2026年10月現在も、多くの人が検索する「小林麻央死去」というニュース。フリーアナウンサーとして活動し、歌舞伎俳優・市川海老蔵さんの妻としても知られた小林麻央さんは、2017年6月22日夜、乳がんの闘病の末、34歳で亡くなりました。 翌23日には夫の海老蔵さんが記者会見を開き、妻の逝去を報告。最期の瞬間に麻央さんが伝えた言葉についても明かしました。
麻央さんの乳がんが公になったのは2016年6月9日です。その後、公式ブログ「KOKORO.」を通じて病状や家族への思いを発信し、肺や骨への転移、ステージ4の告白なども伝えてきました。逝去から9年以上が経過した2026年、当時の報道、闘病の経緯、姉の小林麻耶さんや2人の子供たちとの関係を振り返ります。
【結論】小林麻央が亡くなったのは2017年6月22日!翌日の海老蔵会見で何が語られた?

小林麻央さんが亡くなったのは、2017年6月22日夜です。
当時34歳。乳がんで闘病生活を続けていた麻央さんは、東京都内の自宅で家族に見守られながら息を引き取りました。
この事実を翌23日に公表したのが、夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵さんです。
2017年6月23日、市川海老蔵が記者会見海老蔵さんは、東京都渋谷区のBunkamuraシアターコクーンで記者会見を開き、前夜に妻が亡くなったことを報告しました。
会見では、麻央さんが亡くなる直前の様子や、家族が過ごした最後の時間について説明しています。
海老蔵さんによると、当日は自身の舞台や仕事を終えた後、麻央さんの母親から体調が悪化したとの連絡を受け、自宅へ急いで戻ったとのことでした。
そのとき、麻央さんはまだ息をしており、海老蔵さんは最期の瞬間に立ち会うことができました。
最期の言葉は「愛してる」会見で最も大きな反響を呼んだのが、麻央さんが最期に残した言葉でした。
海老蔵さんは、涙をこらえながら次のように語っています。
「愛してる」と言って、そのまま旅立ちました。
これは2017年6月23日の記者会見で海老蔵さん自身が明かした内容です。
会見では、妻への深い愛情と、もっと一緒に人生を歩みたかったという思いも語られました。
また、子供たちや麻央さんの両親、姉の小林麻耶さんらがそばにいたことも説明されています。
この会見は多数の報道機関によって伝えられ、新聞やテレビのニュース、情報番組でも大きく取り上げられました。
当時の報道を確認するうえでは、死去した6月22日と、海老蔵さんが公表した6月23日を区別することが大切です。
出典:日刊スポーツ、オリコンニュース、MANTANWEBの2017年6月23日付報道。
【死因と乳がん公表】小林麻央の病気が明らかになった2016年6月9日
麻央さんの死去の背景にあったのは乳がんです。
ただし、亡くなる直前の医学的な状態や直接的な死因の詳細について、報道されている内容以上のことを推測することはできません。
病気が初めて広く知られるようになったのは、亡くなる約1年前の2016年6月9日でした。
2016年6月9日、夫の会見で乳がんを公表2016年6月9日、一部報道によって麻央さんが進行性のがんを患っていることが伝えられました。
これを受け、夫の海老蔵さんが緊急記者会見を開催。
会見では、麻央さんが乳がんであることを公表しました。
海老蔵さんは当時、病状について深刻であることを説明し、治療を続けている状況を伝えています。
この時点で麻央さん本人が公の場に姿を現して病気について説明したわけではありません。夫が家族を代表して報告した形でした。
その後、麻央さん自身もブログを通じて病気について発信するようになります。
乳がんの転移とステージ4の公表2016年9月20日、麻央さんは公式ブログ「KOKORO.」で、がんが肺や骨などに転移していることを明らかにしました。
本人のブログによれば、2014年10月に受けた生検で乳がんと診断され、その時点では脇のリンパ節への転移が確認されていたとのことです。
その後、病状が進行し、肺や骨にも転移していることを公表しました。
さらに2016年10月には、自身がステージ4であることも明かしています。
この告白は大きく報道され、麻央さんの闘病を見守っていた多くの読者に伝わりました。
ステージ4という言葉は、がんが遠隔転移している状態を示す進行度の分類です。ただし、ステージだけで個々の患者の余命や治療結果を一律に判断することはできません。
麻央さん自身も、同じ病気でも経過は人それぞれであることをブログで伝えていました。
出典:デイリースポーツ2017年6月9日付、シネマトゥデイ2016年9月20日付、日刊スポーツ2017年4月13日付報道。
【闘病生活の経緯】2014年の乳がん発覚から2017年6月の逝去まで
小林麻央さんの闘病生活は、2016年6月の公表から始まったわけではありません。
