2026年現在の木村和司氏は、自宅で療養しながらリハビリに取り組んでいます。2026年1月17日付の『Smart FLASH』では、妻の祐子さんへのインタビューを通じて、2025年の体調悪化から現在までの経緯が詳しく紹介されました。
その内容から分かるのは、木村氏が長期間の入院を経て自宅に戻り、身体機能や言語面の回復を目指しているということです。サッカーとの関わりも途絶えておらず、2026年1月には自身が主催する大人のサッカー教室に姿を見せています。
2025年の入院後、自宅でリハビリを継続祐子さんによると、木村氏は2025年に半年にも及ぶ入院生活を送りました。その後、自宅で療養しながらリハビリを続けています。
入院中には水頭症の手術も受けたといいます。また、言葉がうまく出なくなる、数分前に話したことを忘れる、文字を書けなくなるといった変化もあったと祐子さんが説明しています。
一方、サッカーに関する記憶は保たれていたとのこと。日本代表の試合結果を覚えていて、サッカーの話題には反応していたというエピソードも紹介されました。
車いす生活は現在も続いている?2025年12月のJリーグアウォーズでは車いすで登壇しました。右半身麻痺に加えて、2025年の体調悪化と長期入院があったことを考えると、移動に介助が必要な場面があることが分かります。
ただし、車いすで登壇したことだけで、日常生活のすべてを車いすで過ごしていると判断することはできません。2026年1月には大人のサッカー教室で教え子たちのプレーを追い続けていたことも報じられています。
つまり、現在の状況は「車いす姿で公の場に登場した」という事実と、「自宅療養を続けながらサッカーとの接点を保っている」という事実を分けて理解する必要があります。
なお、2026年11月時点で、歩行能力や右半身の麻痺の程度がどこまで改善したかを示す新たな医学的情報は公表されていません。
【2015年から2026年まで】木村和司の病状悪化と復帰への歩みを時系列で整理

木村和司氏の現在を理解するには、2015年の脳梗塞と2025年の体調悪化を別々の出来事として整理することが大切です。
2015年の発症後も、木村氏はリハビリによって歩行やボールを蹴る動作を取り戻していました。しかし、以前から抱えていた右足首の故障や、2025年のインフルエンザ感染後の急激な体調悪化が、その後の生活に影響しました。
木村和司の病状・活動の年表| 時期 | 出来事 | 状況・意味 |
|---|---|---|
| 1958年7月19日 | 広島県で誕生 | 後に日本代表の中心選手として活躍 |
| 1981年 | 日産自動車サッカー部に加入 | 国内トップレベルの選手として頭角を現す |
| 1986年 | 国内プロ選手として登録 | 日本サッカーのプロ化を象徴する存在に |
| 2010年 | 横浜F・マリノス監督に就任 | 古巣の指揮を執る |
| 2011年 | 監督を退任 | 以降、サッカー教室などに取り組む |
| 2015年1月 | ラクナ梗塞を発症 | 右半身麻痺が残る |
| 2017年 | テレビ番組で闘病を公表 | 脳梗塞や糖尿病、うつの経験が紹介される |
| 2020年 | 日本サッカー殿堂入り | 日本サッカー界への功績が評価される |
| 2025年1月28日 | インフルエンザ感染後に体調が急変 | 高熱や言語障害、けいれんが起きる |
| 2025年中 | 約半年間の入院 | 水頭症の手術を受け、退院後もリハビリ |
| 2025年12月11日 | Jリーグアウォーズに出席 | 車いすで登壇しチェアマン特別賞を受賞 |
| 2026年1月11日 | 大人のサッカー教室に参加 | 教え子たちのプレーを見守る姿が報じられる |
| 2026年1月17日 | 妻の祐子さんのインタビュー掲載 | 自宅療養とリハビリの近況が伝えられる |
この年表で特に注目したいのは、2015年の脳梗塞後に一度は歩行やサッカー動作を取り戻していた点です。2025年の体調悪化は、2015年から続く右半身麻痺だけでは説明できない、新たな療養上の転機でした。
