松岡家の歴史には、鉄道、海運、映画、演劇、スポーツという異なる分野で活躍した人物が登場します。特に注目したいのは、父方の祖父・松岡辰郎と祖母・松岡節子の結婚です。この婚姻が、小林家と松岡家を結ぶ重要な接点になりました。
出典:NHK「ファミリーヒストリー」2025年8月18日放送内容、日刊スポーツ、スポニチ、東宝公式情報などをもとに整理。
この表から分かるように、松岡修造は小林一三の直系の子孫であると同時に、松岡汽船を興した初代松岡修造の子孫でもあります。ただし、小林一三と初代松岡修造が兄弟や親戚だったわけではありません。それぞれの子孫が結婚したことで二つの家系がつながったのです。
【母方の山本家】母・千波静と祖母フサ子が受け継いだ宝塚との縁

松岡修造の家系図を調べる際、父方の小林家・松岡家に注目が集まりがちですが、母方の山本家にも興味深い歴史があります。
2025年のNHK「ファミリーヒストリー」では、母方の山本家のルーツが静岡市清水区にあることが紹介されました。母の千波静は本名を静子といい、宝塚歌劇団の雪組で男役スターとして活躍した人物です。
母の姉妹も宝塚歌劇団で活躍千波静の姉は千波淳、妹は千波薫として宝塚歌劇団で活動しました。つまり、母だけでなく、その姉妹も舞台の世界で活躍していたのです。
母方の祖母にあたるフサ子は、夫の喜之輔とともに家庭を築き、娘たちを育てました。戦時中の空襲で家と工場を失うという困難も経験しましたが、夫婦は事業を再建し、家族を支え続けました。
娘たちが身体を鍛え、表現力を身につけられるようにバレエ教室へ通わせたことも、番組で紹介されたエピソードです。千波静が昭和32年(1957年)に宝塚歌劇団でデビューした背景には、こうした家庭環境もありました。
松岡修造が涙した祖母フサ子との思い出「ファミリーヒストリー」で特に印象的だったのは、松岡修造が母方の祖母フサ子について語った場面です。
松岡にとって祖母は、いつも笑顔で前向きな存在でした。海外遠征から帰国すると祖母の家を訪れ、手料理のみそ汁を飲むことが習慣になっていたといいます。
祖母を太陽のような存在として捉え、苦しいときにもその存在を思い出して前向きになれたという趣旨の話を番組で語った。
松岡はウィンブルドンなどで苦しい戦いを続けていた時期にも、祖母の笑顔を心の支えにしていたと振り返りました。VTRを見終えた松岡が涙を浮かべた場面は、日刊スポーツでも報じられています。
父方の家系には大企業を築いた実業家たちが並びますが、母方の家系には、家族を支え、娘たちの夢を応援した祖母の姿があります。松岡の人柄を理解するうえでは、この母方の家族の物語も欠かせません。
【現在の家族構成】父・松岡功、兄・松岡宏泰、妻・田口恵美子と3人の子ども
松岡修造の現在の家族構成は、父・母・兄・姉という実家の家族と、妻・子ども3人からなる家庭に分けて考えると分かりやすくなります。
父・松岡功はテニスの実力者で東宝の経営者父の松岡功は1934年生まれの実業家です。甲南大学時代にテニスで活躍し、デビスカップの日本代表にも選ばれました。
大学卒業後は東宝に入社し、洋画輸入業務などを経験。その後、経営の中枢を担い、1977年から1995年まで東宝の社長を務めました。
注目したいのは、父もまた一流のテニス選手だったことです。NHKの番組では、父が父親である松岡辰郎から覚悟を問われ、テニス選手としての道を断念して家業を継いだ経緯が紹介されました。修造は父のテニス歴を、競技を始めた当初は知らなかったといいます。
兄・松岡宏泰は2026年現在の東宝社長兄の松岡宏泰も、松岡家の歴史を語るうえで重要な人物です。
宏泰は慶應義塾大学法学部を卒業後、米国の大学や大学院で学び、1994年に東宝東和へ入社しました。東宝東和の社長などを経て、2022年5月26日付で東宝の代表取締役社長に就任しています。
2026年5月28日現在の東宝公式会社概要でも、代表取締役社長・社長執行役員として松岡宏泰の名前が掲載されています。2026年現在も、映画・演劇などを手がける大手エンターテインメント企業の経営を担っています。
