2026年11月現在、元オリックス・バファローズの福田周平さんは、プロ野球選手としての現役生活に別れを告げ、兵庫県・淡路島で農業に取り組んでいます。自身の畑「すーへーふぁーむ」を立ち上げたほか、プロ野球中継の解説活動にも携わり、2026年10月には宅地建物取引士(宅建)の資格試験にも挑戦しました。
福田さんは2017年のドラフト3位でオリックスに入団し、俊足と堅実な守備、粘り強い打撃を武器に活躍。2021年、2022年のリーグ連覇を中心選手として支え、2022年には外野手部門でゴールデングラブ賞を初受賞しました。しかし、2025年10月に球団から来季契約を結ばないと通告され、同年12月29日に現役引退を発表しています。戦力外通告から引退を決断するまでに何があったのでしょうか。2025年の成績や通算記録、背番号65に込めた思い、淡路島での新生活まで詳しく整理します。
【2026年最新】福田周平の現在は?現役引退後は淡路島で農業と野球解説

福田周平さんは1992年8月8日生まれ。2026年11月現在34歳です。2025年シーズン限りでプロ野球選手を引退し、現在は野球とは異なる分野にも活動の幅を広げています。
引退後の大きな転換点となったのが、兵庫県淡路島での農業への挑戦です。2026年春から、パソナ農援隊のサポートを受け、淡路市内の「Awaji Nature Lab&Resort」内で自身の畑「すーへーふぁーむ」をスタートさせました。
「すーへーふぁーむ」で農業に挑戦農業を始めた背景には、福田さんがもともと屋外で体を動かすことを好んでいたことがあります。2026年6月の日刊スポーツのインタビューでは、太陽の下で作業することが好きだと語り、野球をしていた頃も屋外球場を好んでいたことを明かしました。
畑で朝日を浴びながら土に触れる生活は、長年プロ野球の世界で戦ってきた福田さんにとって、新しい充実感につながっているようです。
2026年5月24日には、淡路島の畑でファンとの農業体験イベントを開催。新玉ねぎの収穫やサツマイモの苗の植え付け、ランチトークショーなどを実施しました。午前と午後の2回に分け、抽選で選ばれた合計40人が参加しています。
さらに8月21日から2日間にわたって夏祭りイベントも開催。採れたて野菜を使った食事や流しそうめん、スイカ割りなどを通じて、ファンと交流しました。参加者は約30人で、野球観戦とは違った形で福田さんと接する機会になりました。
プロ野球中継の解説者としても活動農業だけが福田さんの新しい仕事ではありません。2026年の日刊スポーツの人物紹介では、農業の傍ら、プロ野球中継の解説者などの活動も展開していると紹介されています。
現役時代に経験した打席での駆け引き、走塁判断、外野守備のポジショニングなどは、解説者として伝えられる貴重な知識です。選手として実際にグラウンドで経験したことを、今度は視聴者に伝える側へと立場を変えています。
現役引退によって野球との関係を完全に断ち切ったわけではありません。農業という新しい生活の軸を持ちながら、野球界とも適度な距離を保っているのが2026年の福田さんの姿です。
【戦力外通告から引退へ】福田周平が2025年限りで現役生活に区切りをつけた理由
福田周平さんの引退を理解するには、2025年10月14日の戦力外通告から、12月29日の引退発表までの流れを押さえる必要があります。
2025年10月14日、球団から来季契約を結ばないと通告2025年10月14日、オリックスは福田さんに対して来季の選手契約を結ばない旨を通告したと発表しました。同時に井口和朋投手、本田圭佑投手にも通告しています。
福田さんは2017年ドラフト3位で入団して以来、8年間にわたってオリックスでプレーしてきました。俊足巧打のリードオフマンとしてチームを支えた選手だけに、球団を離れることになったニュースは注目を集めました。
通告を受けた当時、福田さんは現役続行の意思を示しています。報道によると、取材に対して、現状維持ではなくレベルアップを目指して野球を続けたいという考えを語っていました。
また、戦力外通告後すぐに引退を決めたわけではありません。他球団からのオファーを待ちながらトレーニングを続け、新天地でのプレーを模索していました。
トライアウトではなく、他球団からのオファーを待つ選択戦力外通告を受けた選手には、12球団合同トライアウトへの参加や、他球団との個別交渉など、現役続行に向けた複数の道があります。
福田さんは当時、トライアウトへの参加について積極的ではない姿勢を示し、トレーニングを続けながら他球団からのオファーを待つ方向でした。
2025年シーズンの終盤には、ポストシーズンでの出場機会を目指して宮崎で行われるフェニックスリーグにも参加していました。最後までプレーを続ける可能性を探っていたことが分かります。
12月29日に引退を発表転機となったのは2025年12月です。スポーツ報知などの報道によると、他球団から正式なオファーが届かず、福田さんはプロ野球選手としての生活に区切りをつける決断をしました。
