「坂東三津五郎(ばんどう・みつごろう)」は、一人の歌舞伎俳優だけを指す名前ではありません。江戸時代から受け継がれてきた歌舞伎の名跡であり、三代目以降は日本舞踊の流派である坂東流の家元名跡としても歴史を刻んできました。
なかでも、九代目坂東三津五郎の長男として1956年に生まれ、2015年に59歳で亡くなった十代目は、歌舞伎と舞踊の両方で高い評価を受けた人物です。歴代の継承関係をたどると、血縁だけでは説明できない養子縁組や婚姻による継承、そして大和屋という屋号の由来が見えてきます。
【まず結論】坂東三津五郎とは何者?読み方・何代目・名跡の意味

坂東三津五郎の読み方は「ばんどうみつごろう」です。歌舞伎役者の名跡で、屋号は大和屋。2026年現在、歴代のうち最後にこの名を襲名した人物は十代目坂東三津五郎です。
十代目は本名を守田寿(もりた・ひさし)といい、1956年1月23日に東京都で生まれました。九代目坂東三津五郎の長男で、2015年2月21日に59歳で亡くなっています。日本俳優協会の人物資料や歌舞伎美人の訃報でも、生年月日、襲名歴、没年月日が確認できます。
歌舞伎の名跡とは何か名跡(みょうせき)とは、歌舞伎役者が代々受け継ぐ芸名のことです。単に同じ名前を使う制度ではありません。先代が磨いた芸風、得意な役柄、舞台上の型、家の伝統なども受け継ぐ意味を持っています。
国立劇場の文化デジタルライブラリーによると、歌舞伎では名跡を継ぐことを「襲名」と呼び、襲名披露は俳優にとって大きな節目となります。名跡によっては、複数の前名を経てから大きな名前を継ぐこともあります。
そのため、検索で「坂東三津五郎は何代目?」と調べた場合、質問の対象がどの時代の俳優なのかを区別する必要があります。例えば、1956~2015年の人物を指すなら十代目、1882~1961年の人物を指すなら七代目です。どちらも同じ坂東三津五郎を名乗っていますが、まったく別の時代に活躍した役者です。
三津五郎という名前の由来初代坂東三津五郎は、もともと竹田巳之助という名で大坂の芝居界にいた役者です。初代坂東三八に芸を認められて養子となり、江戸へ移った際に三津五郎を名乗りました。名跡の始まりは18世紀にさかのぼります。
また、2001年の襲名に際した十代目のインタビューでは、「津」を江戸・京・大坂という三つの都市に結び付け、「五郎」を曽我五郎にちなむものとして説明しています。三つの津と五郎を組み合わせた、格式と勢いを感じさせる名前という解釈です。
こうした由来には、歌舞伎の歴史や江戸時代の都市文化、名跡を大きく育てようとする役者の意識が重なっています。
【歴代の系譜と家系図】初代から十代目までの継承を整理
坂東三津五郎の歴代を理解するうえで大切なのは、全員が実の親子としてつながっているわけではないという点です。歌舞伎では、養子縁組や婚姻を通じて名跡と芸を継承することがあります。
国立劇場の歌舞伎事典は、坂東家と森田・守田家が古くから親戚関係にあったことを紹介しています。また、歌舞伎俳優名鑑の歴代人物資料を照らし合わせると、七代目以降の継承関係が具体的に分かります。
初代から三代目まで:名跡と坂東流の基礎初代坂東三津五郎(1745~1782年)は大坂出身で、前名は竹田巳之助です。初代坂東三八の養子となり、1766年に江戸へ移って坂東三津五郎を名乗りました。和実と呼ばれる写実的な演技を得意とし、立役や女方、舞踊など幅広い分野で活躍しました。
二代目坂東三津五郎(1750~1829年)は、初代の実子ではなく、別の役者から名跡を受け継いだ人物です。1785年に二代目を襲名し、1799年には初代の実子に名跡を譲って二代目荻野伊三郎を名乗りました。この経緯からも、名跡の継承が単純な親子相続ではなかったことが分かります。
三代目坂東三津五郎(1775~1831年)は初代の実子で、文化・文政期の江戸を代表する名優の一人です。三代目中村歌右衛門と人気を競い、和事や実事、舞踊に優れました。日本舞踊坂東流の流祖としても知られ、後世に続く舞踊の基礎を築いた重要人物です。
