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命婦のおとどの正体とは?一条天皇の愛猫と五位の位階、翁丸騒動を徹底解説

小野寺 拓海 小野寺 拓海 • 更新: • 公開: • 読了約 24 分
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「命婦のおとど(みょうぶのおとど)」は、平安時代の第66代・一条天皇が深くかわいがった宮中の猫です。清少納言の随筆『枕草子』に登場し、猫でありながら五位の位を授けられ、専属の世話役まで付けられていたという、当時としても異例の待遇で知られています。

この猫の物語には、世話役の馬の命婦、猫に襲いかかった犬の翁丸、そして愛猫を守ろうとした一条天皇が登場します。翁丸が犬島への追放を命じられた騒動は、最後には意外な展開を迎えます。また、「命婦のおとど」と「命婦のおもと」という表記の違いにも、江戸時代の注釈書や2020年に発表された北海道大学関係の国文学研究が関係しています。

【正体を解説】命婦のおとどとは何者?読み方と名前の意味

命婦のおとど
命婦のおとどの読み方は「みょうぶのおとど」

命婦のおとどは、「みょうぶのおとど」と読みます。

『枕草子』の「上にさぶらふ御猫は」という章段に登場する猫で、天皇のそばに仕える特別な存在として描かれています。

名前を構成する言葉には、それぞれ身分や敬意に関係する意味があります。

  • 命婦(みょうぶ):本来は五位以上の女官や、五位以上の官人の妻などに関係する称号。
  • おとど:身分の高い人物などに用いられる敬称。

つまり、「命婦のおとど」は、現代の感覚でいえば、非常に格式の高い呼び方です。

猫にこのような呼称が付けられた背景には、一条天皇による特別な寵愛と、通常の宮廷社会の常識から外れるほどの待遇がありました。

命婦のおとどの正体は一条天皇の愛猫

命婦のおとどは、架空の動物や神話上の猫ではありません。『枕草子』に加え、藤原実資の日記『小右記』にも関係する、平安時代の宮廷で実際に飼育されていた猫です。

清少納言は、猫について次のように記しています。

「上にさぶらふ御猫は、かうぶりにて、命婦のおとどとて」

ここでいう「上」は天皇を指します。「上にさぶらふ御猫」とは、天皇のおそばに仕える猫という意味です。

さらに「かうぶりにて」は、冠を授けられた状態を表す言葉です。この部分は、猫が位階を得たことを示す表現として解釈されています。

命婦のおとどの毛色、品種、正確な生年月日などは、この章段からは分かりません。後述するように、当時の貴族社会では唐猫と呼ばれる大陸由来の猫や、その子孫が珍重されていましたが、命婦のおとど自身がどの系統だったかまでは特定できません。

名前の由来は猫の身分と特別な待遇にある

命婦のおとどという呼称は、猫の毛色や性格、身体的特徴に由来する名前ではありません。

「命婦」は位階や宮廷内の身分秩序に結び付いた言葉であり、「おとど」は敬称です。猫に対して人間の高貴な人物に用いるような呼び方をすること自体が、当時の宮廷における特別扱いを象徴しています。

なお、後藤康文氏の2020年の研究ノートでは、この呼称を単純な愛称として扱うのではなく、猫に対する過剰な待遇への皮肉を含む特殊な敬称として読む可能性も論じられています。

一条天皇にとっては愛情の対象であった一方、周囲の人々にとっては、必ずしも手放しで歓迎できる存在ではなかったのです。

【原文・現代語訳】『枕草子』上にさぶらふ御猫はの内容

清少納言が記録した原文

命婦のおとどが登場するのは、『枕草子』の「上にさぶらふ御猫は」という章段です。伝本や校訂本によって章段番号には違いがありますが、冒頭の言葉によって広く知られています。