12月29日には、自身のInstagramで現役引退を報告。背番号4、1、65を着用した3枚のユニホームの写真とともに、バファローズの一員として戦えた日々が一生の誇りであること、応援してくれたファンへの感謝を伝えました。
「第二の人生、また一から頑張ります!」
この言葉には、単に野球を辞めるというだけではなく、新しい分野に進む覚悟が表れています。
つまり、福田周平さんの引退理由は、戦力外通告を受けた直後に自ら野球を諦めたという単純なものではありません。本人は現役続行を希望し、他球団でのプレーを模索したものの、正式なオファーが届かず、最終的に引退を選択したという経緯です。
【2025年成績・通算成績】福田周平のプロ8年間を数字で振り返る
福田周平さんの選手としての価値は、本塁打数だけでは測れません。俊足を生かした走塁、出塁能力、外野守備、そして試合の流れを変える粘り強さが持ち味でした。
2025年シーズンは23試合、打率.167日本野球機構(NPB)の公式記録によると、2025年の福田さんの一軍成績は23試合出場、64打席、54打数9安打、打率.167、3打点、1盗塁でした。本塁打は記録されていません。
出場機会は前年の69試合からさらに減少。2023年には36試合、2024年には69試合、2025年には23試合と、近年は一軍での出場数が伸び悩んでいました。
特に2025年は、レギュラーとして試合に出続けていた2019~2022年と比べると、打席数も安打数も大きく減少しています。球団が翌年の戦力構想を考えるうえで、厳しい判断につながったと考えられる数字です。
NPB通算677試合の主な記録一方、プロ8年間の通算成績を見ると、福田さんがオリックスで積み重ねてきた実績が分かります。
NPB公式記録に掲載されている2025年シーズン終了時点の通算成績は、677試合出場、580安打、打率.254、5本塁打、143打点、90盗塁です。出塁率は.337で、長打率は.308でした。
本塁打こそ少ないものの、90盗塁という数字は、福田さんが走塁でチームに貢献してきたことを示しています。
特に2019年は135試合に出場し、自己最多となる30盗塁を記録。1番打者として出塁し、相手バッテリーにプレッシャーをかける役割を担いました。
年度別成績の推移福田さんの成績を年度ごとに並べると、2018年のプロ入りから2022年の全盛期、そして2023年以降の出場機会の減少までが見えてきます。
| 年度 | 試合数 | 打率 | 安打 | 盗塁 |
|---|---|---|---|---|
| 2018年 | 113 | .264 | 78 | 16 |
| 2019年 | 135 | .250 | 123 | 30 |
| 2020年 | 76 | .258 | 67 | 13 |
| 2021年 | 107 | .275 | 112 | 9 |
| 2022年 | 118 | .268 | 120 | 9 |
| 2023年 | 36 | .191 | 18 | 5 |
| 2024年 | 69 | .232 | 53 | 7 |
| 2025年 | 23 | .167 | 9 | 1 |
| 通算 | 677 | .254 | 580 | 90 |
※NPB公式記録をもとに作成。通算の打率は通算打数に対する通算安打数の割合です。
この推移で注目したいのは、2021年と2022年の安定感です。2021年は打率.275で112安打、2022年は120安打を記録しました。いずれもチームの優勝争いを支える重要なシーズンでした。
2023年以降は出場数が減り、打率も低下しています。2024年には右足の負傷も報じられ、コンディション面の課題も抱えていました。2025年も出場機会を大きく回復させることができず、最終的に現役生活の終了へとつながりました。
【リーグ3連覇の功労者】ゴールデングラブ賞と背番号65に込めた思い
福田周平さんを語るうえで欠かせないのが、オリックスのリーグ3連覇と、2022年のゴールデングラブ賞です。
2021~2023年のリーグ3連覇に貢献オリックスは2021年から2023年まで、パ・リーグで3年連続優勝を達成しました。2021年は25年ぶり、2022年は2年連続、2023年は3連覇という歴史的な結果です。
福田さんは、この黄金期に主にリードオフマンとしてチームを支えた選手の一人でした。
特に2021年と2022年は、1番打者として出塁し、走塁で相手守備を揺さぶる役割を果たしました。長打力のある打者をそろえたオリックス打線において、福田さんのように攻撃の起点をつくる選手は欠かせない存在でした。
ただし、3連覇の3年間すべてで同じように活躍したわけではありません。2023年は36試合の出場にとどまっています。特に大きな貢献を残したのは、2021年と2022年だったと整理できます。
