事件が起きたのは、2017年12月7日の午後8時半ごろです。
東京都江東区富岡にある富岡八幡宮の敷地内とその周辺で、神社関係者の男女4人が襲われました。
亡くなったのは、当時の宮司・富岡長子、弟の富岡茂永、茂永の妻・真里子の3人です。長子の専属運転手だった男性は重傷を負いました。
事件の経過を整理すると、次のようになります。
姉の富岡長子が襲撃される長子は仕事を終えて帰宅した際、待ち伏せしていた弟の茂永とその妻による襲撃を受けました。
長子は搬送先で死亡が確認され、運転手も襲撃によって重傷を負いました。
事件当時の共同通信や日刊スポーツの報道では、姉弟の間には宮司の地位をめぐる長年の対立があり、過去にも脅迫などのトラブルが発生していたことが伝えられています。
茂永は妻を殺害した後、自殺襲撃後、茂永は妻の真里子を殺害し、その後、自らも命を絶ちました。
結果として、事件に関係した4人のうち3人が死亡し、1人が重傷を負うという極めて深刻な事件になりました。
これは、無関係な通行人を狙った一般的な通り魔事件とは異なります。神社の後継者問題をめぐる親族間の対立が、重大な殺傷事件に発展したものでした。
事件直後に注目された約2,800通の文書事件後、茂永の名前で書かれた文書が神社関係者や報道機関、警察関係者などに送られていたことが明らかになりました。
宗教情報センターの研究資料や事件当時の報道によると、その数は約2,800通に上ったとされています。
文書には、長子を宮司の地位から退かせることや、自分の息子を後継者にすることなどが要求として記されていました。
この文書は、茂永が宮司の継承問題に強いこだわりを持っていたことを示す重要な資料です。
ただし、文書に記された家族への非難や主張は、あくまで茂永側の言い分です。それ自体を客観的に確定した家族関係の事実として扱うことはできません。
【事件の理由と背景】富岡茂永と富岡長子の対立はなぜ深まったのか

富岡八幡宮事件を理解するには、2017年の出来事だけでなく、1990年代から続いていた宮司の交代を振り返る必要があります。
1995年、富岡茂永が第20代宮司に就任富岡八幡宮では、長年にわたって富岡家が宮司職を引き継いできました。
1994年10月、当時の宮司だった富岡興永が体調を崩して退任します。
その後、1995年3月に長男の富岡茂永が第20代宮司に就任しました。
当時の茂永は、父親から神社の運営を引き継ぐ立場にありました。
しかし、宮司としての在任期間は長く続きませんでした。
2001年、茂永が宮司を退任2001年5月、茂永は宮司を退任し、父の興永が再び宮司に復帰しました。
退任について、日刊スポーツの当時の報道では「一身上の都合」とされた一方、ほかの報道では金銭面や女性関係などの問題が背景にあったと伝えられています。
この時点で、宮司の地位をめぐる姉弟間の対立が解消されたわけではありませんでした。
2002年から2006年にかけて脅迫問題が表面化2002年1月、長子は宮司の地位をめぐる親族間のトラブルについて警視庁深川署に相談していました。
さらに2006年1月には、茂永が長子に対して脅迫的な内容のはがきを送ったとして、脅迫容疑で逮捕されています。
当時の報道では、はがきには長子を脅す言葉が記されていたと伝えられました。
つまり、2017年12月の事件は突然発生したものではありません。
少なくとも2000年代初頭には、宮司の地位をめぐる対立が警察への相談や逮捕にまで発展していたのです。
富岡茂永の動機は何だったのか事件の背景を考えるうえで、重要なのが宮司職の継承に関する問題です。
事件後に明らかになった文書には、長子の退任と茂永の息子への宮司職継承を求める内容がありました。
この点から、茂永が宮司職をめぐる問題に強い不満を抱いていたことがうかがえます。
ただし、事件の動機を金銭問題だけで説明するのは適切ではありません。
