女優・モデルとして活動する團遥香(だん はるか)の家系図をたどると、父は建築家の團紀彦、祖父は作曲家の團伊玖磨、曾祖父は政治家・実業家の團伊能、そして高祖父は三井財閥の中枢を担った團琢磨という、実業界・芸術界にまたがる著名な一族につながります。團遥香本人も、過去のインタビューで祖父や高祖父について語っており、2026年4月の集英社オンラインのインタビューでは、家族から受け継いだ価値観や現在の暮らしについても明かしています。
さらに注目されるのが、鳩山由紀夫元首相との縁戚関係や、セイコー創業者・服部金太郎につながる服部家との親族関係です。2024年にはプロバスケットボール選手の原修太と結婚し、同年に長女も誕生しました。この記事では、團家の直系の家系図から歴史上の人物とのつながり、結婚後の家族構成、2026年現在の活動までを整理します。
【一目でわかる】團遥香の家系図!團琢磨から続く5世代の系譜

團遥香の家系図で中心となるのは、團家の父系にあたる5世代のつながりです。高祖父の團琢磨から始まり、團伊能、團伊玖磨、團紀彦を経て、團遥香へと続いています。
それぞれが異なる分野で実績を残していることが、この一族の特徴です。実業家、政治家、作曲家、建築家、そして女優・モデルと、世代ごとに活躍する領域が変化しています。
團遥香の直系家系図- 高祖父:團琢磨
- 曾祖父:團伊能
- 祖父:團伊玖磨
- 父:團紀彦
- 本人:團遥香
- 夫:原修太
- 第1子:長女(2024年誕生)
- 本人:團遥香
- 父:團紀彦
- 祖父:團伊玖磨
- 曾祖父:團伊能
この系譜は、単に同じ名字を持つ人物を並べたものではありません。團伊能が團琢磨の長男であり、團伊玖磨が團伊能の息子、團紀彦が團伊玖磨の息子という親子関係でつながっています。
なお、歴史資料では「團」ではなく「団」と表記される場合もあります。国立国会図書館の人物資料でも、團琢磨は「団琢磨」として紹介されていますが、同一人物です。
【父・祖父・曾祖父・高祖父】團家を代表する4人の著名人とは?
父・團紀彦はコレド室町などを手掛けた建築家團遥香の父は、建築家・都市計画家として活動する團紀彦(だん のりひこ)です。
1956年に神奈川県で生まれ、東京大学工学部建築学科を卒業。その後、東京大学大学院を修了し、米国イェール大学建築学部大学院でも学びました。1986年には團紀彦建築設計事務所を設立しています。
代表的な仕事には、台湾桃園国際空港第一ターミナル、日本橋室町東地区再生計画「COREDO室町」、表参道のHUGO BOSSなどがあります。
また、1999年には日本建築学会賞業績賞を受賞。2020年からは軽井沢町の都市と自然環境保全に関するマスターアーキテクトも務めています。
團紀彦建築設計事務所の公式プロフィールからも、建築設計だけでなく都市再生や自然環境との共生を重視する仕事ぶりがうかがえます。
祖父・團伊玖磨は「ぞうさん」の作曲家團遥香の祖父は、日本を代表する作曲家の團伊玖磨(だん いくま)です。
團伊玖磨は1924年生まれで、2001年に亡くなりました。日本のクラシック音楽界で活躍した人物であり、オペラ、管弦楽曲、歌曲など幅広い作品を残しています。
特に広く知られているのが、童謡「ぞうさん」です。また、「ラジオ体操第2」の作曲者としても知られています。全国ラジオ体操連盟の資料でも、同曲の作曲者は團伊玖磨と明記されています。
2026年4月の集英社オンラインのインタビューで、團遥香は祖父の存在について振り返っています。幼い頃、音楽室に祖父の肖像画が飾られていたことや、祖父の名前が教科書に掲載されていたことが印象に残っていたそうです。
祖父が亡くなった際、NHKのニュースで取り上げられたことも、子どもだった團遥香にとって大きな出来事だったと語っています。
曾祖父・團伊能は政治家であり実業家團遥香の曾祖父にあたるのが、團伊能(だん いのう)です。
1892年に生まれ、1973年に亡くなりました。團琢磨の長男であり、東京帝国大学で学んだ後、美術史の研究者として活動しました。