物語の発端となる部分は、次のとおりです。

上にさぶらふ御猫は、かうぶりにて、命婦のおとどとて、いみじうをかしければ、かしづかせ給ふが、端に出でて臥したるに、乳母の馬の命婦、「あな、まさなや。入り給へ」と呼ぶに、日の差し入りたるに眠りてゐたるを、脅すとて、「翁丸いづら。命婦のおとど食へ」といふに、誠かとて、たれものは走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾のうちに入りぬ。

この短い場面には、猫の待遇、世話役の立場、犬との関係、宮中の生活空間が凝縮されています。

命婦のおとどの現代語訳

現代語に置き換えると、次のような内容になります。

天皇のおそばに仕える猫は、冠を授けられ、「命婦のおとど」と呼ばれていました。たいそうかわいらしい猫だったので、天皇は大切にかわいがっていらっしゃいました。

ある日、その猫が縁側に出て横になっていました。猫の世話役である馬の命婦が「まあ、お行儀が悪いこと。中にお入りなさい」と呼びかけましたが、猫は日の当たる場所で眠ったままです。

そこで馬の命婦は猫を驚かせようとして、「翁丸はどこにいるの。命婦のおとどに食いつきなさい」と言いました。

すると、翁丸はその言葉を本当だと思ったのか、猫に向かって走りかかりました。猫はひどく驚き、恐れて御簾の内側へ逃げ込んでしまいました。

注目したいのは、馬の命婦が本気で猫を襲わせようとしたのか、それとも猫を驚かせるための軽い冗談だったのかという点です。

原文には、馬の命婦が「おどすとて」とあり、猫を脅かす意図があったことが分かります。少なくとも、猫を驚かせるために犬の名前を出したことは明確です。

ところが、犬の翁丸は人間の言葉を本気にしたかのように猫へ飛びかかります。この行動が、宮中を巻き込む大騒動へと発展していきます。

この章段の主人公は猫だけではない

『枕草子』のこの場面は、猫のかわいらしさを描くだけの文章ではありません。

清少納言は、天皇に愛される猫と、命令に従って行動する犬を対比させています。猫は御簾の内側という安全な場所へ逃げ込みますが、犬は宮中の人間関係と命令に巻き込まれてしまいます。

章段の後半で物語の中心になるのは、むしろ翁丸です。猫の騒動をきっかけに、犬が受けた仕打ちと、その後に見せた反応が印象的に描かれています。

【五位の秘密】命婦のおとどが位階を授かった経緯と小右記の記録

猫なのに五位?平安時代の位階制度との関係

命婦のおとどの逸話で特に驚かされるのが、猫に位階が与えられたという点です。

『枕草子』の本文には「かうぶりにて」と記されています。この「かうぶり」を、官位を授けられたことを示す表現と捉え、五位に叙せられたと解釈するのが一般的です。

ただし、本文そのものに「五位」と数字が直接書かれているわけではありません。五位という具体的な理解は、古典の注釈や位階制度の研究を踏まえたものです。

五位は平安時代の貴族社会において重要な境界でした。五位以上は貴族としての待遇に関係する身分であり、単なる飾りの称号ではありません。

さらに「命婦」という言葉も、もともと五位以上の女性に関係する称号です。猫にこの呼称が与えられていることからも、通常の人間社会の身分秩序を猫に重ねた特別な扱いがうかがえます。

『小右記』に記録された999年の猫の出産祝い

命婦のおとどの待遇を考えるうえで重要なのが、藤原実資が記した日記『小右記』です。

長保元年(999年)9月19日の条には、内裏の猫が子を産み、女院や左大臣、右大臣らが産養という祝いの行事を行ったことが記録されています。

産養は、人間の子どもの誕生を祝い、出産後の節目に宴などを催す宮廷儀礼です。猫の出産に対しても、こうした人間の儀礼に準じた扱いが行われたことは、当時の人々にとっても珍しい出来事でした。

また、記録には猫の乳母として馬の命婦の名前が登場します。

藤原実資は、この待遇について批判的な記述を残しています。『小右記』には、動物に人を付けて世話をさせることは聞いたことがないという趣旨の言葉が記されており、当時の貴族社会にも猫への過剰な待遇を疑問視する声があったことが分かります。