四代目から六代目:養子による継承と名跡の中断四代目は三代目の養子で、所作事を得意とした役者でした。後に十一代目守田勘弥を襲名するなど、坂東家と守田家の関係を象徴する存在でもあります。
五代目は坂東しうかとして知られ、死後に三津五郎の名跡を追贈された人物です。六代目は五代目の子で、女方として活躍しましたが、1873年に若くして亡くなりました。その後、名跡はいったん途絶えます。
七代目から十代目:現代につながる家系現在の十代目につながる系譜で特に重要なのが七代目です。七代目は1882年生まれの守田寿作で、十二代目守田勘弥の長男。1906年に七代目坂東三津五郎を襲名し、途絶えていた名跡を復活させました。
七代目の養子となったのが八代目坂東三津五郎です。八代目の長女と結婚し、養子となったのが九代目。さらに九代目の長男が十代目という関係です。
家系のつながりを簡潔に表すと、次のようになります。
- 初代坂東三津五郎:竹田巳之助。初代坂東三八の養子。
- 三代目坂東三津五郎:初代の実子。坂東流の流祖。
- 四代目坂東三津五郎:三代目の養子。
- 七代目坂東三津五郎:十二代目守田勘弥の長男。名跡を復活させた人物。
- 八代目坂東三津五郎:七代目の養子。
- 九代目坂東三津五郎:八代目の長女の夫で、養子として坂東家を継承。
- 十代目坂東三津五郎:九代目の長男。本名は守田寿。
- 二代目坂東巳之助:十代目の長男。現在の坂東流家元。
つまり、十代目は初代から続く芸の伝統を受け継いでいるものの、全世代が血縁による直系継承というわけではありません。養子や婚姻を含む複数の関係によって名跡が守られてきました。
なお、1882~1961年という生没年は初代ではなく七代目のものです。初代は1745~1782年であり、この二人を混同しないことが歴代を調べる際の要点です。
【十代目坂東三津五郎の生涯】1956年から2015年までの経歴と代表作
十代目坂東三津五郎は、幼少期から歌舞伎の舞台に立ち、坂東家の芸を受け継ぎながら自身の表現を磨いた俳優です。舞踊の名手であると同時に、時代物、世話物、新歌舞伎、新作歌舞伎まで幅広い役柄を演じました。
歌舞伎俳優名鑑と日本俳優協会の公式資料によると、芸歴は1歳での初お目見得から始まります。その後、五代目坂東八十助として初舞台を踏み、2001年に十代目三津五郎を襲名しました。
十代目の主要な経歴・年表| 年月・年代 | 出来事 | 主な内容・意味 |
|---|---|---|
| 1956年1月23日 | 東京都で誕生 | 九代目坂東三津五郎の長男。本名は守田寿。 |
| 1957年3月 | 初お目見得 | 明治座『傀儡師』の唐子で舞台に登場。 |
| 1962年9月 | 初舞台 | 歌舞伎座で五代目坂東八十助を襲名。『鳥羽絵』の鼠、『黎明鞍馬山』の牛若丸などを演じる。 |
| 1985~1990年 | 海外公演に参加 | アメリカ、南米、ヨーロッパ、シンガポール、フィリピン、香港、台湾などで公演。 |
| 2001年1~2月 | 十代目を襲名 | 歌舞伎座で『喜撰』『寿曽我対面』などを披露。 |
| 2006~2012年 | 芸術分野で受賞 | 日本芸術院賞、橋田賞、紫綬褒章、毎日芸術賞などを受賞・受章。 |
| 2014年 | 読売演劇大賞最優秀男優賞 | 『髪結新三』と『棒しばり』などでの演技が評価された。 |
| 2015年2月21日 | 逝去 | 59歳。歌舞伎と舞踊の両分野に大きな足跡を残した。 |
この経歴から読み取れるのは、十代目が単に伝統を守るだけの役者ではなかったということです。1980年代から海外公演に参加し、日本の歌舞伎を海外の観客に届ける活動にも取り組みました。
舞踊の名手であり、芝居巧者でもあった十代目の代表的な当たり役として知られるのが、『蘭平物狂』の蘭平、『梅雨小袖昔八丈』の髪結新三、『新皿屋舗月雨暈』の魚屋宗五郎などです。