その後、政界・実業界にも進出し、1946年には貴族院議員、戦後は参議院議員を務めています。
加えて、ブリヂストン自転車工業、プリンス自動車工業、九州朝日放送などの経営にも携わりました。
東京文化財研究所の物故者記事やコトバンクの人物事典でも、團伊能の研究者・政治家・実業家としての経歴が確認できます。
團家の系譜を理解するうえで重要なのは、團伊能が単に團琢磨の息子というだけでなく、文化と産業の両方に関わった人物だったという点です。
高祖父・團琢磨は三井財閥を率いた財界人團遥香の高祖父は、明治から昭和初期にかけて日本の経済界で大きな影響力を持った團琢磨(だん たくま)です。
1858年に福岡県で生まれた團琢磨は、鉱山技術者としてキャリアをスタートさせました。米国で鉱山学を学び、帰国後は工部省の三池鉱山局などで勤務しています。
1888年に三池炭鉱が三井に払い下げられると、團琢磨は三井側の事業に加わり、鉱山経営や三井財閥の発展に貢献しました。
1914年には三井合名会社の理事長に就任。三井総領家当主の三井高棟とともに財閥を率いる立場となり、1928年には男爵を授けられています。
こうした経歴から、團琢磨は三井財閥の総帥として知られるようになりました。
つまり、團遥香の家系には、日本の近代産業の発展を支えた人物が直系の先祖として存在しているのです。
【三井財閥との関係】團琢磨と血盟団事件の真相
團琢磨は三井家の血縁者ではなく経営を担った人物團遥香の家系を調べる際、混同されやすいのが三井財閥との関係です。
團琢磨は三井財閥を率いた人物ですが、三井家の直系の血縁者だったわけではありません。
もともとは福岡藩士・神屋宅之丞の四男として生まれ、12歳のときに團尚静の養子になりました。その後、鉱山技術者としての専門性を生かして三井の事業に参加し、経営の中心人物へと成長しています。
三井広報委員会の歴史資料によると、團琢磨は三池炭鉱の経営で実績を上げ、三井合名会社の理事長にまで上り詰めました。
したがって、「團遥香は三井家の直系子孫」という説明は正確ではありません。正しくは、三井財閥の経営を担った團琢磨の直系子孫ということになります。
1932年の血盟団事件で暗殺された團琢磨團琢磨の生涯を語るうえで避けられないのが、1932年3月5日に発生した暗殺事件です。
当時、日本では金融恐慌や政治不信、国家主義的な運動の拡大などを背景に、政財界の要人を狙ったテロが発生していました。
團琢磨は三井財閥の有力者として標的となり、東京・日本橋の三井本館付近で血盟団員に銃撃され、75歳で亡くなりました。
この事件は、井上準之助前大蔵大臣の暗殺とともに、血盟団事件として知られています。
国立国会図書館の「近代日本人の肖像」や三井広報委員会の歴史資料にも、團琢磨の経歴と1932年3月5日の暗殺について記録されています。
團遥香にとっては高祖父にあたる人物ですが、現在も日本の近代史を語るうえで重要な存在です。
【鳩山由紀夫・服部家との関係】團遥香の意外な縁戚関係
團遥香の家系図が話題になる理由は、團家の直系の先祖だけではありません。婚姻によってつながった親族にも、著名な政治家や実業家がいます。
鳩山由紀夫元首相とは大叔母を介した縁戚関係團遥香と鳩山由紀夫元首相は、親戚関係にあります。
2016年10月23日付のデイリースポーツによると、團遥香は関西テレビの番組「マルコポロリ!」に出演した際、鳩山由紀夫氏との関係について語りました。
報道によれば、團遥香の大叔母と鳩山由紀夫氏の叔父が結婚したことが、両家の縁戚関係のきっかけです。
團遥香自身も、鳩山氏とは法事などで顔を合わせる間柄だと説明しています。
この関係は、鳩山家と團家が婚姻によってつながったものです。團遥香が鳩山由紀夫氏の直系の子孫という意味ではありません。
服部家とは上野家を通じた親族関係もう一つ注目されるのが、セイコー創業者として知られる服部金太郎の一族との関係です。
系譜資料によると、團伊能の妻である上野美智子の姉・英子は、服部時計店の創業者・服部金太郎の長男である服部玄三に嫁いだとされています。
