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【プロフィール】霧島一博の本名・出身地・基本情報

小野寺 拓海 小野寺 拓海 • 更新: • 公開: • 読了約 17 分
目次

霧島一博の現在は陸奥親方!元大関の経歴・通算成績と霧島鐵力との違いを解説

元大関・霧島一博(きりしま・かずひろ)は、平成初期の大相撲を代表する人気力士の一人です。鹿児島県出身で、本名は吉永一美。井筒部屋で力士としての実力を磨き、1990年(平成2年)5月場所に大関へ昇進。翌1991年(平成3年)初場所には14勝1敗で幕内初優勝を果たしました。

2026年11月現在、霧島一博は現役力士ではありません。引退後は陸奥部屋の師匠として後進を育て、現在は日本相撲協会の参与として音羽山部屋に所属しています。また、現役大関の霧島鐵力は、かつての弟子に当たる別人です。両者の経歴や成績、引退理由、現在の立場を整理します。

【プロフィール】霧島一博の本名・出身地・基本情報

霧島一博

霧島一博は、1959年4月3日生まれ。鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)出身の元大相撲力士です。

日本相撲協会の公式プロフィールによると、本名は吉永一美(よしなが・かずみ)。現役時代の四股名は、入門当初の「吉永」から「霧島」へと改められました。

現役時代は筋骨隆々の体格と端正な顔立ちで人気を集め、「和製ヘラクレス」と呼ばれたことでも知られています。力士としては比較的軽量だったものの、厳しい稽古とウエイトトレーニングによって筋力を鍛え上げ、大型力士にも対抗できる身体をつくりました。

基本プロフィールは次のとおりです。

  • 四股名:霧島一博
  • 読み方:きりしま・かずひろ
  • 本名:吉永一美
  • 生年月日:1959年4月3日
  • 出身地:鹿児島県霧島市
  • 身長:185cm
  • 体重:123kg(日本相撲協会掲載値)
  • 所属部屋:井筒部屋
  • 最高位:大関
  • 初土俵:1975年3月場所
  • 引退場所:1996年3月場所
  • 得意技:左四つ・寄り

特に注意したいのが、本名と四股名の違いです。霧島一博という名前は土俵上で使用した四股名であり、戸籍上の名前は吉永一美です。引退後に名乗る陸奥(みちのく)も、現役時代の四股名とは異なる年寄名跡に基づく名前です。

【経歴・年表】井筒部屋での歩みと大関昇進まで

霧島一博の相撲人生を語るうえで欠かせないのが、井筒部屋との関係です。

霧島は元関脇・鶴ヶ嶺が率いた君ヶ濱部屋に入門しました。同部屋は後に井筒部屋となり、霧島はこの系統で力士として成長していきます。

井筒部屋は相撲界でも歴史のある名門の一つです。鶴ヶ嶺をはじめ、逆鉾、寺尾、鶴竜など、時代を代表する力士がその系譜に名を連ねています。

霧島自身は1975年3月場所に本名の吉永で初土俵を踏みました。序二段時代に故郷の霧島山にちなんで「霧島」へ改名しています。

しかし、入門してすぐに出世したわけではありません。新十両は1982年5月場所、新入幕は1984年7月場所。大関昇進までには、初土俵から15年以上の時間を要しました。

主な経歴と関係者の動きを時系列で整理すると、次のようになります。

時期 出来事・関係者 主な実績・意味
1975年3月 君ヶ濱部屋に入門 本名の吉永で初土俵。後の井筒部屋につながる系統。
1976年以降 霧島へ改名 故郷の霧島山にちなんだ四股名で土俵に立つ。
1982年5月 新十両 関取への昇進を果たす。
1984年7月 新入幕 小錦とともに新入幕。幕内で存在感を示す。
1990年5月 大関昇進 初土俵から91場所を要した遅咲きの昇進。
1991年1月 幕内初優勝 東大関として14勝1敗を記録。
1992年11月 大関から陥落 大関在位16場所に区切り。
1996年3月 現役引退 21年間の力士生活に幕を下ろす。
1997年12月 陸奥部屋を継承 師匠として後進の育成を開始。
2024年4月 陸奥部屋閉鎖・音羽山部屋へ 定年後に参与として再雇用。
2026年11月 陸奥親方として活動 日本相撲協会の公式プロフィールでは音羽山部屋所属の参与。