妻・田口恵美子は元テレビ東京アナウンサー松岡修造は1998年に、元テレビ東京アナウンサーの田口恵美子と結婚しました。
田口はアナウンサーとして活動した経歴を持ち、スポーツキャスターとして活躍する修造とは、メディア業界という共通点があります。
2020年のスポニチの番組報道では、松岡が妻について、仕事ができ、学業面でも優秀で、自分にはないものを持っていると話したことが伝えられています。また、家族との向き合い方について妻から助言を受けていたエピソードも紹介されました。
子どもは1男2女の3人松岡修造と田口恵美子の間には、長女・長男・次女の3人の子どもがいます。
長女は松岡恵として知られ、宝塚歌劇団では稀惺かずと(きしょう・かずと)という芸名で活動しています。
2017年に宝塚音楽学校への合格が発表され、2019年には同校を卒業。父の松岡修造は公式サイトで長女の卒業を報告し、宝塚歌劇団の生徒として新しい道を歩み始める娘への思いを伝えました。
稀惺かずと
宝塚歌劇団・星組/男役
2019年4月に初舞台を踏み、2026年も星組の公演に出演する現役タカラジェンヌです。宝塚歌劇公式プロフィールにも掲載されています。
出典:宝塚歌劇公式プロフィール。
長男と次女については、長女と同じように詳しい芸能活動のプロフィールが公表されているわけではありません。家族のプライバシーに配慮し、公開情報と個人的な情報を区別して捉えることが大切です。
【プロの結論】松岡修造の名前の由来と華麗なる一族の本当の意味
名前の「修造」は小林一三ではなく初代松岡修造からNHK「ファミリーヒストリー」で視聴者の関心を集めたのが、松岡修造という名前の由来でした。
番組の中で松岡は、小林一三の偉大な功績を知り、自分の名前に「三」が入っていないことを不思議に感じたという趣旨の反応を見せました。
ところが、その後に明らかになったのは、父方の高祖父にあたる人物の名前が、なんと初代・松岡修造だったという事実です。
初代松岡修造は1859年(安政6年)生まれ。米の仲買人として商才を発揮し、やがて海運業へ進出しました。大正11年(1922年)には船会社を興し、松岡汽船の礎を築きます。
その後、会社は子孫へ引き継がれ、松岡潤吉も海運事業を担いました。NHKの番組内容によれば、松岡修造という名前は、この高祖父にあやかって付けられたものです。
小林一三が築いた阪急・宝塚・東宝の事業ネットワークもう一人の重要人物、小林一三は1873年1月3日に現在の山梨県韮崎市で生まれました。
慶應義塾で学んだ後、三井銀行に入行。その後、鉄道事業へ転身し、1910年に箕面有馬電気軌道を開業しました。これが後の阪急電鉄につながります。
小林一三の経営手法で特徴的なのは、単に鉄道を走らせるだけで終わらなかったことです。鉄道沿線に住宅地を開発し、住民を増やし、百貨店や娯楽施設を整備することで、沿線全体の価値を高める仕組みをつくりました。
さらに宝塚で少女歌劇を始め、後の宝塚歌劇団へと発展させます。映画・演劇の分野にも進出し、東宝の発展につながる事業を築きました。
東宝、阪急阪神ホールディングス、阪急電鉄などが共同で発表した2023年の小林一三生誕150年展の資料でも、鉄道・住宅・百貨店・演劇・映画を結び付けた事業モデルが小林一三の大きな功績として紹介されています。
松岡汽船と東宝は異なる分野で築かれた家業松岡家と小林家を比較すると、両者の事業の性質は大きく異なります。
松岡家の初代修造は、米穀取引と海運という商業・物流の分野で財を築きました。一方、小林一三は鉄道を起点に住宅開発、百貨店、演劇、映画という生活と娯楽を結ぶ事業を展開しました。
松岡家の海運事業は、戦争によって大きな打撃も受けています。NHKの番組紹介によれば、太平洋戦争では松岡汽船の船舶が輸送に徴用され、終戦までに14隻の船と237人の船員を失いました。
華やかな企業家一族というイメージの裏側には、時代の変化や戦争に翻弄された家族の歴史も存在します。
