1997年7月12日に公開されたスタジオジブリの映画『もののけ姫』。物語の後半に登場する乙事主(おっことぬし)は、鎮西(九州)から一族を率いてやって来た、500歳の巨大な白い猪神です。威厳ある長老として人間に立ち向かいますが、物語の終盤ではタタリ神へと変貌し、悲劇的な最期を迎えます。
乙事主の声を担当したのは名優・森繁久彌。加えて、山犬の神であるモロの君とは約100年前まで特別な関係にあったという裏設定も知られています。2026年現在も語り継がれる乙事主の正体、年齢、視力を失った理由、ナゴの守との関係、ジバシリの策略、そして死亡シーンまで、作品の描写と制作に関する情報をもとに解説します。
【乙事主の正体】鎮西から来た500歳の白い猪神とは?

乙事主は、単なる巨大なイノシシではありません。
『もののけ姫』に登場する山の神の一柱であり、猪神の一族を率いる王です。白い身体と四本の牙が特徴で、ほかの猪神たちからも一目置かれる存在として描かれています。
その特徴を理解するには、年齢、出身地、視力という3つのポイントが重要です。
乙事主の年齢は500歳!猪神の一族を率いる最長老乙事主の年齢は500歳です。
この設定は、単なるファンの推測ではありません。
日本テレビの「金曜ロードショー」とスタジオジブリによる公式コラボ企画では、2021年8月の『もののけ姫』放送時に寄せられた質問への回答として、乙事主が500歳であることが紹介されています。
同じ回答では、モロの君は300歳と説明されていました。
つまり、乙事主はモロより200歳年上という設定です。
500年という長い時間を生きてきた乙事主は、若い猪神たちとは異なる経験と威厳を持っています。
しかし、彼の言葉には長寿の神ならではの余裕だけでなく、種族そのものが衰退していくことへの深い焦りも表れています。
乙事主は鎮西(九州)から海を渡ってきた乙事主の出身地は、劇中のセリフから読み取れます。
彼の登場場面では、ジコ坊と猟師たちが森に集まってきた神々を観察しています。
そこでジコ坊が口にするのが、鎮西の乙事主という名前です。
鎮西とは、現在の九州地方を指す古い呼び名です。
さらに猟師が海を渡ってきたのかと驚く場面もあり、乙事主が九州から一族を率いてシシ神の森へやってきたことがわかります。
彼らの目的は、エボシ御前たち人間による森林破壊を食い止めることでした。
自分たちの住む土地だけを守ろうとしたのではなく、仲間の猪神や森の神々を守るため、遠く離れた土地までやって来たのです。
乙事主の目が見えない理由は老齢?乙事主の特徴として、視力を失っていることも挙げられます。
初めて彼と対面したサンは、目が見えないことに気づきます。
また、物語の後半ではサンが乙事主を助けるために、次の行動を決意します。
乙事主さまの目になりにいきます。
この描写から、乙事主が自力で周囲を十分に確認できない状態にあることがわかります。
原因については、500歳という高齢による視力の衰えと考えるのが自然です。
一部の解説では、目の白濁や外見から白内障の可能性も指摘されています。ただし、劇中で病名が明言されているわけではありません。
注目したいのは、視力を失っていても乙事主の判断力が優れていることです。
人間たちの偵察を察知したり、アシタカの右腕からナゴの守に関する事情を理解したりするなど、嗅覚や感覚を頼りに行動しています。
視力を失った老いた神でありながら、最後まで一族の長としての威厳を保っているのです。
【声優・森繁久彌】乙事主の重厚な声を演じた名優の経歴
森繁久彌(もりしげ・ひさや)
- 生年月日:1913年5月4日
- 出身地:大阪府枚方市
- 職業:俳優・歌手
- 逝去:2009年11月10日
- 享年:96歳
- 『もののけ姫』での役:乙事主、エミシの長老
乙事主の声を担当したのは、俳優の森繁久彌です。
スタジオジブリの公式作品情報にも、森繁久彌の名前が出演者として掲載されています。
森繁久彌はどんな俳優だった?森繁久彌は、映画、テレビ、舞台、ラジオなど幅広い分野で活躍した日本を代表する俳優です。
代表的な仕事として知られているのが、映画の「社長シリーズ」「駅前シリーズ」です。
また、舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』では、1967年から約20年間にわたって主演を務め、900回に及ぶ公演を重ねました。
1991年には文化勲章を受章。2009年11月10日に96歳で亡くなっています。
その功績が評価され、没後の2009年12月には国民栄誉賞が追贈されました。
乙事主の声に森繁久彌が選ばれた意味森繁久彌の演技で印象的なのは、乙事主の威厳と老齢を感じさせる声の存在感です。
乙事主は500年もの時間を生きてきた長老です。
若い猪神たちのように感情をむき出しにするだけではなく、仲間を思いやり、人間の事情を理解しようとする一面も持っています。
森繁の落ち着いた声は、こうした複雑な人物像に説得力を与えています。
また、森繁久彌は乙事主だけでなく、アシタカの村に登場するエミシの長老も演じています。
一人二役を務めていたことも、知っておきたい制作上のポイントです。
【関係性を整理】乙事主とモロの君・ナゴの守はどんな関係?