大関昇進の大きな転機となったのは、1990年3月場所です。霧島は13勝2敗の好成績を残し、優勝決定戦にも進出しました。惜しくも優勝は逃しましたが、横綱や大関を相手にした力強い相撲が評価され、同年5月場所に新大関となりました。

日本相撲協会の大相撲クイズでも、霧島一博は初土俵から大関昇進まで91場所を要した力士として紹介されています。この記録は2026年現在も大関昇進までのスロー出世最長記録です。

30歳11か月での大関昇進は、早熟な力士とは異なる努力型の出世を象徴しています。若い頃から上位で活躍していたものの、壁を突破するまでに時間をかけ、30代に入ってから最高位に到達した点が特徴です。

【通算成績・幕内優勝】平成3年初場所の快挙と得意技

霧島一博の現役時代を数字で振り返ると、大関としての実績だけでなく、長期間にわたって幕内で戦い続けた実力が見えてきます。

日本相撲協会の公式年寄プロフィールに掲載されている戦歴は以下のとおりです。

  • 生涯戦歴:754勝696敗40休(127場所)
  • 幕内戦歴:518勝507敗40休(71場所)
  • 大関在位:16場所
  • 大関戦歴:139勝76敗25休
  • 幕内優勝:1回
  • 殊勲賞:3回
  • 敢闘賞:1回
  • 技能賞:4回
  • 金星:2個
平成3年初場所で14勝1敗の初優勝

霧島一博の代表的な実績が、1991年(平成3年)1月場所の幕内初優勝です。

この場所、東大関として土俵に上がった霧島は、15日間を通じて安定した相撲を披露しました。最終成績は14勝1敗。大関として念願の幕内最高優勝を果たしました。

日本相撲協会も公式クイズで、この優勝を霧島の代表的な実績として取り上げています。

この優勝には、力士としての成長過程を象徴する意味もありました。初土俵から96場所目での幕内初優勝は、当時の年6場所制におけるスロー記録としても注目されました。

大関昇進まで91場所、幕内初優勝まで96場所。長い下積みを経験した力士が、30代で大きな結果を残したのです。

霧島一博の得意技は左四つ・寄り

日本相撲協会が公表する得意技は左四つ・寄りです。

左四つは、相手と組んだ際に左手を相手の右腕の内側に差す組み方です。そこから相手のまわしを引き、体勢を整えて前に出るのが基本となります。

霧島は筋力を生かした相撲を得意とし、吊り出しや打っ棄(うっちゃり)、出し投げなどでも観客を魅了しました。

特に大型力士との対戦では、単純な体重差に頼らず、組み手と筋力を組み合わせて勝機をつくる姿が印象的でした。

1984年7月場所の小錦との新入幕同士の対戦は、その象徴的な一番です。200kgを超える大型力士の小錦に対して、当時117kgほどだった霧島が下手投げで勝利。「小よく大を制す」という相撲の魅力を示しました。

筋肉を鍛えることと、相撲の技術を磨くこと。その両方を積み重ねたことが、遅咲きの大関誕生につながったといえます。

【引退理由】元大関・霧島はなぜ1996年に現役を退いたのか

霧島一博は、1996年(平成8年)3月場所を最後に現役を引退しました。引退時は36歳。1975年の初土俵から約21年間にわたる力士生活でした。

引退に至る経緯を理解するには、まず大関からの陥落を振り返る必要があります。

霧島は1992年11月場所を最後に大関の地位を失いました。大関在位は16場所。陥落後も現役を続け、幕内力士として土俵に立ち続けました。

しかし、1996年3月場所では西前頭14枚目の地位で3勝12敗。翌場所の十両陥落が確実となる状況でした。

共同通信が伝えた当日の引退会見では、本人は次のように説明しています。

「気力がなくなり、引退を決意しました」

これは引退を決めた本人の言葉として報じられたものです。単に大関から陥落したから引退したのではなく、その後も約3年半にわたって幕内で戦い、最終的に自身の気持ちに区切りをつけたことが分かります。

なお、現役時代には左太ももの負傷なども経験しています。腰や右肘の故障も横綱昇進を阻んだ要因として相撲関係の回顧記事で取り上げられていますが、1996年の引退会見で本人が説明した直接の理由は気力の低下でした。