上記の経緯は、日本サッカー協会の殿堂資料、2017年の報道、2025年12月のスポーツ報道、2026年1月の『Smart FLASH』の妻への取材などに基づいています。
【2025年の体調悪化】木村和司はなぜ再び歩行や会話が難しくなったのか
2025年の体調悪化について、詳しい経緯を明かしたのが妻の祐子さんです。2026年1月のインタビューでは、2025年1月28日に広島県人会へ出席した後、インフルエンザに感染したことが明らかになりました。
インフルエンザ感染から高熱、けいれんへ祐子さんの説明によると、木村氏は広島県人会への出席から3日後に高熱を出しました。当初は病院へ行くことを嫌がっていたものの、次第に発熱が強くなり、言葉も出にくくなっていったそうです。
異変に気づいた娘の真紀さんが救急車を呼び、木村氏は病院に搬送されました。初診ではインフルエンザと診断されましたが、会話が難しい状態だったため、経過観察のために入院しました。
ところが翌朝、激しいけいれんを起こしたとの連絡が家族に入ります。医師から厳しい見通しを伝えられたものの、治療によって約1週間ほどで回復に向かい始めたと祐子さんは振り返っています。
言語や記憶、書字にも影響が残る体調が回復に向かった後も、以前の状態にすぐ戻ったわけではありませんでした。
祐子さんが語った主な変化は次のとおりです。
- 言いたいことをうまく言葉にできなくなった。
- 数分前に話した内容を覚えていないことがあった。
- 文字を書くことが難しくなった。
- サッカーに関する記憶は比較的保たれていた。
入院中には水頭症の手術も行われました。約半年間の入院を経て、木村氏は自宅療養とリハビリを続ける生活に移っています。
ここで注意したいのは、2025年の悪化を単純に「脳梗塞の再発」と説明しないことです。妻の証言で伝えられたのは、インフルエンザ感染後の高熱、言語障害、けいれん、水頭症の手術という経緯です。新たな脳梗塞が発症したという発表ではありません。
【家族の支え】妻・祐子と娘・真紀が木村和司のリハビリを支援
木村氏の療養生活を支えているのが、妻の祐子さんと娘たちです。特に、2025年の急変時には娘の真紀さんが異変を察知し、救急車を呼んだことが回復への重要な対応につながりました。
妻・祐子さんが語った介護と自宅療養祐子さんは2026年1月の『Smart FLASH』の取材で、木村氏の介護について率直に語っています。
入院後の生活では、排せつの介助など、これまで経験のなかった介護にも向き合うことになりました。最初はうまくできず、つらさを感じたこともあったといいます。
それでも、状況を受け入れて前に進むことを選び、現在も二人三脚で生活を続けていると話しています。
「だから、これからも二人三脚でやっていきます」
祐子さんの証言から伝わるのは、長年にわたる病気との付き合いが、家族にとっても大きな生活の変化だったということです。
娘・真紀さんは鍼灸師としても父をサポート娘の真紀さんについては、2017年のTBS系『爆報!THEフライデー』に関連する報道で、鍼灸師の資格を持ち、父親の治療やサポートに関わっていることが紹介されました。
そして2025年12月12日、真紀さんはJリーグアウォーズに登壇した父親について、SNSで近況を伝えています。
「今年始めに父は体調を崩し、話すのも歩くのもままならない状態でした」
加えて、Jリーグアウォーズへの登壇が決まってから、木村氏が懸命にリハビリに取り組んでいたことも明かしました。
真紀さんは、父親がラモス瑠偉氏やセルジオ越後氏と一緒に登壇できたことを喜び、「やはり生涯サッカー小僧です」と父親への思いを表現しています。
この投稿は、2025年初めの厳しい状態と、同年12月の公の場への復帰を家族の視点から伝える重要な情報となりました。
【サッカーとの再接続】2026年の大人のサッカー教室で見せた姿
木村和司氏の近況で見逃せないのが、2026年1月11日に行われた大人のサッカー教室です。