乙事主というキャラクターを理解するうえで、モロの君とナゴの守との関係は欠かせません。
特にモロとの関係には、映画本編だけを見ていると気づきにくい制作上の裏設定があります。
| 関係する人物 | 乙事主との関係 | 押さえておきたい事実 |
|---|---|---|
| モロの君 | 旧知の山犬の神。かつて恋仲だったという裏設定 | 約100年前に別れたとされる |
| ナゴの守 | 同じ猪神の一族の仲間 | 「美しく強い兄弟」と呼ばれる |
| サン | モロに育てられた人間の少女 | 乙事主を助け、目の代わりになろうとする |
| アシタカ | ナゴの守を倒した人間 | ナゴの守の最期を乙事主に伝える |
| ジバシリ | ジコ坊に雇われた人間の狩人 | 猪の皮を使って乙事主を欺く |
モロの君
山犬の神であり、サンを育てた母親のような存在。年齢は300歳という設定です。
乙事主とモロの君には、意外な裏設定があります。
それは、かつて二人が恋仲だったというものです。
この設定については、宮崎駿監督がモロを演じた美輪明宏に、アフレコ時の演技指導として伝えたエピソードが紹介されています。
二人は昔、良い仲だったものの、約100年前に別れたという背景です。
この話を知ると、劇中でモロが乙事主を見たときの反応にも違った意味が感じられます。
モロは乙事主について、少しは話の分かる相手が来たという趣旨の言葉を口にします。
単に同じ森を守る神として知っているだけではなく、長い時間を共有してきた相手だったのです。
ただし、映画本編では二人が恋人だったことは説明されていません。あくまで制作時に伝えられた裏設定として理解するのが適切です。
乙事主とナゴの守は兄弟だった?ナゴの守は、物語冒頭でアシタカの村を襲ったタタリ神の正体です。
もともとは猪神でしたが、人間との戦いで深手を負い、憎しみと苦しみからタタリ神になってしまいました。
アシタカは村を守るためにナゴの守を倒します。
その後、乙事主が一族を率いてシシ神の森にやって来ます。
アシタカからナゴの守の最期を聞いた乙事主は、一族からタタリ神が出てしまったことを深く悲しみます。
また、猪神たちの会話にはナゴの守を「美しく強い兄弟」と呼ぶ表現があります。
このことから、二人は同じ猪神の一族に属する深い絆を持った存在として描かれています。
ただし、具体的な血縁関係や家系図までは劇中で説明されていません。
乙事主とモロはなぜ人間への対抗方針が違った?二人に共通しているのは、人間による森の破壊を憎んでいることです。
しかし、戦い方については考えが異なります。
モロは人間の石火矢の威力を理解しており、猪神たちが正面から戦っても勝ち目がないことを知っています。
一方、乙事主は一族の衰退を目の当たりにし、これ以上人間に好き勝手をさせるわけにはいかないと考えています。
この対立は、単なる性格の違いではありません。
森を守りたいという共通の目的を持ちながら、現実的な生存戦略を選ぶモロと、誇りを守るために戦いを選ぶ乙事主という、二つの価値観の衝突なのです。
【タタリ神になった理由】乙事主を変貌させた人間との戦い
乙事主の運命が大きく変わるのは、エボシ御前率いる人間たちとの戦いです。
彼がタタリ神へ変貌した理由は、単に人間に攻撃されたからというだけではありません。
仲間を失った悲しみ、一族の未来への絶望、そして死への恐怖が重なっていきます。
① ナゴの守の死が人間への憎しみを強めた乙事主がシシ神の森にやってきた背景には、仲間であるナゴの守の死があります。
ナゴの守は人間との戦いで負傷し、タタリ神へ変貌した末にアシタカに倒されました。
乙事主はアシタカからこの経緯を聞かされます。
興味深いのは、乙事主がアシタカを一方的に責めなかったことです。
アシタカが村を守るためにナゴの守を倒した事情を聞き、最期を伝えてくれたことに感謝します。
しかし、それで人間への怒りが消えたわけではありません。
② 一族の衰退に強い危機感を抱いていた乙事主はモロとの会話で、猪神たちの未来を悲観しています。
一族が以前より小さく、弱くなっていることを自覚していました。
加えて、このままでは人間に神としてではなく、ただの肉として狩られるようになると危惧しています。
ここで重要なのは、乙事主の戦いが個人的な復讐だけではないことです。
彼にとって人間との戦いは、一族の尊厳と存在そのものを守るための戦いでした。