本人のブログや当時の報道をたどると、乳がんの告知を受けたのは2014年10月でした。
ここでは、公開された情報を中心に、主な出来事を整理します。
2014年10月:乳がんの告知を受ける麻央さんはブログで、2014年10月に生検を受け、乳がんと診断されたことを振り返っています。
診断結果を聞くまでの時間についても、本人は不安や戸惑いを記録していました。
当時はまだ病気を公表しておらず、仕事や家庭生活を送りながら治療に向き合っていた時期です。
2016年6月:病気が公になる2016年6月9日、海老蔵さんの会見によって乳がんであることが公表されました。
それまで家族を中心に進められていた闘病が、広く知られることになります。
2016年9月:ブログ「KOKORO.」を開設2016年9月1日、麻央さんは新しい公式ブログ「KOKORO.」を開設しました。
最初の記事のタイトルは「なりたい自分になる」。
病気を隠すのではなく、自分の言葉で日々の思いや闘病について伝える決意を表明しました。
同月20日には肺や骨への転移を公表しています。
2016年10月:手術とステージ4の告白2016年10月1日には手術を受けたことをブログで報告。
本人は、根治を目的とした手術ではなく、局所コントロールや生活の質(QOL)のための手術であると説明しました。
10月にはステージ4であることも公表しています。
病状について率直に伝えながら、今後も生きたいという希望を発信していた時期です。
2017年:入退院を繰り返しながら自宅療養へ2017年に入ってからも、麻央さんはブログの更新を続けました。
治療や体調の変化、入院、退院についても記録しています。
同年5月には在宅療養に向けた準備や退院について発信しており、家族と過ごす時間を大切にしていた様子がうかがえます。
そして2017年6月22日、34歳で逝去しました。
小林麻央の闘病年表| 時期 | 主な出来事 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 2014年10月 | 乳がんの告知 | 生検で乳がんと診断されたことを後に本人が公表 |
| 2016年6月9日 | 乳がん公表 | 市川海老蔵さんが記者会見 |
| 2016年9月1日 | ブログ開設 | 「KOKORO.」で闘病や日常を発信 |
| 2016年9月20日 | 転移を公表 | 肺や骨への転移を本人が説明 |
| 2016年10月 | 手術・病状公表 | QOLを目的とした手術、ステージ4を告白 |
| 2017年5月 | 在宅療養への準備 | ブログで治療や自宅での生活について発信 |
| 2017年6月20日 | 最後のブログ更新 | 「オレンジジュース」という記事を公開 |
| 2017年6月22日 | 逝去 | 34歳で亡くなる |
| 2017年6月23日 | 海老蔵さんの会見 | 死去と最期の様子を公表 |
出典:本人の公式ブログ「KOKORO.」を紹介したマイナビニュース、RBB TODAY、日刊スポーツなどの報道。
【家族と人物関係】市川海老蔵、小林麻耶、子供の麗禾・勸玄とのつながり
小林麻央さんの人生を振り返るうえで、家族の存在は欠かせません。
夫の市川海老蔵さん、姉の小林麻耶さん、そして2人の子供たちは、闘病生活を支えた大切な存在でした。
それぞれの関係を整理します。
| 人物・名称 | 麻央さんとの関係 | 確認できる情報 |
|---|---|---|
| 小林麻央 | 本人 | フリーアナウンサー。2017年6月22日逝去 |
| 市川海老蔵 | 夫 | 歌舞伎俳優。2017年6月23日に逝去を公表 |
| 麗禾(れいか) | 長女 | 2011年生まれ。麻央さんの娘 |
| 勸玄(かんげん) | 長男 | 2013年生まれ。麻央さんの息子 |
| 小林麻耶 | 実姉 | フリーアナウンサー。麻央さんを支えた姉 |
| KOKORO. | 本人の公式ブログ | 2016年9月1日に開設された闘病記録 |
麻央さんは2010年に歌舞伎俳優の市川海老蔵さんと結婚しました。
海老蔵さんは歌舞伎界を代表する俳優の一人で、麻央さんとの結婚は当時の芸能ニュースでも大きな話題となりました。
結婚後、2人の間には長女の麗禾さんと長男の勸玄さんが誕生しています。
麻央さんは家庭生活を大切にしながら、子育てにも取り組んでいました。
乳がん公表後、海老蔵さんは記者会見やブログなどを通じて、妻の病状や家族の状況を伝えています。
姉・小林麻耶との姉妹関係小林麻耶さんは、麻央さんの実姉です。
麻耶さんもフリーアナウンサーとして活動しており、姉妹そろってテレビ番組などに出演していたことでも知られています。
麻央さんは2016年9月、自身のブログに「姉」という記事を投稿し、姉への感謝をつづりました。
