田子ノ浦親方は、現役時代に「隆の鶴」の四股名で活躍した元前頭八枚目の力士、田子ノ浦伸一親方です。2026年11月現在、50歳。日本相撲協会の委員を務めながら、東京都江戸川区にある田子ノ浦部屋の師匠として力士の育成に携わっています。
注目したいのは、現役引退後に「隆の鶴」「西岩」「鳴戸」「田子ノ浦」と4つの年寄名跡を名乗ってきた経歴です。先代の元横綱・隆の里が創設した鳴戸部屋を引き継ぎ、2013年に田子ノ浦部屋として再出発した背景には、相撲界特有の年寄名跡制度と部屋の継承事情がありました。
この記事では、日本相撲協会の公式プロフィールや2026年11月場所の番付、報道資料を基に、田子ノ浦親方の生年月日、現役時代の成績、改名の経緯、高安晃ら現在の所属力士、手話を通じた社会交流まで詳しく整理します。
【2026年最新】田子ノ浦親方とは?年齢・生年月日・本名と現在の活動

田子ノ浦親方の正式な親方名は、田子ノ浦伸一(たごのうら・しんいち)です。
日本相撲協会の年寄プロフィールによると、1976年6月18日生まれで、2026年11月現在の年齢は50歳。鹿児島県出水市の出身です。
現役時代は隆の鶴伸一という四股名で土俵に上がっていました。
田子ノ浦親方の基本プロフィール| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 現在の親方名 | 田子ノ浦伸一 |
| 読み方 | たごのうら・しんいち |
| 本名 | 積山伸一 |
| 生年月日 | 1976年6月18日 |
| 年齢 | 50歳(2026年11月現在) |
| 出身地 | 鹿児島県出水市 |
| 現役時代の四股名 | 隆の鶴伸一 |
| 現役時代の最高位 | 前頭八枚目 |
| 引退場所 | 2006年5月場所 |
| 現在の所属部屋 | 田子ノ浦部屋 |
| 協会での立場 | 委員 |
| 主な活動 | 部屋の運営、力士の育成、協会業務 |
特に押さえておきたいのは、「田子ノ浦」は現役時代の四股名ではなく、引退後に襲名した年寄名跡だという点です。
現役力士としての隆の鶴と、現在の師匠としての田子ノ浦親方は、同じ人物を指しています。
現在は田子ノ浦部屋の師匠2026年現在、田子ノ浦親方は日本相撲協会に所属する年寄であり、田子ノ浦部屋の師匠です。
協会公式プロフィールでは役職が「委員」と記載されています。
親方としての仕事は、単に力士の稽古を見守るだけではありません。若い力士の指導、生活面の管理、部屋の運営、相撲協会の業務など、幅広い役割を担います。
また、部屋の師匠という立場は、現役時代の番付とは別のものです。前頭八枚目まで昇進した元力士が、引退後に指導者として相撲界を支えているのが現在の姿です。
【元隆の鶴】田子ノ浦伸一の現役時代の成績と経歴
田子ノ浦親方の現役時代の四股名は隆の鶴です。
1992年3月場所に初土俵を踏み、2006年5月場所で引退するまで、約14年間にわたって土俵に立ちました。
最高位は前頭八枚目。幕内での在位は5場所でした。
隆の鶴の現役時代の主な記録日本相撲協会の公式プロフィールに掲載された戦歴は次のとおりです。
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 初土俵 | 1992年3月場所 |
| 新十両 | 2001年3月場所 |
| 新入幕 | 2003年1月場所 |
| 最高位 | 前頭八枚目 |
| 引退 | 2006年5月場所 |
| 生涯戦歴 | 393勝364敗70休 |
| 通算場所数 | 86場所 |
| 幕内戦歴 | 26勝45敗4休 |
| 幕内在位 | 5場所 |
| 序二段優勝 | 1回 |
| 幕内優勝 | 0回 |
| 三賞 | 0回 |
| 金星 | 0個 |
通算成績は393勝364敗70休です。
幕内での成績は26勝45敗4休。三賞や金星の獲得はありませんでしたが、序二段では1度の優勝を経験しています。
隆の鶴の取り口は左四つ・寄り日本相撲協会の公式プロフィールによると、隆の鶴の得意技は「左四つ・寄り」です。