③ モロの忠告を聞かず、正面から戦う道を選ぶモロは乙事主に対して、人間の石火矢には数だけでは勝てないと警告します。
それでも乙事主は考えを変えません。
山犬の力を借りることも望最初に、一族が全滅することになっても人間に思い知らせるという覚悟を示します。
この決断は、彼の誇り高さを表す一方、破滅への入り口にもなってしまいます。
④ ジバシリの策略によって仲間の死を突きつけられる乙事主の運命を決定的に変えたのが、ジバシリの存在です。
ジバシリとは、ジコ坊に雇われた山に詳しい人間の狩人たちです。
彼らは普通の猪神ではありません。
作中では、死んだ猪の血を身体に塗り、その皮をまとって乙事主に接近します。
その目的は、乙事主を欺き、シシ神のもとへ誘導することでした。
目が見えない乙事主は、近づいてくる存在を仲間の猪神たちだと思い込みます。
そして、次の言葉を叫びます。
「戻ってきた。黄泉の国から戦士たちが帰ってきた」
しかし、戻ってきたように見えた仲間たちは、実際には人間がまとった死んだ猪の皮でした。
仲間が生き返ったと信じた直後に、彼らの死を思い知らされる。
この残酷な状況が、乙事主の精神を追い詰めます。
⑤ 怒りと恐怖によってタタリ神へ変貌するジバシリの策略に翻弄され、乙事主は深い傷を負います。
加えて、仲間を失った悲しみと人間への憎悪が重なり、理性を保てなくなっていきます。
身体から黒い触手のようなものが現れ、タタリ神へと変貌していくのです。
ここで注目したいのが、モロの言葉です。
モロはナゴの守について、死を恐れたのだという趣旨の説明をしています。
モロ自身も人間による攻撃を受けていますが、死を受け入れようとする姿勢を見せています。
乙事主の場合は、仲間を失う恐怖と自分自身が死ぬ恐怖、そして一族が滅びることへの絶望が重なりました。
つまり、乙事主のタタリ神化は、人間への憎しみだけでは説明できません。
守るべきものを失い、自らの存在意義まで揺らいだ神が、負の感情に飲み込まれていく過程として描かれています。
【乙事主の最期と死亡シーン】シシ神はなぜ命を奪ったのか?
乙事主の最期は、『もののけ姫』の中でも特に印象的な場面です。
人間との戦いに敗れ、タタリ神へ変貌した乙事主は、サンとともにシシ神のもとへ向かいます。
しかし、そこで待っていたのは救済ではなく、命の終わりでした。
乙事主はサンを巻き込みながら暴走する乙事主は深い傷を負いながらも、シシ神の池を目指します。
サンは彼を助けようとしますが、乙事主の身体はすでに異変を起こしています。
黒い触手が身体を覆い、言葉も次第に失われていきます。
かつて冷静にアシタカの話を聞き、モロと議論していた長老の姿は、そこにはありません。
サンは乙事主を救おうとしますが、タタリ神の力に巻き込まれ、危険な状態に陥ります。
シシ神が乙事主の命を奪うやがて乙事主はシシ神と対面します。
シシ神は生命を与えるだけでなく、奪う力も持つ存在です。
乙事主はシシ神に触れられ、その命を吸い取られてしまいます。
これが乙事主の最期です。
重要なのは、乙事主が人間の攻撃によって直接殺されたわけではないという点です。
人間との戦いで致命的な状態になり、タタリ神へ変貌した末に、最後はシシ神の力によって命を終えました。
シシ神は乙事主を救わなかったのか?この場面には、もう一つ考えるべき疑問があります。
アシタカの傷を癒やしたシシ神が、なぜ乙事主を助けなかったのでしょうか。
作品中では、シシ神が乙事主の命を奪った理由を明確に説明していません。
ただし、シシ神が単純に善悪を判断して命を与えたり奪ったりする存在ではないことは、作品全体の描写から読み取れます。
乙事主は、長年生きてきた猪神としての自我を失いかけていました。
その状態から、シシ神が命を終わらせたことを、苦しみからの解放と解釈することもできます。
一方で、森を守るために戦った神が、最後には自らの森の神によって命を奪われるという悲劇性もあります。
この結末が乙事主の物語を強く印象づけています。
【名言・セリフとキャラクター設定の真相】乙事主が伝えるもの
乙事主のセリフには、彼の誇りや悲しみ、一族を守ろうとする強い意志が表れています。
ここでは、特に重要な言葉と、誤解されやすい設定を整理します。
名言①「たとえ、我が一族ことごとく滅ぶとも人間に思い知らせてやる」このセリフは、乙事主の性格を最もよく表しています。
彼は人間との戦いに勝つ見込みが薄いことを理解していないわけではありません。
