輪島大士(わじま・ひろし)
- 本名:輪島博
- 生年月日:1948年1月11日
- 没年月日:2018年10月8日
- 出身地:石川県七尾市
- 身長:184.5cm
- 体重:125kg
- 所属部屋:花籠部屋
- 最高位:第54代横綱
- 幕内優勝:14回
- 得意技:左四つ、下手投げ、寄り切り
これらの基本プロフィールと戦績は、日本相撲協会の歴代横綱公式プロフィールに掲載されている。特に注目したいのは、輪島が大学相撲を経てプロ入りした力士だったことだ。
学生相撲で頭角を現した日本大学時代輪島は石川県七尾市で生まれ、金沢高校を経て日本大学に進学した。
大学時代は相撲部で実力を発揮し、3年生と4年生の2年連続で学生横綱に輝いた。
学生相撲で実績を残した輪島には、複数の相撲部屋から勧誘があった。最終的に選んだのが花籠部屋だった。
当時の角界では、高校卒業後に入門し、長い年月をかけて番付を上げる力士が一般的だった。大学で実績を積んでから入門する輪島の経歴は、当時としては異色だった。
しかも、輪島は大学相撲の実績をプロの土俵でもそのまま発揮した。学生出身力士として初めて横綱に昇進したことも、その歴史的な価値を物語っている。
【輪島大士はどんな横綱だった?】第54代横綱への昇進と14回の優勝

輪島の相撲人生を語るうえで欠かせないのが、驚異的な出世の速さと、左腕を中心とした独特の取り口である。
初土俵から3年半で横綱へ輪島は1970年1月場所、幕下付け出しで初土俵を踏んだ。
日本相撲協会の記録によると、初土俵後の主な昇進経過は次のとおりだ。
- 1970年1月:初土俵
- 1970年5月:新十両
- 1971年1月:新入幕
- 1972年1月:新三役
- 1972年11月:大関昇進
- 1973年7月:第54代横綱に昇進
1972年5月には幕内初優勝を達成。翌1973年5月場所では15戦全勝で優勝し、場所後に横綱昇進を果たした。
初土俵からわずか3年半ほどで角界の頂点に立ったのである。
幕内優勝14回という実績輪島の幕内優勝回数は14回。
これは昭和の大横綱としての評価を支える大きな数字だ。
加えて、横綱在位は1973年7月から1981年3月までの47場所。横綱としての成績も466勝142敗85休と、長期間にわたって第一線で戦い続けた。
特筆すべきは、優勝回数だけではない。生涯戦歴は673勝234敗85休、68場所。勝率は休場を除く計算で約74.2%に達する。
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 最高位 | 第54代横綱 |
| 横綱在位 | 47場所 |
| 幕内優勝 | 14回 |
| 生涯戦歴 | 673勝234敗85休 |
| 生涯在位 | 68場所 |
| 幕内戦歴 | 620勝213敗85休 |
| 横綱戦歴 | 466勝142敗85休 |
| 三賞 | 殊勲賞3回・敢闘賞2回 |
| 引退 | 1981年3月場所 |
【輪島大士の経歴年表】学生横綱からプロレスラー、そして晩年まで
輪島の人生は、大相撲だけで完結しない。横綱として頂点を極めた後、親方としての挫折、プロレスへの転身、そして病との闘いが続いた。
主要な転換点を年代順に整理する。
| 年代 | 出来事 | 内容 |
|---|---|---|
| 1948年 | 誕生 | 石川県七尾市で生まれる |
| 大学時代 | 学生横綱 | 日本大学3・4年時に連続優勝 |
| 1970年 | 初土俵 | 花籠部屋から幕下付け出しでデビュー |
| 1972年 | 大関昇進 | 幕内初優勝も達成 |
| 1973年 | 横綱昇進 | 第54代横綱に就任 |
| 1970年代 | 輪湖時代 | 北の湖と横綱同士の名勝負を展開 |
| 1981年 | 現役引退 | 花籠部屋を継承 |
| 1985年 | 相撲協会を離れる | 年寄名跡をめぐる金銭問題で廃業 |
| 1986年 | プロレス転向 | 全日本プロレスに入門 |
| 1988年 | プロレス引退 | 体力の限界を理由に現役を退く |
| 2018年 | 死去 | 10月8日、70歳で逝去 |
この年表から分かるのは、輪島の人生が一つの成功物語ではなかったことだ。
現役時代には相撲界の頂点に立ちながら、引退後には親方として大きな挫折を経験した。それでも新しい舞台に挑戦し、プロレスラーとして再び注目を集めた。
1981年3月、33歳で現役引退輪島は1981年3月場所を最後に現役を引退した。
横綱として約8年間在位した後の決断だった。引退後は花籠親方となり、師匠から受け継いだ花籠部屋の運営に携わる。
親方としても後進の育成に取り組み、輪鵬や花ノ国らを関取へと導いた。しかし、部屋経営は長く続かなかった。
横綱時代の華やかな実績とは対照的に、ここから輪島の人生は大きく変わっていく。
【黄金の左と北の湖】輪湖時代を築いた横綱の強さ
輪島の代名詞といえば「黄金の左」だ。
