元関脇・安美錦は、2026年現在、日本相撲協会の年寄「安治川竜児」として、東京都江東区の安治川部屋を率いています。2019年7月に現役を引退した後、安治川親方を襲名。早稲田大学大学院でスポーツ科学を学び、2022年12月には念願だった安治川部屋を創設しました。現在は力士の育成だけでなく、相撲の普及や部屋の経営にも取り組んでいます。
現役時代の生涯戦歴は907勝908敗55休。最高位は関脇で、三賞12回、金星8個という輝かしい実績を残しました。加えて、2026年には安治川部屋から安青錦が大関に昇進。かつて「業師」と呼ばれた名力士は、今や有望な力士を育てる師匠として新たな相撲人生を歩んでいます。安美錦の引退理由から現在の活動、安青錦との師弟関係まで、時系列で詳しく整理します。
【2026年最新】安美錦の現在は安治川親方!部屋の師匠として活躍

安美錦は現役を退いた後も相撲界に残り、現在は年寄・安治川として後進の指導に当たっています。日本相撲協会の年寄プロフィールでも、安治川竜児、本名・杉野森竜児として登録されています。
現在の活動の中心は、東京都江東区石島にある安治川部屋の運営です。師匠として弟子の稽古を見守り、技術指導や力士の育成を行う一方、部屋の経営、後援会との交流、相撲の普及活動にも携わっています。
安治川部屋の公式サイトでは、相撲部屋を単に強い力士を育てる場所ではなく、人格形成の場として位置付けています。大切にしている柱は「社会貢献する心」「学び続ける意欲」「感謝する姿勢」の3つです。
この考え方には、長年の現役生活で数多くのけがを経験し、周囲の支えを受けながら土俵に立ち続けた安治川親方自身の経験が反映されています。勝敗だけでなく、力士一人ひとりが充実した人生を送れるようにすることも指導の目的です。
2026年における安治川部屋の動き2026年11月3日時点で、日本相撲協会の公式情報には、安治川部屋所属の安青錦が大関として掲載されています。現役時代に関脇まで上り詰めた安治川親方が、自身の部屋から大関を育てたことは、指導者としての大きな成果です。
また、安治川部屋の公式サイトでは、2026年11月22日の九州場所千秋楽報告会、11月23日の沖縄県うるま市での交流会、12月26日の部屋創設4周年記念パーティーが案内されています。稽古場での指導にとどまらず、地域や支援者とのつながりを広げる活動も続けています。
つまり、現在の安美錦は、現役時代の経験を次世代に伝える指導者であり、相撲部屋を運営する経営者でもあります。2026年の安治川親方を語るうえで、安青錦の大関昇進と部屋の発展は欠かせない要素です。
【プロフィール・生涯戦歴】安美錦の最高位は関脇!三賞12回と金星8個の記録
安美錦竜児は1978年10月3日生まれ、青森県西津軽郡深浦町出身です。本名は杉野森竜児。現役時代は伊勢ヶ濱部屋に所属し、右四つと寄りを得意とする技巧派力士として活躍しました。
1997年1月場所で初土俵を踏み、2000年7月場所で新入幕。2006年11月場所には新三役となり、最終的に関脇まで昇進しました。
安美錦の基本プロフィールと主な記録| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 安美錦竜児 |
| 現在の年寄名 | 安治川竜児 |
| 本名 | 杉野森竜児 |
| 生年月日 | 1978年10月3日 |
| 出身地 | 青森県西津軽郡深浦町 |
| 現役時代の所属部屋 | 伊勢ヶ濱部屋 |
| 初土俵 | 1997年1月場所 |
| 新入幕 | 2000年7月場所 |
| 最高位 | 関脇 |
| 生涯戦歴 | 907勝908敗55休(135場所) |
| 幕内戦歴 | 678勝730敗47休(97場所) |
| 三賞受賞 | 12回(殊勲賞4回・敢闘賞2回・技能賞6回) |
| 金星 | 8個 |
| 引退場所 | 2019年7月場所 |
| 現在の立場 | 安治川部屋師匠・年寄安治川 |
出典は日本相撲協会の力士プロフィールおよび年寄プロフィールです。戦歴や受賞回数は公式記録に基づいています。
三賞12回の内訳は?安美錦の三賞受賞回数は合計12回です。その内訳は次のとおりです。
- 殊勲賞:4回。横綱や大関を破るなど、相撲界で際立った功績を挙げた力士に贈られる賞。
