小島三児(こじまさんじ)は、昭和の演芸界でコメディアンとして活躍し、その後は映画やテレビドラマで存在感を発揮した日本の俳優です。本名は小島文男。1939年1月1日に東京都足立区千住で生まれ、東八郎、原田健二と結成した「トリオスカイライン」のメンバーとして人気を集めました。
コメディアンとして培った独特の間と親しみやすい存在感は、俳優に転身してからも生かされました。黒澤明監督の映画『どですかでん』や、山田洋次監督の『男はつらいよ 寅次郎の休日』、松竹の『釣りバカ日誌9』など、現在も知られる映画作品に出演しています。
2001年4月16日に62歳で亡くなりましたが、出演作品を振り返ると、昭和の喜劇から映画、時代劇、テレビドラマまで幅広い活動を続けた人物だったことがわかります。
【プロフィール】小島三児の本名・生年月日・出身地は?

小島三児は、昭和の演芸界から映画・テレビ界へと活動の幅を広げた俳優・コメディアンです。
人物事典『新撰 芸能人物事典 明治~平成』を掲載するコトバンクによると、本名や出身地、学歴などの基本情報は次のとおりです。
| 項目 | プロフィール |
|---|---|
| 芸名 | 小島三児 |
| 読み方 | こじまさんじ |
| 本名 | 小島文男 |
| 生年月日 | 1939年1月1日 |
| 出身地 | 東京都足立区千住 |
| 学歴 | 駒込学園高校卒業 |
| 職業 | コメディアン・俳優 |
| 所属していたグループ | 殿様コンビ、トリオスカイライン |
| 逝去日 | 2001年4月16日 |
| 享年 | 62歳 |
検索する人が特に気になるのが、本名と芸名の違いです。
小島三児という名前は芸名であり、本名は小島文男です。
人物事典では、1939年1月1日生まれ、東京都足立区千住出身と記録されています。東京の下町で生まれ育ち、駒込学園高校を卒業した後、芸能の世界へ進みました。
芸名の「三児」という名前で広く知られていますが、人物の基本情報を調べる際には、本名の小島文男も重要な検索情報になります。
佐山俊二に弟子入りして芸能界へ小島三児の芸能活動の出発点には、コメディアンの佐山俊二がいます。
高校卒業後に佐山俊二へ弟子入りし、演芸の世界で経験を積みました。
1961年には浅草、池袋、新宿などのストリップ劇場でコントを演じるようになります。
当時の浅草は、舞台芸人やコメディアンが芸を磨く場所として知られていました。テレビが一般家庭に普及していく一方、劇場では観客の反応を直接受けながら笑いを作る芸人たちが活動していました。
小島三児も、そうした舞台で経験を積み、後のトリオスカイラインにつながる芸風を形成していきます。
【芸能活動の転機】東八郎・原田健二とトリオスカイラインを結成
小島三児のキャリアを語るうえで欠かせないグループ
小島三児の名前を語るうえで欠かせないのが、トリオスカイラインです。
東八郎、原田健二とともに結成したこのグループは、昭和のテレビ演芸を代表するコントグループの一つでした。
殿様コンビを経てトリオスカイラインへ小島三児は、トリオスカイラインを結成する以前に「殿様コンビ」というグループでも活動していました。
その後、東八郎や原田健二とともに活動するようになり、1965年にトリオスカイラインを結成したと『新撰 芸能人物事典 明治~平成』に記録されています。
当時はテレビの普及によって、芸人の活躍の場が劇場から放送メディアへと広がっていた時代です。
トリオスカイラインも、そうした時代の変化のなかで人気を獲得していきました。
小島三児の持ち味は一拍ずらすボケトリオスカイラインにおける小島三児の特徴は、大柄な体格を生かしたボケ役でした。
人物事典では、一拍間を外すボケ役として人気を集めたことが紹介されています。
コントでは、台詞そのものだけでなく、相手の発言に対する反応のタイミングも笑いを生みます。
すぐに返答するのではなく、わずかに間を置いて反応する。その時間差が予想外の笑いにつながるという芸風です。
この特徴は、後年の俳優活動にもつながる個性でした。