この呼び名は、単に左腕の力が強かったという意味ではない。相手の懐に入り、左下手を取ってから相手の体勢を崩す技術と、そこから繰り出される豪快な下手投げを象徴している。
黄金の左を支えた技術輪島の得意な型は左四つ。
左下手を取って相手の重心をコントロールし、相手の力を利用しながら投げる。正面から力比べをするだけではなく、相手の体勢を見極めて勝負を決める技術が特徴だった。
日本相撲協会も、輪島の得意技として左四つ、下手投げ、寄り切りを記録している。
興味深いのは、左腕ばかりが注目される一方で、右のおっつけも非常に強かったことだ。
2018年の報道では、ライバルだった北の湖も輪島の右のおっつけの強さに言及していたと伝えられている。つまり、左の下手投げだけが独立して強かったのではなく、右側の攻防が左の技を生かしていたのである。
北の湖とのライバル関係が生んだ「輪湖時代」輪島を語るとき、欠かせない人物が第55代横綱の北の湖敏満だ。
1970年代から1980年代初頭にかけて、両者は大相撲の中心的存在として競い合った。この時代は、二人の名前を組み合わせて「輪湖時代」と呼ばれている。
対戦成績は輪島の23勝21敗。ほぼ互角の勝負を繰り広げた。
特に印象的なのが1974年7月の名古屋場所だ。
当時、大関だった北の湖は横綱昇進を狙っていた。一方、輪島は優勝争いの渦中にいた。
千秋楽の本割と優勝決定戦で、輪島は得意の下手投げを繰り出して北の湖に連勝。逆転優勝を決めた。その場所後、北の湖は横綱に昇進する。
この一番は、後に続く輪湖時代を象徴する出来事となった。
両者の相撲には、それぞれの個性が表れていた。
- 輪島: 経験と技術を生かした左四つ、下手投げ。
- 北の湖: 若さと力強さを生かした攻撃的な相撲。
単なる勝敗の競争ではなく、異なる強みを持った二人が互いの実力を引き出す関係だった。
北の湖の存在が輪島の評価を高め、輪島の存在が北の湖の横綱としての成長を際立たせた。これこそ輪湖時代が長く語り継がれる理由の一つだ。
【花籠部屋の廃業理由とプロレス転向】横綱引退後に何があったのか
輪島の生涯で、相撲ファン以外にも強い印象を残しているのが、親方時代の金銭問題とプロレスへの転身だ。
花籠部屋の廃業理由は年寄名跡を担保にした借金1981年に現役を引退した輪島は、花籠部屋を継承した。
しかし、1985年に年寄名跡を借金の担保にしていた問題が発覚する。
年寄名跡とは、引退した力士が親方として日本相撲協会に所属するために必要な資格に関わるものだ。相撲界における親方の地位や部屋の継承にも関係する重要な仕組みである。
この名跡を借金の担保にしたことが協会の問題となり、輪島は2階級降格と無期限謹慎の処分を受けた。
そして1985年12月、日本相撲協会を廃業することになった。
花籠部屋は存続できなくなり、所属力士たちは放駒部屋へ移籍した。
日刊スポーツの当時の経緯を振り返る報道でも、年寄名跡をめぐる金銭問題が廃業の背景として説明されている。
この出来事は、横綱として輝かしい実績を残した人物が、親方としては相撲界を去ることになったという点で、当時大きな衝撃を与えた。
1986年、全日本プロレスに入門相撲界を離れた輪島が次に選んだのは、プロレスだった。
1986年4月、輪島はジャイアント馬場が率いる全日本プロレスに入門する。
元横綱がプロレスラーになるという展開は、当時のスポーツ界でも異例の出来事だった。
輪島はアメリカなどでトレーニングを積み、1986年8月にはアメリカで試合に出場。ジャイアント馬場とのタッグでデビュー戦を白星で飾ったと日刊スポーツは伝えている。
日本国内でのデビュー戦は、同年11月1日。故郷の石川県七尾市で開催された全日本プロレスの大会だった。
対戦相手はタイガー・ジェット・シン。結果は両者反則による引き分けだった。
必殺技ゴールデン・アームボンバープロレスラーとしての輪島には、ゴールデン・アームボンバーという必殺技があった。
これは喉輪落としと呼ばれる技で、相撲時代の力強さをプロレスのリング上で生かしたものだった。
また、ジャイアント馬場から空手チョップを伝授されるなど、相撲とは異なる技術を身につけようとした。
ただし、プロレスでの活動期間は長くなかった。
1988年12月、体力の限界を理由に引退。実質的に約2年8か月という短いレスラー人生だった。
プロレスラーとしての実績だけを見れば、相撲時代のような圧倒的な成功を収めたわけではない。しかし、元横綱という知名度を生かし、全日本プロレスの興行やテレビ中継に大きな話題をもたらした。
プロレス引退後の活動プロレス引退後も輪島は表舞台から完全に姿を消したわけではなかった。
報道によると、社会人アメリカンフットボールチームの総監督を務めたほか、タレントとしても活動した。
相撲、プロレス、テレビ出演と、異なる分野で存在感を示した点は、輪島という人物の個性をよく表している。
【輪島大士の現在】2018年の死去と2026年に語り継がれる功績