- 敢闘賞:2回。優れた成績や奮闘を評価された力士に贈られる賞。
- 技能賞:6回。優れた技術や巧みな相撲内容を評価された力士に贈られる賞。
特に注目したいのは技能賞6回という実績です。安美錦は単に勝ち星を積み重ねるだけでなく、相手の動きを読み、状況に応じて技を使い分ける相撲で高い評価を得ていました。
金星8個と横綱・貴乃花との歴史的一番金星とは、平幕力士が横綱に勝利した際に記録される殊勲です。安美錦は現役時代に8個の金星を獲得しました。
なかでも特別な一番として知られるのが、2003年1月場所の横綱・貴乃花戦です。安美錦は初挑戦で貴乃花を破り、初金星を獲得しました。そして、この一番が貴乃花にとって現役最後の取組となりました。
その後も2005年9月場所には横綱・朝青龍を破って金星を獲得しています。横綱相手にも臆せず、自分の技術をぶつける姿勢が安美錦の魅力でした。
また、関取在位117場所という記録も残しています。2019年の引退時点では、元大関・魁皇と並ぶ歴代最多タイの記録でした。長く関取として活躍し続けたことも、安美錦を代表する実績の一つです。
【引退の経緯】安美錦はなぜ2019年7月に現役を退いたのか
安美錦が現役引退を決断したのは、2019年7月16日です。引退の背景には、長年苦しんできた右膝のけがと、思うような相撲が取れなくなったことがありました。
長年のけがとの闘い安美錦は2004年の名古屋場所で右膝の前十字靱帯を断裂する大けがを負いました。半月板の損傷も重なり、その後は膝の状態と向き合いながら土俵に立ち続けることになります。
さらに左アキレス腱の断裂も経験しました。下半身に大きな負担を抱えながらも、装具やサポーターを使用し、長年にわたって現役生活を続けました。
2019年7月の名古屋場所では、西十両11枚目で土俵に上がっていました。しかし、2日目の7月8日に竜虎との取組で古傷の右膝を負傷し、休場。再出場が難しい状態となりました。
引退を決断した2019年7月16日2019年7月15日までに師匠の伊勢ヶ濱親方に引退を申し入れ、翌16日に現役引退を表明しました。翌17日には日本相撲協会の理事会で引退と年寄「安治川」の襲名が正式に承認されています。
当時の報道によると、安美錦は引退の理由について、膝の状態と相談してきたものの、思ったような相撲が取れず、無理はできないと判断したことを説明しています。
また、十両から幕下への陥落が見込まれる状況も、決断に影響したとされています。単に年齢を理由にした引退ではなく、長年付き合ってきたけがと競技力の限界を受け止めた決断でした。
引退会見では、22年半の力士生活について悔いはないという趣旨の思いを語り、けがについても自分を強くしてくれた存在として振り返っています。
安美錦は最後まで土俵に向き合い、後進に道を譲る形で力士生活を終えました。2019年7月の引退は、平成の大相撲を彩った技巧派力士の一つの時代の終わりでもありました。
【現役時代の取り口と評判】安美錦が「業師」と呼ばれた理由
安美錦を語る際に欠かせない言葉が「業師」です。相手の力を利用した技、瞬間的な判断、土俵際での粘りなど、豊富な技術を持つ力士として好角家から高く評価されていました。
右四つを基本にした多彩な相撲日本相撲協会の公式プロフィールによると、安美錦の得意技は右四つ・寄りです。
ただし、安美錦の魅力は正面から力をぶつけるだけの相撲ではありませんでした。相手の懐に入って頭をつけ、体勢を崩しながら出し投げを繰り出すなど、相手の重心や動きを巧みに利用する取り口を見せていました。
土俵際で体を入れ替えたり、相手の攻めをかわして逆転したりするしぶとさも特徴です。体格で勝る相手に対しても、技術と判断力で勝機を見つける姿は、多くの相撲ファンを魅了しました。
けがをきっかけに変化した相撲スタイル2004年の右膝の大けがは、安美錦の相撲を変える転機となりました。
スポーツジャーナリストの荒井太郎氏によるスポルティーバの力士列伝では、けがを境に、安美錦が膝への負担を考えて前に出る意識を強め、体重も増やしていった過程が紹介されています。
初期には小柄な体格を生かした技巧派として知られていましたが、徐々に立ち合いで相手を押し込み、前に攻める力強い相撲も身につけました。
