深井一希の現在の肩書は、北海道コンサドーレ札幌アカデミーのU-18担当コーチだ。
2026年1月10日には、札幌サッカーアミューズメントパークでU-18の選手たちを初めて指導した。13年間のプロ生活を終えた後、選手として育ったクラブに残り、今度は若い選手を育てる立場になったのである。
2026年からU-18コーチとして本格始動2026年1月の初指導では、選手たちと積極的にコミュニケーションを取り、自らトレーニングにも参加した。
初日の練習は約2時間。指導者としての第一歩を踏み出した。
UHB北海道文化放送の取材では、深井は次のように意気込みを語っている。
「みんなのことを巧く、強くできるように一生懸命頑張ります」
また、指導者として目指すチーム像についても具体的な考えを示した。
特に重視しているのが、北海道で負けないチームをつくること、そして高円宮杯U-18プレミアリーグへの復帰だ。
札幌U-18は、深井自身が在籍していた2011年にプレミアリーグで優勝した実績を持つ。しかし、2015年の降格以降、最高峰の舞台への復帰を果たせていない。
深井は、まずプリンスリーグ北海道で優勝し、プレミアリーグへ昇格することを目標に掲げている。
引退後の活動は選手育成が中心2026年の深井の活動で注目したいのは、単にコーチという肩書を得ただけではない点だ。
自身が長年所属した育成組織に戻り、選手として経験してきたことを次の世代に伝える役割を担っている。
アカデミーコーチの仕事は、練習中の技術指導だけではない。
UHBの報道によれば、深井は練習前の雪かきやボールの空気調整、トレーニング準備にも取り組んでいた。
選手時代には見えにくかったスタッフの仕事を経験し、クラブを支える人々の存在を改めて実感したという。
これは、13年間プロ選手としてプレーした経験を別の角度から捉え直す機会にもなっている。
将来はトップチームの監督を目指す?2025年11月29日の引退セレモニーで、深井は将来についても明確な夢を語った。
「いつか必ずこのピッチに監督として帰ってくることを夢見て、ひたむきに努力していきたいと思います」
現在の仕事はU-18の指導であり、トップチームの監督に就任したわけではない。
ただし、本人が将来の監督就任を目標として公に語っていることは重要だ。
選手として札幌のピッチに立ち続けた人物が、今度は指導者として同じクラブの未来を担おうとしている。
【プロフィール・経歴】深井一希はどんな選手だった?U-17日本代表から札幌一筋の13年間

深井一希(ふかい・かずき)
- 生年月日:1995年3月11日
- 出身地:北海道札幌市
- ポジション:MF
- 所属:北海道コンサドーレ札幌
- プロ在籍:2013~2025年
- 背番号:8
- 代表歴:U-16、U-17、U-18日本代表
- 2026年:札幌U-18担当
深井一希は、北海道札幌市で生まれ育ったサッカー選手だ。
小学生年代からコンサドーレの育成組織に所属し、U-12、U-15、U-18を経てトップチームに昇格した。
移籍を経験せず、選手としてのキャリアを一つのクラブで全うした点が大きな特徴である。
2011年にはU-17日本代表として世界大会に出場深井の才能が早くから注目されていたことを示す実績が、2011年のFIFA U-17ワールドカップだ。
日本サッカー協会の大会記録には、深井の名前が日本代表の招集選手として掲載されている。
当時16歳。札幌U-18所属のMFとして背番号5をつけ、メキシコで開催された大会に参加した。
この大会には、後に日本代表の中心選手となる南野拓実、中島翔哉、植田直通、室屋成らも参加していた。
高校年代ですでに国際大会を経験していた深井は、将来を期待される選手の一人だった。
深井一希の経歴・年表プロ入り後の主な転換点を整理すると、次のようになる。
出典:Jリーグ公式記録、日本サッカー協会、北海道コンサドーレ札幌関連報道をもとに整理。
2016年のJ2優勝と2019年のルヴァンカップ決勝深井のキャリアを語るうえで外せないのが、2016年のJ2優勝だ。
札幌は2016年のJ2リーグで優勝し、J1復帰を果たした。深井も25試合に出場し、中盤の選手としてチームを支えた。
その後、2019年にはクラブ史上初のルヴァンカップ決勝進出を経験する。
特に印象的だったのが、川崎フロンターレとの決勝戦だ。
札幌は1点を追う後半アディショナルタイムに、深井が福森晃斗のコーナーキックを頭で合わせて同点に追いついた。