霧島は横綱には届かなかったものの、大関として優勝を経験し、通算754勝を記録しました。最高位だけでなく、長い現役生活を通じて残した実績にも評価すべき点があります。

【2026年現在】陸奥親方の経歴と音羽山部屋での活動

現役引退後の霧島一博は、年寄として相撲界に残りました。その後、1997年12月に陸奥部屋を継承し、師匠として弟子の育成に取り組みました。

陸奥親方としての功績で特に知られるのが、モンゴル出身の力士の育成です。

大関・霧島鐵力と横綱・鶴竜を育てた師匠

文部科学省が公表した令和7年度スポーツ功労者の功績概要では、吉永一美氏について、陸奥部屋の師匠として後進の育成に尽力し、2代目の大関霧島を育てたこと、横綱鶴竜を指導したことが紹介されています。

現在の霧島鐵力は、かつて陸奥部屋に所属していた霧馬山です。入門時の四股名には、師匠だった陸奥親方の現役名「霧島」から一字が受け継がれました。

また、元横綱・鶴竜も井筒部屋から陸奥部屋へ移籍した後、陸奥親方のもとで指導を受けた力士です。後に独立して音羽山部屋を創設し、現在は師匠として後進を育てています。

陸奥親方は現役引退後、部屋の師匠だけでなく日本相撲協会の理事も歴任しました。文部科学省の功績概要によると、2010年2月に理事となり、2024年3月までの累計在任期間は3年2か月。事業部長として協会の運営にも携わりました。

2024年の陸奥部屋閉鎖と参与への再雇用

陸奥部屋に大きな転機が訪れたのは2024年です。

陸奥親方は2024年4月3日に65歳の定年を迎えることになり、師匠を務めていた陸奥部屋は同月2日付で閉鎖されました。

所属していた大関霧島鐵力らは、それぞれ別の相撲部屋へ移籍。そのうち霧島鐵力は、元横綱・鶴竜が師匠を務める音羽山部屋に移りました。

一方、陸奥親方自身は定年後も日本相撲協会に残る道を選び、参与として再雇用されました。

2026年11月2日現在、日本相撲協会の公式年寄プロフィールには、次のように掲載されています。

  • 年寄名:陸奥一博
  • 役職:参与
  • 所属部屋:音羽山部屋
  • 本名:吉永一美
  • 生年月日:1959年4月3日

つまり、陸奥部屋がなくなったことと、陸奥親方が相撲協会を完全に離れたことは同じではありません。2026年現在も、参与として協会に所属していることが公式情報から確認できます。

【人物比較】霧島一博と現役の霧島鐵力は何が違う?

「霧島」という四股名で検索すると、元大関の霧島一博と、現役大関の霧島鐵力の情報が混在することがあります。

しかし、2人は生まれた時代も出身地も本名も異なる別人です。両者の関係を理解する要点は、陸奥親方と弟子という師弟関係にあります。

元大関・霧島一博

1959年に鹿児島県で生まれた日本出身の力士です。本名は吉永一美。井筒部屋で力を磨き、1990年に大関へ昇進しました。

幕内優勝は1回。1996年に引退した後、陸奥親方として陸奥部屋を率い、弟子の霧馬山を大関へ育てました。

現役大関・霧島鐵力

一方、霧島鐵力(きりしま・てつお)は1996年4月24日生まれのモンゴル出身力士です。本名はビャンブチュルン・ハグワスレン。もともとは「霧馬山」という四股名で土俵に立っていました。

