2026年現在、元お笑いコンビ「りあるキッズ」の安田善紀は、どのような活動をしているのだろうか。2003年のM-1グランプリで決勝5位に入った元天才少年漫才師は、2025年8月にプロ講談師「旭堂南洋」として新たな一歩を踏み出した。現在は吉本興業に所属する芸人としての活動も続けながら、奈良を拠点に伝統芸能の世界へ挑戦している。
1996年のコンビ結成から2014年の解散、東京でのピン芸人時代、奈良への帰郷、そして講談師への転身。加えて、検索されることの多い結婚・再婚・子どもの情報についても、相方だった長田融季との混同が見られる。本人の公式プロフィールや報道をもとに、安田善紀の約30年にわたる芸歴と現在の姿を整理する。
【2026年最新】りあるキッズ安田善紀の現在は旭堂南洋として活動中

安田善紀は、1985年9月20日生まれ、奈良県橿原市出身。2026年10月現在は41歳だ。
かつて少年漫才師として注目を集めた安田は、現在、芸名「旭堂南洋(きょくどうなんよう)」を名乗り、プロ講談師として活動している。
吉本興業の公式タレントプロフィールでも、安田善紀と旭堂南洋の名前が併記されている。2025年8月から講談師として活動していることが明記されており、奈良県住みます芸人としての肩書きも継続している。
2026年現在の主な活動現在の活動は講談だけに限定されていない。
吉本興業の公式プロフィールでは、次のような仕事が紹介されている。
- ならどっとFM「安田善紀のちなみに今日は日曜日」レギュラー出演
- BSよしもと「発信Live ジモトノチカラ!」不定期出演
- 奈良県住みます芸人としての地域活動
- 旭堂南洋としての講談会出演
また、2026年1月には音声配信サービスRadiotalkの公式企画「トークの日」で、安田善紀(旭堂南洋)がトップ配信者に選ばれた。番組名は「安田善紀のヒトリノ時間」である。
この結果からも、舞台出演だけでなく、音声メディアやインターネット配信にも活動領域を広げていることが分かる。
2026年も講談師として公演に出演2026年の活動を示す具体的な予定として、11月23日には奈良県生駒市のたけまるホールで「旭堂南洋presents 俺の講談会vol.5~安田善紀芸歴30周年記念スペシャル~」が予定されている。
加えて、12月12日には守口市東部エリアコミュニティセンター主催の「豊臣兄弟と講談の世界」に旭堂南鷹とともに出演する予定だ。
こうした公演情報からも、旭堂南洋としての活動が一時的な話題に終わらず、継続的な芸能活動として展開していることがうかがえる。
(出典:吉本興業公式プロフィール、Radiotalk公式発表、守口市東部エリアコミュニティセンター公演案内)
【1996年結成から2014年解散まで】りあるキッズとM-1決勝の軌跡
安田善紀の芸能人生を振り返るうえで欠かせないのが、元相方・長田融季との漫才コンビ「りあるキッズ」だ。
11歳で結成した少年漫才コンビりあるキッズは1996年に結成されたお笑いコンビである。
きっかけとなったのは、テレビ番組「輝く日本の星!次代のダウンタウンを創る」という企画だった。
当時11歳だった安田は、未来の松本人志を思わせる存在として注目され、長田融季とコンビを結成。若くして芸能界に入った2人は、将来を期待される少年漫才師として活動を始めた。
その後、吉本興業に所属し、関西の劇場やテレビ番組などで経験を積んでいく。
1998年には今宮こどもえびすマンザイ新人コンクールで福笑い大賞を受賞。1999年にはABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞、上方漫才大賞新人奨励賞なども獲得した。
M-1グランプリ2003で決勝5位りあるキッズのキャリアにおける最大の実績が、2003年のM-1グランプリ決勝進出だ。
当時18歳だった安田と長田は、現役高校生ながら漫才日本一を決める大会の決勝に進出。結果は5位だった。