2022年に外野手部門のゴールデングラブ賞を初受賞福田さんは2022年度の三井ゴールデン・グラブ賞で、パ・リーグ外野手部門の受賞者に選ばれました。本人にとって初めての受賞です。
同賞は、守備のベストナインを選ぶ表彰であり、新聞社や通信社、テレビ局、ラジオ局のプロ野球担当記者による投票で選出されます。
2022年の福田さんは外野手として117試合に出場し、988回1/3イニングを守りました。守備機会は237回に上ります。
小柄な体格ながら、打球への反応や走力を生かした守備範囲の広さが評価された結果です。内野手としてプロ入りした福田さんが外野手としても高い評価を受けたことは、守備面での適応力を示す実績でした。
背番号4から1、そして65へ福田さんのキャリアを振り返る際には、背番号の変遷も象徴的です。
2018年の入団から2021年までは背番号4。2022年から2024年までは背番号1を背負っていました。そして2025年には背番号65へ変更しています。
背番号1は、2021年シーズン終了後に福良淳一GMへ自ら希望して譲り受けた番号でした。しかし、2023年、2024年と出場機会が減り、自身が目指す成績に届かなかったことから、2024年11月に返上を申し出ています。
本人は背番号1について、福良GMが現役時代に着用していた番号であり、それに見合う成績を残せていなかったことを返上の理由として説明しました。
2025年の背番号65は、現役最後のシーズンを象徴する番号となりました。引退発表時に背番号4、1、65のユニホームを並べたことからも、それぞれの時期が福田さんにとって大切な記憶だったことがうかがえます。
【引退後の第二の人生】すーへーふぁーむとAwaji Nature Lab&Resortでの活動
2026年の福田周平さんを特徴づけているのは、プロ野球選手時代とは異なる分野に、再び一から取り組んでいることです。
農業を通じてファンとの新しい接点をつくる「すーへーふぁーむ」は、福田さんが淡路島のAwaji Nature Lab&Resort内で始めた農業プロジェクトです。パソナ農援隊のサポートを受けながら、2026年春から農作業に取り組んでいます。
単に野菜を育てるだけではなく、ファンが実際に畑に入り、収穫や植え付けを体験できるイベントを開催している点が特徴です。
5月の新玉ねぎ収穫イベントでは、参加者が福田さんと同じ畑で作業し、収穫した野菜を使った企画やトークショーも楽しみました。8月には夏祭り形式のイベントを実施し、採れたての野菜を味わう機会も設けています。
プロ野球選手時代は、スタンドから応援するファンとグラウンド上の選手という関係でした。現在は畑で一緒に作業し、食や自然を共有する関係へと変化しています。
これは引退後の活動としても興味深い点です。野球選手として築いた知名度やファンとのつながりを、新しい地域活動に生かしているからです。
農業を選んだ背景にある屋外で働く喜び日刊スポーツの2026年6月のインタビューでは、福田さんは太陽の下で作業することへの好みを語っています。
「太陽の下でやる作業ってすごい僕好きなんですよ。」
野球も屋外で行うスポーツです。プロとして長年グラウンドに立ってきた福田さんにとって、自然の中で体を動かすことには、これまでの生活との共通点もあるのでしょう。
一方、農業は野球と異なり、天候や土壌、作物の生育状況に向き合う仕事です。技術を磨くだけでなく、自然の変化を受け入れながら継続する姿勢が大切です。
プロ野球で培った継続力や向上心が、新しい分野でどのように生かされるのかも注目点です。
【2026年10月最新】福田周平が宅建試験に挑戦!自己採点23点から再挑戦へ
2026年秋、福田さんの新たな挑戦として話題になったのが、宅地建物取引士、いわゆる宅建の資格試験です。
10月18日に宅建試験を受験2026年10月19日、福田さんは自身のInstagramを更新し、前日に宅地建物取引士資格試験を受験したことを報告しました。
日刊スポーツの報道によると、福田さんは試験問題と受験票の写真を公開し、スポーツ推薦で進学した自身にとって、初めての本格的な筆記試験だったと振り返っています。
試験会場では周囲の受験者の様子に緊張し、試験問題も過去問より難しく感じたとのことです。加えて、これまで過去問で点数が取れていたのは、問題の答えを覚えていただけで、内容を本質的に理解できていなかったと気づいたことも明かしました。
自己採点は23点、2027年の再挑戦を宣言福田さんが公表した自己採点の結果は23点でした。試験時間内に最後まで問題を解き切れなかったことも振り返っています。
投稿では、帰宅後に試験の難しさについて家族と話した際のやり取りも紹介されました。最後は「来年頑張ります」と、2027年の再挑戦に向けた意欲を示しています。
2026年度の宅建試験は10月18日に実施され、一般財団法人不動産適正取引推進機構の公式案内によると、合格発表は2026年11月25日午前9時30分の予定です。