特に世話物では、江戸の町人の生活感や人物の感情を細やかに表現しました。髪結新三では、髪を整える仕草や身のこなしに江戸っ子らしい粋を表現し、魚屋宗五郎では、酒を飲むにつれて怒りを募らせる人物の心情を舞台上に描き出しました。
一方、舞踊では『喜撰』『奴道成寺』『流星』などで高い技量を発揮しました。『奴道成寺』では三つの面を使い分けるなど、舞踊の技術と芝居の表現力を組み合わせた舞台が評価されています。
また、歌舞伎十八番の『勧進帳』では弁慶を演じ、新歌舞伎の『番町皿屋敷』では青山播磨、新作の『道元の月』では道元禅師を演じるなど、役柄の幅も広いものでした。
中村勘三郎との関係と歌舞伎の活性化十代目を語るうえで欠かせない存在が、十八代目中村勘三郎です。二人は盟友として知られ、伝統を重んじながらも、歌舞伎の楽しさを新しい観客に伝えることに力を注ぎました。
特に舞踊の『棒しばり』などでは、息の合った舞台を見せました。歌舞伎俳優名鑑でも、十代目と十八代目勘三郎のコンビについて、先代たちの名舞台を思わせる関係として評価されています。
2014年には第21回読売演劇大賞の最優秀男優賞を受賞しました。日本俳優協会の発表では、歌舞伎座での『髪結新三』や『棒しばり』での演技が評価対象となっています。晩年まで俳優として高い評価を受けていたことを示す受賞歴です。
【日本舞踊坂東流と歴代家元】三代目から十代目、そして二代目巳之助へ
坂東三津五郎を調べる際、歌舞伎の名跡と並んで理解しておきたいのが、日本舞踊の坂東流です。
坂東流は、三代目坂東三津五郎を流祖とする日本舞踊の流派です。ただし、三代目の時点で現在と同じ組織的な流派が完成していたわけではありません。流儀としてまとまり、家元制度が整えられたのは七代目の時代です。
三代目が流祖、七代目が坂東流を組織化三代目坂東三津五郎は、歌舞伎の所作事に優れ、舞踊の基礎を築いた人物です。その芸は後世の坂東家に受け継がれ、七代目の時代に弟子たちが集まり、坂東流として組織化されました。
七代目は1882年から1961年まで生きた歌舞伎俳優で、舞踊の名手として「踊りの神さま」と呼ばれました。『喜撰』『傀儡師』『三社祭』『棒しばり』などの舞台で高く評価され、昭和30年には歌舞伎舞踊部門の重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝に認定されています。
坂東流の舞踊の特徴は、振りを単に音楽に合わせるのではなく、演じる人物の性格や状況を身体表現に反映させる点にあります。日本舞踊の指導者による解説でも、演劇的な表現を重視する流儀として紹介されています。
十代目が継承した家元の役割八代目の死後、九代目が舞踊名として坂東三津五郎を名乗り、坂東流の家元を務めました。1999年に九代目が亡くなると、その長男である十代目が家元を継承します。
十代目は2001年に歌舞伎の名跡も襲名しました。つまり、歌舞伎役者として十代目坂東三津五郎となる前から、すでに坂東流の家元としての責任を担っていたのです。
「この名を大きくしていかなくちゃなりませんので」
これは2001年の襲名をめぐるインタビューで紹介された十代目の言葉です。名跡を自分一人のものとして捉えるのではなく、先代から受け継いだ芸と伝統をさらに発展させる責任を感じていたことが伝わります。
2026年現在の坂東流家元は二代目坂東巳之助2015年に十代目が亡くなった後、坂東流の家元を継いだのは、長男の二代目坂東巳之助です。
1989年9月16日生まれの二代目巳之助は、1991年に初お目見得し、1995年に二代目坂東巳之助を襲名しました。2015年から日本舞踊坂東流の家元を務めています。
2026年現在も、歌舞伎俳優名鑑では二代目坂東巳之助が坂東流家元として紹介されています。日本舞踊協会の流派連絡先一覧でも、坂東流の代表者として坂東巳之助の名前が掲載されています。