当時のM-1史において、10代のファイナリストとして注目された存在であり、少年時代から積み上げてきた漫才の実力を全国に示した。
ビデオリサーチが公開しているM-1の歴史を振り返る記事でも、2003年大会の高校3年生による決勝進出が歴史的な出来事として紹介されている。
決勝進出は単なる一度の好成績ではない。長年の劇場経験と、10代という若さで培った舞台感覚が結実した瞬間だった。
2014年8月、18年間のコンビ活動に終止符順調に見えたコンビの歩みは、2014年に大きな転機を迎える。
2014年8月1日付で、りあるキッズは解散。相方の長田融季は吉本興業を退社し、安田は芸人活動を継続することになった。
当時のスポーツニッポンの報道では、長田の知人や芸人仲間からの多額の借金問題が解散の背景にあったと伝えられている。
安田は解散後も漫才への思いを持ち続けていた。2016年には浜田ツトムと漫才ユニット「閃光少女」を結成。ORICON NEWSのインタビューでは、ピン芸人として活動する中で相方を探していたことや、漫才を続けたい気持ちを語っていた。
つまり、2014年の解散は安田にとって漫才そのものを諦める出来事ではなかった。
(出典:スポーツニッポン2014年8月12日、ORICON NEWS2016年8月19日、ビデオリサーチ)
【人物関係・経歴年表】安田善紀と長田融季、旭堂南鷹の関係
安田善紀の経歴を調べる際には、元相方の長田融季、講談師としての師匠・旭堂南鷹との関係を整理しておくと分かりやすい。
| 人物・組織 | 安田善紀との関係 | 主な出来事・実績 |
|---|---|---|
| 長田融季 | 元りあるキッズの相方 | 1996年にコンビ結成。2003年M-1決勝進出。2014年解散 |
| 吉本興業 | 所属事務所 | 1996年から芸能活動。現在も公式プロフィールを掲載 |
| 旭堂南鷹 | 講談師としての師匠 | 2025年8月に安田へ旭堂南洋の名前を授けた |
| 神田伯山 | 講談への関心を深めるきっかけとなった講談師 | YouTube動画を見たことが講談への挑戦につながった |
| 浜田ツトム | 2016年の漫才ユニットの相方 | 閃光少女として再び漫才に挑戦 |
| 旭堂南洋 | 安田善紀本人の講談師名 | 2025年8月からプロ講談師として活動 |
特に重要なのは、長田融季との関係と旭堂南鷹との師弟関係を混同しないことだ。
前者は少年時代から18年間にわたって漫才をともにした相方であり、後者は現在の講談師としての芸を磨くための師匠である。
また、神田伯山は安田の師匠ではない。講談への関心を深めるきっかけとなった人物として紹介されている。
【講談師転身の経緯】なぜ安田善紀は旭堂南洋になったのか?
安田善紀が講談師を志した背景には、東京での芸人活動に対する行き詰まりと、新しい話芸への関心があった。
2024年11月のスポーツニッポンのインタビューでは、奈良への帰郷や講談への挑戦について本人が語っている。
東京での活動に限界を感じ、2023年末に奈良へ帰郷りあるキッズ解散後、安田はピン芸人として東京を拠点に活動していた。
2016年には閃光少女を結成し、再びM-1決勝を目指すなど、漫才への意欲を持ち続けていた。しかし、思うように仕事に恵まれない時期が続いた。
スポーツニッポンの2024年11月の記事によると、安田は東京での活動について「もう無理やな、と思ったんですよ」と振り返っている。
また、漫才などに取り組んでも仕事の機会がなかなか回ってこない状況を、野球に例えて説明していた。
SNS上で芸人が批評される環境にも疲れを感じ、東京での活動を続けることに限界を感じていたという。
そして2023年末、故郷の奈良県へ帰郷した。
2024年2月からは奈良県住みます芸人として活動を開始。地元を拠点に、舞台や地域の仕事に取り組むようになった。
神田伯山のYouTubeが講談との出会いに奈良への帰郷と並行して、安田の中で関心が高まっていたのが講談だった。
スポーツニッポンの取材では、講談に興味を持ったきっかけとして、神田伯山のYouTube動画を見たことを挙げている。
