- 妻は久米麗子さん: 1969年に結婚し、半世紀以上にわたって夫婦として歩んだパートナーです。 - 仕事面でも夫を支えた: 専属スタイリストを務め、久米さんの個人事務所の経営にも携わりました。 - 2026年1月に追悼コメントを発表: サイダーを飲んで旅立った最期の様子と、夫への深い思いを伝えました。
【久米麗子のプロフィール】スタイリストとして活躍した妻の経歴と人物像

久米麗子さんは、久米宏さんの妻であり、ファッションや生活文化の分野でも活動してきた人物です。
テレビに出演する夫を陰から支えただけの存在ではありません。自身も大学を卒業し、モデルやテレビ出演、フラワーデザイン、スタイリングなど、幅広い分野で仕事をしてきました。
久米麗子の基本プロフィール出版物の著者紹介や当時の人物紹介記事から、麗子さんの経歴を整理すると次のようになります。
- 名前:久米麗子(くめ・れいこ)
- 生年:1945年
- 出身地:兵庫県
- 学歴:共立女子大学文芸学部卒業
- 職業:スタイリスト、モデル、著述活動など
- 夫:久米宏
- 主な著書:『服が好き。』『私の大切な宝石』『ミステリアスな結婚』
1945年に兵庫県で生まれ、5歳から東京で育った麗子さんは、1967年に共立女子大学を卒業しました。
その後、マミフラワーデザインスクールで学び、同スクールの講師として活動。1975年にはファッション雑誌のモデルを務め、1978年にはファッションへの関心からブティックで働きながらスタイリストの学校にも通っています。
こうした経歴からも、麗子さんが早い時期からファッションや美的表現に強い関心を持っていたことが分かります。
ファッション分野での実績と著書麗子さんの仕事を知るうえで注目したいのが、1990年に刊行された著書『服が好き。ファッションも人生も自分でスタイリング』です。
このタイトルには、服装を単なる流行として捉えるのではなく、自分の価値観や生き方を表現するものとして考える姿勢が表れています。
1991年には『私の大切な宝石』も刊行しています。
また、出版物の著者紹介には、テレビ番組のパーソナリティーのスタイリングを中心に活動する株式会社Kパックを主宰したことも記されています。
つまり、久米麗子さんは久米宏さんの妻という立場だけでは説明できない、独自の職業的キャリアを持った人物だったのです。
【久米宏と妻の馴れ初め】学生演劇サークルでの出会いと1969年の結婚
久米宏さんと麗子さんの出会いは、大学生の頃に参加していた学生演劇サークルだったと報じられています。
2人が知り合ったのは、久米さんがテレビ業界で大きな成功を収める前のことです。
出会いは大学生時代の学生演劇2026年1月15日配信の女性セブンプラスの記事によると、2人は学生演劇のサークルで出会いました。
久米さんは早稲田大学を卒業し、麗子さんは共立女子大学を卒業しています。異なる大学に通っていた2人が、学生時代の演劇活動を通じて知り合ったという点も興味深いところです。
演劇という共通の活動を通じて、互いの個性や考え方に触れる機会があったと考えられます。
1969年に結婚した背景とは?2人が結婚したのは1969年です。
女性セブンの報道では、当時の久米さんは体調を崩したこともあり、仕事について悩んでいた時期だったと紹介されています。
加えて、麗子さんに別の男性との縁談が持ち上がったことをきっかけに、久米さんが結婚の意思を伝えたという知人の証言も掲載されました。
このエピソードは、知人の証言として報じられたものです。
華やかなテレビスターとして知られる後年の久米さんとは違い、若い頃には仕事や人生について悩みながら、将来のパートナーとの関係を築いていたことがうかがえます。
2人の関係を知る重要な書籍『ミステリアスな結婚』夫婦の関係を知るうえで欠かせないのが、2001年3月に世界文化社から刊行された共著『ミステリアスな結婚』です。
著者は久米麗子さんと久米宏さん。
講談社の書籍紹介によると、この本は久米さんが人生のパートナーである麗子さんとのプライベートな生活を語った対話形式の作品です。
主なテーマは次のとおりです。
- 大学生時代の出会いと演劇仲間としての関係
- 恋人から夫婦になるまでの経緯
- 突然のプロポーズと結婚
- 久米さんのアナウンサーとしてのキャリア
- 『ニュースステーション』時代の仕事と生活
- 親の介護など夫婦が直面した問題
2005年には講談社文庫からも刊行されています。