試合は延長戦でも決着がつかず、PK戦の末に札幌が敗れた。
優勝には届かなかったものの、深井のゴールはクラブの歴史に残る名場面となった。
【前十字靭帯断裂】深井一希が経験した5度の手術と長期リハビリ
深井一希を語るとき、避けて通れないのが膝のけがだ。
プロ入り後、両膝の前十字靭帯に関係する手術を5回経験した。加えて、半月板や軟骨などの手術も含めると、本人は合計12~13回の手術を受けたと明かしている。
つまり、よく知られる「5回の手術」は、すべての手術を合算した数字ではない。前十字靭帯の手術だけで5回という意味だ。
5度の前十字靭帯手術に至るまで主な負傷の経緯を整理する。
- 2013年11月: プロ1年目に左膝の前十字靭帯を断裂。
- 2014年8月: 復帰から約1か月で右膝の前十字靭帯を断裂。内側半月板も損傷。
- 2017年4月: 左膝の前十字靭帯を再び断裂。内側・外側半月板も損傷。
- 2022年9月: 練習中に右膝の前十字靭帯を断裂。
- 2023年11月: 右膝前十字靭帯損傷、内側半月板損傷、軟骨損傷と診断され、手術を実施。
2013年のプロ1年目から大きなけがに苦しみ、復帰しては再び離脱するという厳しい状況が続いた。
特に2014年は、左膝の手術から復帰した直後に反対側の右膝を負傷した。
2017年にも左膝を再び痛め、長期離脱を経験している。
2022年の右膝前十字靭帯断裂後は、約8か月のリハビリを経て2023年5月に実戦復帰。しかし、同年11月には右膝の再手術を余儀なくされた。
なぜ5回も手術を乗り越えられたのか深井の復帰を支えたものとして、本人が繰り返し挙げているのが周囲のサポートだ。
リハビリでは医療スタッフやトレーナー、チームメート、家族など、多くの人々の支えを受けてきた。
2026年のFOOTBALL ZONEのインタビューでは、けがを経験するたびに周囲の支えを感じ、人を助けたいという気持ちが強くなったと語っている。
また、リハビリ期間には、清武弘嗣や宮市亮ら、けがからの復帰を目指す選手との交流もあった。
同じような苦しみを経験した選手同士だからこそ、言葉だけでは伝わらない部分を共有できたのだろう。
最後の数年間は日常生活にも痛みが残っていた2025年1月の道新スポーツのインタビューでは、深井は階段の上り下りでも膝に痛みが出ることを明かしていた。
プロ選手としてプレーするだけでなく、日常生活にも影響が出ていたのである。
加えて、2026年4月に公開されたFOOTBALL ZONEのインタビューでは、最後のシーズンにどれほど厳しい状態だったのかが詳しく語られた。
本人によると、走るたびに膝を強く叩かれるような痛みがあり、痛み止めの注射や薬を使いながら試合に臨むこともあった。
この事実を知ると、5回の前十字靭帯手術を乗り越えたという数字だけでは、引退までの苦しさを十分に表現できないことが分かる。
【引退理由を検証】深井一希はなぜ30歳で現役を引退したのか
深井一希が現役引退を正式発表したのは、2025年9月26日。
引退理由は、大きく分けて2つある。
1つ目は、長年続いていた膝の痛みが限界に達したこと。
2つ目は、指導者として成長したいという新しい目標が明確になったことだ。
引退を決定づけたのは2024年後半から続く痛み2024年シーズンの終盤から、深井の膝の状態は悪化していた。
これまでのけがでは、手術とリハビリを経て復帰するという道筋があった。しかし、最後の数年間は、治療や調整を続けても痛みが改善しない状態だった。
2025年1月には、本人も選手としての終わりが近づいていることを意識していた。
それでも、プレーを続けたいという気持ちは消えていなかった。
クラブとの契約交渉では、三上大勝氏や竹林大吉氏らとの話し合いを経て、ラスト1年に挑戦することを決めたという。
2025年シーズンは、まさに現役生活を続けられるかどうかを見極める最後の挑戦だった。
本人が語った引退の決定的な理由2025年9月26日の引退発表時、深井は膝の痛みだけでなく、精神的な疲労についても率直に話している。
UHB北海道文化放送の取材では、次のように説明した。
「その痛みに耐えきることがもう厳しくなってきた。精神的にも、それに疲れてしまった、というのが大きな理由です」
加えて、指導者を目指す気持ちが強くなっていたことも明かした。
この2つの理由は切り離して考えるべきではない。