また、芸人仲間が講談師へ転身したことも背中を押したという。
漫才と講談は、どちらも言葉を使って観客を引き込む話芸だ。
ただし、表現の仕組みは異なる。
漫才では2人の掛け合いやテンポ、ボケとツッコミの応酬が笑いを生み出す。一方、講談では講談師が釈台の前に座り、張扇を使いながら歴史上の人物や事件などを物語として語る。
安田にとって、長年培ってきた話術を別の伝統芸能で生かすことは、新しい挑戦だったと考えられる。
2025年8月5日にプロテスト合格、旭堂南洋を襲名転機となったのは2025年8月5日だ。
日刊スポーツのインタビューによると、安田は講談師のプロテストに合格。師匠である旭堂南鷹から「旭堂南洋」という名前を授かった。
翌6日には、自身のXでもプロ講談師としてのスタートを報告している。
当時39歳。1996年の芸能活動開始から数えて芸歴29年目での伝統芸能への挑戦だった。
2025年8月7日付のORICON NEWSでも、安田の講談師転身が報じられた。
本人は日刊スポーツの取材で、今後の目標について次のように語っている。
「前座から二つ目へ、やがては真打ちとして認められるよう精進したい」
加えて、講談の稽古については、漫才よりも難しいと感じていることも明かしていた。
長年プロとして舞台に立ってきた人物であっても、伝統芸能の世界では新たな修業が必要になる。安田は経験に頼るだけでなく、一から芸を身につける道を選んだのだ。
(出典:スポーツニッポン2024年11月11日、ORICON NEWS2025年8月7日、日刊スポーツ2025年9月11日)
【結婚・再婚・子ども】安田善紀の家族情報にある重大な混同
安田善紀について検索すると、2011年の結婚、長男の誕生、2016年の再婚、子どもに関する情報が表示されることがある。
しかし、ここには元相方の長田融季との人物情報の混同がある。
2011年の結婚と長男誕生は長田融季の情報2014年8月12日付のスポーツニッポンの記事では、2011年5月に自身のブログで結婚を発表し、同年10月に長男が誕生した人物として、明確に長田融季を紹介している。
つまり、次の情報は安田善紀ではなく長田融季に関するものだ。
- 2011年5月の一般女性との結婚発表
- 2011年10月17日の長男誕生
- 大阪市内の病院で誕生したこと
- 出生時の体重が約3300グラムだったこと
特に2011年の結婚と長男誕生については、スポーツニッポンの当時の報道でも確認できる。
2016年の再婚や長女・次女の情報も要注意加えて、りあるキッズの人物別プロフィールでは、2014年の離婚、2016年の再婚、2018年の長女、2019年の次女に関する記述も長田融季のプロフィール欄に続いている。
これらを安田善紀の家族情報として紹介するのは適切ではない。
また、後半の家族情報には対応する脚注が付されていないため、本人の一次発信や報道で裏付けられた情報として扱うことにも注意が必要だ。
安田善紀本人の結婚・妻・子どもは?安田善紀本人については、吉本興業の公式プロフィールや主要な活動報道から、結婚相手、再婚歴、子どもの人数などを裏付ける公表情報は確認できない。
したがって、現時点で整理できるのは次のとおりだ。
| 検索される情報 | 確認できる内容 |
|---|---|
| 安田善紀の2011年結婚 | 長田融季の結婚情報との混同 |
| 安田善紀の長男 | 2011年に誕生した長男は長田融季の子ども |
| 安田善紀の2016年再婚 | 長田融季のプロフィールにある記述との混同 |
| 安田善紀の長女・次女 | 長田融季のプロフィールにある記述との混同 |
| 安田善紀の現在の妻 | 公表資料で確認できない |
| 安田善紀の現在の子ども | 公表資料で確認できない |
家族に関する情報を調べる場合、同じコンビで活動していた2人の情報が混ざっていないか、誰について書かれた記事なのかを確認することが大切だ。
安田本人の結婚歴や家族構成について、公開されていない部分を推測で補うことはできない。