2005年には朝青龍から金星を獲得し、2006年には11勝を挙げて技能賞を受賞。翌場所には新小結へと昇進しました。
けがによって以前と同じ相撲が取れなくなったとき、戦い方そのものを見直して再び上位に進出したことは、安美錦の競技者としての大きな強みでした。
安美錦の評判を支えた3つの魅力- 技術の幅広さ:右四つや寄りだけでなく、投げや崩しなどを駆使する対応力。
- 勝負勘の鋭さ:相手の動きを読み、土俵際でも逆転の可能性を探る判断力。
- 長期にわたる競技継続力:大きなけがを経験しながらも40歳まで関取として土俵に立った精神力。
こうした実績から、安美錦は単に勝ち星の多い力士ではなく、相撲の技術そのものを楽しませてくれる力士として記憶されています。現在の指導にも、こうした経験が生かされていると考えられます。
【引退後の活動】安治川親方襲名から早稲田大学大学院、部屋創設まで
安美錦は引退後、すぐに安治川親方として後進の指導に入りました。しかし、次の目標は単に親方として指導することだけではありませんでした。将来の独立を見据え、相撲部屋の運営やスポーツマネジメントについて学ぶ道を選んでいます。
早稲田大学大学院でスポーツ科学を研究2021年4月、安治川親方は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科の修士課程に進学しました。
現役引退後に大学院で学ぶという選択は、相撲界でも興味深いキャリア転換でした。研究テーマはスポーツマネジメントや相撲部屋の運営に関するものです。
特に注目されるのが、修士論文のテーマとなった「相撲部屋におけるおかみさんの役割について」です。
相撲部屋では、師匠が稽古や技術指導を担う一方、おかみさんが力士の生活面や後援者との関係など、幅広い役割を担っています。安治川親方はこうした実態を研究し、相撲部屋の運営を多角的に考える機会を得ました。
2022年春に大学院を修了。早稲田大学の紹介記事でも、大学院での学びが独立後の部屋運営につながっていることが取り上げられています。
2022年12月1日に安治川部屋を創設2022年12月1日、日本相撲協会の理事会は安治川親方の伊勢ヶ濱部屋からの独立と、新たな安治川部屋の設立を承認しました。
安美錦は現役時代、伊勢ヶ濱部屋に所属していました。引退後も同部屋付きの親方として活動していましたが、独立によって自分の方針で弟子を育てる環境を整えたのです。
当初は東京都江東区千田を仮の拠点とし、その後、江東区石島に新しい部屋を構えました。2023年6月には土俵祭りと部屋開きが行われ、安治川部屋として本格的な活動を開始しています。
安治川部屋の特徴の一つが、稽古環境への工夫です。部屋開きを取材した報道では、稽古場を映像で確認できるモニターなど、指導に役立つ設備も紹介されました。
2024年には稲門相撲會を設立安治川親方の活動は部屋の中だけにとどまりません。
2024年7月には、早稲田大学の卒業生などによる相撲関係の交流組織「稲門相撲會」が設立され、安治川親方が会長に就任しました。
早稲田大学相撲部との合同稽古も実施され、大学相撲と大相撲の交流を深めています。大学で学んだことを実際の相撲部屋の運営や人材育成に結び付けている点が特徴です。
早稲田スポーツの2024年9月のインタビューでは、安治川親方が大学院で学んだ「勝利・普及・資金」の好循環を意識し、地域のお祭りへの参加や子どもたちを部屋に招く活動などを進めていることが紹介されています。
競技で勝つことだけでなく、相撲を知ってもらい、部屋を支える人々との関係を築き、持続的に運営していくこと。これが現在の安治川親方の部屋づくりの重要な考え方です。
【安青錦との師弟関係】安治川親方が育てた2026年の大関
2026年の安治川部屋を象徴する力士が、ウクライナ出身の安青錦新大です。
安青錦は安治川部屋に所属する力士で、師匠は元関脇・安美錦の安治川親方です。現役時代の経験を持つ師匠と、海外から日本の大相撲に挑戦した弟子という関係は、安治川部屋を語るうえで欠かせません。
安青錦はどのように安治川部屋へ入門したのか安青錦は2004年3月23日生まれ、ウクライナ中部のヴィンニツァ出身です。幼いころから相撲に取り組み、ロシアによるウクライナ侵攻をきっかけに母国を離れ、日本で相撲を続ける道を選びました。