この記録から見えてくるのは、一条天皇の猫好きが単なる個人的な趣味にとどまらず、宮廷儀礼や周囲の人々の仕事にも影響するほどの規模だったという事実です。

命婦のおとどをめぐる重要な出来事と関係者一覧

『枕草子』と『小右記』を照らし合わせると、猫を取り巻く人物や出来事の関係が整理できます。

人物・時期 役割・出来事 史料から分かること
一条天皇 命婦のおとどの飼い主 猫を深くかわいがり、特別な待遇を与えた。
命婦のおとど 天皇の愛猫 冠を授けられた猫として『枕草子』に登場する。
馬の命婦 猫の乳母・世話役 『枕草子』と『小右記』の両方に名前が見える。
翁丸 宮中の犬 猫に飛びかかったことで追放を命じられた。
藤原実資 公卿・日記作者 『小右記』に猫の出産と宮中での特別待遇を記録した。
清少納言 『枕草子』の作者 猫と犬をめぐる騒動を生き生きと描いた。
999年9月19日 猫の出産と産養 『小右記』に宮廷での祝いの記録がある。
1000年3月中旬ごろ 翁丸の騒動 後藤康文氏の研究ノートが、この時期の出来事と推定している。

特に重要なのは、『枕草子』が宮廷で起きた騒動を物語として伝える一方、『小右記』は猫の待遇に対する当時の貴族の反応を伝えていることです。

異なる立場から書かれた二つの史料を合わせることで、命婦のおとどが単なる文学上の創作ではなく、実際の宮廷生活に根差した存在だったことが理解できます。

【馬の命婦と翁丸】犬島への追放理由と涙の結末

馬の命婦はどんな人物?猫の乳母を務めた世話役

馬の命婦は、命婦のおとどの世話を担当していた女性です。

『枕草子』では「乳母の馬の命婦」と表現されています。ここでの乳母は、現代的な意味で実際に母乳を与える人物というより、猫の養育や身の回りの世話を任された担当者と理解するのが自然です。

『小右記』にも「猫乳母馬命婦」という記述があり、猫の世話役が宮廷の記録にも登場するほど特別な存在だったことが分かります。

馬の命婦という呼び名のうち、「馬」がどのような由来で付けられたのか、本人の詳しい経歴や素性については、これらの記録だけでは明らかになっていません。

翁丸が犬島への追放を命じられた理由

騒動の発端は、馬の命婦が猫を脅かそうとして翁丸にけしかけたことでした。

翁丸は命令を受けたかのように猫へ走りかかり、命婦のおとどは恐怖から御簾の内側へ逃げ込みます。

その場にいた一条天皇は、猫の様子を見て驚き、猫を自分の懐に入れました。そして、蔵人の忠隆やなりなからを呼び、翁丸を打ち懲らしめて犬島へ送るよう命じます。

加えて、猫の世話役だった馬の命婦にも叱責が及びました。天皇は乳母を替えようと考えるほど不信感を示しています。

つまり、翁丸が追放を命じられた直接の理由は、天皇が大切にしていた猫に飛びかかったことです。

ただし、翁丸自身が最初から猫を襲う意思を持っていたのかは分かりません。馬の命婦の言葉を受けて動いた犬が、結果的に厳しい処分を受けたという構図が、この逸話の皮肉なところです。

犬島とはどこ?本当に島へ追放されたのか

犬島については、現代の地図上にある特定の島と安易に結び付けるべきではありません。

『枕草子』には、天皇が翁丸を犬島へ送るよう命じたことが記されています。しかし、その島の正確な所在地や、当時どのような施設・場所として機能していたのかを、この章段だけから特定することはできません。

