俳優・歌手として幅広く活躍する菅田将暉さん。2026年11月現在33歳となった彼は、どのような子ども時代を過ごしてきたのでしょうか。本人のインタビューをたどると、幼稚園や小学生の頃はサッカー選手を夢見て、水泳、ピアノ、英会話、ダンスなど多くの習い事に取り組む活発な少年だったことが分かります。
なかでも印象的なのが、小学1年生頃の大雨の日に側溝を歩いて帰宅したエピソードです。太ももにしがみついていたアリを見て、思いがけない感情を抱いたと本人が振り返っています。加えて、母・菅生好身さんが明かした3兄弟の心温まるエピソードからは、弟思いの長男としての素顔も見えてきます。大阪で育った少年が、どのように現在の俳優・アーティストへ成長したのかを紹介します。
【菅田将暉の幼少期とは?大阪で育った少年時代のプロフィール】

菅田将暉さんは、1993年2月21日生まれ、大阪府出身の俳優・歌手です。本名は菅生大将(すごう・たいしょう)。芸名の菅田将暉として活動を始める以前は、大阪で両親と弟2人に囲まれて育ちました。
ソニーミュージックの公式プロフィールでも、大阪府生まれであることや、2009年に『仮面ライダーW』でデビューした経歴が紹介されています。
幼少期を振り返る本人の話には、スポーツ好きな一面、好奇心旺盛な性格、そして家族との思い出がたびたび登場します。
幼い頃から好奇心旺盛で活発だった2012年のシネマトゥデイのインタビューで、少年時代の自分について尋ねられた菅田さんは、かなりやんちゃだったと振り返っています。
その象徴的なエピソードが、家の近くにあったハチの巣を何度もたたいていたという話です。ハチが一斉に飛び出してきて逃げる途中、階段で足を捻挫してしまったこともあったそうです。
危険を顧みず興味を持ったことに向かっていく姿からは、子どもらしい大胆さが伝わります。
一方、2016年の週刊女性PRIMEでは、関係者の証言として、幼い頃は静かに本を読むことも多く、その落ち着いた雰囲気から「王子」と呼ばれていたという話も紹介されました。
やんちゃな一面と、静かに自分の世界を楽しむ一面。菅田さんの幼少期は、単純に活発な少年という言葉だけでは表せない、多彩な性格を持っていたようです。
【幼稚園・小学生時代】サッカー選手の夢と多彩な習い事
菅田将暉さんの幼稚園時代から小学生時代にかけて、特に印象的なのがサッカーへの熱中ぶりです。
2019年に掲載されたNumero TOKYOの35の質問では、幼稚園・小学校時代の夢を尋ねられ、本人はサッカー選手と答えています。
水泳・ピアノ・英会話・ダンスにも挑戦菅田さんは自分自身を習い事少年だったと振り返っています。子どもの頃に経験した習い事は、次のようなものでした。
- サッカー
- ピアノ
- 水泳
- 英会話
- ダンス
子ども応援便りの本人インタビューによると、毎日何かしらの教室に通うほど忙しい生活を送っていたそうです。
特にサッカーは週4日ほど取り組んでいたと、2019年の家庭画報のインタビューで明かしています。サッカー以外にもピアノ、水泳、英会話、ダンスがあり、小学生時代からかなり充実したスケジュールだったようです。
ただし、本人が何でも最初から最後まで楽しんでいたわけではありません。友達と校庭で遊ぶことに夢中になり、習い事を休みたくなる日もありました。
ピアノのレッスンに行かなければならないのに、サッカーを続けていたところ、母親が自転車で迎えに来たという思い出もラジオで語っています。
習い事には自分で決めた期限があった菅田さんの幼少期を語るうえで見逃せないのが、習い事を始めるときの家庭のルールです。
本人は2023年のVOCEのインタビューで、好きなことに挑戦させてもらう一方、いつまで続けるのかを自分で決めるように言われていたと説明しています。
例えば、ピアノは中学校を卒業するまで続けると幼稚園の頃に決めていたそうです。別の本人インタビューでは、水泳はバタフライを泳げるようになるまで、ピアノは教則本のバイエルを終えるまでという具体的な目標も紹介されています。
このように、単に多くの習い事を経験しただけではなく、自分で決めた目標を最後までやり遂げることも大切にされていました。
ピアノは約10年間続けていたピアノは幼稚園頃から中学生まで、約10年間続けた習い事です。
