2026年1月22日午前3時15分、将棋界のレジェンドであり、「ひふみん」の愛称で幅広い世代から親しまれた加藤一二三(かとう・ひふみ)九段が、肺炎のため86歳で逝去しました。所属事務所と日本将棋連盟が発表した訃報は、将棋ファンだけでなく、テレビ番組を通じて加藤さんを知った多くの人々にも大きな悲しみをもたらしました。
14歳7カ月で史上初の中学生棋士となり、「神武以来の天才」と称された加藤さん。名人獲得、タイトル通算8期、公式戦1324勝という輝かしい記録を残し、2017年に77歳で現役を引退するまで約63年間、将棋界の第一線で戦い続けました。2026年6月には日本将棋連盟から名誉十段の称号も追贈されています。ここでは、現在の状況から生涯の棋歴、藤井聡太さんとの歴史的対局、独特の棋風や人柄までを振り返ります。
【2026年最新】ひふみんは現在どうしている?1月22日に肺炎で逝去

「ひふみんは現在どうしているの?」「加藤一二三さんは亡くなったというのは本当?」という疑問に対する答えは、2026年1月22日に逝去されたというものです。
日本将棋連盟の公式発表によると、加藤一二三九段は2026年1月22日午前3時15分、東京都済生会中央病院で肺炎のため亡くなりました。享年86歳でした。
所属事務所も同日、訃報を公表し、生前に寄せられた支援や厚情への感謝とともに、故人への哀悼の意を伝えています。
加藤一二三さんの死因は肺炎死因については、所属事務所と日本将棋連盟がともに肺炎と発表しています。
晩年の健康状態については、家族の説明を引用した報道によると、2024年の正月明けごろから体調を崩し、入退院を繰り返していたとされています。
2024年11月には、長年続けてきた詰将棋連載のギネス世界記録認定式に出席。2025年5月の棋王戦50周年記念祝賀会にも姿を見せましたが、いずれも車いすを使用していました。
こうした近年の様子は報道されていましたが、死因として公表されたのは肺炎です。
2017年の引退後も「ひふみん」として活躍加藤さんは2017年6月20日に現役棋士を引退しました。
しかし、引退によって表舞台から姿を消したわけではありません。
テレビのバラエティー番組や将棋関連のイベント、講演、執筆などで活動を続け、独特の早口や親しみやすい表情、将棋に対する情熱で人気を集めました。
現役時代を知らない若い世代にも「ひふみん」という愛称が浸透したのは、こうした引退後の活動があったからです。
2026年11月現在、加藤さんはすでに逝去されていますが、その功績を伝える活動は遺族や将棋界によって引き継がれています。
【14歳7カ月でプロ入り】神武以来の天才と呼ばれた加藤一二三の生涯
加藤一二三さんは1940年1月1日、福岡県嘉麻市で生まれました。
幼少期から将棋の才能を発揮し、1951年に奨励会へ入会。1954年8月1日、わずか14歳7カ月で四段に昇段し、プロ棋士となりました。
この記録は単なる若年デビューではありません。当時の将棋界では、中学生がプロ棋士になること自体が極めて異例だったのです。
史上初の中学生棋士として将棋界に登場1954年に加藤さんが打ち立てた14歳7カ月でのプロ入り記録は、2016年10月に藤井聡太さんが14歳2カ月で四段に昇段するまで、実に62年間破られませんでした。
加藤さんはプロ入り後も驚異的な速度で昇段を重ねています。
- 1954年:14歳7カ月で四段に昇段
- 1955年:五段に昇段
- 1956年:六段に昇段
- 1957年:七段に昇段
- 1958年:八段に昇段し、順位戦A級へ昇級
18歳で将棋界最高峰のA級に到達したことから、「神武以来(じんむこのかた)の天才」という異名が定着しました。
「神武以来」とは、初代天皇とされる神武天皇の時代以来という意味を持つ表現です。それほど並外れた才能の持ち主として評価されていたことが分かります。
天才と呼ばれながら、名人獲得までには長い道のり加藤さんは1960年、20歳で第19期名人戦に初挑戦しました。
相手は将棋界を代表する大棋士、大山康晴十五世名人です。しかし、このときは1勝4敗で敗れ、名人獲得には届きませんでした。
その後もタイトル戦で大山康晴さんや中原誠さんと激しい勝負を繰り広げます。
初タイトルを獲得したのは1968年度の第7期十段戦。1969年1月の最終局で大山康晴さんを破り、29歳で初めてタイトルを手にしました。