松岡修造自身は家業ではなくテニスの道を選んだ松岡修造の人生を理解するうえで、先祖の事業をそのまま継がなかった点も重要です。
松岡は1967年11月6日、東京都で生まれました。10歳で本格的にテニスを始め、高校2年時に福岡県の柳川高校へ編入。同年の高校総体でシングルス・ダブルス・団体の三冠を達成しました。
1986年にプロ転向し、1992年には日本人男子選手として初めてATPツアーのシングルスで優勝。自己最高世界ランキングは46位です。
そして1995年のウィンブルドン選手権では、日本人男子として62年ぶりとなるベスト8進出を果たしました。1998年に現役を引退した後は、ジュニア育成やスポーツキャスターとして活動の幅を広げています。
これらの競技歴は松岡修造の公式プロフィールや日本オリンピック委員会の紹介にも記載されています。
さらに興味深いのは、父・功もテニスの日本代表選手だったにもかかわらず、父は息子たちに自分の競技歴を積極的に伝えていなかったことです。2026年の慶應義塾のインタビューでも、兄の宏泰が父のテニス選手としての過去を知らなかったと振り返っています。松岡家では、家業の経営と個人の競技人生が必ずしも同じ道を歩んでいたわけではありません。
家系図の情報を見極める3つのポイント松岡修造のように複数の名家が結び付いた家系図では、次の3点を区別すると情報を正しく理解できます。
- 血縁と婚姻を区別する:小林一三と初代松岡修造は直接の親族ではなく、それぞれの子孫の結婚によって家系が結び付いています。
- 父方と母方を混同しない:小林一三も初代松岡修造も父方の先祖。母方は千波静につながる山本家です。
- 過去の役職と現在の役職を区別する:松岡功は元東宝社長、松岡宏泰は2026年現在の東宝社長です。
この3点を押さえるだけで、ネット上で見かける家系図の誤解や、人物の関係を取り違えた情報を見分けやすくなります。
【松岡修造の家系図】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:松岡修造の曽祖父は小林一三ですか?
A1:はい。小林一三は松岡修造の父方の曽祖父です。阪急電鉄や宝塚歌劇団、東宝などの事業を築いた実業家です。
Q2:初代松岡修造は母方の先祖ですか?
A2:いいえ。初代松岡修造は父方の高祖父です。1859年生まれで、米穀商から海運業へ進出し、松岡汽船を興しました。現在の松岡修造の名前も、この先祖にちなんでいます。
Q3:松岡修造の妻と子どもは誰ですか?
A3:妻は元テレビ東京アナウンサーの田口恵美子です。子どもは長女・長男・次女の3人で、長女は宝塚歌劇団で稀惺かずとの芸名で活動しています。
Q4:松岡修造の兄は現在も東宝の社長ですか?
A4:はい。兄の松岡宏泰は2022年に東宝社長に就任し、2026年5月28日現在も東宝公式の会社概要で代表取締役社長として掲載されています。
まとめ:松岡修造の家系図は小林家と松岡家、山本家の歴史が交差する
松岡修造の家系図をたどると、父方には小林一三と初代松岡修造という二人の実業家が存在し、祖父・松岡辰郎と祖母・松岡節子の結婚によって二つの家系が結び付いたことが分かります。
一方、母方には宝塚歌劇団の男役スターとして活躍した千波静と、娘たちを支え続けた祖母フサ子の物語があります。母方の家族にも、舞台芸術と家族愛という大切な歴史が受け継がれてきました。
2026年現在、兄の松岡宏泰は東宝社長を務め、長女の稀惺かずとは宝塚歌劇団星組で活動しています。阪急・東宝・宝塚という先祖の事業と現在の家族の活動が、異なる形でつながっている点も興味深いところです。
松岡修造の家系図の本質は、単なる華麗なる一族という肩書ではありません。海運、鉄道、映画、演劇、スポーツという異なる分野で、それぞれの時代に夢を追い続けた人々の歴史です。NHK「ファミリーヒストリー」が明らかにした先祖の歩みを知ると、松岡修造の情熱的な生き方にも、また違った角度から光が当たります。