この書籍が重要なのは、夫婦の関係を第三者のゴシップだけでなく、当事者2人の対話を通して知ることができる点です。
【夫婦の経歴と関係性】スタイリスト・個人事務所社長として支えた歩み
久米宏さんがテレビ界で活躍するようになってから、麗子さんの役割はさらに広がりました。
特に注目されるのが、夫の専属スタイリストとしての活動と、個人事務所の経営に携わったことです。
久米宏夫妻の経歴・関係年表2人の人生における主な出来事を整理します。
| 時期 | 出来事 | 内容・関係性 |
|---|---|---|
| 1944年 | 久米宏誕生 | 埼玉県出身 |
| 1945年 | 久米麗子誕生 | 兵庫県出身 |
| 1967年 | 大学卒業 | 久米宏は早稲田大学、麗子さんは共立女子大学 |
| 大学生時代 | 2人の出会い | 学生演劇サークルで知り合う |
| 1969年 | 結婚 | 夫婦として新生活をスタート |
| 1970年代 | 麗子さんの活動 | モデル、テレビ出演、ファッション関連の仕事 |
| 1979年 | 久米宏が独立 | TBSを退社してフリーに |
| 1985年 | 事業を引き継ぐ | 麗子さんがKパックを引き継いだと著者紹介に記載 |
| 1985~2004年 | ニュースステーション | 麗子さんがスタイリストとして夫を支える |
| 2001年 | 共著刊行 | 『ミステリアスな結婚』を出版 |
| 2004年 | 番組終了 | ニュースステーション最終回 |
| 2026年1月1日 | 久米宏死去 | 肺がんのため81歳で永眠 |
| 2026年1月13日 | 妻の追悼コメント | 久米麗子さんが夫への思いを公表 |
久米宏さんといえば、ニュース番組における軽快な話術や、視聴者の印象に残る独特の進行スタイルで知られています。
一方、テレビに映る人物の印象を構成するのは、話し方や表情だけではありません。
衣装や色使い、全体の雰囲気も視聴者に与える印象を左右します。
女性セブンの報道によると、麗子さんは久米さんの専属スタイリストとしてテレビの現場に携わり、細かな部分まで気を配っていました。
ニュース番組のメインキャスターは、毎日の放送で視聴者と向き合う仕事です。
そのため、衣装や身だしなみを継続的に管理する役割には、一般的なスタイリング以上の専門性と責任が大切です。
久米さんのテレビでの存在感を考える際、麗子さんの仕事も重要な背景の一つです。
個人事務所の社長として経営にも関与麗子さんは、久米さんが独立した後、仕事上のパートナーとしても活動しました。
女性セブンは、麗子さんが久米さんの個人事務所の社長を務めていたことを報じています。
また、共著の著者紹介では、1985年に久米さんからKパックを引き継いだ経緯が記されています。
この2つの情報からは、麗子さんが夫の仕事を外側から応援するだけでなく、事業運営にも深く関わっていたことが分かります。
ニュースステーション時代の夫婦の役割テレビ朝日系『ニュースステーション』は、1985年10月にスタートしました。
久米さんはメインキャスターとして番組を担当し、2004年3月まで18年を超える長期間にわたり出演しました。
テレビ朝日も訃報を受けた公式コメントで、久米さんが日本のテレビ報道に新しいスタイルを切り開いたと評価しています。
その長期間の仕事を支えたのが、麗子さんのスタイリングや事務所運営でした。
視聴者が目にするのは放送中の久米さんですが、その活動を継続するためには、番組外での準備や管理も欠かせません。
夫婦でそれぞれの役割を担いながら、長期にわたって仕事を続けてきた点に、2人の関係の特徴があります。
【久米宏に子どもはいない?】夫婦の結婚生活と知られざる日常
久米宏さんについて検索すると、「子ども」「息子」「娘」といった関連ワードも見つかります。
しかし、女性セブンやスポーツ紙の報道では、久米さんと麗子さんの間に子どもはいないとされています。
夫婦2人で築いた家庭生活子どもがいない夫婦として、2人は長い結婚生活を送ってきました。
女性セブンが紹介したテレビ局関係者の証言によると、以前の自宅には家庭菜園があり、休日には夫婦で庭の手入れをすることもあったそうです。
麗子さんはオーガニック食材にこだわり、家庭菜園で採れた野菜を使った常備菜を作っていたといいます。
また、久米さんは家で食事をすることが好きだったとも報じられています。