プロ入り時の華々しい注目だけでなく、長年の挑戦と試行錯誤を経て実績を積み上げたところにも、加藤さんの棋士人生の特徴があります。
【経歴・年表】名人獲得から通算1324勝まで、63年間の軌跡
加藤一二三さんの棋士人生を語るうえで欠かせないのが、名人獲得と通算1324勝という実績です。
タイトル戦への登場は24回。獲得タイトルは合計8期に及びます。
加藤一二三さんの主要経歴一覧| 年代 | 出来事 | 主な実績 |
|---|---|---|
| 1940年 | 福岡県で誕生 | 1月1日生まれ |
| 1954年 | プロ入り | 14歳7カ月、史上初の中学生棋士 |
| 1958年 | A級昇級 | 18歳で八段 |
| 1968年度 | 第7期十段戦 | 大山康晴を破り初タイトル獲得 |
| 1976年 | 棋王獲得 | タイトル獲得を重ねる |
| 1978年 | 王将獲得 | 二冠を達成 |
| 1982年 | 第40期名人戦 | 中原誠を破り名人獲得 |
| 1984年 | 王位獲得 | タイトル通算8期に到達 |
| 1989年 | 通算1000勝 | 特別将棋栄誉賞 |
| 2000年 | 紫綬褒章 | 将棋界への功績を顕彰 |
| 2016年 | 藤井聡太と対局 | 62歳以上の年齢差が話題に |
| 2017年 | 現役引退 | 6月20日、77歳5カ月 |
| 2022年 | 文化功労者 | 将棋界での功績が評価される |
| 2024年 | ギネス世界記録認定 | 詰将棋連載の長期継続 |
| 2026年1月 | 逝去 | 86歳、肺炎 |
| 2026年6月 | 名誉十段追贈 | お別れの会で顕彰 |
加藤さんの棋士人生で大きな転換点となったのが、1982年の第40期名人戦です。
対戦相手は中原誠名人。加藤さんはこれまで名人戦に挑戦しても勝ち切れず、名人位の獲得を長年の目標としていました。
この七番勝負は、千日手2回と持将棋1回を含む全10局に及ぶ大激戦となりました。
最後は加藤さんが4勝3敗で中原名人を破り、42歳で初の名人位を獲得します。
14歳で天才と呼ばれた少年が、42歳でついに最高峰のタイトルを手にしたのです。
早熟の才能だけでなく、長期間にわたって勝負を続ける精神力と研究への執念が、この結果につながりました。
タイトル獲得8期の内訳加藤さんが獲得したタイトルは、次の5種類です。
| タイトル | 獲得期数 |
|---|---|
| 名人 | 1期 |
| 十段 | 3期 |
| 王位 | 1期 |
| 棋王 | 2期 |
| 王将 | 1期 |
| 合計 | 8期 |
特に十段は3期獲得しており、加藤さんにとって思い入れの深いタイトルでした。
十段戦は現在の竜王戦の前身に当たる棋戦です。
通算1324勝1180敗という驚異的な記録日本将棋連盟などが公表した記録によると、加藤さんの通算成績は以下のとおりです。
- 総対局数:2505局
- 勝利数:1324勝
- 敗戦数:1180敗
- 持将棋:1局
- 勝率:約0.529
勝利数1324という数字は、約63年間にわたって公式戦で戦い続けた結果です。
また、A級在位は通算36期。1950年代から2000年代まで、それぞれの年代でA級に在籍したことも特筆すべき記録です。
勝ち星だけでなく、長期にわたってトップクラスの棋士と戦い続けたことが、加藤さんの実力を裏付けています。
【藤井聡太との対局】62歳差の歴史的一局と加藤棒銀の魅力
加藤一二三さんの名前を語るうえで、藤井聡太さんとの対局も外せません。
2016年12月、当時76歳だった加藤さんは、14歳の藤井聡太四段と公式戦で対戦しました。
藤井さんにとってはプロデビュー戦。加藤さんにとっては、自身が62年間保持してきた最年少プロ入り記録を更新した新世代の棋士との対局でした。
藤井聡太のデビュー戦の相手を務めたレジェンドこの対局の年齢差は約62歳6カ月。
将棋界でも極めて珍しい世代を超えた対戦として、大きな注目を集めました。
勝利したのは藤井四段です。
序盤は加藤さんが攻める展開でしたが、藤井さんが攻めをしのぎ、反撃して勝利しました。対局は11時間近くに及ぶ頭脳戦となりました。
対局後、加藤さんは藤井さんの大局観や攻めの強さを高く評価しています。
この対局は、単なる新旧対決ではありませんでした。