2020年10月、菅田さんは自身がパーソナリティを務めていたニッポン放送のラジオ番組で、実家にあったピアノを手放すことになったと話しました。
そのピアノが地元のピアノ教室に譲られ、偶然にも当時の先生のもとに届いたことを知ったそうです。加えて、その先生が菅田さんの楽曲「まちがいさがし」をピアノで演奏する動画を送ってくれました。
幼い頃のレッスンや、友達とサッカーをしていて母親に呼び戻された思い出がよみがえり、思わず涙が出たと振り返っています。
子どもの頃には当たり前だった習い事が、大人になってから大切な思い出として残っていたことが分かるエピソードです。
【小学1年生の衝撃エピソード】側溝を歩いた菅田将暉とアリの記憶
菅田将暉さんの幼少期エピソードのなかでも、特に印象的なのがアリと側溝にまつわる話です。
2022年9月、WEBザテレビジョンのインタビューで幼い頃の記憶について尋ねられた菅田さんは、アリにまつわる不思議な思い出を語りました。
大雨の日、胸の下まで水が来る側溝を歩いて帰宅本人の記憶によると、小学1年生頃、川が氾濫するほどの激しい雨が降った日がありました。
菅田さんは道路脇にある側溝を歩くことが好きだったそうですが、その日は側溝の水が非常に深く、胸の下あたりまで達していたといいます。
それにもかかわらず、本人は堂々と水の中を歩いて帰宅。家に到着すると、当然ながら両親からひどく怒られてしまいました。
子どもにとっては冒険のような出来事だったの可能性がありますが、現在の視点で考えると非常に危険な行動です。増水した側溝には流される危険や、見えない障害物にぶつかる危険があります。
太ももにしがみついていたアリに感動さらに驚くのは、その後の出来事です。
菅田さんは怒られたあと、風呂場でズボンを脱いだ際、自分の太ももにアリがかみついていることに気づきました。
そこで彼は、激しい水流の中でも必死にしがみつき、自分と一緒に帰ってきたアリの姿を想像したそうです。
当時はまだ小学1年生。それでも、小さなアリが必死に生きている姿に感動し、まるで一緒に冒険してきた相棒のように感じたと振り返っています。
本人は別の幼少期の記憶として、アリを食べていたことも冗談交じりに話しています。アリに関する記憶が強く残っていたことがうかがえます。
このエピソードで興味深いのは、単に危険な行動をしたという点ではありません。小さな生き物に対しても想像を膨らませ、その存在に感情移入したところです。
好奇心旺盛で大胆な少年でありながら、身近なものをじっくり観察する感性も持っていたことが伝わってきます。
【母・菅生好身さんが明かす】菅田将暉は3兄弟の優しい長男だった
菅田将暉さんの子供時代を知るうえで欠かせない人物が、母親の菅生好身(すごう・よしみ)さんです。
好身さんは2021年11月に、辰巳出版から『3兄弟のあしあと 才能の芽を育んだ菅生家の子育て記』を刊行しました。この本には、菅田さんをはじめとする3人の息子の幼少期から中高生時代までの写真や、家族の具体的なエピソードが収録されています。
弟が生まれたとき、3歳半の菅田将暉が取った行動母・好身さんが週刊女性PRIMEの取材で明かしたのが、次男が生まれたときのエピソードです。
当時3歳半だった菅田さんは、弟が生まれると、自分の大切なフィギュアをたくさん持ってきて赤ちゃんの横に並べたそうです。
そして、まだ小さな弟に一緒に遊ぼうとするような姿を見せたといいます。
母親は、この出来事をきっかけに、長男が自然とお兄ちゃんになっていったと振り返っています。
まだ幼い年齢にもかかわらず、自分の大切な宝物を弟と共有しようとした姿からは、面倒見のよい性格が感じられます。
菅生家の3兄弟と家族関係菅田将暉さんは3人兄弟の長男です。弟は、アーティストとして活動するこっちのけんとさんと、俳優として活動する菅生新樹さんです。
母親の証言や出版元の情報をもとに、家族の関係とエピソードを整理しました。
| 人物 | 家族内の関係 | 確認できるエピソード・活動 |
|---|---|---|
| 菅田将暉(菅生大将) | 長男 | 3歳半の頃、次男の誕生時に自分のフィギュアを並べて迎えた。 |
| 菅生好身さん | 母親 | 3兄弟を育て、子どもたちの個性を尊重する子育てについて講演や執筆を行う。 |
| こっちのけんと(菅生健人) | 次男 | 菅田将暉さんの弟。音楽や映像など幅広い分野で活動する。 |