ここで注意したいのは、二代目巳之助が継承したのは坂東流の家元という役割であり、十代目坂東三津五郎という歌舞伎の名跡をそのまま襲名したわけではないことです。家元の継承と歌舞伎の名跡の継承は、関連しながらも別のものです。
【大和屋の屋号と定紋・替紋】三ツ大と花勝見、梶の葉の違い
坂東三津五郎の屋号は大和屋(やまとや)です。歌舞伎では、屋号は俳優の家や一門を示す重要な呼称であり、観客が舞台に向かって掛け声を送る際にも使われます。
国立劇場の解説によれば、江戸時代には俳優が苗字を名乗ることを許されなかったため、屋号が一門を示す呼称として使われるようになりました。現在も屋号は歌舞伎の舞台文化を構成する大切な要素です。
大和屋という屋号の由来大和屋という屋号は、初代坂東三津五郎が養子に入った初代坂東三八に由来します。小学館のデジタル大辞泉プラスでは、初代坂東三八の父が大和屋又八だったことにちなむと説明されています。
つまり、大和屋は十代目の本名や個人名ではなく、初代の時代から受け継がれてきた一門の呼称です。なお、大和屋は坂東三津五郎だけでなく、坂東玉三郎や岩井半四郎など、複数の歌舞伎役者の家系でも使われています。
定紋の三ツ大とは?坂東三津五郎家の代表的な定紋は三ツ大(みつだい)です。
三ツ大は、大和屋の「大」と初代坂東三八の「三」の字を組み合わせた紋とされています。文字を図案化した文字紋で、坂東三津五郎家を象徴する意匠です。
歌舞伎俳優名鑑でも、七代目・八代目・九代目・十代目の各人物資料に三ツ大が掲載されています。衣裳や舞台写真にこの紋が見られた場合、大和屋との関係を考える手がかりになります。
替紋の花勝見とは?花勝見(はなかつみ)は、坂東三津五郎家で使われてきた替紋です。花勝見は田字草(でんじそう)という水草をモチーフにした文様で、四枚の葉を組み合わせたような形が特徴です。
定紋と替紋の違いは、基本的には家を代表する紋と、それとは別に使用する紋という位置付けにあります。花勝見は大和屋の重要な紋ですが、三ツ大と同じ意味で使われるものではありません。
八代目・九代目には梶の葉を用いた紋もある坂東三津五郎の紋を調べると、花勝見だけでなく梶の葉という名称も登場します。これは代によって使用例が異なるためです。
- 七代目:三ツ大と花勝見が確認できる。
- 八代目:三ツ大のほか、角切角に梶の葉を組み合わせた紋を使用。
- 九代目:三ツ大、花勝見に加えて、梶の葉を使用することも多かった。
- 十代目:三ツ大と花勝見が人物資料に記載されている。
歌舞伎俳優名鑑の九代目の項目には、梶の葉について「代々三津五郎のみ使用」という説明もあります。八代目の項目には角切角に梶の葉を組み合わせた紋が記録されています。
したがって、三ツ大・花勝見・梶の葉をすべて同じ種類の紋として扱うのは正確ではありません。基本となる定紋と替紋に加え、代ごとの使用例を区別することが大切です。
【よくある誤解を検証】坂東三津五郎の歴史で間違えやすいポイント
坂東三津五郎について調べると、初代と七代目の生没年が混同されたり、十代目の家族関係が単純な親子継承として紹介されたりすることがあります。ここでは、特に間違えやすい点を整理します。
誤解1:1882~1961年の人物が初代であるこれは誤りです。1882~1961年は七代目坂東三津五郎の生没年です。初代は1745~1782年で、竹田巳之助から坂東三津五郎を名乗った人物です。
七代目は十二代目守田勘弥の長男であり、坂東三津五郎の名跡を復活させた人物として知られています。両者の生きた時代には約140年の隔たりがあります。
誤解2:歴代の三津五郎は全員が実の親子であるこれも正確ではありません。初代から三代目には実子による継承がありますが、七代目以降には養子縁組や婚姻による継承が含まれます。
特に八代目は七代目の養子、九代目は八代目の長女の夫であり養子、十代目は九代目の実子という関係です。血縁だけでなく、芸を継承するための家制度が名跡を支えてきました。
