『やっとこ探偵』で新人賞を受賞した志茂田さんは、その後、作家として本格的に活動するようになります。
そして1980年、ついに大きな転機を迎えました。
小説『黄色い牙』で第83回直木賞を受賞したのです。受賞時の年齢は40歳4か月でした。
黄色い牙の舞台は秋田のマタギ社会『黄色い牙』は、秋田県の山間部を舞台に、マタギと呼ばれる伝統的な狩猟を生業とする人々の生活や価値観を描いた長編小説です。
大正から昭和初期の時代を背景に、狩猟の掟、共同体の人間関係、近代化によって変化していく暮らしなどが物語の重要な要素になっています。
志茂田さんがこの作品を書くうえで生かしたのが、保険調査員時代の経験でした。
2025年8月更新のFREENANCE MAGのインタビューでは、仕事で秋田の集落を訪れた際、そこで暮らす人々がマタギであることを知ったエピソードが紹介されています。
調査のために現地を訪れた志茂田さんは、住民から話を聞くうちに興味を持ち、最終バスが来るまで話を聞き続けたそうです。
このときの出会いが、後に『黄色い牙』を書く際のモチーフになりました。
主人公のモデルには父親の姿もあった『黄色い牙』には、もう一つ印象的な背景があります。
スターダイバーのインタビューで志茂田さんは、主人公の人物像について、父親を意識して描いたと明かしています。
父親は国鉄の職員で、子どもの頃には北海道のトンネル工事現場へ長期出張することもあったそうです。
人の面倒をよく見る一方、融通は利かなくても芯の通った優しい人物だったと振り返っています。
直木賞の受賞が発表された翌朝、父親は体が衰弱していたにもかかわらず、新聞を取りに自宅のポストまで歩いていったと、後に母親から聞かされたそうです。
このエピソードからは、作品の背景にある家族への思いや、実際に出会った人々の姿が見えてきます。
志茂田景樹の若い頃の仕事は無駄ではなかった『黄色い牙』の誕生を考えると、若い頃の転職歴と作家としての成功は切り離せません。
保険調査員として各地を訪れ、さまざまな人の人生に触れた経験が、物語のリアリティーにつながりました。
加えて、探偵などの職業を経験したことは、『やっとこ探偵』にも生かされています。
つまり、20種類以上の仕事を経験したことは、志茂田さんにとって創作の材料を蓄える時間でもあったのです。
【2026年最新】志茂田景樹の現在は?86歳でも執筆と情報発信を継続

若い頃に20種類以上の職業を経験し、40歳で直木賞を受賞した志茂田景樹さん。
2026年11月現在は86歳です。
現在の活動を理解するうえでは、作家としての仕事だけでなく、健康状態や日々の情報発信にも注目する必要があります。
要介護5の生活を送りながら創作活動を続けるTBS NEWS DIGの2026年8月8日の独自取材によると、志茂田さんは関節リウマチなどの病気を抱え、要介護5の認定を受けています。
2017年に関節リウマチを発症し、2019年には転倒による腰椎圧迫骨折も経験しました。その後、車いすを使用する生活になり、2024年には要介護5に認定されています。
身体を自由に動かすことが難しくなった現在も、執筆活動とSNSへの投稿を続けています。
同じ取材では、ノートパソコンを使い、1日平均30分ほど執筆していることも紹介されました。
2026年10月も原稿の修正を報告2026年10月13日、TBS NEWS DIGは、志茂田さんが公式Xで身体の状態と執筆について発信したことを報道しました。
本人によると、手指や関節の変形と痛みがあり、スマートフォンの操作やパソコンでの入力にも制限があります。
パソコンの入力速度は1分間に約10文字。それでも創作活動を続けていると説明しています。
加えて、10月26日には原稿の修正がうまくいったことを公式Xで報告。翌27日には、その様子がTBS NEWS DIGでも取り上げられました。
86歳になった現在も、書くことを日々の喜びとしている姿が伝わってきます。
若い頃と現在を比較すると見えてくるもの2026年8月27日には、志茂田さん自身が20代後半の写真と現在の姿を公式Xで公開しました。
当時について、自分の将来はまるで読めなかったという趣旨の振り返りも投稿しています。
20代では仕事を転々とし、将来の職業が定まっていなかった人物が、40歳で直木賞を受賞し、86歳になっても創作を続けている。
この歩みは、若い頃の経歴だけで人物の将来を判断できないことを示す印象的な事例です。
【よくある質問】志茂田景樹の若い頃に関するFAQ
Q1:志茂田景樹は若い頃、どんな仕事をしていましたか?
A1:大学卒業後、弁護士事務所に勤務し、その後は営業・販売関係の仕事や洗車ブラシメーカー、興信所、保険調査会社などを経験しています。本人の回想では、短期間で辞めた仕事も含めると20種類以上の職種を経験しています。
Q2:志茂田景樹が25歳のときに働いていた会社はどこですか?
A2:本人の回想によると、洗車ブラシメーカーのP製作所です。貿易課に配属され、英文タイプで信用状の下書きを作成する仕事を担当していました。
Q3:志茂田景樹は何歳で保険調査員になりましたか?
A3:28歳です。1968年に保険調査員へ転職しました。地方出張が多く、移動中に小説や文芸雑誌を読む時間が、作家を目指すきっかけの一つになりました。
Q4:志茂田景樹の作家デビュー作品は何ですか?
A4:『やっとこ探偵』です。1976年、第27回小説現代新人賞を受賞し、作家としてデビューしました。
Q5:志茂田景樹が直木賞を受賞したのは何歳ですか?
A5:40歳4か月です。1980年に『黄色い牙』で第83回直木賞を受賞しました。
Q6:志茂田景樹は2026年現在も作家活動をしていますか?
A6:はい。2026年10月にも原稿の修正について公式Xで発信しており、身体に負担がある中でも執筆を続けています。現在は86歳で、要介護5の認定を受けています。
まとめ:志茂田景樹の若い頃は転職と挑戦の連続だった
志茂田景樹さんの若い頃を振り返ると、最初から作家として成功する道が用意されていたわけではありません。
静岡県で生まれ、中央大学法学部を卒業した後は、弁護士事務所や営業職、洗車ブラシメーカーなど、さまざまな職場を経験しました。
特に重要な転機となったのは、次の3つです。
- 25歳: 洗車ブラシメーカーのP製作所に転職し、貿易課の仕事を経験。
- 28歳・1968年: 保険調査員に転職。各地への出張と読書が作家志望につながる。
- 36歳・1976年: 『やっとこ探偵』で小説現代新人賞を受賞し、作家デビュー。
そして1980年、40歳で『黄色い牙』が第83回直木賞を受賞しました。
志茂田さんの経歴から読み取れるのは、転職や寄り道が必ずしも将来の可能性を狭めるわけではないということです。
保険調査員として出会った人々、仕事で訪れた秋田の集落、移動中に読み続けた小説。それぞれの経験が、後の作品を生み出す土台になりました。
【プロの結論】
志茂田景樹さんの若い頃を理解するうえで、最も注目すべきなのは、20種類以上の職業を経験したという数字そのものではありません。
重要なのは、異なる仕事で得た知識や人間観察を、作家としての表現力に変えていったことです。
25歳での転職も、28歳での保険調査員への転身も、当時は直木賞につながるとは思えなかったはずです。しかし、その経験が『やっとこ探偵』や『黄色い牙』という作品に結びつきました。
2026年現在も86歳で創作を続ける志茂田さんの歩みは、人生の遠回りにも新しい可能性があることを伝えています。