毎晩のように生放送を担当していた時期の忙しさを考えると、自宅で過ごす時間が夫婦にとって大切なものだったことが伝わってきます。
服装だけでなく食生活も麗子さんが支えていた夫婦のエピソードとして印象的なのが、久米さんの服装だけでなく、食生活についても麗子さんが支えていたという話です。
テレビ局関係者の証言として、久米さんは食事や飲み物についても麗子さんに任せることが多かったと紹介されています。
これは、夫婦の間に単なる仕事上の協力関係だけでなく、日々の暮らしを共有する関係があったことを示しています。
テレビで見せる久米さんの自由で個性的な姿と、家庭での穏やかな生活。
その両方を支える存在が麗子さんだったのでしょう。
子どもがいない理由は公表されている?ここは慎重に理解する必要があります。
夫婦に子どもがいなかったことは複数の報道で紹介されていますが、2人が子どもを持たなかった理由について、本人たちが公式に説明した確かな発言は確認できません。
そのため、仕事を優先した、夫婦で意識的に選択した、健康上の理由だったなどと、特定の事情に結び付けることはできません。
子どもの有無と夫婦の関係性は別の問題です。
実際に2人は1969年に結婚し、2001年には夫婦共著まで刊行しています。家族の形を外側から評価するのではなく、長年にわたって築いたパートナーシップに目を向けたいところです。
【2026年1月の訃報と妻の追悼コメント】久米麗子が伝えた最期の姿
2026年1月13日、久米宏さんの所属事務所である株式会社オフィス・トゥー・ワンが、久米さんの死去を公表しました。
発表によると、久米さんは2026年1月1日、肺がんのため81歳で亡くなりました。
通夜と葬儀は遺族の意向により、近親者のみで執り行われたと説明されています。
妻・久米麗子の追悼コメント全文に込められた思い同事務所の公式発表には、妻の麗子さんによるコメントも掲載されました。
特に注目されたのが、夫の最期の様子についての言葉です。
「久米は、最後まで“らしさ”を通したと思います。 大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました。 まるでニュースステーションの最終回でビールを飲みほしたあの時のように。」
出典:株式会社オフィス・トゥー・ワン公式発表、2026年1月13日
このコメントには、久米さんらしい最期だったという麗子さんの思いが込められています。
2004年3月26日の『ニュースステーション』最終回では、久米さんが番組の最後にビールを飲み干す姿が印象的でした。
長年の仕事を締めくくる象徴的な場面として、多くの視聴者の記憶に残っています。
麗子さんは、亡くなる直前に久米さんが好物のサイダーを飲んだことを、その最終回の姿になぞらえました。
単なる最期の状況説明ではなく、長年一緒に過ごした妻だからこそ伝えられる、夫の個性を象徴するエピソードです。
「自由な表現者」としての夫を振り返った言葉麗子さんのコメントは、サイダーのエピソードだけではありません。
夫の仕事に対する姿勢や、人柄についても触れています。
「自由な表現者として駆け抜けた日々に悔いはなかったと思います。」 「常に新しいことに挑み、純粋な心で世の中の疑問を見つめる人でした。」
加えて、久米さんは若いスタッフが好きで、現場で冗談を交わす時間を大切にしていたとも振り返りました。
ここから見えてくるのは、テレビ画面の中で強い個性を発揮したキャスターとしての顔だけではありません。
一緒に仕事をするスタッフとの交流を楽しみ、自分の言葉で世の中に発信することを大切にした一人の表現者としての姿です。
麗子さんは最後に、久米さんを支えてくれた人々に感謝の言葉を伝えました。
テレビ朝日も久米宏の功績を追悼久米さんの訃報を受け、テレビ朝日も公式サイトで追悼コメントを発表しました。
同局は、1985年10月から2004年3月までの18年を超える出演期間について言及し、テレビ司会者としての才能とニュースキャスターとしての見識を高く評価しました。
『ニュースステーション』が日本のテレビ報道に新しいスタイルを切り開いたことにも触れています。
久米さんが築いた番組の歴史と、麗子さんが家庭や仕事の面で支えてきた年月。
2026年1月の追悼コメントは、2人が共に歩んだ長い時間を振り返る機会にもなりました。
久米麗子の現在は?2026年の公表情報2026年11月現在、麗子さんの詳しい生活状況や今後の活動については、広く公表された情報が限られています。