かつて自分が持っていた記録を更新した若き才能を、加藤さん自身が認めるという、将棋界の世代交代を象徴する一局でもあったのです。
加藤一二三の代名詞「棒銀戦法」加藤さんの棋風を語るうえで重要なのが、棒銀戦法です。
棒銀とは、飛車の支援を受けながら銀将を前進させ、相手の陣形を突破しようとする攻撃的な戦法です。
比較的分かりやすい構想で、初心者向けの戦法としても知られています。
しかし、加藤さんはこの戦法をプロの最高レベルでも使い続けました。
本人も棒銀へのこだわりを語っており、銀を「営業部長」と表現するほど、攻めの中心となる駒として重視していました。
単純な戦法を繰り返すだけでは、相手に研究されて対応されてしまいます。それでも加藤さんは棒銀を使い続け、相手の対策を乗り越えるために工夫を重ねました。
この姿勢は、定跡を知るだけでは勝てない将棋の奥深さを示しています。
また、加藤さんは棒銀に関する棋書も執筆し、戦法の研究や普及にも力を注ぎました。
【ひふみんの人物像】独特の対局スタイルと将棋以外の魅力
加藤一二三さんが「ひふみん」と呼ばれて親しまれた理由は、将棋の実績だけではありません。
対局中の独特な振る舞いや、テレビ出演で見せた親しみやすい人柄も、多くの人の記憶に残っています。
ひふみんEYEとは?加藤さんの有名な習慣の一つが「ひふみんEYE」です。
これは対局中に盤面の反対側、つまり相手の座る側に回って将棋盤を見る行動を指します。
普段とは異なる方向から盤面を眺めることで、局面を別の視点から捉えようとするものでした。
対局中に相手側へ回ることはルール違反ではありません。
この行動が広く知られるようになったのは、加藤さんの個性的な対局スタイルを象徴していたからです。
長考派でありながら早指しにも強かった加藤さんには「1分将棋の神様」という異名もありました。
長い持ち時間の対局で深く考える一方、秒読みの局面でも力を発揮したのです。
NHK杯戦では通算7回優勝。その他の棋戦優勝を合わせると23回に及びます。
また、対局中の食事やおやつも話題になりました。
うな重や板チョコ、あんパンなどを食べながら盤面に向き合う姿は、テレビや新聞でもたびたび取り上げられました。
ネクタイを長く結ぶ独特のファッションも、ひふみんらしさを印象づける特徴の一つでした。
こうしたエピソードは一見するとユーモラスですが、長時間の対局に集中する棋士の日常を伝えるものでもあります。
キリスト教への信仰と人柄加藤さんは熱心なカトリック信者としても知られていました。
1970年のクリスマスに洗礼を受けており、信仰はその後の人生にも深く関わっていました。
1986年にはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から聖シルベストロ騎士団勲章を受章しています。
将棋の勝負に対する強い姿勢と、信仰を大切にする生活の両方を持っていたことも、加藤さんの人物像を理解するうえで欠かせません。
また、2017年の引退後はテレビ番組などで幅広く活躍しました。
将棋を知らない人にも盤上の魅力を伝え、将棋界と一般の視聴者をつなぐ存在となったのです。
【プロの結論】加藤一二三さんが将棋界に残した功績と2026年の最新顕彰
加藤一二三さんの功績を評価する際、単純にタイトル数や勝利数だけを見るのでは十分ではありません。
特に重要なのは、次の3点です。
1. 将棋界の歴史を変えた中学生棋士14歳7カ月でプロ入りした加藤さんは、若年層がプロ棋士を目指す道を切り開いた存在です。
その記録は藤井聡太さんに更新されるまで62年間守られました。
中学生でプロになり、18歳でA級に昇級した経歴は、将棋界の歴史に残るものです。
2. 独自の棋風を貫いた勝負師棒銀へのこだわりは、加藤さんの棋士としての個性を象徴しています。
相手に研究されることを恐れず、自分の得意とする戦法を磨き続ける姿勢は、将棋を学ぶ人にとっても参考になります。
また、NHK杯7回優勝や通算23回の棋戦優勝は、タイトル獲得数だけでは見えない実績です。
3. 引退後も将棋文化を広めた功労者加藤さんは2017年の引退後も、将棋の普及や文化的価値の発信に力を注ぎました。
2022年には文化功労者に選ばれています。
加えて、1959年から月刊誌『家の光』で続けてきた詰将棋の連載は、2024年にギネス世界記録として認定されました。