物語上の重要な点は、翁丸が追放を命じられた後、宮中へ戻ってくることです。

そのため、翁丸が犬島へ送られたまま二度と戻らなかったという理解は正しくありません。

追放された翁丸が戻り、涙を流した理由

この逸話で最も印象的なのは、猫に襲いかかった場面ではなく、その後の翁丸の姿です。

追放から三、四日ほどたった昼ごろ、宮中で犬の激しい鳴き声が聞こえてきます。人々が様子を見に行くと、翁丸が蔵人二人に打たれていました。

犬は追放された後に宮中へ戻ってきたため、再び処罰されていたのです。

その後、夕方になると、顔がひどく腫れた犬が宮中に現れます。人々は翁丸ではないかと疑いますが、犬は名前を呼ばれても反応しません。

右近という人物に確認させても、似ているけれど別の犬ではないかという判断になります。打ち殺して捨てたはずだという説明もあり、周囲の人々は本当に翁丸なのか分からなくなってしまいました。

ところが、翌朝、天皇が身支度をしているときに、犬の正体が明らかになる出来事が起こります。

天皇は、そばにいる犬を見ながら、前日に翁丸をひどく打ってしまったことを思い出し、死んでしまったのならかわいそうだ、どれほどつらい思いをしただろうと語りました。

すると、その犬は体を震わせ、涙を次々と流したのです。

「さば、翁丸にこそはありけれ」

現代語にすれば、「やはり、翁丸だったのだ」という意味です。

犬は天皇の言葉に反応し、自分が翁丸であることを示しました。名前を呼ばれても反応しなかった犬が、天皇のいたわりの言葉に涙を流したという展開です。

翁丸は最終的に許された

翁丸の正体が分かると、天皇をはじめ宮中の人々は驚き、笑い、そして犬を気の毒に思います。

その後、翁丸は処罰を許され、以前のような生活に戻りました。

清少納言は、翁丸が体を震わせながら涙を流した姿を、世にも珍しく、また心を動かされるものとして描いています。

章段の最後には、人間でさえ人に言われて泣くことがあるのに、犬までこのような心を持っているのだという趣旨の感想が添えられています。

この結末によって、物語の印象は大きく変わります。最初は天皇の愛猫をめぐる滑稽な騒動だったものが、最後には動物の感情や忠実さ、人間との結び付きについて考えさせる話になるのです。

【表記の違いを検証】命婦のおとどと命婦のおもとはどちらが正しい?

『枕草子』の基本的な本文は「命婦のおとど」

命婦のおとどを調べていると、「命婦のおもと」という別の表記を見かけることがあります。

これは単純な現代の誤植として片付けられる問題ではありません。『枕草子』の伝本や江戸時代の注釈書に関係する、古典本文の読み方の問題です。

2020年3月、北海道大学の学術成果コレクションで公開された後藤康文氏の研究ノート「『命婦のおとど』か『おもと』か―『枕草子』「上に候ふ御猫」の呼称をめぐって―」は、この問題を詳しく取り上げています。

同研究によれば、三巻本系統や能因本系統などの主要な伝本では「おとど」という形が確認されます。したがって、本文の基本的な表記としては「命婦のおとど」を採用する根拠があります。

「おもと」という異説はどこから生まれた?

一方、「おもと」という表記は、後世の注釈書に見られます。

研究ノートでは、江戸時代の加藤磐斎による『清少納言枕双紙抄』や、北村季吟の『枕草子春曙抄』などに、「おもと」という本文や傍記が確認できることが紹介されています。

また、「おもと」は女房などに対する敬称として使われた言葉でもあります。古典の注釈者が、猫の呼び名としてどちらが適切かを考えた背景には、当時の敬称の使い方が関係していました。

つまり、「おとど」と「おもと」の違いは、単なる読み仮名の違いではなく、猫に対する呼称の意味や、当時の宮廷社会における人間関係の解釈にもつながる問題なのです。

後藤康文氏の研究が示した興味深い解釈

この研究で特に興味深いのは、「おとど」という呼称に込められた皮肉の可能性です。

一般的に「おもと」は、女房に対する敬称として親近感を伴う使い方がありました。それに対し、研究ノートは「命婦のおとど」という呼び方を、猫の待遇に不満を抱く人々が、あえて距離を置くような敬称として使った可能性を論じています。