確認できる重要な公的情報は、1月13日に所属事務所を通じて発表された追悼コメントです。
また、久米さんの所属事務所は同日の公式文書で、遺族への取材や弔問を控えるよう報道関係者に要請しています。
麗子さんは長年、夫の仕事を支える一方で、自身もスタイリストや著述活動を続けてきました。
現在の生活について、具体的な職業や活動を新たに断定できる公表情報はありません。夫を亡くした後の暮らしについても、本人が公に語った範囲を超えて踏み込むことはできません。
【プロの結論】久米宏と久米麗子の結婚生活から見える夫婦の実像
久米宏さんと久米麗子さんの関係を振り返ると、特徴的なのは、夫婦でありながら、それぞれが独自の仕事や役割を持っていたことです。
麗子さんはファッションやモデル、スタイリングの仕事を経験し、久米さんはアナウンサーとしてテレビの第一線で活躍しました。
その後は、麗子さんが夫のスタイリストや事務所経営にも関わり、家庭と仕事の両面で支える関係を築いていきました。
夫婦関係を理解するための3つのポイント1.夫婦であっても、それぞれの専門性を持っていた
麗子さんには、スタイリストとしてのキャリアや著書があります。久米さんの妻という肩書だけでなく、一人の仕事人として評価する必要があります。
2.家庭と仕事を切り離さず、協力関係を築いていた
個人事務所の経営や衣装の管理、家庭での食事など、さまざまな場面で協力していたことが報道されています。
3.夫婦の関係は、本人たちの言葉にも残されている
2001年刊行の『ミステリアスな結婚』は、夫婦の出会いや結婚生活を知る一次資料に近い重要な記録です。第三者による紹介だけでなく、本人たちの対話にも目を向けることで、夫婦の実像をより深く理解できます。
【久米宏の妻】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:久米宏の妻は誰ですか?
A1:妻は久米麗子さんです。スタイリストやモデルとして活動し、久米宏さんの個人事務所の経営にも携わった人物です。
Q2:久米宏と久米麗子はいつ結婚しましたか?
A2:1969年です。大学生の頃、学生演劇サークルで知り合ったと報じられています。
Q3:久米宏と妻・麗子の間に子どもはいますか?
A3:複数の報道によると、2人の間に子どもはいません。子どもを持たなかった理由について、本人たちによる確かな公式説明は確認できません。
Q4:久米麗子は現在何をしていますか?
A4:2026年11月現在、詳しい近況や新たな活動についての公表情報は限られています。2026年1月13日には、夫の久米宏さんの訃報とともに追悼コメントを発表しました。
Q5:久米麗子の追悼コメントには何が書かれていましたか?
A5:久米さんが好物のサイダーを飲んで旅立ったことや、自由な表現者として新しいことに挑み続けた人だったことが記されていました。ニュースステーション最終回のビールのエピソードにも触れています。
Q6:『ミステリアスな結婚』とは何ですか?
A6:2001年に世界文化社から刊行された久米麗子さんと久米宏さんの共著です。2人の出会いやプロポーズ、結婚生活、仕事や家族について語った対話形式の書籍です。
まとめ:久米宏と妻・久米麗子が歩んだ57年間の夫婦の歴史
久米宏さんの妻は、スタイリストとして活躍してきた久米麗子さんです。
2人は学生演劇サークルで出会い、1969年に結婚しました。その後、麗子さんはスタイリストとして夫のテレビ出演を支え、個人事務所の経営にも携わりました。
子どもはいませんでしたが、家庭菜園や食生活など、日常を共にする夫婦としての姿も報道されています。
そして2026年1月1日、久米さんは81歳で永眠しました。同月13日に公表された麗子さんの追悼コメントは、夫の最期の様子だけでなく、長年そばで見守ってきた妻だからこそ伝えられる人柄を浮かび上がらせました。
久米宏さんのテレビ史に残る功績を振り返る際には、その人生を公私にわたって支えた久米麗子さんの歩みも忘れてはなりません。
2人の関係を知るうえで、『ミステリアスな結婚』と2026年1月13日の公式追悼コメントは、特に重要な資料です。 華やかなテレビの舞台裏にあった、長年の夫婦の歴史を知る手掛かりになります。
主な参考資料:株式会社オフィス・トゥー・ワン公式発表、テレビ朝日公式追悼コメント、女性セブンプラス(2026年1月15日)、講談社『ミステリアスな結婚』書籍紹介、紀伊國屋書店の著者紹介。