誤解3:十代目が亡くなったことで坂東流も途絶えた坂東流は十代目の死後も継承されています。2015年以降の家元は、十代目の長男である二代目坂東巳之助です。
歌舞伎の名跡と日本舞踊の家元という二つの役割を分けて考えれば、十代目の死後も流派の活動が続いている理由が理解できます。
【プロの結論】名跡を理解する鍵は血縁ではなく芸の継承坂東三津五郎の歴史から分かるのは、歌舞伎の名跡が単なる家族の名前ではないということです。
初代から三代目にかけて名跡と舞踊の基礎が築かれ、七代目が流派としての坂東流を組織化しました。八代目、九代目、十代目は、それぞれの時代の舞台で伝統を受け継ぎながら、新たな芸を加えてきました。
加えて、十代目の死後には長男の二代目巳之助が坂東流の家元を継承しています。これは、歌舞伎の名跡と日本舞踊の家元という二つの伝統が、それぞれの形で次の世代へ受け渡されていることを示しています。
歴代を調べる際は、次の三つを判断基準にすると情報を整理しやすくなります。
- 人物の特定:生没年と代数を照合し、初代・七代目・十代目を混同しない。
- 家系の確認:実子・養子・娘婿という関係を区別する。
- 継承の確認:歌舞伎の名跡と坂東流の家元を別々に考える。
この三つを押さえることで、歌舞伎俳優としての坂東三津五郎と、日本舞踊坂東流の歴史を一つの流れとして理解できます。
坂東三津五郎に関するよくある質問(FAQ)
Q1:坂東三津五郎の読み方は何ですか?
A1:ばんどうみつごろうです。歌舞伎俳優が代々受け継ぐ名跡で、屋号は大和屋です。
Q2:坂東三津五郎の十代目は誰ですか?
A2:十代目は守田寿(もりた・ひさし)です。1956年1月23日に生まれ、2015年2月21日に59歳で亡くなりました。九代目坂東三津五郎の長男で、2001年に十代目を襲名しました。
Q3:初代坂東三津五郎は誰ですか?
A3:初代は1745~1782年に活躍した歌舞伎役者です。前名は竹田巳之助で、初代坂東三八の養子となり、江戸へ出て坂東三津五郎を名乗りました。
Q4:坂東三津五郎は何代目までいますか?
A4:歴代の名跡は十代目まで継承されています。最後に十代目を名乗ったのは1956~2015年の守田寿です。
Q5:坂東三津五郎と坂東流の関係は何ですか?
A5:三代目坂東三津五郎が坂東流の流祖とされ、七代目が流派として組織化しました。十代目も坂東流の家元を務め、2015年以降は長男の二代目坂東巳之助が家元を継承しています。
Q6:坂東三津五郎の屋号と定紋は何ですか?
A6:屋号は大和屋、定紋は三ツ大です。替紋には花勝見があり、八代目や九代目には梶の葉を用いた紋の使用例もあります。
まとめ:坂東三津五郎の名跡は十代の歴史と坂東流の伝統をつなぐ
坂東三津五郎は、1745年に生まれた初代から続く歌舞伎の名跡です。三代目は日本舞踊坂東流の流祖として舞踊の基礎を築き、七代目は名跡を復活させるとともに、坂東流を組織化して「踊りの神さま」と称されました。
十代目坂東三津五郎は、1956年に九代目の長男として生まれ、2001年に襲名。歌舞伎の舞台で幅広い役柄を演じるとともに、坂東流の家元としても活動しました。2015年に59歳で亡くなりましたが、その芸と伝統は次世代へ引き継がれています。
2026年現在、坂東流の家元を務めているのは二代目坂東巳之助です。十代目の継承を知ることは、単に一人の歌舞伎俳優の生涯を知るだけでなく、名跡、家系、舞踊、屋号、紋がどのように結び付いてきたかを理解することにつながります。
大和屋の三ツ大や花勝見、そして梶の葉という紋にも、それぞれの時代を生きた役者たちの歴史が刻まれています。坂東三津五郎という名前は、十人の役者が積み重ねた芸と、日本舞踊坂東流の伝統を象徴する名跡なのです。
主な事実確認資料: 日本俳優協会、歌舞伎美人、歌舞伎俳優名鑑、国立劇場・文化デジタルライブラリー、小学館デジタル大辞泉、坂東流関係者による解説。