背景には、次のような複数の問題が重なっていました。
- 富岡家による長年の宮司職継承
- 2001年の茂永の退任
- 姉弟間で続いていた対立
- 長子の宮司就任をめぐる神社本庁との意見の相違
- 茂永が息子への継承を求めていたこと
特に重要なのは、富岡家の親族間の問題と、神社という宗教法人の代表者を誰にするかという組織運営上の問題が、切り離せない状態になっていたことです。
【宮司交代の経緯】富岡長子が宮司に就任するまでの複雑な事情
富岡八幡宮事件の背景を理解するうえで、神社本庁との関係は欠かせません。
2010年、富岡興永が宮司を退任2010年10月、興永が体調などの事情から宮司を退任しました。
このとき、後継者として宮司就任を求められたのが長女の富岡長子でした。
長子は神社の運営を担っていましたが、神社本庁に所属する神社では、宮司の任命に神社本庁の承認が関係していました。
富岡八幡宮側は、長子を正式な宮司に任命するよう神社本庁に申し入れました。
長子の宮司就任が認められなかった理由宗教情報センターの2017年の宗教関係資料によると、富岡八幡宮は2010年以降、長子の宮司就任を求める要望を複数回提出していました。
2017年3月までに、責任役員会は計4回にわたって要望書を提出したとされています。
一方、神社本庁側は富岡家の親族間の問題などを背景に、長子の任命を認めませんでした。
日刊スポーツが報じた神社本庁側の説明では、親族間の諸問題や裁判が係争中であることなどを踏まえ、研修の受講を求めていたとされています。
ここには、神社側と神社本庁側の考え方の違いがありました。
- 富岡八幡宮側:長子が実質的に神社を運営しており、宮司としてふさわしい。
- 神社本庁側:親族間の問題などがあるため、宮司任命には慎重な対応が必要。
長子の宮司就任をめぐる問題は、最終的に神社本庁からの離脱という大きな決断につながりました。
2017年5月、富岡八幡宮の責任役員会は神社本庁から離脱する方針を決議します。
その後、東京都への規則変更の申請などを経て、2017年9月28日に神社本庁から正式に離脱しました。
これによって富岡八幡宮は、神社本庁に包括されない単立の宗教法人となりました。
そして長子が正式な宮司に就任します。
この一連の出来事は、事件の直前に起きた重要な転換点でした。
宗教情報センターの研究員レポートも、神社本庁からの離脱と長子の宮司就任が事件の背景を理解する重要な要素であると整理しています。
ただし、神社本庁からの離脱そのものが事件を引き起こしたと断定することはできません。長年の親族間の対立と組織上の問題が重なっていたことが重要です。
【人物・関係図】富岡八幡宮の歴代宮司と事件関係者を整理
事件をめぐる人物関係は、富岡家の親族関係と神社の役職を組み合わせて見ると理解しやすくなります。
| 人物・組織 | 富岡家・神社との関係 | 宮司職をめぐる位置づけ |
|---|---|---|
| 富岡宣永 | 富岡家の宮司 | 第17代宮司 |
| 富岡盛彦 | 富岡宣永の後を継いだ宮司 | 第18代宮司 |
| 富岡興永 | 茂永・長子の父 | 第19代宮司。茂永の退任後に復帰 |
| 富岡茂永 | 興永の長男、長子の弟 | 第20代宮司。2001年に退任 |
| 富岡長子 | 興永の長女、茂永の姉 | 第21代宮司。2017年に死亡 |
| 丸山聡一 | 事件当時の権宮司 | 事件後に宮司代務者となり、後に正式就任 |
| 神社本庁 | 神社を包括する宗教団体 | 離脱前の宮司任命に関与 |
※歴代宮司の代数は、富岡八幡宮における継承の経緯に基づいています。興永は茂永の退任後に宮司へ復帰しているため、同じ第19代として記載しています。
富岡八幡宮の宮司交代で重要な3人富岡興永
富岡家の宮司継承において重要な人物です。