単にけがでプレーできなくなったという話ではなく、選手としての限界を受け入れながら、新しい目標に向かう決断だったのである。
2025年に最後の挑戦を続けた理由引退を決断した時点で、深井はまだシーズンを残していた。
それでも9月に発表したのは、長年支えてくれたサポーターや関係者に、早い段階で感謝を伝えたかったからだ。
また、最後までプレーする姿を見せたいという思いもあった。
2025年は札幌がJ2で戦うシーズンでもあり、クラブのために少しでも力になりたいという気持ちがあった。
実際、深井は引退発表後も復帰を目指し、最後のホームゲームでピッチに立つことを目標にしていた。
その願いは、11月29日に実現することになる。
【背番号8の引退試合】2025年11月29日に札幌で迎えた最後の試合
深井一希の現役ラストマッチは、2025年11月29日に行われたJ2リーグ最終節、北海道コンサドーレ札幌対愛媛FCの一戦だった。
会場は大和ハウスプレミストドーム。
札幌は3対0で勝利し、深井はキャプテンマークを巻いて先発出場した。
58分間のプレーと1万8612人の拍手この試合で深井は約58分間プレーした。
リーグ戦での先発出場は、2022年8月以来およそ3年ぶりだった。
背番号8のユニフォームや、プロとして在籍した2013~2025年を示す演出がスタジアムを彩った。
後半13分に交代すると、両チームの選手たちが花道をつくり、深井を送り出した。
UHB北海道文化放送の報道によれば、この試合には18,612人が来場。UHBの独占インタビュー記事では、交代時にスタジアム全体からスタンディングオベーションが送られた様子も伝えられている。
引退セレモニーで語ったサポーターへの感謝試合後には引退セレモニーが行われた。
深井は、22年間にわたってクラブとともに歩んできたことを振り返り、サポーターや関係者への感謝を伝えた。
特に印象的だったのは、けがで苦しんでいる時期にも応援を続けてくれたサポーターへの言葉だ。
「どんな時も皆さんの声がいつも僕の背中を押してくれていました」
そして最後には、いつか監督として同じピッチに戻ってくるという夢を語った。
選手としての引退は、深井にとって札幌との別れではなかった。
むしろ、クラブとの新しい関係が始まった日だった。
【成績・年俸・家族】深井一希の私生活と引退後の評判
J1・J2で残した通算成績深井はボランチを主戦場とし、守備面での貢献や中盤でのボール奪取、試合を落ち着かせるプレーを持ち味としていた。
Jリーグ公式サイトが2025年9月26日の引退発表時に公表した成績は、次のとおりだ。
| 項目 | 成績 |
|---|---|
| J1リーグ | 141試合8得点 |
| J2リーグ(引退発表時) | 64試合0得点 |
| 2025年J2リーグ最終シーズン | 4試合0得点 |
| 背番号 | 8 |
| 所属クラブ | 札幌のみ |
2025年シーズンの最終出場まで含めると、J2での通算出場は66試合となる。J1とJ2を合わせたリーグ戦出場は207試合、8得点だ。
数字だけを見ると、攻撃的な選手ではないため得点数は多くない。しかし、深井の評価はゴール数だけでは測れない。
特に2019年のルヴァンカップ決勝で決めた同点ゴールは、数字以上の価値を持つプレーとして記憶されている。
深井一希の年俸は2500万円だった?年俸については、クラブやJリーグが選手個人の契約額を公式発表しているわけではない。
一方、民間のサッカー年俸情報サイトでは、深井の2024年の年俸を2500万円と推計している。
同サイトに掲載された過去の推計額は以下のとおりだ。
| 年度 | 推定年俸 |
|---|---|
| 2017年 | 1000万円 |
| 2018年 | 1000万円 |
| 2019年 | 1800万円 |
| 2020年 | 2500万円 |
| 2021年 | 2500万円 |
| 2022年 | 2700万円 |
| 2023年 | 2800万円 |
| 2024年 | 2500万円 |
出典:サカマネ.net掲載値。公式契約額ではなく、民間サイトによる推計。
この数字は参考情報として扱う必要がある。2025年の年俸や引退後のコーチ報酬について、確定した公表額は確認できない。
深井一希は結婚している?妻や子供について深井一希は結婚している。
道新スポーツの2025年9月26日の報道によると、妻のかれんさんとはプロ1年目に出会い、約7年間の交際を経て、2020年12月に結婚した。
