ホーム 芸能ニュース・ゴシップ 【東声会とは何か】戦後の東京で勢力を築いた組織の正体

【東声会とは何か】戦後の東京で勢力を築いた組織の正体

黒田 亮 黒田 亮 • 更新: • 公開: • 読了約 17 分
目次

東声会は、戦後の混乱期から高度経済成長期にかけて勢力を拡大した、関東を拠点とする暴力団組織である。

一般的な歴史理解では、次の3つの特徴が重要になる。

- 町井久之を中心に形成された戦後の愚連隊系組織であること。
- 1960年代に東亜友愛事業組合へと再編され、その後、東亜会へと名称を変更したこと。
- 三代目山口組時代から続く山口組との親戚関係を持つこと。

特に注目したいのは、組織名が変わっても、歴代の指導者や関係者を通じて一定の人的つながりが維持されてきた点だ。

東声会と東亜会は別の組織なのか

名称だけを見ると別団体のように感じられるが、東亜友愛事業組合、東亜会、現在の東声会は、歴史的な継承関係にある組織として報じられている。

警察庁の過去の警察白書も、東声会を「現在の東亜友愛事業組合」として記載している。これは、名称変更だけでなく、戦後の法規制による解散と、その後の再編という歴史的経緯を理解するうえで重要な記録だ。

【結成の経緯】町井久之(鄭建永)が築いた東声会の歴史

東声会


1923年生まれ・2002年没
本名は鄭建永(チョン・コンヨン)。戦後の東京で活動し、東声会の初代会長として組織を率いた人物。

町井久之は、戦後の東京で愚連隊を率いた人物として知られる。

国立国会図書館の典拠情報でも、町井久之と鄭建永が同一人物であることが確認できる。ジャーナリスト城内康伸による著書『猛牛と呼ばれた男』は、町井の生涯と東声会の形成過程を扱った代表的な調査資料だ。

結成年は1947年説と1957年説がある

東声会の結成年については、資料によって記述が異なる。

2026年のアサヒ芸能の記事は1947年結成と紹介している。一方、組織史を扱うミックスジャーナルは1957年結成としている。

警察庁の1989年警察白書は、東声会を戦後の団体等規正令によって解散させられた暴力団の一つとして記載しているものの、結成年そのものは示していない。したがって、1947年と1957年のどちらかを公的資料で確定した年として扱うことはできない。

銀座を拠点に拡大した町井久之の勢力

町井久之の活動を理解するうえで欠かせないのが、銀座という場所だ。

戦後の銀座は、商業、興行、飲食業などが急速に発展した地域だった。町井は中央商会や中央興行社などの事業を展開し、人的ネットワークを形成していったとされる。

その周辺に存在した愚連隊勢力が東声会の母体になった。

1958年には約500人、最盛期には約1,500~1,600人規模に達したという記録もある。これらは歴史研究や関連出版物に基づく推計であり、警察庁が公表した確定統計ではない。

町井の特徴は、単に構成員を集めるだけでなく、興行や政財界など複数の分野に人脈を持っていたことにある。

プロレスラーの力道山との親交や、右翼関係者の児玉誉士夫とのつながりも、町井の人物像を語る際に取り上げられてきた。

ただし、当時の政治・興行関係者との交際と、個々の組織的な活動を同一視することはできない。

【組織変遷と歴代会長】東亜友愛事業組合から東亜会への再編

東声会の歴史で大きな転換点になったのが、1960年代の警察による暴力団取締り強化だった。

第一次頂上作戦などの取締りが進むなか、東声会は1966年に解散を決定したとされる。翌1967年には旧勢力を引き継ぐ形で東亜友愛事業組合が発足し、平野富士松が初代理事長に就任した。

町井久之はこの再編に伴い、表立った組織運営から退いたと報じられている。

東声会から東亜会までの歴代指導者

組織の変遷を理解するため、歴代の指導者と名称の移り変わりを整理する。

時期 指導者 組織・役職
1940~50年代 町井久之 東声会初代会長
1967年 平野富士松 東亜友愛事業組合初代理事長
その後 沖田守弘 同組合二代目理事長
その後 二村昭平 東亜友愛理事長・東亜会初代会長
1999年 金海芳雄 東亜会二代目会長
2016年 早野泰 東声会五代目会長
2026年 小澤達夫 東声会六代目会長