東八郎・原田健二との関係東八郎は、後に単独のコメディアンとしても広く知られるようになった芸人です。
原田健二もトリオスカイラインのメンバーとして活動し、後にはお笑いグループ「ナンセンス」などで知られました。
3人の活動は1971年に解散という節目を迎えます。
その後、小島三児は独立し、映画やテレビドラマの俳優として活動を続けました。
【出演映画】小島三児の代表作と役柄を紹介
小島三児の俳優としての魅力は、出演作品の幅広さにも表れています。
コメディアンとしての経験を持ちながら、社会派作品、時代劇、人情映画、シリーズものなど、異なるジャンルの作品に出演しました。
1.『どですかでん』(1970年)監督:黒澤明/製作:四騎の会・東宝
小島三児の映画出演歴を振り返るうえで、特に注目したいのが黒澤明監督の『どですかでん』です。
1970年に公開された本作は、山本周五郎の小説『季節のない街』を原作とする作品です。
貧しい人々が暮らす街を舞台に、それぞれの生活や人間模様を描いています。
国立映画アーカイブの所蔵映画フィルム検索システムでは、小島三児の役名は「泥棒」と記録されています。
黒澤明監督作品に出演したという経歴は、小島三児の俳優活動を理解するうえで要点です。
2.『男はつらいよ 寅次郎の休日』(1990年)1990年12月22日に公開された『男はつらいよ 寅次郎の休日』は、山田洋次監督によるシリーズ第43作です。
この作品で小島三児は、茶屋の主人を演じています。
松竹の公式作品ページでは、日田で寅さんが出会う茶屋の夫婦が登場人物として紹介されています。
同ページでは小島三児の名前が「児島三児」と表記されています。一方、映画.comなどの出演者情報では「小島三児」とされています。
このような表記の違いがあるため、出演歴を調べる際には作品名と役柄も合わせて確認することが大切です。
主演の渥美清をはじめ、後藤久美子、倍賞千恵子、吉岡秀隆、寺尾聰などが出演した作品であり、小島三児もシリーズ作品の一員として参加しています。
3.『釣りバカ日誌9』(1997年)小島三児の出演映画として、もう一つ押さえておきたいのが1997年公開の『釣りバカ日誌9』です。
松竹の公式作品情報によると、公開日は1997年9月6日。
監督は栗山富夫、脚本は山田洋次と朝間義隆です。
主演は西田敏行と三國連太郎。小島三児は、劇中で吉永という役を演じています。
この作品では、浜崎伝助と鈴木一之助を中心に、会社での人間関係や仕事、恋愛模様が描かれています。
昭和の喜劇映画から平成の人気シリーズ映画まで出演していたことは、小島三児の長い俳優活動を示す一例です。
そのほかの主な出演映画小島三児の出演映画は、上記の3作品だけではありません。
人物別の映画出演情報には、1970年代から1990年代にかけて、次のような作品が掲載されています。
| 公開年 | 作品名 | 作品の特徴 |
|---|---|---|
| 1971年 | 日本一のショック男 | 喜劇映画 |
| 1974年 | ルパン三世 念力珍作戦 | 漫画原作の実写映画 |
| 1975年 | がんばれ!若大将 | 若大将シリーズ |
| 1977年 | トラック野郎 度胸一番星 | 人気カーアクションシリーズ |
| 1979年 | 神様のくれた赤ん坊 | 人情ドラマ |
| 1984年 | 晴れ、ときどき殺人 | ミステリー映画 |
| 1985年 | 夢千代日記 | 人間ドラマ |
| 1987年 | イタズ 熊 | 動物を題材にした映画 |
| 1988年 | 花園の迷宮 | ミステリー映画 |
| 1989年 | 春来る鬼 | 映画作品 |
| 1991年 | 仔鹿物語 | 動物を題材にした映画 |
| 1997年 | 実録新宿の顔 新宿愚連隊物語 | 実録映画 |
出演作を年代順に見ると、特定のジャンルに限定されず、喜劇から人情もの、ミステリーまで幅広い作品に参加していたことがわかります。
【テレビドラマ】大河ドラマや『斬り捨て御免!』にも出演
映画だけでなく、テレビドラマでも小島三児は活躍しました。