相手と組み合い、左四つの形から前に出る相撲を得意としていました。
決まり手の傾向でも寄り切りが約69%を占めており、組んで相手を土俵外へ運ぶ取り口が特徴だったことが分かります。
積山から隆の鶴へ。四股名が変わった時期入門当初の四股名は本名に由来する「積山」でした。
その後、2001年3月場所に隆の鶴へ改名。同じ場所で新十両にも昇進しています。
さらに2003年1月場所には新入幕を果たしました。
初土俵から新入幕までには約11年を要しており、決して早い出世ではありません。しかし、幕内まで昇進した実績は、長い現役生活を積み重ねた結果です。
2006年5月場所を最後に現役を引退。その後は親方として後進の指導に携わる道へ進みました。
【隆の鶴・西岩・鳴戸・田子ノ浦】親方の改名歴と部屋継承の真相
田子ノ浦親方の経歴を理解するうえで欠かせないのが、引退後の年寄名跡の変遷です。
日本相撲協会の公式プロフィールには、次の順番で年寄名が記録されています。
隆の鶴伸一 → 西岩伸一 → 鳴戸伸一 → 田子ノ浦伸一
この4つの名前には、それぞれ異なる時期の役割と背景があります。
田子ノ浦親方の改名年表| 時期 | 名乗った名前 | 当時の立場 |
|---|---|---|
| 2006年5月 | 隆の鶴 | 現役引退後、準年寄として在籍 |
| 2007年5月31日 | 西岩 | 鳴戸部屋の部屋付き親方 |
| 2011年11月8日 | 鳴戸 | 先代から部屋を継承 |
| 2013年12月25日 | 田子ノ浦 | 田子ノ浦部屋の師匠に |
鳴戸部屋は、1989年2月に第59代横綱・隆の里が二子山部屋から独立して創設した相撲部屋です。
厳しい稽古と力士育成で知られ、若の里、隆乃若、稀勢の里、高安など、角界を代表する力士を輩出してきました。
2011年11月7日、先代の鳴戸親方である元横綱・隆の里が急逝します。
その翌日の11月8日、部屋付き親方だった田子ノ浦親方が14代鳴戸を襲名し、部屋を引き継ぎました。
元前頭・隆の鶴が、先代の名前と部屋の歴史を背負う立場になったのです。
なぜ鳴戸から田子ノ浦に変わったのか大きな転換点となったのが2013年12月です。
当時、日本相撲協会は公益財団法人への移行に伴い、年寄名跡証書の提出や管理の透明化を進めていました。
鳴戸の名跡証書をめぐる問題が生じ、部屋の存続にも影響する状況となります。
そこで田子ノ浦親方は、2013年12月25日に年寄「田子ノ浦」を襲名しました。これに伴って鳴戸部屋も田子ノ浦部屋へと名称を変更しています。
当時のデイリースポーツの報道では、鳴戸の名跡証書を先代親方の遺族が保有していたことや、部屋の移転を含む一連の経緯が伝えられました。
一方、翌日の報道では先代鳴戸親方の夫人側から異なる説明も出ています。
つまり、単純に親方が好きな名前へ変更したという話ではありません。年寄名跡の管理、部屋の継承、力士たちの活動環境が関係した大きな転換でした。
2013年の変更は、現役時代の四股名を変えたものではなく、親方として襲名する年寄名跡と部屋の名称を変更したものです。
鳴戸部屋の伝統は現在も受け継がれている鳴戸部屋という名称はなくなりましたが、その歴史まで消えたわけではありません。
元横綱・隆の里が築いた部屋の系譜は、田子ノ浦親方によって引き継がれています。
2017年には高安が大関に昇進。かつての鳴戸部屋から続く育成の歴史を考えるうえでも、大きな節目となりました。
部屋の名称が変わったことと、力士育成の系譜が途切れたことは、分けて理解する必要があります。
【2026年11月場所】田子ノ浦部屋の所属力士と高安晃の現在
2026年の田子ノ浦部屋を語るうえで、中心的な存在となっているのが元大関・高安晃です。
日本相撲協会の2026年11月場所の部屋紹介によると、田子ノ浦部屋には幕内から序ノ口まで15人の力士が所属しています。
2026年11月場所の所属力士一覧幕内
- 高安(東前頭三枚目)
幕下
- 海真(西幕下三十八枚目)
三段目
- 小力(西三段目三十枚目)
- 隆の龍(西三段目三十四枚目)