※歴代指導者の整理。各人物の就任年・退任年が公的記録で一律に確認できるわけではない。

東亜友愛事業組合から東亜会へ

東亜友愛事業組合の後継体制では、沖田守弘が理事長を務めた後、二村昭平が組織を引き継いだ。

二村の時代に組織名は東亜会へと変更され、トップの役職も理事長から会長へ移行した。

1999年には金海芳雄が二代目会長に就任する。

金海体制は、東声会の歴史を語るうえで重要な時期だ。六代目山口組の発足後も両組織の関係は維持され、2005年には司忍が金海の後見人となったと報じられている。

金海は2016年に早野泰へ会長職を譲り、その後は総裁に就いた。2018年には死去している。

2016年に東声会の名称が復活

早野泰が会長に就任した2016年、組織名は東亜会から東声会へと戻された。

この改称は、単なる名称変更ではなく、町井久之が築いた組織の歴史や名跡を再び前面に出す動きとして報じられた。

つまり、現在の東声会は、町井時代の名称を引き継ぎながら、東亜友愛事業組合と東亜会を経由した組織的な変遷の先に位置している。

【六代目山口組との関係】1963年の兄弟盃から2026年の継承劇まで

東声会の歴史を理解するうえで、山口組との関係は避けて通れない。

両組織の関係は、六代目山口組になってから突然始まったものではない。起点は町井久之の時代にまで遡る。

1963年、田岡一雄と町井久之の兄舎弟盃

1963年、東声会の町井久之と三代目山口組組長・田岡一雄が兄舎弟盃を交わした。

兄分が田岡一雄、舎弟分が町井久之という関係だった。

この儀式には、右翼関係者の児玉誉士夫が仲介役として関与したと伝えられている。

当時の東声会は関東を中心に勢力を伸ばしていた一方、既存の組織との関係も課題となっていた。山口組との関係構築は、組織間の外交関係を変える重要な出来事だった。

山口組との関係はどのように続いたのか

その後も東声会の後継組織は、山口組との関係を維持してきた。

特に重要なのが次の3つの出来事だ。

- 三代目山口組時代:町井久之と田岡一雄の兄舎弟盃によって親戚関係が形成された。
- 六代目山口組発足時:2005年、東亜会の金海芳雄会長が司忍を後見人に迎えたと報じられた。
- 2025年:早野泰と弘道会の小澤達夫が兄舎弟盃を交わしたと報じられた。