2026年1月17日付の『Smart FLASH』によると、妻の祐子さんへのインタビューは、木村氏が主催する大人のサッカー教室で行われました。
記事では、木村氏が教え子たちのプレーを約3時間にわたって追い続けていた様子が紹介されています。
現役時代と変わらないサッカーへの関心取材記者が現在の日本代表について尋ねると、木村氏は日本代表の強さを認めたうえで、かつての自分のような10番タイプの選手についても話したといいます。
身体的な制約が残るなかでも、サッカーを見つめ、選手たちの動きを追い、競技について自分の考えを伝える姿があったのです。
2011年に横浜F・マリノスの監督を退任した後、木村氏は子どもから大人までを対象にしたサッカー教室に力を注いできました。マリーニョ氏、金田喜稔氏、山田隆裕氏、岩本輝雄氏ら、かつての仲間たちも教室やイベントを支えていたと祐子さんは語っています。
この活動は、単なるイベント出演とは意味が異なります。選手としてボールを蹴ることが難しくなっても、サッカーを教え、見守り、次の世代に伝えるという関わり方が続いているからです。
もちろん、教室での姿だけで身体機能がどこまで回復したかを判断することはできません。しかし、2025年の長期入院後もサッカーとの接点を保っていることは、2026年の近況を理解するうえで大きなポイントです。
【サッカー界の功績】Jリーグアウォーズと日本サッカー殿堂入り
木村和司氏が2025年のJリーグアウォーズで受賞したチェアマン特別賞は、長年にわたって日本サッカーを支えてきた功労者としての評価を示すものです。
2025年12月11日、車いすでJリーグアウォーズに登壇2025 Jリーグアウォーズ・横浜アリーナ
木村氏は2025年12月11日、ラモス瑠偉氏、セルジオ越後氏とともにチェアマン特別賞を受賞しました。
当日は車いすで登壇。セルジオ氏が先に進み、ラモス氏が木村氏の車いすを押してステージ中央へ向かいました。
木村氏は受賞のあいさつで「こんばんは。ありがとう」と短くコメント。するとラモス氏がマイクを持ち、木村氏との思い出を語りました。
ラモス氏が振り返ったのは、1993年のJリーグ開幕戦です。ヴェルディ川崎と横浜マリノスが対戦し、ラモス氏は勝利を目指していたものの、試合には敗れました。
そのとき、木村氏が「結果だけではない」という趣旨の言葉をかけ、6万人の観客の前でプレーできた喜びを伝えたといいます。ラモス氏は、その言葉に救われたと振り返りました。
かつてピッチで競い合った2人が、約32年後に同じ舞台で再会したことは、表彰式の印象的な場面となりました。
2020年には日本サッカー殿堂入り1958年7月19日生まれ・広島県出身
2020年・第17回日本サッカー殿堂入り
日本サッカー協会の公式プロフィールによると、木村氏は1981年に日産自動車サッカー部へ加入。攻撃的MFとして活躍し、正確な右足のキックやフリーキックで知られるようになりました。
1986年には奥寺康彦氏とともに初の国内プロ選手として登録され、日本サッカーのプロ化を象徴する存在になります。
日本代表では国際Aマッチ54試合出場・26得点を記録。1986年メキシコ・ワールドカップのアジア最終予選で韓国から決めたゴールは、現在も語り継がれています。
そして2020年、第17回日本サッカー殿堂に投票選考で選ばれました。これは、選手としての実績だけでなく、日本サッカーの発展に対する長年の貢献が評価されたものです。
横浜F・マリノス監督としての実績現役引退後も、木村氏は指導者としてサッカー界に関わりました。
2001年にはフットサル日本代表監督に就任。2010年には古巣の横浜F・マリノスの監督を務め、2011年シーズンまでチームを率いました。
Jリーグの公式データでは、監督としてのJ1成績は2010年が8位、2011年が5位です。
その後はサッカー解説やサッカー教室など、競技を伝える活動にも関わってきました。現在の木村氏を語る際には、選手時代の輝かしい記録だけでなく、監督や指導者としてサッカー界に残した功績も欠かせません。