つまり、猫を心から敬っていたというより、あまりにも特別扱いされる猫に対して、周囲の人々が皮肉を込めて呼んでいたという解釈です。

この視点に立つと、藤原実資が『小右記』で示した批判的な態度ともつながります。

一条天皇にとっては愛猫でも、周囲の貴族にとっては、動物にまで人間の身分秩序を当てはめる異例の出来事でした。「命婦のおとど」という大仰な呼称そのものに、当時の宮廷社会の複雑な感情が表れている可能性があります。

したがって、2026年現在、古典本文に沿って紹介する場合は「命婦のおとど」を基本とし、「命婦のおもと」は後世の注釈書に見られる異説として理解するのが適切です。

【平安時代の猫事情】一条天皇が愛猫を特別扱いした背景

平安貴族にとって猫は珍しく貴重な存在だった

命婦のおとどの逸話を理解するには、平安時代の猫の飼育事情を知る必要があります。

当時の貴族社会では、猫は現在のように誰もが気軽に飼育できる動物ではありませんでした。大陸から渡来した唐猫と呼ばれる猫や、その子孫が珍重され、貴族の生活空間で愛玩動物として飼われていました。

宇多天皇の日記『寛平御記』にも、猫に関する記録があります。寛平元年(889年)2月6日の記述では、愛猫の来歴や毛色、行動などが詳しく記されています。

また、猫に牛乳で作った粥を与えていたことも知られています。貴重な食材を用いた飼育は、当時の猫が特別な待遇を受けていたことを示しています。

集英社学芸部の連載「平安時代のペット事情」でも、宇多天皇と一条天皇の猫に関する記録が紹介されています。

命婦のおとどは宮中でどのように暮らしていた?

『枕草子』の描写から分かるのは、命婦のおとどが天皇の身近な場所で生活し、御簾の内側に入ることを許されていたということです。

猫が縁側で昼寝をしていても、世話役が呼びかける程度で済むほど、自由に過ごしていた様子が描かれています。

一方、犬の翁丸は、猫とは異なる扱いを受けていました。集英社学芸部の記事では、猫は現在の室内飼育に近い扱いであるのに対し、犬は屋外で放し飼いに近い状態だったと解説されています。

同じ宮中で飼育されている動物であっても、猫と犬では生活環境や人間との距離感が異なっていたのです。

命婦のおとどの逸話から読み取れる宮廷社会の価値観

この物語には、単なる動物好きのエピソードを超えた社会的な背景があります。

第一に、天皇の個人的な好みが宮廷内の待遇や人事にまで影響することです。猫に乳母が付き、出産時には産養が行われるという事実は、天皇の寵愛が宮廷の慣習を大きく動かしたことを示しています。

第二に、身分秩序を重んじる宮廷社会の価値観です。猫に五位を授けるという行為は、通常の人間社会の序列から大きく逸脱したものであり、藤原実資のような公卿には違和感を与えました。

第三に、清少納言の観察眼です。彼女は猫の待遇を描くだけでなく、犬が命令に従ってしまう様子や、追放後に戻ってきた翁丸の反応まで細かく描写しています。

猫への愛情、宮廷の権力構造、動物の感情という複数の要素が、一つの短い章段に収められているのです。

【プロの結論】命婦のおとどの物語で本当に注目すべきこと

命婦のおとどの物語を読む際、五位を授かった猫という珍しさだけに注目すると、作品の本質を見落としてしまいます。

重要なのは、同じ宮廷に暮らす猫と犬が、人間からまったく異なる扱いを受けていたことです。

猫は天皇の寵愛によって身分を与えられ、乳母まで付けられました。一方、翁丸は人間の言葉をきっかけに行動し、結果的に追放と処罰を受けます。

しかし、最後には翁丸の涙が周囲の人々の心を動かします。権力や身分とは無関係に、動物にも感情があることを清少納言は印象的に描きました。

加えて、後藤康文氏の研究が示すように、「命婦のおとど」という呼称自体にも、宮廷社会の皮肉や不満が込められていた可能性があります。

命婦のおとどは、単に一条天皇がかわいがった猫ではありません。天皇の寵愛、貴族社会の身分意識、動物へのまなざしが交差する、平安文学を理解するうえで興味深い存在なのです。