2025年10月のアサヒ芸能の記事では、早野と小澤の間で兄舎弟盃が交わされたことが伝えられた。この出来事は、翌年の会長継承につながる前段階として注目された。

山口組の傘下なのか、それとも親戚団体なのか

ここは混同されやすいポイントだ。

東声会は、山口組との親戚関係を持つ組織として報道されてきた。しかし、歴史的な親戚関係と、組織上の正式な傘下関係は同じ意味ではない。

2026年の会長継承では山口組系の幹部が東声会のトップに就いたが、この事実だけで、東声会という組織全体が六代目山口組の内部組織になったと断定することはできない。

重要なのは、長年の人的関係が2025~2026年の人事を通じて、さらに密接になったと報じられている点だ。

【2026年最新】早野泰から小澤達夫へ会長継承が行われた背景

2026年4月報道

2026年の東声会をめぐる最大のニュースは、会長交代である。

アサヒ芸能とFRIDAYの報道によると、2026年3月17日、東京都内にある六代目山口組系の落合金町連合本部で、東声会の会長継承盃が行われた。

早野泰から小澤達夫へと会長職が引き継がれ、小澤が六代目東声会の会長に就任したと報じられている。

小澤達夫とはどのような人物なのか


2026年・六代目東声会会長就任
以前は六代目山口組系の弘道会に所属し、小澤組組長、弘道会若頭補佐などを務めたと報じられている。

アサヒ芸能の2026年4月5日付の記事によると、小澤は三代目弘道会時代に小松組の若頭として活動し、その後、弘道会の幹部へと昇格した人物だ。

2019年には四代目弘道会の若頭補佐に抜擢されたとされる。

その後、2025年10月に早野泰との兄舎弟盃を交わし、小澤組とともに東声会へ移籍したという経緯が報じられている。

2026年3月17日の会長継承

FRIDAYが2026年4月3日に報じた内容では、会長継承の儀式には六代目山口組の竹内照明若頭や弘道会の野内正博会長らが出席した。

アサヒ芸能の報道では、継承式に続いて小澤と東声会組員との盃直しも行われたとされる。

ここで注目すべきなのは、会長交代そのものだけではない。

従来の東声会は、町井久之以来の独自の歴史を持つ関東の組織だった。そのトップに、六代目山口組系の弘道会で要職を務めた人物が就いたことは、組織の人事構造における大きな変化を意味する。