「輪島大士は現在どうしているのか」「2026年も活動しているのか」と検索する人もいる。
輪島は2018年10月8日、70歳で亡くなっている。
日刊スポーツの2018年10月10日の報道によると、死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。
同報道では、東京都世田谷区の自宅で亡くなったことも伝えられている。
晩年は病気と闘っていた輪島は晩年、病気との闘いを続けていた。
2015年には咽頭がんの手術を受け、発声が困難になっていたことが当時の報道で明らかになっている。
北の湖が2015年に亡くなった際には、輪島も病気と闘いながらコメントを寄せた。
かつてのライバルを失ったことについて、寂しさを語っていたことも報じられている。
2026年現在も残る輪島大士の記録2026年現在、輪島本人の新たな活動はない。
しかし、日本相撲協会の公式記録には第54代横綱としてのプロフィール、横綱在位、幕内優勝14回、生涯戦歴が残されている。
また、北の湖との輪湖時代は、昭和の大相撲を代表する名勝負の歴史として記録されている。
輪島の功績を評価する際には、次の3点が特に重要だ。
1. 学生相撲出身者として初めて横綱に昇進したこと。
2. 幕内優勝14回を記録し、昭和の相撲界を代表する横綱になったこと。
3. 引退後もプロレスという新しい競技に挑戦し、異色のキャリアを築いたこと。
相撲界での成功だけでなく、その後の人生も含めて輪島大士という人物の歴史が形作られている。
【プロの結論】輪島大士の評価は横綱時代だけでは語れない
輪島大士の生涯を振り返ると、単純な勝利数や優勝回数だけでは説明できない魅力が見えてくる。
その評価を考えるうえで、押さえておきたい要点は3つある。
第一に、大学相撲から角界の頂点に上り詰めた先駆性。
学生横綱2連覇を経て、初土俵から約3年半で横綱に昇進した経歴は、大学相撲出身者の可能性を示した。
第二に、技術と勝負強さを兼ね備えた相撲。
黄金の左と呼ばれた下手投げは、単なる怪力ではなく、相手の重心を見極める技術に裏打ちされていた。北の湖との輪湖時代も、その実力を証明する歴史だった。
第三に、引退後も新しい舞台に挑戦した行動力。
花籠部屋の廃業という挫折を経験しながら、全日本プロレスに入門したことは、一般的な横綱の引退後とは大きく異なる選択だった。
もちろん、親方時代の金銭問題やプロレスラーとしての短い活動期間も、輪島の経歴を理解するうえで外せない。
栄光だけを取り上げても、挫折だけを取り上げても、その人物像は正確には伝わらない。横綱としての実績と、その後の人生を合わせて評価することが大切だ。
【輪島大士に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:輪島大士は現在も生きていますか?
輪島大士は2018年10月8日に70歳で亡くなっている。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱と報じられた。
Q2:輪島大士は第何代横綱ですか?
第54代横綱である。1973年7月に横綱へ昇進し、1981年3月まで横綱として在位した。
Q3:輪島大士の幕内優勝は何回ですか?
幕内優勝は14回。日本相撲協会の公式記録に掲載されている。
Q4:「黄金の左」とは何ですか?
輪島の得意技だった左四つと下手投げを象徴する呼び名である。左下手を取って相手の体勢を崩し、豪快な投げにつなげる技術が特徴だった。
Q5:輪島大士が花籠部屋を廃業した理由は何ですか?
1985年に年寄名跡を借金の担保にしていた問題が発覚し、相撲協会から処分を受けたためである。同年12月に廃業し、所属力士は放駒部屋に移籍した。
Q6:輪島大士はプロレスラーとしても活動していましたか?
活動していた。1986年に全日本プロレスへ入門し、同年11月に日本国内でデビュー。ゴールデン・アームボンバーを得意技とし、1988年12月に引退した。
まとめ:輪島大士が昭和の大横綱として記憶される理由
輪島大士は、学生相撲から大相撲の頂点に上り詰め、第54代横綱として幕内優勝14回を記録した昭和の名横綱だった。
黄金の左を武器に北の湖と輪湖時代を築き、生涯戦歴673勝234敗85休という実績を残した。
一方、1981年の現役引退後には花籠部屋の廃業、全日本プロレスへの転向、1988年のプロレス引退という波乱の人生を歩んだ。
2018年10月8日に70歳で亡くなってからも、その名前は日本相撲協会の歴代横綱記録に刻まれている。
輪島大士は、横綱としての圧倒的な実力と、引退後の異色の挑戦を併せ持った人物だった。
2026年に昭和の大相撲を振り返るとき、北の湖との輪湖時代、そして黄金の左を忘れることはできない。
主な参考資料:日本相撲協会「歴代横綱・輪島大士プロフィール」「大相撲クイズ No.193」、テレビ朝日ニュース、日刊スポーツ(2018年10月9日・10日付)、ベースボール・マガジン社、Number Web。