【よくある質問】命婦のおとどに関するFAQ

Q1:命婦のおとどの読み方は何ですか?
A1:命婦のおとどは「みょうぶのおとど」と読みます。「命婦」は「みょうぶ」、「おとど」は敬称です。

Q2:命婦のおとどの正体は誰ですか?
A2:人物ではなく、一条天皇がかわいがっていた宮中の猫です。清少納言の『枕草子』と藤原実資の『小右記』に関係する記録が残っています。

Q3:命婦のおとどは本当に五位を授かったのですか?
A3:『枕草子』には「かうぶりにて」とあり、冠を授けられたことを示す表現から五位に叙せられたと解釈されています。ただし、本文に数字で五位と直接記されているわけではありません。

Q4:馬の命婦は何をした人物ですか?
A4:命婦のおとどの乳母、つまり世話役です。猫を縁側から室内へ戻そうとした際、翁丸に猫を襲わせるような言葉をかけたことが騒動の発端になりました。

Q5:翁丸が犬島へ追放された理由は何ですか?
A5:馬の命婦の言葉を受けて翁丸が命婦のおとどに飛びかかったためです。一条天皇が怒り、犬島へ送るよう命じました。ただし、翁丸は後に宮中へ戻り、最終的に許されています。

Q6:命婦のおとどと命婦のおもとは同じ猫ですか?
A6:同じ猫を指す呼称の異同です。主要な伝本では「おとど」が確認され、後世の注釈書には「おもと」という表記も見られます。

Q7:翁丸は最後にどうなりましたか?
A7:追放後に宮中へ戻り、顔を腫らした状態で発見されました。天皇のいたわりの言葉に涙を流したことで正体が判明し、処罰を許されて元の生活に戻りました。

まとめ:命婦のおとどは平安宮廷の猫文化を伝える貴重な存在

命婦のおとどは、一条天皇に愛された特別な猫です。五位を授けられたと解釈されるほどの待遇を受け、馬の命婦という世話役まで付けられていました。

『枕草子』に描かれた翁丸との騒動は、猫を守ろうとする天皇の姿だけでなく、犬が人間の言葉に従った結果として受けた処罰、そして最後に涙を流して許されるまでの経緯を伝えています。

また、『小右記』の長保元年(999年)の記録からは、猫の出産祝いまで宮廷で行われていたことが分かります。これは一条天皇の猫への愛情が、宮廷社会でも特別な出来事として受け止められていた証拠です。

名前については「命婦のおとど」が主要な伝本に基づく基本表記であり、「命婦のおもと」は後世の注釈書に見られる異説です。2020年の後藤康文氏の研究は、単なる表記の違いにとどまらず、当時の人々が猫の特別待遇をどのように受け止めていたのかという新しい視点も示しています。

2026年に改めてこの逸話を読むと、千年以上前の宮廷でも、人間と動物の間には深い感情の結び付きがあったことが伝わってきます。猫の愛らしさから始まり、犬の涙で終わる命婦のおとどの物語は、『枕草子』の中でも人間と動物の関係を鮮やかに描いた一編です。

主な参考資料:清少納言『枕草子』「上にさぶらふ御猫は」、藤原実資『小右記』長保元年9月19日条、後藤康文「『命婦のおとど』か『おもと』か―『枕草子』「上に候ふ御猫」の呼称をめぐって―」(『国語国文研究』第154号、2020年)、集英社学芸部「平安時代のペット事情」(2024年5月8日)。

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小野寺 拓海

アニメ誌編集を経て Web メディアへ。放送・配信の日程は作品公式サイトと各配信サービスの告知で確認し、ガジェットの仕様はメーカーの公式スペック表を引用します。

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