1974年に第19代宮司となり、1994年に退任。その後、茂永の退任を受けて再び宮司に復帰しました。
2010年の退任が、次の宮司をめぐる問題の出発点になりました。
富岡茂永
1995年に第20代宮司に就任しましたが、2001年に退任しました。
長子との間には宮司職をめぐる対立があり、2006年には脅迫容疑で逮捕されています。
2017年12月7日の事件を起こした人物です。
富岡長子
興永の長女で、茂永の姉です。
父の退任後は神社の運営を担い、宮司代務者を経て、2017年に正式な宮司となりました。
しかし、正式就任から間もない同年12月7日に事件に巻き込まれ、亡くなりました。
【事件後の現在】丸山聡一の宮司代務者選任と富岡八幡宮の変化
事件後、富岡八幡宮は神社運営の立て直しを迫られました。
2017年12月9日、丸山聡一が宮司代務者に選任事件から2日後の12月9日、富岡八幡宮は緊急の責任役員会議を開催しました。
そこで選ばれたのが、当時、権宮司を務めていた丸山聡一です。
丸山は宮司代務者となり、長子が担っていた神社の代表者としての職務を引き継ぐことになりました。
宮司代務者とは、宮司が不在となった際に、その職務を代行する立場です。
この選任によって、富岡八幡宮は事件直後の混乱のなかでも、神社としての運営や祭祀を継続する体制を整えました。
2018年、丸山聡一が正式な宮司に就任その後、丸山は宮司代務者から正式な宮司となりました。
これにより、富岡家によって続いてきた宮司職の継承は大きく転換します。
事件後の富岡八幡宮では、富岡家の親族関係と神社の運営を分けて考え、神社としての継続性を確保することが課題になりました。
2018年1月24日には、殺害された長子の神社葬が富岡八幡宮近くの富岡斎場で営まれ、神職や氏子ら約300人が参列しました。
日刊スポーツの報道によると、これを一つの区切りとして、神社としての対応が進められました。
事件の捜査と不起訴処分事件については、茂永と妻が死亡した状態で捜査が進められました。
警視庁は殺人や殺人未遂などの容疑で捜査し、両名は容疑者死亡のまま書類送検されました。
その後、2018年9月28日、東京地方検察庁は茂永と妻を不起訴処分としました。
宗教情報センターの事件記録にも、この処分が掲載されています。
ここで注意したいのは、不起訴は裁判で無罪判決が出たこととは異なるという点です。
両名が死亡していたため、通常の刑事裁判によって動機や責任を審理することにはなりませんでした。
そのため、事件の背景にある親族間の問題について、すべてが裁判で確定したわけではありません。
2026年現在の富岡八幡宮はどうなっている?2026年現在、富岡八幡宮は丸山聡一宮司のもとで神社運営を続けています。
2026年の深川八幡祭り特設サイトにも、丸山が富岡八幡宮の宮司として登場しています。
同サイトでは、2026年の例大祭の日程や神輿連合渡御などの行事が紹介されています。
富岡八幡宮は、1627年に創建されたと伝えられる歴史ある神社です。
また、次のような文化的な役割を持っています。
- 江戸三大祭りの一つに数えられる深川八幡祭りの中心地
- 江戸勧進相撲発祥の地
- 横綱力士碑など、大相撲に関係する石碑が残る場所
- 深川地域の氏神として親しまれてきた神社
特に注目されるのが、2027年に迎える御鎮座400年です。
2026年の深川八幡祭り特設サイトに掲載された丸山宮司のインタビューでは、400年の節目に向けて例大祭を充実させる考えが紹介されています。
また、本殿の大規模改修など、次の時代に向けた整備も進められています。
事件から年月が経過した現在、富岡八幡宮は歴史ある地域の神社として、祭礼や神事を続けています。
【プロの結論】富岡八幡宮事件から読み取るべき本質とは
富岡八幡宮事件は、単に姉弟が宮司の地位をめぐって争った事件として理解するだけでは不十分です。