同一雑誌におけるボードゲームパズル作者としての最長キャリアという記録です。
65年間にわたって詰将棋を発表し続けたことは、棋士としてだけでなく、将棋文化を支える創作者としての功績でもあります。
2026年6月6日、名誉十段が追贈される2026年の重要な動きが、日本将棋連盟による名誉十段の追贈です。
日本将棋連盟は2026年4月21日、加藤さんに名誉十段の称号を贈ることを発表しました。
その理由として、生涯にわたって将棋界の発展と普及に貢献したこと、そして本人が生前に十段への強い思いを抱いていたことを挙げています。
6月6日、東京・千駄ケ谷の将棋会館で開かれたお別れの会で、名誉十段の称号が遺族に贈られました。
当日は藤井聡太さんも参列して献花しています。
この追贈は通常の昇段とは異なる特例の名誉称号です。現役時代に十段を3期獲得した実績と、本人の思い入れが考慮された顕彰でした。
お別れの会では、加藤さんの得意戦法である棒銀をイメージした祭壇も設けられました。
さらに遺族は、棋譜や写真、詰将棋の原稿などを保存・管理し、後世に伝えるための一般社団法人「加藤一二三レガシー」の設立を発表しています。
これは単なる追悼活動にとどまりません。
加藤さんが残した棋譜や言葉、将棋文化への貢献を、将来の研究者やファンが振り返るための基盤づくりでもあります。
【将棋ひふみんの現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:加藤一二三さんはいつ亡くなりましたか?
A1:2026年1月22日午前3時15分です。肺炎のため東京都済生会中央病院で逝去しました。享年86歳でした。
Q2:加藤一二三さんの死因は何ですか?
A2:所属事務所と日本将棋連盟の発表によると、死因は肺炎です。家族によると、2024年の正月明けごろから体調を崩し、入退院を繰り返していたと報じられています。
Q3:加藤一二三さんは何歳でプロ棋士になりましたか?
A3:14歳7カ月です。1954年8月1日に四段へ昇段し、史上初の中学生棋士となりました。この記録は2016年に藤井聡太さんが更新するまで62年間保持されていました。
Q4:加藤一二三さんのタイトル獲得数と通算勝利数は?
A4:タイトル獲得は通算8期です。内訳は名人1期、十段3期、王位1期、棋王2期、王将1期。通算成績は1324勝1180敗1持将棋でした。
Q5:加藤一二三さんは藤井聡太さんと対局したことがありますか?
A5:あります。2016年12月、藤井聡太四段のプロデビュー戦で対局しました。藤井さんが勝利し、約62歳6カ月という年齢差も大きな話題になりました。
Q6:加藤一二三さんは引退後、何をしていましたか?
A6:2017年の引退後はテレビ番組への出演、将棋の普及活動、執筆などを続けていました。2022年には文化功労者に選ばれ、2024年には65年間続けた詰将棋連載がギネス世界記録に認定されています。
まとめ:加藤一二三さんの記録と記憶は将棋界に残り続ける
将棋の「ひふみん」こと加藤一二三さんは、2026年1月22日に86歳で逝去しました。
14歳7カ月でのプロ入り、18歳でのA級昇級、1982年の名人獲得、タイトル通算8期、そして1324勝という記録は、将棋界の歴史を語るうえで欠かせないものです。
2017年に現役を引退した後も、テレビ出演や将棋の普及活動を通じて幅広い世代から親しまれました。
2026年6月には名誉十段が追贈され、藤井聡太さんをはじめとする棋士や関係者が、その功績をたたえました。加えて、加藤一二三レガシーによる資料の保存・継承も始まっています。
加藤さんの魅力は、単に天才と呼ばれたことや、数多くの勝利を積み重ねたことだけではありません。
得意の棒銀を貫く信念、長時間の対局に挑む集中力、若い棋士の才能を認める懐の深さ、そして将棋を多くの人に伝えようとする姿勢にありました。
「神武以来の天才」と呼ばれた少年は、やがて将棋界を代表する名人となり、引退後は「ひふみん」として世代を超えて愛されました。
その棋譜と詰将棋、そして約63年間にわたる棋士人生は、これからも将棋を学ぶ人や楽しむ人にとって、大切な財産として受け継がれていくはずです。
主な事実確認資料: 日本将棋連盟の訃報・名誉十段追贈発表、所属事務所の訃報、TBS NEWS DIG、テレビ朝日、日刊スポーツ、早稲田大学の棋歴資料、将棋情報局のギネス認定報道。