| 菅生新樹さん | 三男 | 菅田将暉さんの弟。俳優として活動する。 |
| 父・菅生新さん | 父親 | 3兄弟の父。家族の子育てや日常について母親の著書などでも紹介されている。 |
また、2023年の神戸新聞の報道によると、3兄弟は全員自宅で生まれています。長男のへその緒は父親が、次男のときは菅田さんが、三男のときは兄2人が切ったそうです。
こうしたエピソードからも、兄弟の誕生を家族全員で迎えてきたことが分かります。
夕食時の「今日良かったことを3つ」という家庭の習慣菅生家の子育てで特徴的なのが、家族のコミュニケーションを大切にする習慣です。
好身さんは2023年の講演で、夕食時にはテレビや携帯電話を消し、家族が一人ずつその日に良かったことを3つ話す習慣があったと紹介しています。
子どもが話したことに対して、最初から否定するのではなく、共感する言葉を返すことを意識していたそうです。
加えて、家族それぞれの良いところを3つ挙げる機会も設けていました。
母親は、こうした積み重ねによって、子どもたちが人の短所よりも長所に目を向けられるようになったと説明しています。
兄弟を比較するのではなく、それぞれの個性を尊重する。この家庭環境は、長男として育った菅田さんの人間形成を考えるうえでも興味深い要素です。
【数学好きで教師志望だった】幼少期から俳優・歌手になるまでの経緯
菅田将暉さんの将来の夢は、幼稚園・小学校時代のサッカー選手だけではありません。成長するにつれて興味の対象が変化し、中学時代には数学の教師を目指していたこともあります。
数学が好きで友達に勉強を教えていた2020年8月放送のTBS系『サワコの朝』に出演した際、菅田さんは、もともと学校の教師になるつもりだったと明かしました。
理由は数学が好きだったからです。特に中学数学が得意で、同級生に問題を教えることもあったといいます。
友達に教えた内容がテストで良い結果につながると、自分もうれしかったそうです。人に何かを伝え、相手の役に立つことに喜びを感じていた様子が伝わります。
2019年の映画『アルキメデスの大戦』では数学者を演じ、撮影現場で子役に夏休みの算数を教える機会もありました。本人は、かつての教師になる夢を少しだけ果たせたと語っています。
15歳でオーディションに挑戦し、16歳で俳優デビュー俳優になるきっかけは、高校2年生の頃に応募したファッション誌関連のコンテストでした。
2008年開催の第21回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでファイナリストに選ばれましたが、グランプリや各賞の受賞には至りませんでした。
しかし、この経験が芸能界入りにつながり、翌2009年、テレビ朝日系『仮面ライダーW』で主演を務めることになります。
当時16歳だった菅田さんは、大阪の実家を離れて東京で生活を始めました。母親は週刊女性PRIMEの取材で、下の弟たちがまだ幼かったため一緒に上京できなかったことや、電話で息子を気遣っていたことを振り返っています。
俳優だけでなく音楽の世界にも活動を広げるその後の主な経歴を整理すると、次のようになります。
- 1993年:大阪府で生まれる。
- 2008年:ジュノン・スーパーボーイ・コンテストのファイナリストに選出。
- 2009年:『仮面ライダーW』で俳優デビュー。
- 2013年:映画『共喰い』で第37回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。
- 2017年:ソロ歌手として本格的に音楽活動を開始。映画『あゝ、荒野』などでも高い評価を受ける。
- 2019年:ドラマ『3年A組―今から皆さんは、人質です―』や楽曲「まちがいさがし」で注目を集める。
- 2023年:映画『銀河鉄道の父』や『ミステリと言う勿れ』などに出演。
- 2025年:映画『サンセット・サンライズ』や『ミーツ・ザ・ワールド』などに参加。
- 2026年:音楽活動を続けながら、映画『人生を変えたコント』の主題歌「君が笑うまで」を担当。映画『死の谷’95』では監督・脚本・主演を務めることも発表された。
2026年11月現在、菅田さんは俳優・歌手という枠を超えて、楽曲提供や映画制作にも活動の幅を広げています。
