2026年現在、大相撲で注目される親族関係の一つが、第74代横綱・豊昇龍と第68代横綱・朝青龍の叔父と甥という関係だ。ともにモンゴル・ウランバートル出身で、同じ最高位に到達し、横綱土俵入りでは雲龍型を選択している。血縁だけでなく、負けん気の強さや勝負への執念にも共通点が見られる。
一方、2人の関係は常に良好だったわけではない。豊昇龍が朝青龍との比較を嫌がった時期や、約1年間連絡を取らなかったと報じられた経緯もある。2025年1月の横綱昇進を機に関係はどう変化したのか。そして、2026年11月場所を前にした豊昇龍の最新番付・戦歴はどうなっているのか。日本相撲協会の公式記録と報道をもとに、両者の歩みを比較する。
【関係を解説】豊昇龍と朝青龍は父方の叔父と甥!親戚関係の真相

豊昇龍と朝青龍は、単に同じモンゴル出身の力士というだけではない。実際に血縁関係のある叔父と甥であり、朝青龍は豊昇龍の父方の叔父にあたる。
朝青龍の本名はドルゴルスレン・ダグワドルジ朝青龍の本名はドルゴルスレン・ダグワドルジ。1980年9月27日、モンゴルのウランバートルに生まれた元大相撲力士で、第68代横綱として活躍した。
一方、豊昇龍の本名はスガラグチャー・ビャンバスレン。1999年5月22日生まれで、同じくウランバートル出身だ。
豊昇龍自身が過去のインタビューで語った家族関係によると、父親は男4人・女1人の兄妹の長男で、朝青龍は四男にあたる。
つまり、朝青龍は豊昇龍の父親の弟であり、明確な叔父と甥の関係にある。
この親戚関係は、本人のインタビューでも語られている。単なる相撲界の先輩・後輩ではなく、幼少期から接点のある家族だったことが分かる。
豊昇龍が相撲を始めたきっかけにも叔父の存在があった豊昇龍は幼少期から格闘技に親しんでいた。
5歳から柔道を始め、11歳からレスリングに取り組んだ。2015年にはレスリング選手としての将来を目指し、日本の柏日体高校(現在の日体大柏高校)に留学している。
当初、本人は大相撲の力士になるつもりではなかった。
転機となったのは、高校時代に両国国技館で大相撲を観戦したことだった。横綱・日馬富士の取り組みに魅了され、レスリングから相撲へ転向する決意を固めた。
叔父の朝青龍は相撲への転向を後押ししたと報じられている。
ただし、興味深いのは、豊昇龍が最初から叔父と同じ道を望んでいたわけではない点だ。本人は幼い頃、身近にいた大きな朝青龍を怖いと感じており、相撲を避けたいと思っていた時期もあったという。
2018年1月場所で初土俵を踏み、立浪部屋で力士としてのキャリアをスタートさせた。
四股名にも叔父と師匠の影響がある豊昇龍という四股名にも、周囲の人物とのつながりが表れている。
報道によると、「豊」は師匠の立浪親方(元小結・旭豊)から、「龍」は叔父の朝青龍から受け継いだものとされる。
ただし、名前に叔父の存在が残っているからといって、相撲人生まで同じになるわけではない。
豊昇龍は高校時代に相撲へ転向し、立浪部屋で独自の稽古を重ねて番付を上げてきた。血縁による注目を受けながらも、プロの力士としての実績は自分自身で積み上げている。
【不仲と和解の真相】豊昇龍と朝青龍はなぜ疎遠になった?