そのため、11月2日現在、福田さんの合否はまだ確定していません。23点という自己採点は本人が公表した数字であり、正式な合格判定とは区別する必要があります。
野球ではプロとして長年結果を求められてきた福田さんが、今度は資格試験という新しい分野で学び直している姿は、引退後の挑戦を象徴する出来事です。
【プロの結論】福田周平の引退は終わりではなく、新しいキャリアの始まり
福田周平さんの2025年の引退と2026年の活動を振り返ると、注目すべきなのは、現役時代の実績だけではありません。戦力外通告を受けた後も現役続行を模索し、最終的に新しい分野へ進んだ決断の過程です。
戦力外通告と引退発表は同じ出来事ではないまず整理したいのは、2025年10月の戦力外通告と、12月の引退発表は別の出来事だという点です。
10月の時点では福田さんは現役続行を希望していました。つまり、球団から契約を結ばないと伝えられたことが、そのまま本人の引退意思を意味していたわけではありません。
他球団からの正式オファーが届かなかったことを受け、最終的にプロ野球選手としてのキャリアを終える判断に至っています。
通算成績以上に評価したいリードオフマンとしての役割通算5本塁打という数字だけを見ると、福田さんの打者としての特徴を十分に理解できません。
2019年の30盗塁、2021年の打率.275、2022年の120安打と初のゴールデングラブ賞は、異なる能力を高い水準で発揮していた証拠です。
特に1番打者は、単純な打率や本塁打数だけでなく、出塁して次の打者につなぐ能力、走者として相手守備を揺さぶる能力が大切です。福田さんは、その役割をオリックスのリーグ連覇期に担っていました。
2021~2023年の3連覇を振り返る際にも、中心打者や投手だけでなく、攻撃の起点となった選手の存在を忘れてはいけません。
第二の人生を評価する3つの視点2026年の活動を評価するなら、次の3点が重要です。
第一に、農業への継続的な取り組み。すーへーふぁーむは、淡路島で実際に農作業を行い、ファンとの交流イベントも展開する活動です。今後、作物の生産や地域との連携がどのように発展するかが注目されます。
第二に、野球解説者としての経験の還元。現役時代の経験を視聴者に伝える活動は、競技経験を次の世代や野球ファンに還元する役割を持ちます。今後の出演機会や活動範囲にも関心が集まります。
第三に、資格取得への挑戦。宅建試験は、スポーツとは異なる知識や学習方法が必要な資格試験です。2026年は自己採点23点という結果でしたが、本人は翌年の再挑戦を表明しています。
この3つに共通しているのは、福田さんが現役時代と同じように、新しい環境で一から経験を積み上げようとしていることです。引退によって過去の実績が消えるわけではありません。むしろ、プロとして培った経験をどのように新しい生活に結び付けるかが、これからの福田さんのキャリアを左右していくでしょう。
福田周平の現在に関するよくある質問(FAQ)
Q1:福田周平は現在もプロ野球選手として現役ですか?
A1:いいえ。2025年10月にオリックスから来季契約を結ばないと通告され、他球団からのオファーを待った後、同年12月29日に現役引退を発表しました。2026年現在は農業や野球解説などに取り組んでいます。
Q2:福田周平が引退した理由は何ですか?
A2:2025年10月にオリックスから戦力外通告を受けた後、当初は現役続行を希望していました。しかし、他球団から正式なオファーが届かず、最終的にプロ野球選手としてのキャリアに区切りをつけました。
Q3:福田周平の現在の仕事や活動は何ですか?
A3:2026年春から兵庫県淡路島のAwaji Nature Lab&Resort内で「すーへーふぁーむ」という農業プロジェクトを始めています。また、プロ野球中継の解説活動にも携わり、2026年10月には宅建試験にも挑戦しました。宅建については11月25日に正式な合格発表が予定されています。
まとめ:福田周平は淡路島から新しい人生を歩み始めた
福田周平さんは、2025年10月の戦力外通告を経て、同年12月29日に現役引退を発表しました。NPB通算677試合、580安打、90盗塁という記録を残し、2021年からのオリックスのリーグ3連覇や、2022年のゴールデングラブ賞受賞など、球団の歴史に残る実績を築きました。
2026年現在は淡路島の「すーへーふぁーむ」で農業に取り組みながら、野球解説者としても活動。さらに10月には宅建試験を受験し、2027年の再挑戦を表明しています。
背番号4、1、65を背負って戦ったプロ野球生活は終わりましたが、福田さんの挑戦は続いています。野球で培った向上心を農業や資格取得、新しい仕事にどう生かしていくのか。今後は、淡路島での農業活動の発展と、宅建試験への再挑戦、そして野球解説者としての活躍が注目されます。