特にNHK大河ドラマや時代劇への出演歴は、コメディアンとしてのイメージだけでは捉えきれない俳優としての一面を示しています。
NHK大河ドラマへの出演人物事典に掲載されている主な出演作には、次の作品があります。
- 『国盗り物語』(1973年)
- 『風と雲と虹と』(1976年)
- 『花神』(1977年)
- 『黄金の日日』(1978年)
- 『徳川家康』(1983年)
なかでも『風と雲と虹と』では、くぐつの男、『花神』では糸根の平太郎、『黄金の日日』では鬼丸を演じたとされます。
時代や人物設定の異なる作品に出演していたことからも、役柄に応じて演技を変える脇役俳優としての活動がうかがえます。
『斬り捨て御免!』では勘兵衛役小島三児のテレビ出演歴で注目されるのが、テレビ東京系の時代劇『斬り捨て御免!』です。
1980年に放送された第1シリーズで、勘兵衛役を担当しました。
BSフジの番組紹介では、中村吉右衛門演じる花房出雲を中心とした出演者の一人として、小島三児の名前が掲載されています。
勘兵衛は、作品のなかで物語に関わる人物です。
また、出演歴には『斬り捨て御免!II』も確認できます。
ほかにも、次のようなテレビドラマが知られています。
- 『俺たちの祭』
- 『半七捕物帳』
- 『遠山の金さん』
- 『金田一耕助シリーズ』
- 『十津川警部シリーズ』
- 『刑事追う!』
小島三児のキャリアを考えるうえで興味深いのは、トリオスカイラインの解散後も芸能界で活動を続けたことです。
コメディアンとして人気を集めた芸能人が、グループ解散後に必ずしも俳優として成功するとは限りません。
小島三児の場合、舞台で培った表情や間の取り方、身体を使った表現を映画・テレビの現場でも生かしていたと考えられます。
特に時代劇では、主役を引き立てる脇役の存在が作品の世界観を支えます。
大河ドラマや連続時代劇への出演歴は、長年にわたってさまざまな制作現場で必要とされていたことを示すものです。
【2001年4月16日】小島三児の死去と晩年の芸能活動
小島三児は、2001年4月16日に亡くなりました。
生年月日は1939年1月1日であるため、享年は62歳です。
訃報記録をまとめた資料では、死因は腎不全とされています。
62歳で迎えた最期小島三児が亡くなったのは、2001年4月16日です。
昭和の演芸界で活動を始め、テレビの普及期にコントグループの一員として人気を獲得。その後は俳優として映画やテレビドラマに出演し続けました。
その活動歴をたどると、舞台芸人から映像作品の俳優へと仕事の中心を移していったことがわかります。
死去に関する情報については、腎不全という記録が残されています。
一方、晩年の詳しい生活状況や病気の経過、家族との関係については、広く確認できる公的な資料が限られています。
晩年まで続いた映画・テレビへの出演小島三児の出演歴を見ると、1990年代にも作品への参加が確認できます。
1990年には『男はつらいよ 寅次郎の休日』、1996年にはテレビドラマ『刑事追う!』、1997年には『釣りバカ日誌9』や『実録新宿の顔 新宿愚連隊物語』などに出演しています。
特に1997年の『釣りバカ日誌9』は、出演歴のなかでも後年の映画作品として確認しやすい作品です。
ただし、映画やテレビの出演記録だけから、これらを最後の出演作と断定することはできません。
確認できる範囲でも、1990年代まで俳優として活動していたことは明らかです。
2026年現在、小島三児はどうなっている?2026年10月現在、小島三児はすでに逝去しています。
2001年4月16日の死去から25年が経過しました。
そのため、現在の芸能活動や新しい出演作品はありません。
一方で、出演した映画やテレビドラマは現在も作品資料や出演者データベースに記録されています。
特に『どですかでん』『男はつらいよ 寅次郎の休日』『釣りバカ日誌9』などは、作品そのものを通じて小島三児の俳優としての活動を振り返る手掛かりになります。
【人物像と芸能史】小島三児が残した足跡とは?