叔父と甥という親しい関係にありながら、2人には連絡を取らない時期があった。
特に注目されたのが、豊昇龍の第74代横綱昇進が決まった2025年1月だ。
不仲の理由は比較への反発や親族間の行き違い豊昇龍は入門当初から朝青龍の甥として注目されてきた。
顔つきや体の使い方、勝負への執念などが比較され、本人にとっては大きなプレッシャーにもなっていた。
2021年のインタビューでは、叔父の名前が自分の前について回ることを意識し、叔父の名を下げないよう頑張りたいという趣旨の思いを語っている。
一方、2023年の大関昇進前後には、叔父との比較を好まない姿勢も報じられた。
加えて、2025年1月の日刊スポーツの報道では、叔父との関係について、以前から親しくなったり疎遠になったりを繰り返していたと紹介されている。
週刊文春も2025年2月、立浪部屋の後援者への取材として、金銭も絡む行き違いが生じていたと報じた。
日刊スポーツは関係者の証言として、朝青龍からの助言や要求を豊昇龍が口うるさく感じ、距離を置くことがあったという経緯も伝えている。
ただし、これらは関係者への取材に基づく報道であり、2人が不仲の原因を公式に詳細説明したわけではない。
2025年1月28日の電話が関係改善の転機に関係が大きく動いたのは、豊昇龍が初場所で2度目の幕内優勝を果たし、横綱昇進が確実となった時期だった。
日刊スポーツなどの報道によると、豊昇龍は横綱昇進伝達式の前日である2025年1月28日、約1年間連絡を取っていなかった朝青龍に電話をかけた。
きっかけを作ったのは、師匠の立浪親方や後援会関係者だった。
立浪親方が朝青龍側と連絡を取り、豊昇龍からの電話を待っていることを本人に伝えたという。
久しぶりの会話で、朝青龍は甥に対して祝福と激励の言葉を送った。
翌29日の取材で豊昇龍は、朝青龍から「強くなったな」と言われたことを明かし、久しぶりの電話をうれしく感じたと話している。
加えて、叔父からは横綱が協会の看板力士になることを踏まえ、しっかり考えて行動するよう助言されたという。
この出来事を日刊スポーツは、2人の和解として報じた。
朝青龍は甥の横綱土俵入りを見届けた電話での関係改善を裏付ける出来事が、2025年1月31日にあった。
豊昇龍は明治神宮で奉納土俵入りを披露。そこには、モンゴルから駆け付けた朝青龍の姿もあった。
約3500人が見守る中、豊昇龍は叔父と同じ雲龍型を披露した。
千葉日報の報道によると、朝青龍は甥の晴れ舞台を見守り、新横綱としての門出に立ち会った。
疎遠だった時期を経て、横綱昇進という節目に再び関係が近づいたことを象徴する場面だった。
【歴代横綱を比較】豊昇龍と朝青龍の昇進時期・経歴・優勝回数
2人は同じモンゴル出身の横綱だが、昇進までのスピードや優勝実績には違いがある。
日本相撲協会の歴代横綱プロフィールを中心に整理すると、次のようになる。
| 比較項目 | 豊昇龍 | 朝青龍 |
|---|---|---|
| 横綱の代数 | 第74代 | 第68代 |
| 本名 | スガラグチャー・ビャンバスレン | ドルゴルスレン・ダグワドルジ |
| 生年月日 | 1999年5月22日 | 1980年9月27日 |
| 出身地 | モンゴル・ウランバートル | モンゴル・ウランバートル |
| 所属部屋 | 立浪部屋 | 若松部屋→高砂部屋 |
| 初土俵 | 2018年1月 | 1999年1月 |
| 大関昇進 | 2023年9月 | 2002年9月 |
| 横綱昇進決定 | 2025年1月29日 | 2003年1月場所後 |
| 横綱在位開始 | 2025年3月 | 2003年3月 |
| 昇進時の年齢 | 25歳 | 22歳 |
| 幕内優勝回数 | 2回 | 25回 |
