女性は、それぞれ異なる時期に萬屋と人生を共にしました。
葬儀で3人が顔を合わせたという事実は、単なる芸能スキャンダルとしてではなく、長い年月を経た家族や夫婦の関係を考えるうえでも印象的な出来事です。
【プロの結論】萬屋錦之介の妻をめぐる3つの誤解と正しい見方
萬屋錦之介の結婚歴を調べると、いくつか混同されやすいポイントがあります。
誤解1:淡路恵子が最後の妻だった?淡路恵子は萬屋と最も長く結婚生活を送った女性ですが、最後の妻ではありません。
1987年に正式離婚しており、1990年には甲にしきと再々婚しています。
したがって、最後の妻は甲にしきです。
誤解2:1986年と1987年、どちらが離婚年?1986年は別居が報じられた時期、1987年は正式離婚した時期です。
結婚歴を年表にする場合には、1987年を離婚年として扱うと整理しやすくなります。
誤解3:島英津夫は萬屋錦之介の実子?島英津夫は淡路恵子の長男であり、萬屋とは義理の親子関係です。
萬屋と淡路の間に生まれた実子は、小川晃広と萬屋吉之亮の2人です。
結婚歴を調べるときに見るべき資料人物の結婚歴を正確に理解するには、次のような資料を照らし合わせることが有効です。
- 人物事典: 生没年、配偶者、家族関係を確認する。
- 映画・芸能データベース: 結婚や離婚の年、出演歴を確認する。
- 当時の新聞報道: 別居、婚約、入籍、離婚発表などの時系列を確認する。
- 本人や関係者のインタビュー: 結婚生活や仕事に対する当事者の考えを理解する。
萬屋錦之介の場合、平凡社の人物事典、キネマ旬報社のKINENOTE、日刊スポーツの過去記事、BSテレ東の番組資料などを組み合わせることで、3人との関係を整理できます。
【萬屋錦之介の妻】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:萬屋錦之介の妻は全部で何人ですか?
A1:生涯で3人です。最初が有馬稲子、2人目が淡路恵子、3人目が甲にしきです。
Q2:萬屋錦之介の最後の妻は誰ですか?
A2:甲にしきです。1990年4月に入籍し、1997年3月10日の萬屋の死去まで妻でした。
Q3:萬屋錦之介と有馬稲子はなぜ離婚したのですか?
A3:1961年に結婚し、1965年に離婚しました。舞台女優として多忙になった有馬と萬屋との生活のすれ違いが背景として伝えられています。
Q4:淡路恵子と萬屋錦之介の離婚は何年ですか?
A4:1987年1月です。1986年に別居が報じられたことから、1986年と1987年の情報が混在しています。
Q5:萬屋錦之介には子供が何人いましたか?
A5:淡路恵子の前のパートナーとの間に生まれた2人の息子と、萬屋との間に生まれた2人の息子がいました。萬屋との実子は小川晃広と萬屋吉之亮です。
Q6:萬屋錦之介は何歳で亡くなりましたか?
A6:1997年3月10日に64歳で亡くなりました。晩年は中咽頭がんの治療を受け、肺炎を発症したことが報じられています。
Q7:甲にしきは2026年現在も存命ですか?
A7:甲にしきの近況については、最新の公式な生存状況や活動状況を裏付ける公表情報が限られています。過去には東京宝塚劇場の支配人を務めた経歴があります。
まとめ:萬屋錦之介の妻は有馬稲子・淡路恵子・甲にしきの3人
萬屋錦之介の結婚歴は、昭和の映画・演劇界を代表する3人の女性との関係によって形づくられています。
- 有馬稲子: 1961年に結婚、1965年に離婚した最初の妻。
- 淡路恵子: 1966年に再婚し、1987年に離婚した2人目の妻。
- 甲にしき: 1990年に再々婚し、1997年の死去まで連れ添った最後の妻。
萬屋錦之介は1997年3月10日に64歳で亡くなりました。
その後、最後の妻となった甲にしきは東京宝塚劇場の支配人を務めるなど、宝塚に関わる仕事でも知られるようになりました。
萬屋の人生を振り返るとき、3人の妻との関係は単なる結婚回数では語り尽くせません。有馬稲子との映画界での出会い、淡路恵子との長い家庭生活、そして甲にしきとの晩年の夫婦関係。それぞれが異なる時代の萬屋錦之介を支えた存在でした。
「最後の妻は誰か」という疑問への答えは甲にしき。そして、歴代の妻は有馬稲子、淡路恵子、甲にしきの3人です。 この時系列を押さえることが、萬屋錦之介の結婚歴と家族構成を正しく理解するポイントです。