本質的には、次の3つの問題が重なった出来事でした。
1. 家族による継承と組織運営の問題
富岡八幡宮では、長年にわたって富岡家が宮司を継承してきました。
しかし、親族であることと、組織を代表する能力や適格性は別の問題です。
宮司職の継承を家族内の問題だけで決めようとすると、神社を支える氏子や責任役員との意思疎通が難しくなる可能性があります。
2. 神社本庁と個別神社の関係
事件前には、宮司の任命をめぐって富岡八幡宮と神社本庁の間で意見の相違が続いていました。
この問題は、個別の神社がどのように代表者を選び、宗教法人として自律的に運営していくかという制度上の問題も含んでいます。
3. 対立の長期化と深刻化
2002年の警察への相談、2006年の脅迫容疑での逮捕、2017年の重大事件という経過を見ると、対立が長期間にわたって続いていたことが分かります。
組織の後継者問題と個人的な感情が絡み合うと、関係者間の対話や意思決定が難しくなる場合があります。
富岡八幡宮事件は、宗教法人に限らず、家族経営の組織や長い歴史を持つ団体にとっても、後継者選びと組織統治のあり方を考えるうえで重い教訓を残しました。
【富岡八幡宮事件】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:富岡八幡宮事件はいつ起きましたか?
2017年12月7日午後8時半ごろです。東京都江東区の富岡八幡宮の敷地内とその周辺で、当時の宮司・富岡長子ら4人が襲われ、3人が死亡、運転手の男性1人が重傷を負いました。
Q2:富岡八幡宮事件の犯人は誰ですか?
長子の弟で、元第20代宮司の富岡茂永です。茂永の妻も事件に関与し、運転手を襲いました。茂永は妻を殺害した後、自殺しています。
Q3:富岡茂永はなぜ姉の富岡長子を襲ったのですか?
宮司職をめぐる長年の対立が大きな背景にあったとされています。事件後に発見された文書では、長子の退任と茂永の息子への継承が要求されていました。ただし、刑事裁判で動機の全容が審理されたわけではありません。
Q4:富岡八幡宮の第20代宮司は誰ですか?
富岡茂永です。1995年3月に第20代宮司に就任し、2001年5月に退任しました。その後は父の富岡興永が宮司に復帰しています。
Q5:事件後の宮司代務者は誰になりましたか?
事件当時、権宮司だった丸山聡一です。2017年12月9日の責任役員会議で宮司代務者に選任され、その後、正式な宮司に就任しました。
Q6:2026年現在、富岡八幡宮の宮司は誰ですか?
丸山聡一です。2026年の深川八幡祭り関連情報でも、富岡八幡宮の宮司として紹介されています。
Q7:富岡八幡宮事件の捜査はどうなりましたか?
茂永と妻は容疑者死亡のまま書類送検され、2018年9月28日に東京地方検察庁が不起訴処分としました。両名が死亡していたため、刑事裁判は行われていません。
まとめ:富岡八幡宮事件の真相と事件後の現在
富岡八幡宮事件は、2017年12月7日に発生した、富岡家の親族間の対立と宮司職の継承問題を背景とする重大な殺傷事件です。
第20代宮司だった富岡茂永の退任後、姉の富岡長子が宮司に就任するまでには、神社本庁との長期的な調整や離脱という大きな転換がありました。その過程で姉弟間の対立も深まり、最終的に取り返しのつかない悲劇が起きました。
事件後は丸山聡一が宮司代務者となり、正式な宮司に就任。2026年現在も、深川八幡祭りなどの伝統行事や神社運営が続いています。
2027年には御鎮座400年という大きな節目を迎えます。富岡八幡宮事件を振り返る際には、亡くなった人々への哀悼を忘れず、親族間の対立、宗教法人の組織運営、後継者問題という複数の側面から事件を捉えることが大切です。
事件の記憶と神社の歴史を混同せず、深川の文化や地域の信仰が今後どのように受け継がれていくのかを見守ることが、事件後の富岡八幡宮を理解するうえで重要です。