| 得意技 | 右四つ・寄り・投げ | 右四つ・寄り・突っ張り |
| 身長 | 188cm | 184cm |
| 体重 | 148kg | 154kg |
| 生涯戦歴 | 401勝235敗49休 | 669勝173敗76休 |
※豊昇龍の戦歴・優勝回数は2026年11月場所前の日本相撲協会公表値。朝青龍は引退時の公式記録。
朝青龍は史上最速級のスピードで横綱に昇進朝青龍は1999年1月場所で初土俵を踏み、2002年9月場所で大関に昇進した。
同年11月の九州場所で初優勝を果たすと、翌2003年1月場所でも優勝。2場所連続優勝を達成し、同年3月に第68代横綱となった。
初土俵から所要25場所というスピード昇進は、当時の大きな記録だった。
横綱在位は2010年1月まで続き、その間に幕内優勝25回を達成した。
豊昇龍は2025年1月場所の逆転優勝で横綱へ豊昇龍は2023年9月場所で大関に昇進。
その後、2025年1月場所で12勝3敗の成績を残し、王鵬、金峰山との優勝決定巴戦を制して2度目の幕内優勝を果たした。
日本相撲協会は2025年1月29日の番付編成会議と臨時理事会で横綱昇進を正式決定。第74代横綱が誕生した。
昇進伝達式で述べた口上は「横綱の名を汚さぬよう、気魄一閃の精神で精進いたします」だった。
初土俵から所要42場所での横綱昇進であり、年6場所制が定着した1958年以降の初土俵力士では6番目の速さと報じられた。
朝青龍より昇進時の年齢は3歳ほど遅いが、25歳で最高位に到達したことも十分に若い記録である。
【共通点の象徴】豊昇龍と朝青龍が選んだ雲龍型の土俵入り
2人の共通点として、特に分かりやすいのが横綱土俵入りの型だ。
豊昇龍は横綱昇進に際して、朝青龍と同じ雲龍型を選択した。
雲龍型とは?攻めと守りを表現する伝統の所作横綱土俵入りには、大きく分けて雲龍型と不知火型の2種類がある。
雲龍型の特徴は、せり上がりの際に左手を脇腹につけ、右手を前方に伸ばす所作だ。
日本相撲協会の説明では、右手が攻め、左手が守りを表現するとされている。また、横綱の綱の結び目にできる輪は1つだ。
一方、不知火型は両腕を左右に大きく広げてせり上がる。綱の輪は2つで、攻めの姿勢を表現するとされる。
両者の違いは、土俵入りを観戦する際にも見分けやすいポイントだ。
豊昇龍が叔父と同じ型を選んだ理由豊昇龍が雲龍型を選択した背景には、朝青龍への憧れがあった。
2025年1月の報道によると、豊昇龍はこれまで見てきた横綱の中でも雲龍型が格好よいと感じていたという。
また、朝青龍自身も雲龍型を採用していた。
2025年1月31日の明治神宮奉納土俵入りでは、朝青龍が見守る中、豊昇龍が同じ型を披露した。
これは単に親族と同じ型を選んだという話にとどまらない。
叔父を目標にしてきた力士が、自らも横綱となり、同じ伝統的な所作を受け継いだ瞬間だった。
ただし、雲龍型を選ぶことは朝青龍の相撲を完全に再現することを意味しない。土俵入りの型は共通していても、力士としての個性や取り口はそれぞれ異なる。
【2026年最新戦歴】豊昇龍の現在の番付・成績・休場状況
2026年11月3日時点で、豊昇龍は第74代横綱として現役を続けている。
日本相撲協会の2026年11月場所の番付では、西横綱に位置している。
ただし、2026年の後半は休場が目立っており、横綱として安定した出場を続けられるかが注目点になっている。
2026年の場所別成績日本相撲協会の力士プロフィールに掲載されている2026年の戦歴は次のとおりだ。
| 場所 | 番付 | 成績 |
|---|---|---|
| 2026年1月場所 | 東横綱 | 10勝5敗 |
| 2026年3月場所 | 東横綱 | 11勝4敗 |
| 2026年5月場所 | 東横綱 | 0勝2敗13休 |