【プロの結論】木村和司の現在を理解する3つのポイント
木村和司氏の近況を追うと、単に「脳梗塞で倒れた元選手」という説明では捉えきれない姿が見えてきます。
1. 2015年の脳梗塞と2025年の体調悪化は別の転機2015年のラクナ梗塞によって右半身麻痺が残ったものの、その後は歩行やボールを蹴る動作を取り戻していました。
一方、2025年にはインフルエンザ感染後の高熱やけいれん、言語・記憶面の変化があり、半年間の入院を経験しています。この2つの出来事を混同しないことが、病状を正しく理解する第一歩です。
2. 車いすでの登壇とサッカー教室での活動は両立する2025年12月の表彰式では車いすを使用しました。しかし、2026年1月には大人のサッカー教室で教え子たちのプレーを見守っています。
これは、身体機能の回復と社会活動への参加を同じ基準で評価できないことを示しています。車いすでの登壇があったからといって、サッカーとの関わりが失われたわけではありません。
3. 家族の支えとサッカーへの情熱が現在の生活を支えている妻の祐子さんは自宅療養を支え、娘の真紀さんは体調急変時の対応やリハビリのサポートに関わってきました。
また、サッカー教室での活動やJリーグアウォーズへの出席は、木村氏にとって競技とのつながりを保つ機会にもなっています。
選手としての復帰だけを目標にするのではなく、サッカーに関わり続けることそのものが、現在の木村氏の活動を理解する重要な視点です。
【木村和司の現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:木村和司は2026年現在、まだ生きていますか?
A1:はい。2026年1月の『Smart FLASH』では、妻の祐子さんへのインタビューが掲載され、自宅療養とリハビリの様子が報じられています。同月11日には大人のサッカー教室で活動する姿も紹介されました。
Q2:木村和司は現在も車いす生活ですか?
A2:2025年12月のJリーグアウォーズでは車いすで登壇しました。2026年1月にはサッカー教室で教え子たちのプレーを見守っていましたが、日常的な歩行能力や車いすの使用頻度について、詳しい最新情報は公表されていません。
Q3:木村和司の2025年の体調悪化は脳梗塞の再発ですか?
A3:2026年1月の妻の証言では、インフルエンザ感染後の高熱や言語障害、けいれんが経緯として説明されています。水頭症の手術も受けていますが、新たな脳梗塞の再発が公表されたわけではありません。
まとめ:木村和司は2026年もサッカーとともに歩んでいる
木村和司氏は、2015年のラクナ梗塞による右半身麻痺を経験し、その後も懸命にリハビリを続けてきました。さらに2025年にはインフルエンザ感染後に体調が急変し、約半年間の入院を余儀なくされました。
しかし、2025年12月のJリーグアウォーズでは車いすで登壇し、盟友のラモス瑠偉氏やセルジオ越後氏とともにチェアマン特別賞を受賞。2026年1月には大人のサッカー教室で教え子たちのプレーを見守る姿も伝えられています。
2026年11月現在、具体的な医学的回復状況については新しい公表情報が限られています。それでも、妻の祐子さんや娘の真紀さんに支えられながら療養を続け、サッカーとのつながりを保っていることは、これまでの報道から確認できます。
日本代表54試合26得点、横浜F・マリノスの監督、そして日本サッカー殿堂入り。数々の功績を残した木村和司氏にとって、サッカーは選手時代だけのものではありません。身体の状態が変わっても、競技を見つめ、語り、次の世代へ伝えていく。その姿こそが、2026年の木村和司氏を象徴しています。
主な参考資料:日本サッカー協会「日本サッカー殿堂・木村和司」/Jリーグ「2025 Jリーグアウォーズ受賞者一覧」/日刊スポーツ(2025年12月11日)/デイリースポーツ(2025年12月12日)/Smart FLASH(2026年1月17日)/デイリースポーツ(2017年10月13日)