治療について医師から説明を受ける際にも、麻耶さんが一緒に話を聞いていたことを明かしています。
麻耶さんは妹の闘病を支え、2017年6月23日の海老蔵さんの会見でも、最期の時間をともに過ごした家族の一人として言及されました。
麻央さんの逝去後、麻耶さんは公式ブログで妹への思いを発信しています。
子供の麗禾・勸玄は当時何歳だった?2017年6月の逝去当時、麗禾さんは5歳、勸玄さんは4歳でした。
海老蔵さんは会見で、子供たちが母親のそばで過ごした様子についても説明しています。
特に、長女の麗禾さんが麻央さんのそばを離れずに過ごしていたことや、子供たちが手を握ったり、顔や足に触れたりしていたことを明かしました。
麻央さんが子供たちに残したかった思いや、母親としての気持ちは、ブログにも繰り返し記されています。
2026年現在、2人の子供たちはすでに成長していますが、麻央さん本人の逝去後の生活や家族の詳細については、それぞれのプライバシーに配慮して公表された情報を中心に見る必要があります。
【ブログKOKORO.と最期の言葉】小林麻央が残したメッセージの意味
麻央さんの闘病生活を知るうえで欠かせないのが、公式ブログ「KOKORO.」です。
2016年9月1日に開設されたこのブログには、病気に向き合う心境、治療の記録、家族への思い、日常の小さな出来事などがつづられています。
なぜブログを始めたのか?ブログ開設時、麻央さんは病気を抱えた自分自身を隠すのではなく、ありのままの姿で生きたいという思いを伝えました。
最初の記事「なりたい自分になる」では、子供たちにとって強い母親でありたいという気持ちを表現しています。
また、病気によって孤独を感じている人に、自分の経験を届けたいという思いもありました。
病状を伝えるだけではなく、読者とつながり、互いの気持ちを共有する場所としてブログを活用していたのです。
闘病記録としての「KOKORO.」ブログには、治療の進行状況だけでなく、日々の生活に関する投稿も数多く残されました。
例えば、食事や体調の変化、入退院の報告、家族との時間などです。
2016年11月には、BBCが選ぶ「100 Women(100人の女性)」にも選出されました。
これは、麻央さんの発信が日本国内だけでなく、海外でも注目されたことを示す出来事です。
ブログは闘病中の本人の言葉を残した記録であると同時に、同じ病気と向き合う人々に向けたメッセージでもありました。
最後のブログ記事は「オレンジジュース」麻央さんが最後に更新したブログ記事として知られているのが、2017年6月20日の「オレンジジュース」です。
亡くなる2日前の投稿でした。
この時期、麻央さんの体調は厳しい状況にありましたが、ブログには日常の出来事を伝える言葉が残されています。
最後の投稿が病状についての説明ではなく、日常の一場面を切り取った記事だったことも、多くの読者の記憶に残っています。
「愛してる」は誰が明かした言葉なのか?ここで大切なのは、最期の言葉についての情報源です。
「愛してる」という言葉は、麻央さんの逝去翌日に市川海老蔵さんが記者会見で明らかにしたものです。
本人がブログに記した最期の言葉ではなく、最期に立ち会った夫による証言として報道されています。
この区別を理解すると、当時の報道内容をより正確に把握できます。
出典:マイナビニュース2016年9月1日・2017年6月10日付、RBB TODAY2017年6月23日付、オリコンニュース2017年6月23日付。
【2017年の報道と2026年現在】小林麻央の死去が今も検索される理由
小林麻央さんの死去は、2017年6月当時、日本の芸能ニュースやテレビ報道で大きく扱われました。
その背景には、単に著名人が亡くなったという事実だけでなく、病気を公表してから本人がブログで闘病生活を発信し続けていたことがあります。
当時の報道で大きく伝えられた3つの出来事当時のニュースでは、主に次の3点が注目されました。
1. 2016年6月9日の乳がん公表
夫の海老蔵さんが会見を開き、麻央さんが乳がんであることを明らかにしました。
2. 2016年9月以降のブログ発信
麻央さん本人が「KOKORO.」で闘病や家族への思いを発信し、病気について自ら語るようになりました。
3. 2017年6月23日の逝去報告と会見
海老蔵さんが妻の死去を公表し、最期の言葉や家族との時間について説明しました。
特に最後の会見は、麻央さんを応援していた人々にとって、逝去を知る大きな機会となりました。
よくある誤解:乳がん公表日と死去日は同じではない検索時に混同されやすいのが、乳がんの公表日と死去日です。
| 検索される日付 | 正しい出来事 |
|---|---|
| 2016年6月9日 | 市川海老蔵さんが乳がんを公表 |
| 2016年9月1日 | ブログ「KOKORO.」を開設 |