幼少期のサッカー少年から、数学教師を夢見た学生時代、そして現在の多彩な表現活動へ。興味を持ったことに挑戦し続ける姿勢は、子ども時代のエピソードとも重なります。
【菅田将暉の子供時代の性格】現在につながる3つの特徴
本人のインタビューや母親の証言を整理すると、菅田さんの幼少期には、現在の活動にも通じる特徴が見えてきます。
1. 興味を持ったことに迷わず挑戦する好奇心サッカーやピアノをはじめ、複数の習い事に自分から挑戦していた菅田さん。ハチの巣や側溝のエピソードからも、身の回りの出来事に強い興味を持っていたことがうかがえます。
一つのことだけに集中するのではなく、さまざまな分野に関心を広げる性格は、俳優業に加えて音楽や映画制作にも挑戦する現在の姿と重なります。
2. 自分で決めたことをやり遂げる継続力習い事を始める際に、自分で期限や到達点を決めていたことも要点です。
水泳やピアノなど、途中でやめたくなることがあっても、自分で決めた目標を意識して続けていたと本人は語っています。
これは、単に親に言われたから続けたという話ではありません。好きなことに挑戦する自由と、自分で決めたことへの責任を両立させる経験だったと考えられます。
3. 人や生き物の立場を想像する感受性アリが自分の太ももにしがみついていた話は、菅田さんの感性を象徴するエピソードです。
小さなアリの立場を想像し、必死に生きようとする姿に心を動かされたという記憶は、単なる子どもの冒険談とは少し違います。
また、数学を友人に教えて喜んでいたという話や、家族の中で良かったことを共有する習慣も、人との関わりを大切にする側面につながっています。
もちろん、現在の演技力や音楽性を幼少期の経験だけで説明することはできません。それでも、好奇心、継続力、他者への想像力という3つの要素は、菅田さんの歩みを理解する手がかりになります。
【菅田将暉の幼少期】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:菅田将暉の幼稚園・小学生時代の夢は何でしたか?
A1:本人がNumero TOKYOのインタビューで明かしたところによると、幼稚園・小学校時代の夢はサッカー選手でした。サッカーは週4日ほど取り組むほど好きだったそうです。
Q2:菅田将暉が幼少期にしていた習い事は何ですか?
A2:サッカー、ピアノ、水泳、英会話、ダンスなどです。特にピアノは幼稚園頃から中学生まで約10年間続けていました。始める際に自分で期限や目標を決めていたことも特徴です。
Q3:菅田将暉のアリと側溝のエピソードとは何ですか?
A3:小学1年生頃、大雨の日に胸の下あたりまで水がある側溝を歩いて帰宅したところ、太ももにアリがかみついていました。そのアリが激流の中を必死に自分と一緒に進んできたように感じ、相棒のような気持ちになったという本人の思い出です。
Q4:菅田将暉は何人兄弟ですか?
A4:3人兄弟の長男です。弟はアーティストのこっちのけんとさんと俳優の菅生新樹さんです。
Q5:菅田将暉は子どもの頃から俳優を目指していたのですか?
A5:幼稚園・小学校時代の夢はサッカー選手でした。また、学生時代には数学教師を目指していたこともあります。高校2年生でオーディションに応募したことが芸能界入りのきっかけになりました。
まとめ:菅田将暉の幼少期には現在につながる素顔があった
菅田将暉さんの幼少期を振り返ると、サッカーに夢中になり、ピアノや水泳など多彩な習い事に取り組んでいた活発な少年の姿が浮かび上がります。
小学1年生頃の側溝とアリのエピソードには、好奇心旺盛な性格だけでなく、小さな生き物に感情移入する豊かな感性も表れています。
また、3歳半で弟を迎えた際に大切なフィギュアを並べた話や、母・菅生好身さんが紹介した家族のコミュニケーション習慣からは、菅生家の温かな家族関係が伝わってきます。
サッカー選手を夢見た幼稚園・小学生時代、数学教師を目指した学生時代、16歳での俳優デビュー、そして2026年の俳優・音楽・映画制作への挑戦。菅田将暉さんの歩みには、幼い頃からさまざまなことに興味を持ち、自分の可能性を広げてきた姿が見て取れます。
子ども時代の何気ない経験や家族との思い出が、後年になって大切な財産になることもあります。菅田さんの幼少期は、現在の多彩な活動を知るうえでも興味深い原点となっています。