2014年に来日して陸奥部屋に入門し、陸奥親方の指導を受けて成長。2023年5月場所後に大関昇進が決まり、四股名を「霧島鐵力」に改めました。

2024年に陸奥部屋が閉鎖された後は音羽山部屋へ移籍しています。2026年3月場所後には再び大関昇進が決まり、同年11月場所の番付では東大関に位置しています。

日本相撲協会の最新プロフィールでは、幕内優勝3回を記録しています。

2人の関係は師匠と弟子

両者のつながりは、単に同じ四股名を使っているというだけではありません。

霧島鐵力が入門した陸奥部屋の師匠が、元大関・霧島一博だったのです。霧馬山という入門時の四股名にも、師匠の現役名から受け継いだ「霧」の文字が使われています。

その後、霧島鐵力は師匠と同じ「霧島」の名を受け継ぎ、大関に昇進しました。元大関が育てた弟子が、同じ四股名で大関になるという相撲界でも印象深い継承の形です。

検索時に両者を区別するには、次のポイントが役立ちます。

  • 1959年生まれ・鹿児島県出身・吉永一美:元大関の霧島一博。
  • 1996年生まれ・モンゴル出身・ビャンブチュルン・ハグワスレン:現役大関の霧島鐵力。
  • 陸奥親方:霧島一博の引退後の年寄名。
  • 霧馬山:霧島鐵力が大関昇進前に使用していた四股名。

このように、生年月日や本名、現役時代の所属部屋を確認すれば、両者の情報を取り違えることはありません。

【霧島一博】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:霧島一博の本名は何ですか?
A1:本名は吉永一美(よしなが・かずみ)です。1959年4月3日生まれで、鹿児島県霧島市出身です。現役時代は「吉永」から「霧島」へ改名しました。

Q2:霧島一博の幕内優勝は何回ですか?
A2:幕内優勝は1回です。1991年(平成3年)1月場所に東大関として14勝1敗を記録し、初優勝を達成しました。

Q3:霧島一博は2026年現在、何をしていますか?
A3:2026年11月現在、日本相撲協会の参与として音羽山部屋に所属しています。現役力士は引退していますが、相撲協会から完全に離れたわけではありません。

Q4:霧島一博と霧島鐵力は親子ですか?
A4:親子ではありません。霧島一博は霧島鐵力が所属していた陸奥部屋の師匠であり、2人は師匠と弟子の関係です。

Q5:霧島一博の引退理由は何ですか?
A5:1996年3月場所に3勝12敗を記録し、翌場所の十両陥落が確実となった後に引退しました。共同通信の当時の報道によると、引退会見では「気力がなくなり、引退を決意しました」と説明しています。

Q6:霧島一博は大関に何場所在位しましたか?
A6:1990年5月場所から1992年11月場所まで、合計16場所です。大関時代の通算成績は139勝76敗25休でした。

まとめ:【プロの結論】霧島一博の功績は大関時代と親方としての育成にある

霧島一博は、長い下積みを経て30歳11か月で大関に昇進し、平成3年初場所に14勝1敗で幕内初優勝を達成した元大関です。

通算成績は754勝696敗40休。殊勲賞3回、敢闘賞1回、技能賞4回、金星2個という実績を残しました。左四つからの寄りを基本とする力強い相撲と、筋力トレーニングで鍛えた身体は、平成初期の大相撲を彩る大きな特徴でした。

引退後は陸奥部屋を継承し、現役大関・霧島鐵力や横綱・鶴竜の育成にも関わりました。相撲協会の理事として運営面でも貢献し、選手としてだけではなく指導者としても足跡を残しています。

2024年の陸奥部屋閉鎖を経た2026年現在も、陸奥親方は音羽山部屋所属の参与として日本相撲協会に在籍しています。

霧島一博を調べる際に押さえておきたい判断基準は、次の3点です。

  • 現役時代の霧島:本名・吉永一美、鹿児島県出身、幕内優勝1回。
  • 引退後の霧島:陸奥親方として部屋を率い、弟子を育成。
  • 2026年の現役霧島:モンゴル出身の霧島鐵力で、元陸奥親方の弟子に当たる現役大関。

霧島一博の功績は、平成初期の土俵で残した成績だけでは測れません。自らが遅咲きの大関として築いた経験を次世代へ伝え、弟子が同じ「霧島」の名で大関に昇進したことにも、その指導者としての足跡が表れています。2026年現在の相撲界を理解するうえでも、記憶しておきたい元大関の一人です。

主な検証資料: 日本相撲協会公式プロフィール・歴代大関記録・音羽山部屋紹介、文部科学省「令和7年度スポーツ功労者功績概要」、共同通信の1996年引退報道、Sportivaの2025年3月の力士回顧記事。

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小野寺 拓海

アニメ誌編集を経て Web メディアへ。放送・配信の日程は作品公式サイトと各配信サービスの告知で確認し、ガジェットの仕様はメーカーの公式スペック表を引用します。

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