| 2016年10月 | ステージ4であることを公表 |
| 2017年6月22日 | 小林麻央さんが逝去 |
| 2017年6月23日 | 市川海老蔵さんが記者会見で死去を報告 |
乳がんを公表したのは2016年、亡くなったのは2017年です。
また、麻央さんがステージ4を公表したことと、死去した日を直接結び付けて、病状の進行過程を単純化することも適切ではありません。
2026年現在、小林麻央はどうなっている?2026年10月現在、小林麻央さんは2017年6月22日に亡くなっており、本人の新たな活動や近況があるわけではありません。
一方、所属していたセント・フォースの公式サイトには追悼ページが設けられ、プロフィールや活動経歴が紹介されています。
同ページによると、麻央さんは上智大学文学部心理学科を卒業し、フリーアナウンサーとして7年余り活動しました。
代表的な仕事には、フジテレビ系「めざましどようび」のお天気キャスター、日本テレビ系「NEWS ZERO」のキャスター、バラエティー番組「奇跡体験!アンビリバボー」の司会などがあります。
つまり、麻央さんの人生は闘病生活だけで語れるものではありません。
アナウンサーとしてのキャリア、結婚、出産、子育て、そして自らの病気を伝えたブログ活動まで、多面的な歩みがありました。
2026年に改めて当時の情報を調べる際には、所属事務所の追悼情報、本人のブログ、当時の新聞・テレビ報道を照らし合わせると、出来事の時系列を理解しやすくなります。
出典:セント・フォース公式追悼ページ、日刊スポーツ2017年6月23日付、オリコンニュース2010年4月1日付。
【小林麻央の死去に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:小林麻央が亡くなったのはいつですか?
A1:2017年6月22日夜です。東京都内の自宅で家族に見守られながら、34歳で亡くなりました。翌23日に夫の市川海老蔵さんが記者会見を開いて報告しています。
Q2:小林麻央の死因は何ですか?
A2:乳がんです。闘病中には肺や骨への転移を本人が公表し、2016年10月にはステージ4であることも明かしていました。
Q3:小林麻央が乳がんを公表したのはいつですか?
A3:2016年6月9日です。夫の市川海老蔵さんが記者会見を開き、乳がんであることを公表しました。
Q4:小林麻央の最期の言葉は何でしたか?
A4:市川海老蔵さんによると、「愛してる」という言葉でした。2017年6月23日の記者会見で、息を引き取る瞬間に麻央さんが伝えた言葉として説明されています。
Q5:小林麻央のブログ「KOKORO.」はいつ始まりましたか?
A5:2016年9月1日です。「なりたい自分になる」というタイトルの記事から始まり、闘病生活や家族への思いを発信していました。
Q6:小林麻央には子供が何人いましたか?
A6:市川海老蔵さんとの間に、長女の麗禾さんと長男の勸玄さんの2人がいました。2017年6月の逝去当時、長女は5歳、長男は4歳でした。
Q7:小林麻耶と小林麻央はどのような関係ですか?
A7:実の姉妹です。小林麻耶さんが姉で、小林麻央さんが妹です。麻耶さんは闘病中の麻央さんを支え、最期の時間も家族とともに過ごしました。
まとめ:小林麻央が残した闘病の記録と家族への思い
小林麻央さんが亡くなったのは、2017年6月22日夜、34歳のときでした。
乳がんが公表されたのは2016年6月9日。夫の市川海老蔵さんによる記者会見をきっかけに病気が広く知られ、その後、麻央さん自身もブログ「KOKORO.」を通じて闘病生活を発信しました。
肺や骨への転移、ステージ4の告白、手術や入退院の記録など、ブログには本人がその時々に感じたことが残されています。
そして2017年6月23日、海老蔵さんは記者会見で妻の逝去を報告し、最期に交わされた「愛してる」という言葉を明かしました。
【プロの結論】
小林麻央さんの死去を正しく理解するためには、次の3つを分けて捉えることが大切です。
- 病気の事実: 乳がんを患い、肺や骨への転移、ステージ4を本人が公表していたこと。
- 家族の証言: 2017年6月23日の会見で、海老蔵さんが最期の様子や言葉を説明したこと。
- 本人が残した記録: ブログ「KOKORO.」を通じて、闘病中の心境や家族への愛情を発信していたこと。
麻央さんの人生は、乳がんとの闘いだけで完結するものではありません。アナウンサーとして活動し、妻となり、2人の子供を育て、自分の経験を言葉にして伝え続けた一人の女性の人生でもあります。
2026年現在も、彼女が残したブログや当時の記者会見は、当時の出来事を知るための大切な記録です。逝去から年月が経過しても、その言葉や発信が多くの人の記憶に残り続けていることが、小林麻央さんという人物を振り返るうえで重要な意味を持っています。