それでも、一族の誇りを守るために戦うことを選びます。
ここには、合理的な勝敗だけでは測れない価値観があります。
モロが生き残るための戦略を重視するのに対し、乙事主は自分たちが神として生きてきた誇りを守ろうとします。
名言②「ありがとうよ、お若いの……」アシタカからナゴの守の最期を聞いたとき、乙事主は感謝を伝えます。
この場面は、彼の人物像を理解するうえで重要です。
人間を憎んでいるにもかかわらず、相手の話を聞き、誠実に対応することができるからです。
乙事主は、ただ怒りに任せて戦うだけの存在ではありません。
一族の長として、仲間の死を悼み、事実を受け止めようとする理性も持っています。
乙事主の設定で誤解されやすい5つのポイント| よくある疑問・誤解 | 実際の設定・描写 |
|---|---|
| 乙事主は普通のイノシシ? | 四本の牙を持つ、500歳の猪神 |
| 乙事主は九州の神? | 鎮西(九州)から海を渡って来た設定 |
| 目が見えないのは白内障? | 老齢による視力低下と考えられるが、病名は明言されない |
| モロとは映画内で恋人だった? | 約100年前まで恋仲だったという制作上の裏設定 |
| 乙事主は完全にタタリ神になってから死んだ? | タタリ神へ変貌し、シシ神に命を奪われる。変貌の段階には描写上の解釈もある |
乙事主については、日本神話に登場する猪の神との関連を指摘する考察もあります。
例えば、『古事記』には伊吹山の神が白い大猪の姿で現れる話があります。
また、葛城山の神である一言主(ひとことぬし)も、名前の響きから乙事主と結び付けて考察されることがあります。
ただし、これらは神話との類似性を踏まえた考察であり、スタジオジブリが公式に乙事主のモデルとして発表したものではありません。
乙事主の名前についても、長野県富士見町の地名「乙事」との関連が指摘されていますが、正式な命名由来として確定しているわけではありません。
【もののけ姫の乙事主】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:乙事主の正体は何ですか?
乙事主は、鎮西(現在の九州)から一族を率いてやってきた500歳の白い猪神です。猪神の長老であり、四本の牙を持つ威厳ある山の神として登場します。
Q2:乙事主はなぜタタリ神になったのですか?
人間との戦いで深手を負い、仲間を失った悲しみや人間への憎しみ、死への恐怖に支配されたためです。特に、ジバシリが仲間の猪の皮をまとって近づいたことが、精神的な崩壊を招く大きなきっかけになりました。
Q3:乙事主とモロの君は恋人だったのですか?
はい。宮崎駿監督がモロ役の美輪明宏に伝えた裏設定では、二人はかつて恋仲で、約100年前に別れたとされています。ただし映画本編で明言される設定ではありません。
Q4:乙事主の声優は誰ですか?
森繁久彌です。俳優・歌手として活躍した名優で、乙事主のほか、アシタカの村のエミシの長老も演じています。
Q5:乙事主は最後に死亡したのですか?
はい。人間との戦いで傷つき、タタリ神へ変貌した乙事主は、最後にシシ神と接触して命を奪われます。
Q6:乙事主はなぜ目が見えないのですか?
500歳という高齢による視力の衰えと考えられています。白内障説もありますが、映画では具体的な病名は説明されていません。
まとめ:乙事主の最期は『もののけ姫』が描く自然と人間の悲劇
乙事主は、単なる人間の敵ではありません。
500年もの長い時間を生き、鎮西から一族を率いてシシ神の森へやって来た、誇り高い猪神の王です。
モロとの過去、ナゴの守との一族の絆、そしてサンやアシタカに見せた理性的な態度からは、彼が本来どれほど深い知性と優しさを持った存在だったかが伝わります。
しかし、人間による森林破壊と武力に直面し、一族の衰退を目の当たりにした乙事主は、戦いを選びました。
そして、仲間の死を利用したジバシリの策略によって、怒りと恐怖に飲み込まれてしまいます。
乙事主の悲劇は、森を守ろうとした神が、守りたいものを失うことで自らも破滅してしまったことにあります。
2026年に改めて『もののけ姫』を見返すなら、乙事主とモロの戦略の違い、ナゴの守の死を知ったときの反応、そして最後にシシ神と対面する場面に注目してみてください。
乙事主の物語を知ることで、『もののけ姫』が描く自然と人間の対立、誇り、命の重さが、さらに深く感じられるはずです。