- 隆嵐(東三段目四十二枚目)
- 松木(東三段目四十八枚目)
序二段
- 関塚(西序二段四枚目)
- 応時山(東序二段十八枚目)
- 松澤(東序二段二十五枚目)
- 高須(東序二段二十七枚目)
- 隆葵(西序二段六十三枚目)
- 獅子丸(西序二段六十九枚目)
- 福福丸(西序二段八十一枚目)
- 山内(東序二段九十七枚目)
序ノ口
- 輝の里(東序ノ口十一枚目)
この番付から分かるのは、幕内力士だけでなく、幕下以下の若い力士も在籍していることです。
部屋の運営は、目の前の関取の成績だけではなく、将来の関取を育てることも重要な仕事になります。
高安晃は田子ノ浦部屋を代表する存在高安晃は1990年2月28日生まれ、茨城県土浦市出身の力士です。
2005年3月場所に初土俵を踏み、2011年7月場所に新入幕。2017年7月場所には大関に昇進しました。
日本相撲協会の公式記録によると、大関在位は2017年7月場所から2019年11月場所までです。
高安の主な実績は次のとおりです。
- 最高位:大関
- 殊勲賞:4回
- 敢闘賞:7回
- 技能賞:3回
- 金星:7個
- 幕下優勝:1回
2026年11月場所では東前頭三枚目に位置しています。
田子ノ浦親方にとって、高安は部屋の看板を担う重要な力士です。一方、部屋の将来を考えれば、幕下以下の力士の成長も欠かせません。
高安のような経験豊富な関取と、これから番付を上げていく若手が同じ部屋で稽古を重ねることには、技術や経験を伝える面でも意味があります。
田子ノ浦部屋の所在地は東京都江戸川区東小岩日本相撲協会の公式部屋紹介に掲載されている所在地は、次のとおりです。
東京都江戸川区東小岩4丁目9番20号
鳴戸部屋時代は千葉県松戸市にありましたが、2013年の部屋名変更に伴う移転を経て、現在の江戸川区に拠点を置いています。
田子ノ浦部屋は、単に名称を変えただけでなく、所在地も移しながら新しい運営体制を整えてきた部屋です。
【2026年7月の近況】田子ノ浦親方が手話で子どもたちと交流
2026年の田子ノ浦親方の活動で特に注目したいのが、手話を通じた地域交流です。
2026年7月3日、田子ノ浦親方は名古屋市千種区にある愛知県立千種聾学校を訪問しました。
小学5、6年生の児童13人と手話で交流し、部屋の力士3人も参加して相撲の取組を実演しました。
幼少期から手話を使ってきた背景報道によると、田子ノ浦親方の両親は耳が聞こえず、親方自身も幼少期から日常的に手話を使ってきました。
そのため、今回の訪問は一般的な相撲の普及活動にとどまらず、親方自身の経験と結びついた交流でもありました。
児童たちは力士の取組の実演に驚き、実際に相撲を取る体験にも参加したと伝えられています。
親方は交流後、次のように話しています。
「来て良かったなと思う」
また、子どもたちに喜んでもらうことだけでなく、若い力士たちにとっても学びの機会になるという趣旨のコメントを残しています。
手話交流が示す親方としてのもう一つの役割相撲部屋の師匠は、弟子を強くするだけの存在ではありません。
地域社会との接点をつくり、相撲に触れる機会の少ない人たちにも競技の魅力を伝える役割があります。
今回の訪問では、手話を使ったコミュニケーションによって、聴覚に障害のある子どもたちも相撲に参加できる環境が生まれました。
また、若い力士にとっても、普段の稽古場とは異なる相手と接し、相撲を伝える経験になったと考えられます。
2026年の田子ノ浦親方を理解するうえでは、部屋の運営や番付だけでなく、こうした社会交流にも目を向ける必要があります。
【年寄名跡の仕組み】田子ノ浦親方の改名から分かる相撲界の制度
田子ノ浦親方の改名歴を理解するには、日本相撲協会における年寄名跡の仕組みを知っておくと分かりやすくなります。
一般的に「親方株」と呼ばれることもある年寄名跡は、引退した力士が年寄として協会に残り、後進の指導や協会業務に携わるための制度に関係しています。
年寄名跡は協会が管理する日本相撲協会の定款第47条では、年寄名跡は協会が管理すると定められています。