| 2026年7月場所 | 東横綱 | 7勝7敗1休 |
| 2026年9月場所 | 西横綱 | 0勝0敗15休 |
| 2026年11月場所 | 西横綱 | 初日前・0勝0敗 |
1月と3月は2場所連続で2桁勝利を挙げており、横綱としての力量を示した。
しかし、5月場所は2日目から休場。7月場所は7勝7敗1休で勝ち越しに届かず、9月場所は全休となった。
特に9月場所の全休は、2026年後半の戦歴を考えるうえで大きな出来事だ。
11月場所前の公式プロフィールでは、豊昇龍の生涯戦歴は401勝235敗49休(53場所)。幕内戦歴は319勝187敗49休となっている。
なお、11月場所はまだ初日前であり、0勝0敗は取組結果が出ていないことを示す。今場所の実績として扱うことはできない。
2026年の課題は優勝回数よりも安定した出場横綱は大関以下と異なり、番付を維持するための降格制度がない。
そのため、横綱には単なる勝ち越しだけでなく、最高位にふさわしい力量と安定した成績が求められる。
豊昇龍の場合、2026年1月と3月には十分な勝ち星を挙げている。一方、5月以降は休場が続き、15日間を通じて実力を発揮する機会が減少した。
今後の評価では、次の3点が重要になる。
- 15日間を通して出場できる状態を取り戻せるか。
- 立ち合いから自分の形を作り、安定して勝ち星を積み重ねられるか。
- 大関や他の横綱との対戦で、優勝争いを主導できるか。
2026年11月場所は、こうした課題を考えるうえでも注目される場所だ。
【成績比較から見える違い】朝青龍の25回優勝に豊昇龍は迫れるのか
朝青龍と豊昇龍を比較する際、最も大きな数字の違いは幕内優勝回数だ。
朝青龍は25回、豊昇龍は2026年11月場所前で2回となっている。
その差は23回。現段階では朝青龍が大きくリードしている。
朝青龍は幕内優勝25回の実績を残した朝青龍の強さを象徴するのは、勝負どころでの圧倒的な勝負強さだ。
日本相撲協会の公式プロフィールによると、生涯戦歴は669勝173敗76休。幕内戦歴は596勝153敗76休となっている。
2003年3月から2010年1月まで横綱を務め、幕内優勝25回という実績を残した。
得意技は右四つ、寄り、突っ張り。相手に先手を取らせない攻撃的な相撲が持ち味だった。
豊昇龍は投げ技も生かす多彩な取り口豊昇龍も右四つや寄りを得意とするが、投げ技を含めた多彩な攻めが特徴だ。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、得意技として右四つ・寄り・投げが挙げられている。
相手との距離や体勢に応じて攻め方を変えられる柔軟性が持ち味であり、叔父と共通する負けん気の強さも評価されてきた。
ただし、朝青龍の記録に到達できるかは、まだ判断できない。
豊昇龍は2026年時点で27歳。現役の横綱としてキャリアを積み重ねている途中であり、今後の優勝回数は出場状況や対戦相手、コンディションによって変わる。
25回と2回という数字だけでは比較できないここで注意したいのは、朝青龍の25回と豊昇龍の2回を、そのまま実力差として捉えないことだ。
朝青龍は引退までに67場所を経験し、横綱として長期間活躍した。
一方、豊昇龍は2026年11月場所前の時点で53場所。横綱在位も2025年3月からであり、キャリアの途中にいる。
比較するなら、単純な優勝回数だけでなく、次の点も確認したい。
- 横綱在位中の優勝回数
- 休場を含む年間の出場状況
- 15日間を通した勝率
- 大関・横綱との直接対決
- 連続優勝や年間優勝回数
朝青龍は完成された歴代横綱の実績、豊昇龍は現在進行形の挑戦者として評価することが適切だ。
【プロの結論】豊昇龍は朝青龍の再来ではなく独自の横綱像を築けるか