妻は深井が経験した数々のけがやリハビリ、入院生活をそばで見守ってきた存在だ。
2026年4月のFOOTBALL ZONEのインタビューでも、深井はプロ1年目から妻と一緒に過ごしてきたこと、けがをするたびに妻も悲しんでいたことを振り返っている。
選手としての復帰を支えた家族の存在は、彼のキャリアを理解するうえで欠かせない。
一方、子供については、本人やクラブから公表された確定的な情報は確認できない。子供の人数や年齢などを断定できる公的情報はないため、結婚の事実と子供に関する情報は分けて捉える必要がある。
現役引退後の深井一希に対する評判深井の評価を象徴するのが、引退試合でのサポーターの反応だ。
1万8612人が集まったホーム最終戦で、背番号8を背負った深井が交代する際には、大きな拍手が送られた。
また、2019年のルヴァンカップ決勝での同点ゴール、繰り返すけがからの復帰、札幌一筋のキャリアなども、彼の存在感を高めてきた。
引退セレモニーでは、本人がサポーターの優しさに感謝し、今後もクラブを応援してほしいと呼びかけている。
加えて、元チームメートのキム・ミンテも引退発表を惜しむメッセージを発信したと日刊スポーツが報じた。
こうした出来事から、深井は単に長く在籍した選手というだけでなく、クラブとサポーターをつなぐ象徴的な存在として受け止められていたことが分かる。
【よくある質問】深井一希の現在や引退後に関するFAQ
Q1:深井一希は2026年現在、何をしていますか?
2026年から北海道コンサドーレ札幌のアカデミーでU-18担当コーチを務めている。若手選手の育成に携わり、将来的には監督として札幌のピッチに戻ることを目標にしている。
Q2:深井一希は前十字靭帯の手術を何回受けましたか?
前十字靭帯に関係する手術は5回。半月板や軟骨などの手術も含めると、本人は合計12~13回と説明している。
Q3:深井一希の引退理由は何ですか?
長年続いた膝の痛みが限界に達し、精神的にも耐え続けることが難しくなったため。また、指導者として成長したいという強い思いも引退の理由だった。
Q4:深井一希は結婚していますか?
2020年12月に結婚している。妻はかれんさん。プロ1年目から交際を続け、長期にわたるけがやリハビリ生活を支えてきた。
Q5:深井一希に子供はいますか?
子供の有無や人数について、本人やクラブによる確定的な公表情報は確認できない。
Q6:深井一希の年俸はいくらでしたか?
民間の推計サイトでは2024年の年俸は2500万円とされている。ただし、公式に発表された契約額ではない。
Q7:深井一希の現役最後の試合はいつですか?
2025年11月29日の北海道コンサドーレ札幌対愛媛FC戦。札幌が3対0で勝利し、深井は背番号8を背負って先発出場した。
まとめ:深井一希の今後は指導者としての成長と札幌への恩返しが鍵
深井一希のサッカー人生は、北海道コンサドーレ札幌とともに歩んだ22年間と、2013年から2025年までのプロ13年間に集約される。
U-17日本代表として世界大会を経験し、2016年のJ2優勝、2019年のルヴァンカップ決勝など、クラブの重要な歴史に立ち会ってきた。
その一方で、両膝の前十字靭帯に関係する5度の手術を経験。復帰と離脱を繰り返しながら、最後まで札幌のユニフォームを着て戦い続けた。
2025年11月29日の引退試合は、その長い選手生活にふさわしい舞台となった。
そして2026年、深井は札幌U-18のコーチとして新たなスタートを切った。
今後の注目点は、次の3つだ。
- 育成実績: U-18の選手たちをどのように成長させ、チームを強くしていくか。
- 指導者としてのキャリア: 選手時代の経験を、戦術や技術指導にどう生かしていくか。
- 将来の監督就任: 本人が掲げた、いつか札幌のトップチームの監督としてピッチに戻るという夢を実現できるか。
深井一希の価値は、5度の手術を乗り越えたという記録だけではない。
自分が育ったクラブに残り、次の世代を育てる道を選んだことにもある。
背番号8として戦った13年間は終わった。しかし、北海道コンサドーレ札幌と深井一希の物語は、指導者としての新しい章に入っている。
主な情報源:Jリーグ公式サイト、日本サッカー協会、北海道コンサドーレ札幌公式サイト、UHB北海道文化放送、道新スポーツ、日刊スポーツ、FOOTBALL ZONE。