安治川部屋の公式発表によると、2022年12月に同部屋の研修生となり、2023年に新弟子検査を受け、同年秋場所で初土俵を踏みました。
その後、着実に番付を上げ、2025年11月の九州場所で初優勝。2026年には大関に昇進し、同年11月場所時点でも日本相撲協会の公式プロフィールに大関として掲載されています。
師匠と弟子という関係から見える安治川部屋の成果安青錦の成長は、安治川部屋が創設から短期間で大きな成果を挙げたことを示しています。
安治川親方は現役時代、けがと向き合いながら長く関取として活躍しました。相撲の技術だけでなく、故障への対応や体づくり、精神面の管理など、自分自身の経験から伝えられることは多くあります。
また、安治川部屋の公式発表では、安青錦の大関昇進に向けた祝賀行事や後援会活動も案内されており、師匠と弟子、部屋、支援者が一体となって力士を支える体制が見て取れます。
安青錦の活躍は安治川親方個人の指導だけでなく、部屋全体の育成環境や運営努力とも結び付いています。今後は安青錦に続く力士が育つかどうかも、安治川部屋の大きな注目点です。
【よくある質問】安美錦の現在に関するFAQ
Q1:安美錦は2026年現在、何をしていますか?
A1:現在は安治川親方として、東京都江東区の安治川部屋で師匠を務めています。力士の稽古や技術指導、部屋の経営、後援会との交流、相撲の普及活動などに取り組んでいます。
Q2:安美錦の本名と現在の親方名は何ですか?
A2:本名は杉野森竜児です。現役時代は安美錦竜児という四股名で活躍し、引退後は年寄名の安治川を襲名しました。現在の親方名は安治川竜児です。
Q3:安美錦はなぜ引退したのですか?
A3:2019年7月場所で古傷の右膝を負傷し、再出場が難しくなったことが大きな理由です。長年にわたってけがと闘ってきましたが、思うような相撲が取れないと判断し、40歳で現役引退を決断しました。
Q4:安美錦の生涯戦歴と最高位は?
A4:生涯戦歴は907勝908敗55休、最高位は関脇です。三賞12回、金星8個という実績も残しています。
Q5:安治川部屋はいつ創設されましたか?
A5:2022年12月1日に日本相撲協会の理事会で設立が承認されました。2023年6月には東京都江東区石島の新しい部屋で部屋開きが行われています。
Q6:安美錦と安青錦の関係は?
A6:安治川親方(元安美錦)が師匠で、安青錦が弟子です。安青錦は安治川部屋に所属し、2026年には大関へ昇進しました。
Q7:安美錦は早稲田大学大学院を卒業していますか?
A7:はい。引退後の2021年に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科へ進学し、2022年春に修了しました。相撲部屋の経営やスポーツマネジメントに関する学びを、現在の部屋運営に生かしています。
まとめ:安美錦は安治川親方として次世代の力士を育てる
安美錦は2019年7月、長年苦しんだ右膝のけがを理由に現役生活に幕を下ろしました。しかし、引退は相撲界からの引退を意味するものではありませんでした。
年寄・安治川を襲名した後、早稲田大学大学院でスポーツ科学を学び、2022年12月には安治川部屋を創設。2023年の部屋開き以降、指導者と経営者の両方の立場から相撲界を支えています。
現役時代に残した907勝、三賞12回、金星8個という実績は、技巧派力士としての確かな足跡です。そして2026年には、弟子の安青錦が大関に昇進し、安治川部屋の育成力にも注目が集まっています。
安美錦の魅力は、現役時代の華麗な技だけではありません。けがを乗り越えた経験を次世代に伝え、大学院で得た知識を部屋の経営に取り入れ、相撲の普及にも取り組む姿勢にあります。
2026年の安美錦は、土俵で勝つ力士から、土俵で勝てる力士を育てる師匠へと役割を変えています。安青錦に続く新たな関取や、安治川部屋から生まれる次世代の力士たちが、これからの安治川親方の歩みを占う大きな注目ポイントです。
主な事実確認資料: 日本相撲協会の力士・年寄プロフィール、安治川部屋公式サイト、早稲田大学競技スポーツセンター、早稲田スポーツ新聞会、スポルティーバ、2019年の引退会見報道。