服部玄三は服部時計店の経営に携わり、1934年から1946年まで社長を務めた人物です。
つまり、團家と服部家は、上野家の姉妹の婚姻を通じてつながっています。
ここで押さえておきたいのは、團遥香が服部金太郎の直系の血縁者というわけではないことです。関係の中心にあるのは、曾祖父・團伊能の妻の姉と服部家との結婚です。
團遥香の縁戚関係を整理した一覧表| 人物・一族 | 團遥香との関係 | 関係の内容 |
|---|---|---|
| 團紀彦 | 父 | 建築家・都市計画家 |
| 團伊玖磨 | 祖父 | 「ぞうさん」などを手掛けた作曲家 |
| 團伊能 | 曾祖父 | 政治家・実業家、プリンス自動車工業社長などを歴任 |
| 團琢磨 | 高祖父 | 三井合名会社理事長、三井財閥の統率者 |
| 鳩山由紀夫 | 縁戚 | 團遥香の大叔母と鳩山氏の叔父の婚姻による関係 |
| 服部金太郎・服部玄三 | 縁戚 | 上野家の姉妹と服部家の婚姻を通じた関係 |
| 原修太 | 夫 | 2024年1月に結婚を発表したプロバスケットボール選手 |
| 長女 | 娘 | 2024年に誕生を公表した第1子 |
このように、團遥香の家系には直系の血縁関係と、婚姻によって生まれた縁戚関係の両方があります。鳩山家や服部家とのつながりを理解する際は、この違いを意識すると家系図が分かりやすくなります。
【結婚相手は原修太】長女の誕生と團遥香の現在の家族構成
2024年1月12日に原修太との結婚を発表團遥香は2024年1月12日、プロバスケットボール選手の原修太との結婚を発表しました。
原修太は1993年12月17日生まれ、千葉県出身のバスケットボール選手です。国士舘大学を卒業後、2015年に千葉ジェッツへ加入。2023年のFIBAバスケットボールワールドカップでは日本代表にも選ばれました。
2024年1月の結婚発表では、2人がそれぞれのSNSでウェディング写真を公開し、連名で結婚を報告しています。
「今後もお互い支え合いながら頑張っていきます」
これは結婚発表時に2人が伝えたメッセージの一部です。芸能活動とスポーツ選手としての競技生活、それぞれの仕事を尊重しながら家庭を築いていく姿勢を示しました。
2024年6月2日に第1子となる長女の誕生を報告結婚から約5か月後の2024年6月2日、團遥香は自身の誕生日に第1子の出産を公表しました。
本人の発表によると、誕生したのは元気な女の子です。出産した時期については「少し前に家族が増えました」と説明しており、6月2日は出産の報告日です。娘の正確な誕生日として公表された日ではありません。
また、初めての出産だったことから、無事に出産を終えてから報告したかったという趣旨も伝えています。
その後、團遥香は夫や長女との日常をSNSで紹介するようになり、2025年には家族旅行や親子でのお出かけの様子も報道されました。
2026年現在の家族構成2026年11月時点で、公表されている團遥香の家族構成は次のとおりです。
- 本人:團遥香
- 夫:原修太
- 子供:長女1人
夫の原修太は、2026-27シーズンも千葉ジェッツとの契約を継続しています。千葉ジェッツの公式発表は2026年6月15日付で、原選手との選手契約継続を公表しました。
一方、團遥香は女優・ファッションモデルとして活動を続けています。2026年4月の集英社オンラインのインタビューでは、自身のブランドのデザインにも取り組んでいることや、子育てを通じて変化した考え方について話しています。
家族のプライベートについては、本人が公表している範囲で確認できる情報が中心です。長女の成長に関する発信はありますが、家族の日常すべてが公開されているわけではありません。
【2026年最新】團遥香本人が語った家族観と仕事への向き合い方
「代々同じ職についてはいけない」という家訓團遥香の家系には、建築家、作曲家、政治家、実業家など、異なる分野で活躍した人物がいます。
興味深いのは、團遥香自身が2026年4月11日公開の集英社オンラインのインタビューで、家庭に伝わる職業観について語っていることです。