【プロの結論】芸歴30年、安田善紀が選んだ新しい話芸の道
安田善紀の芸能人生を振り返ると、2025年の講談師転身は、突然の方向転換ではないことが分かる。
11歳で芸能界に入り、18歳でM-1決勝5位という実績を残した。コンビ解散後もピン芸人として活動し、漫才ユニットを結成するなど、話芸を続ける道を探してきた。
東京での活動を終えて奈良へ戻ったことも、芸能活動そのものを辞める決断ではなかった。
むしろ、地域に根差した芸人活動と講談という新しい表現方法を並行して進める、新たなキャリア形成だったと考えられる。
漫才経験は講談に生かせるのか漫才と講談には、共通する部分がある。
どちらも、観客に言葉を届け、情景を想像させ、話の展開によって感情を動かす芸能だ。
しかし、講談には古典の型や歴史的背景、独特の節回し、張扇を使った表現など、漫才とは異なる専門的な技術が求められる。
安田自身も、漫才より稽古が難しいと語っている。
だからこそ、M-1ファイナリストという過去の肩書きだけで講談師としての評価が決まるわけではない。今後の高座でどれだけ実績を積み重ねられるかが、本当の評価基準になる。
2026年は芸歴30周年という新たな節目1996年の活動開始から2026年で30年。
2025年に「芸歴29年で伝統芸能の世界に飛び込んだ」と発表した安田は、2026年には芸歴30周年を迎えた。
11月23日に予定されている「俺の講談会vol.5」も、安田善紀の芸歴30周年を記念する公演として企画されている。
少年漫才師として始まったキャリアが、講談師という新しい肩書きへつながったことは、芸能活動を長く続けるうえでの一つの可能性を示している。
今後の注目点は、旭堂南洋としての講談のレパートリー、師匠・旭堂南鷹との活動、そして地域に根差した公演をどのように広げていくかだ。
【よくある質問】りあるキッズ安田善紀の現在に関するFAQ
Q1:りあるキッズ安田は現在何をしていますか?
A1:2026年現在は、吉本興業に所属する芸人として活動しながら、旭堂南洋の名前でプロ講談師としても活動しています。奈良県住みます芸人として地域の仕事にも取り組んでいます。
Q2:安田善紀が講談師になったのはいつですか?
A2:2025年8月5日の講談師プロテストに合格し、師匠の旭堂南鷹から旭堂南洋の名前を授かりました。翌6日に本人がSNSで報告しています。
Q3:りあるキッズが解散したのはなぜですか?
A3:2014年8月1日付で解散しました。当時の報道では、相方・長田融季の多額の借金問題が背景にあったとされています。安田は解散後も芸人活動を続けました。
Q4:M-1グランプリ2003で何位でしたか?
A4:りあるキッズは決勝で5位を獲得しました。当時18歳の安田と長田は、10代のファイナリストとして注目されました。
Q5:安田善紀は2011年に結婚して長男が生まれたのですか?
A5:いいえ。2011年の結婚発表と同年の長男誕生は、元相方の長田融季に関する情報です。安田善紀本人の結婚や子どもについては、確認できる公表資料がありません。
Q6:旭堂南洋の師匠は誰ですか?
A6:上方講談師の旭堂南鷹です。2025年8月のプロテスト合格後、旭堂南洋の名前を授けています。
まとめ:りあるキッズ安田善紀は旭堂南洋として新たな挑戦を続けている
元りあるキッズの安田善紀は、2026年現在、旭堂南洋として講談師の道を歩んでいる。
1996年のコンビ結成、2003年のM-1グランプリ決勝5位、2014年の解散。その後も漫才への情熱を持ち続け、2023年末には奈良へ帰郷し、2025年8月にプロ講談師として再出発した。
また、2011年の結婚や長男誕生、2016年の再婚などの検索情報は、元相方・長田融季との混同に注意が必要だ。安田本人の家族情報については、公開されている資料だけでは確定できない。
2026年は芸歴30周年。少年時代から磨いてきた話術を武器に、漫才から講談へと表現の幅を広げる旭堂南洋の今後に注目したい。