また、退任する年寄は後継者を推薦できますが、その推薦は退任後5年以内に限られます。
襲名する人物については、年寄資格審査委員会による審査を経て、理事会が決定する仕組みです。
加えて、年寄名跡の襲名や推薦に関する金銭の授受は禁止されています。
年寄名跡に関する基本的な仕組み| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名跡の管理 | 日本相撲協会が管理 |
| 後継者の推薦 | 退任する年寄が推薦可能 |
| 推薦できる期間 | 退任後5年以内 |
| 襲名の審査 | 年寄資格審査委員会 |
| 最終決定 | 日本相撲協会の理事会 |
| 金銭の授受 | 襲名・推薦に関する授受は禁止 |
| 年寄の役割 | 協会事業の実施、後進の指導など |
年寄名跡は、現役時代の四股名とは異なります。
現役力士が引退後にどの名跡を襲名するかによって、親方としての名前が変わります。
田子ノ浦親方の場合、引退後に隆の鶴を名乗り、その後、西岩、鳴戸、田子ノ浦と移り変わりました。
特に鳴戸から田子ノ浦への変更は、部屋の継承や年寄名跡証書の管理に関わる事情が背景にありました。
ここで重要なのは、年寄名跡の変更と、相撲部屋の伝統や力士の育成方針は必ずしも同じタイミングで変わるわけではないということです。
鳴戸部屋から田子ノ浦部屋へ名称が変わっても、元横綱・隆の里から引き継いだ部屋の系譜は続いています。
【田子ノ浦親方】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:田子ノ浦親方は元隆の鶴なのですか?
A1:はい。田子ノ浦伸一親方は、現役時代に隆の鶴伸一という四股名で活躍した元前頭八枚目です。2006年5月場所で引退し、その後は年寄として日本相撲協会に残っています。
Q2:田子ノ浦親方の年齢と生年月日は?
A2:1976年6月18日生まれです。2026年11月現在、50歳です。出身地は鹿児島県出水市、本名は積山伸一です。
Q3:田子ノ浦親方は現在どこの相撲部屋に所属していますか?
A3:東京都江戸川区東小岩にある田子ノ浦部屋の師匠です。2026年11月場所の所属力士には、元大関の高安をはじめ、海真、小力、隆の龍などがいます。
まとめ:【プロの結論】田子ノ浦親方の現在と今後の注目ポイント
田子ノ浦親方は、元前頭八枚目・隆の鶴として活躍した田子ノ浦伸一親方です。
1976年6月18日生まれで、2026年11月現在は50歳。現役時代の通算成績は393勝364敗70休、最高位は前頭八枚目でした。
引退後は隆の鶴、西岩、鳴戸、田子ノ浦と年寄名跡を変え、2011年には先代の元横綱・隆の里から鳴戸部屋を継承。2013年12月には田子ノ浦部屋として新たなスタートを切りました。
2026年現在の注目要点は、次の3つです。
1. 高安を中心とする部屋の現在地: 元大関・高安が幕内で活躍する一方、幕下以下の若手も在籍し、次世代の育成が続いています。
2. 鳴戸部屋から続く歴史: 部屋の名前は変わっても、元横綱・隆の里から引き継いだ相撲部屋の系譜は現在まで続いています。
3. 手話を通じた社会交流: 2026年7月の千種聾学校訪問に象徴されるように、親方として相撲の普及にも取り組んでいます。
田子ノ浦親方を調べる際に大切なのは、現役時代の隆の鶴、年寄としての田子ノ浦伸一、そして相撲部屋の師匠という3つの立場を区別することです。
【プロの結論】
田子ノ浦親方の歩みは、現役力士から親方への転身だけでなく、先代から受け継いだ部屋を守り、育てていく過程そのものを示しています。
2026年以降も注目したいのは、高安の土俵での活躍だけではありません。若手力士の番付上昇、部屋の世代交代、地域社会との交流など、師匠としての活動にも目を向けることで、田子ノ浦部屋の現在地がより明確に見えてきます。
主な確認資料: 日本相撲協会「年寄プロフィール」「田子ノ浦部屋紹介」「定款」、田子ノ浦部屋公式サイト、デイリースポーツ、日刊スポーツ、2026年7月3日の手話交流に関する報道。