「代々同じ職についてはいけない」
團遥香によると、同じ職業を引き継ぐのではなく、それぞれが違う職業でトップを目指すという考え方が、家訓のように伝えられてきたそうです。
父と同じ建築の仕事に進むことよりも、自分自身が選んだ芸能の世界に挑戦することを選んだ背景には、こうした家庭の価値観もあったと考えられます。
実際、團遥香は高校生の頃から芸能活動を始め、2013年には日本テレビ系の朝の情報番組「ZIP!」のリポーターに就任しました。大学2年生から約7年間出演した経歴があります。
その後は女優、モデルとして活動し、グラビアやファッション関連の仕事にも挑戦。自身のブランドのデザインにも関わるなど、活動の幅を広げています。
名家という肩書だけでは説明できない本人の考え方團遥香は、家系が注目されることについても、過去のインタビューで率直な思いを明かしています。
集英社オンラインの2026年の取材では、自分から家柄をアピールしたわけではないのに、いつの間にか「お嬢様キャラ」というイメージが広がっていたことに戸惑った時期があったと振り返りました。
また、2024年の結婚・出産を経て、母親としての考え方にも変化があったといいます。
「子どもとは『相棒』みたいな関係でいた方がいい」
完璧な母親であろうとするのではなく、子どもと一緒に学び、楽しみながら成長していく関係を大切にしたいという考えです。
加えて、家族から受け継いだものを大切にしながらも、それに縛られず、自分に合った暮らし方を選びたいという思いも語っています。
團家の歴史を振り返ると、各世代がそれぞれの専門分野で実績を残してきました。團遥香の芸能活動やファッション分野への挑戦も、家族の価値観を自分なりに受け継いだ生き方として見ることができます。
【よくある誤解を整理】團遥香の家系図に関するよくある質問(FAQ)
Q1:團遥香の高祖父は團琢磨ですか?
A1:はい。團遥香の高祖父は團琢磨です。團琢磨から團伊能、團伊玖磨、團紀彦と続き、團遥香につながる直系の系譜です。團琢磨は三井財閥の経営を担った実業家として知られています。
Q2:團遥香と鳩山由紀夫は血縁関係にありますか?
A2:2016年のデイリースポーツの報道によると、團遥香の大叔母と鳩山由紀夫氏の叔父が結婚したことによる縁戚関係です。直系の血縁関係ではなく、婚姻を介した親族関係です。
Q3:團遥香と服部金太郎はどのような関係ですか?
A3:團伊能の妻・上野美智子の姉が、服部金太郎の長男・服部玄三に嫁いだとする系譜資料があります。その婚姻を通じて團家と服部家がつながっています。團遥香が服部金太郎の直系子孫という意味ではありません。
Q4:團遥香の夫や子供は誰ですか?
A4:夫はプロバスケットボール選手の原修太です。2024年1月12日に結婚を発表し、同年6月2日に第1子となる長女の誕生を公表しました。2026年11月時点で公表されている子供は長女1人です。
まとめ:團遥香の家系図から見える名門の歴史と本人の現在
團遥香の家系図は、父・團紀彦、祖父・團伊玖磨、曾祖父・團伊能、高祖父・團琢磨という、各分野で歴史に名を残した人物たちにつながっています。
團琢磨は三井財閥を率いた実業家、團伊能は政治家・実業家、團伊玖磨は「ぞうさん」などを手掛けた作曲家、團紀彦は国内外で建築・都市計画を手掛ける建築家です。
加えて、鳩山由紀夫元首相とは大叔母を介した縁戚関係にあり、服部家とも上野家を通じた婚姻関係が伝えられています。ただし、こうしたつながりは直系の血縁と区別して理解する必要があります。
私生活では2024年に原修太と結婚し、長女が誕生。2026年には母親としての生活を送りながら、女優・モデルとしての仕事やブランドのデザインにも取り組んでいます。
團遥香の家系を知るうえで大切なのは、著名な先祖の名前だけに注目しないことです。世代ごとに異なる分野へ進み、自分の仕事を築いてきた團家の歴史と、本人が語る「家族から受け継いだものに縛られず、自分らしく生きる」という考え方を合わせて見ると、その人物像がより立体的に見えてきます。