小島三児の芸能活動を振り返ると、単なる映画の脇役や昭和のコメディアンという説明だけでは、そのキャリアの全体像を捉えきれません。
重要なのは、劇場演芸からテレビ、映画へと活動の場が変化していく時代を経験した人物だったことです。
浅草の舞台で磨いた芸が映像作品につながった小島三児が芸能界で活動を始めた1960年代初頭は、テレビが急速に普及していく時代でした。
それまで劇場で芸を披露していた芸人にとって、テレビへの進出は新たな活動の機会でした。
トリオスカイラインの活動は、そうした演芸界の変化と重なっています。
小島三児の持ち味だった一拍ずらすボケは、観客の反応を見ながら間を調整する舞台経験から生まれた芸風として理解できます。
脇役として作品の世界を支えた存在俳優としての小島三児は、主演を中心にした作品のなかでさまざまな役柄を演じました。
『どですかでん』では泥棒、『男はつらいよ 寅次郎の休日』では茶屋の主人、『釣りバカ日誌9』では吉永という役を担当しています。
いずれも作品の中心人物ではありませんが、映画に登場する人物の生活感や人間関係を作る役割を担っています。
これは日本映画における脇役俳優の重要性を考えるうえでも興味深い経歴です。
【プロの結論】小島三児を評価するなら3つの視点が重要小島三児の芸能史上の足跡を理解するには、次の3つの視点が役立ちます。
第一に、トリオスカイラインのメンバーとしての活動です。
東八郎、原田健二とともに活動し、昭和のテレビ演芸が広がっていく時期にコメディアンとして人気を得ました。
第二に、黒澤明作品を含む映画への出演です。
『どですかでん』のような映画史に残る作品から、『釣りバカ日誌9』のような大衆的なシリーズ作品まで、幅広い映画に出演しています。
第三に、長期間にわたるテレビドラマへの出演です。
大河ドラマや時代劇など、異なるジャンルの作品に参加しており、コメディアンとしての活動だけにとどまらない俳優人生を歩みました。
小島三児の評価では、知名度の高い作品に出演したという事実だけでなく、芸能界の変化に合わせて活動の場を広げてきた点にも注目する必要があります。
【よくある質問】小島三児に関するFAQ
Q1:小島三児の本名は何ですか?
A1:本名は小島文男(こじまふみお)です。小島三児は芸名で、1939年1月1日に東京都足立区千住で生まれました。
Q2:小島三児は何歳で亡くなりましたか?
A2:2001年4月16日に62歳で亡くなりました。訃報資料には死因として腎不全が記録されています。
Q3:トリオスカイラインのメンバーは誰ですか?
A3:東八郎、原田健二、小島三児の3人です。1965年に結成し、1971年に解散しました。
Q4:小島三児の代表的な出演映画は何ですか?
A4:『どですかでん』『男はつらいよ 寅次郎の休日』『釣りバカ日誌9』『神様のくれた赤ん坊』『トラック野郎 度胸一番星』などがあります。
Q5:小島三児は『斬り捨て御免!』に出演していましたか?
A5:出演しています。1980年放送の第1シリーズで勘兵衛役を演じました。
Q6:2026年現在、小島三児は存命ですか?
A6:いいえ。2001年4月16日に逝去しています。2026年現在、死去から25年が経過しています。
まとめ:小島三児は昭和の演芸と映画・テレビをつないだ俳優
小島三児は、本名を小島文男といい、1939年1月1日に東京都足立区千住で生まれました。
佐山俊二に弟子入りして芸能活動を始め、殿様コンビを経て、東八郎、原田健二とトリオスカイラインを結成。大柄な体格を生かした一拍ずらすボケ役で人気を集めました。
グループ解散後は俳優として独立し、黒澤明監督の『どですかでん』、山田洋次監督の『男はつらいよ 寅次郎の休日』、松竹の『釣りバカ日誌9』など、幅広い作品に出演しています。
テレビドラマでも『風と雲と虹と』『花神』『斬り捨て御免!』などに参加しました。
2001年4月16日に62歳で逝去した小島三児。
2026年現在も、彼が出演した映画やテレビドラマは昭和から平成にかけての日本の芸能文化を知る貴重な記録です。
コメディアンとしての舞台経験を俳優活動へとつなげ、長年にわたり作品を支えた脇役俳優。その歩みこそが、小島三児という人物を振り返る際に押さえておきたい最大のポイントです。
主な参考資料
- 日外アソシエーツ『新撰 芸能人物事典 明治~平成』(コトバンク掲載)
- 国立映画アーカイブ「どですかでん」所蔵映画フィルム情報
- 松竹公式「男はつらいよ 寅次郎の休日」作品情報
- 松竹公式「釣りバカ日誌9」作品情報
- BSフジ「斬り捨て御免!第1シリーズ」番組情報
- WEBザテレビジョン、映画.comの出演者・作品情報
- 2001年の訃報記録資料