豊昇龍と朝青龍の関係を理解するうえで大切なのは、血縁による共通点と、力士としての個性を分けて考えることだ。
2人は叔父と甥であり、同じモンゴル出身、同じ雲龍型の横綱という共通項を持っている。
加えて、朝青龍は豊昇龍が相撲の道に進むきっかけに関わり、競技生活の中でも助言を送ってきた。
しかし、豊昇龍はレスリングから相撲に転向し、立浪部屋で独自のキャリアを築いた。叔父と比較されることを負担に感じた時期もあり、単純に朝青龍の後継者という位置づけだけでは説明できない。
今後の豊昇龍を評価する3つの判断基準1. 横綱としての安定感
2026年は休場が続いた。まずは本場所で安定して出場し、15日間を通じて力を発揮できるかが重要になる。
2. 優勝争いでの勝負強さ
2025年1月場所の優勝決定巴戦で見せた勝負強さは、豊昇龍の大きな魅力だ。今後も優勝争いの終盤で力を発揮できるかが注目される。
3. 朝青龍との比較を超えた個性
叔父の25回優勝は大きな目標だが、豊昇龍が同じ記録を残さなければ評価されないわけではない。
投げ技を含めた多彩な取り口、立浪部屋で培った相撲、横綱としての振る舞いを通じて、自分自身の名前を歴史に残すことが求められる。
【豊昇龍と朝青龍】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:豊昇龍と朝青龍は本当に叔父と甥なの?
A1:本当です。朝青龍は豊昇龍の父方の叔父にあたります。豊昇龍本人もインタビューで家族関係を語っており、血縁関係が確認されています。
Q2:豊昇龍と朝青龍は不仲だったの?
A2:2025年1月の報道では、約1年間連絡を取っていない時期があったとされています。親族間の行き違いや、叔父からの助言・要求をめぐる距離感などが報じられました。
Q3:豊昇龍と朝青龍は和解したの?
A3:2025年1月28日に電話で連絡を取り、翌29日に豊昇龍が久しぶりの会話を喜んだと明かしています。さらに31日の奉納土俵入りには朝青龍も駆け付けており、関係改善を示す出来事が続きました。
Q4:豊昇龍と朝青龍の優勝回数は?
A4:朝青龍は幕内優勝25回、豊昇龍は2026年11月場所前の時点で2回です。
Q5:豊昇龍は何代目の横綱?朝青龍は何代目?
A5:豊昇龍は第74代横綱、朝青龍は第68代横綱です。豊昇龍は2025年3月、朝青龍は2003年3月から横綱に在位しました。
Q6:豊昇龍と朝青龍の土俵入りは同じ型?
A6:どちらも雲龍型です。せり上がりの際に左手を脇腹につけ、右手を伸ばす所作が特徴です。
Q7:2026年11月現在、豊昇龍の番付と戦歴は?
A7:西横綱です。2026年9月場所は全休し、11月場所前の生涯戦歴は401勝235敗49休。11月場所の取組結果はまだ出ていません。
まとめ:豊昇龍と朝青龍の血縁を超えた共通点と今後の注目点
豊昇龍と朝青龍は、父方の叔父と甥という関係にある。第68代横綱・朝青龍は2003年に横綱へ昇進し、幕内優勝25回という輝かしい実績を残した。一方、第74代横綱・豊昇龍は2025年に横綱となり、2026年も現役として土俵に立ち続けている。
一時は約1年間の疎遠状態が報じられた2人だが、2025年1月の電話で関係が改善し、朝青龍が甥の奉納土俵入りを見届ける場面もあった。
同じ雲龍型を選んだことは、叔父への敬意と憧れを感じさせる象徴的な出来事だ。
ただし、豊昇龍の今後を朝青龍の記録だけで測る必要はない。2026年は休場が重なっただけに、まずは安定した出場と優勝争いへの復帰が期待される。
朝青龍が築いた25回の優勝記録を超えるのか。それとも、豊昇龍ならではの新しい横綱像を確立するのか。2026年11月場所以降の戦歴は、叔父と甥の物語に新たなページを加えることになりそうだ。