2026年の組織変化をどう見るべきか

今回の継承は、東声会と山口組の歴史的な親戚関係が、新しい人事によって具体的な形を取った出来事として理解できる。

ただし、報道された儀式の出席者や人事の情報と、警察・公安委員会による正式な組織認定は別の情報だ。

小澤体制の発足によって東声会の組織的な位置づけがどう変化するかについては、今後の公的資料や継続的な報道が判断材料になる。

【指定暴力団ではない?】東声会の現在の法的位置づけ

東声会について検索すると、「指定暴力団ではない」という情報が見つかる。

この点は、法律上の意味を正しく理解する必要がある。

指定暴力団とは何か

指定暴力団とは、暴力団対策法に基づき、一定の要件を満たした団体として都道府県公安委員会から指定された組織をいう。

東京都の暴力団排除ウェブサイトでは、指定に関係する要件として、次のような事実を挙げている。

- 構成員の犯罪経歴保有割合に関する要件
- 組織の威力を利用した犯罪行為
- 代表者の統制下における階層的な組織構成

指定には法律上の手続きがあり、指定の有効期間や取消しについても暴力団対策法で定められている。

2026年の警察庁資料で東声会はどう扱われているか

警察庁が2026年4月に公表した「令和7年における組織犯罪の情勢」には、指定暴力団25団体の一覧が掲載されている。

この一覧に東声会の名称はない。

したがって、同資料の基準日である2026年3月12日までに公示された指定情報では、東声会は指定暴力団に含まれていない。

ここで注意したいのは、指定暴力団ではないことと、暴力団ではないことは別だという点である。

指定を受けていない組織であっても、暴力団としての実態や関係者の違法行為があれば、関係する法律や条例に基づく捜査・取締りの対象になり得る。

東京の暴力団情勢から見る東声会の位置

東京都が公表した2025年末の暴力団情勢では、都内の暴力団勢力は約3,020人とされている。

主要6団体の内訳は次のとおりだ。

団体 構成員・準構成員等
住吉会 約1,410人
六代目山口組 約400人
極東会 約320人
稲川会 約130人
松葉会 約60人
神戸山口組 約40人

これら6団体の合計は約2,350人で、都内の暴力団勢力の77.8%を占める。

東声会は、この主要6団体の一覧には含まれていない。また、東京都の公表値から東声会単独の構成員数を算出することもできない。

銀座から六本木へ、活動拠点をめぐる歴史

東声会の歴史を語る際には、銀座と六本木という地名も登場する。

銀座は町井久之の時代における重要な活動拠点として知られる。一方、後年の東亜会・東声会については、六本木を拠点とする組織として報じられてきた。

この2つの地域は、組織の歴史を異なる時代に分けて考える際の手掛かりになる。

ただし、歴史上の拠点と2026年現在の組織運営の実態は同一ではない。地名だけを根拠に、現在の活動範囲や組織規模を判断することはできない。

東声会の歴史は、単純な暴力団の歴代会長一覧では理解しきれない。

特に重要なのは、組織の名称、指導者、他団体との関係という3つの要素を分けて考えることだ。

1. 名称変更は組織の歴史を断絶させたわけではない

東声会から東亜友愛事業組合、東亜会、そして東声会へという流れには、解散、再編、継承、名称復活という複数の段階がある。

単純に別々の組織として並べると、町井久之から早野泰、小澤達夫へと続く歴史的なつながりを見落としてしまう。

2. 山口組との関係は60年以上の歴史を持つ

1963年の田岡一雄と町井久之の兄舎弟盃は、その後の両組織の関係を考えるうえで重要な出発点だ。

2005年の金海芳雄と司忍をめぐる関係、2025年の早野泰と小澤達夫の盃、2026年の会長継承へと、関係性は時代ごとに変化している。

3. 2026年の継承は組織の新しい局面を示している

小澤達夫への会長交代は、東声会の歴史における大きな節目だ。

ただし、会長が交代したという事実だけで、組織の勢力や活動内容、法的な位置づけまで変わったと判断することはできない。

人事に関する報道と、警察庁・公安委員会の公的情報を分けて読むことが、東声会の現在を理解するための基本となる。

【東声会に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:東声会を結成した人物は誰ですか?

町井久之(本名・鄭建永)です。戦後の東京で愚連隊勢力を背景に組織を形成し、初代会長として知られています。結成年については1947年説と1957年説があります。

Q2:東声会と東亜会は同じ組織ですか?

歴史的な継承関係にあります。東声会は1960年代に解散・再編され、東亜友愛事業組合、東亜会へと名称や体制を変更しました。2016年に東声会の名称が復活しています。

Q3:東声会は六代目山口組の傘下ですか?

歴史的に親戚関係を持つ組織として報じられています。2026年には弘道会出身の小澤達夫が会長に就任しました。ただし、親戚関係と正式な傘下関係は区別する必要があります。

Q4:東声会は指定暴力団ですか?

警察庁の2026年4月公表資料に掲載された指定暴力団25団体には、東声会は含まれていません。指定暴力団ではないことと、暴力団としての実態がないことは別の問題です。

Q5:2026年現在の東声会会長は誰ですか?

2026年4月のアサヒ芸能とFRIDAYの報道によると、3月17日の継承式で早野泰から小澤達夫へ会長職が引き継がれ、小澤が六代目会長に就任したとされています。

Q6:東声会と銀座・六本木にはどのような関係がありますか?

銀座は町井久之の時代の主要な活動拠点として知られ、六本木は後年の東亜会・東声会を語る際に登場する地域です。時代によって拠点に関する報道の内容が異なります。

まとめ:東声会の現在と今後の動向

東声会は、町井久之による結成、1960年代の解散と東亜友愛事業組合への再編、東亜会への改称、2016年の名称復活という歴史をたどってきた組織である。

六代目山口組との関係も1963年の兄舎弟盃に端を発し、金海芳雄、早野泰の時代を経て続いてきた。2026年3月17日の小澤達夫への会長継承は、その長い関係史のなかでも注目すべき出来事となった。

今後の東声会を理解するうえで注目したいのは、次の3点だ。

- 小澤達夫体制のもとで進む組織の変化
- 六代目山口組や弘道会との関係の推移
- 警察庁や公安委員会が公表する組織犯罪・暴力団情勢の変化

東声会の歴史は、戦後の愚連隊から組織暴力団への変遷、そして現代の暴力団社会における人的関係と組織再編を考えるうえで、一つの重要な事例となっている。

主な参考資料:警察庁「平成元年警察白書」「令和7年における組織犯罪の情勢」、東京都都民安全総合対策本部、国立国会図書館典拠データ、城内康伸『猛牛と呼ばれた男』、アサヒ芸能(2025年・2026年)、FRIDAY(2026年4月3日)。

同じカテゴリの記事

黒田 亮
SEOスペシャリスト 黒田 亮
プロフィールを見る →

スポーツ紙で15年の記者歴。試合結果と記録は球団・リーグの公式記録とNPB発表で照合し、移籍報道は球団の公式コメントが出るまで断定しません。

おすすめの関連記事