手塚理美さんの若い頃を語るうえで欠かせないのが、女優になる前のモデル時代です。
1961年6月7日生まれ、東京都出身。芸能界に入ったきっかけは、ドラマや映画ではなく、子どもの頃に始めたモデルの仕事でした。
小学2年生からモデルとして活動手塚さんは、小学校2年生の頃からモデルの仕事を始めています。
ただし、本人が2025年12月にInstagramで振り返ったところによると、当初から芸能界に憧れていたわけではありませんでした。
自分の意思で始めた仕事ではなかったこともあり、当時の大人たちが作る芸能界の世界に対して複雑な気持ちを抱いていたといいます。
幼い頃から撮影現場や広告の仕事に接していたことは、同世代の子どもとは異なる経験だったはずです。
12歳でユニチカ2代目マスコットガールに選出大きな転機になったのが、繊維メーカー・ユニチカのマスコットガールへの選出です。
手塚さんは12歳のときにオーディションに合格したと振り返っています。
ユニチカが公開している歴代マスコットガールの資料にも、1975年から1978年まで手塚理美さんの名前が掲載されています。先代にあたる風吹ジュンさんに続く存在として、当時の広告・企業イメージを担いました。
この時期の手塚さんは、まだ現在の「手塚理美」ではなく、芸名の「手塚さとみ」として活動していました。
マスコットガールとしての仕事に加え、雑誌や広告などにも出演。若い頃からカメラの前に立つ経験を積み重ねていきます。
18歳のシチズン広告は篠山紀信が撮影2025年12月10日、手塚さんは自身のInstagramで、若い頃の広告写真を公開しました。
紹介されたのは、シチズンの「カスタリア」の広告写真です。
撮影を担当したのは、写真家の篠山紀信さん。
手塚さん自身は1981年頃だったと思うと振り返っており、当時18歳頃の写真とされています。
写真に写るのは、すっきりとした輪郭、印象的な目元、自然な表情が特徴的な若い手塚さんです。
当時の広告写真が現在も話題になる理由は、単に若くて美しいからだけではありません。モデルとしての経験を重ね、10代後半ならではの表情や存在感が写真に残されているからです。
【芸名を改めた理由】手塚さとみから手塚理美へ、19歳の休業と再出発

手塚理美さんの経歴で見逃せないのが、19歳で経験した約1年間の休業です。
子どもの頃から芸能活動を続けてきた手塚さんですが、10代後半には仕事や周囲の環境に対して迷いを抱えるようになりました。
19歳で約1年間活動を休んだ経緯2025年12月のInstagram投稿で、手塚さんは幼少期のモデル活動について、自分の意思で始めたものではなかったことを明かしています。
また、当時の大人の世界が好きではなく、自分を保とうとしながら悩み、苦しんでいたことも振り返りました。
その結果、19歳で1年間ほど仕事を休むことになったといいます。
この休業は、芸能界から完全に引退するためのものではなく、その後の人生や仕事との向き合い方を考える節目になりました。
重要なのは、幼少期から続けていたモデル活動と、その後の女優活動が、本人の中で同じ延長線上にあったわけではないという点です。
芸名を変えた理由は女優としての再出発手塚さんは20歳になった頃、それまで使っていた芸名「手塚さとみ」から、本名の「手塚理美」に戻しました。
この改名は、女優としての活動に専念していく時期と重なっています。
映画・芸能情報を扱うKINENOTEの略歴でも、NHK連続テレビ小説『ハイカラさん』のヒロインに選ばれたことを機に、本名へ改名し、女優業に専念した経緯が紹介されています。
つまり、単に名前の響きを変えたという話ではありません。
モデル・アイドルとして活動してきた過去から一歩進み、俳優として新たなキャリアを築くための転換点だったのです。
「手塚さとみ」と「手塚理美」は別人ではないインターネットで昔の写真や作品を調べると、手塚さとみと手塚理美という2つの名前が出てきます。
そのため、別人なのではないかと疑問に思う人もいる可能性があります。
しかし、どちらも同じ本人です。
| 表記 | 活動時期・位置づけ |
|---|---|
| 手塚さとみ | 10代のモデル・芸能活動で使用した旧芸名 |
| 手塚理美 | 本名。20歳頃から女優として本格的に活動 |
| 旧芸名の作品 | 若い頃の広告、モデル活動、音楽関連作品など |
| 現在の活動名 | 手塚理美 |
なお、2026年5月13日には、キングレコードの公式サイトに「手塚さとみ・15才の肖像~秋・雨の日曜日に~」という配信作品が掲載されています。旧芸名時代の活動が、現在も作品として振り返られていることが分かります。
【20代が美しい理由】『ハイカラさん』『ふぞろいの林檎たち』で女優として開花
手塚理美さんの20代は、モデルから女優への転身が実を結んだ時期です。
特に1982年の『ハイカラさん』と、1983年の『ふぞろいの林檎たち』は、彼女のキャリアを語るうえで外せない代表作です。
1982年『ハイカラさん』で朝ドラヒロインに最初の大きな飛躍となったのが、NHK連続テレビ小説『ハイカラさん』です。
1982年4月5日から10月2日まで放送された同作で、手塚さんは主人公の野沢文を演じました。
物語は明治時代を舞台に、アメリカ留学を経験した女性が、伊豆で外国人向けのリゾートホテルを作ろうと奮闘する姿を描いたものです。
若くして朝ドラのヒロインを務めたことは、モデル時代とは異なる女優としての評価を獲得する大きな機会になりました。
1983年『ふぞろいの林檎たち』で代表的な存在に翌1983年、手塚さんはTBSの金曜ドラマ『ふぞろいの林檎たち』に出演します。
脚本を担当したのは山田太一さん。
中井貴一さん、時任三郎さん、柳沢慎吾さん、石原真理子さんらが出演した青春群像劇です。
手塚さんが演じたのは、水野陽子。
学歴や社会的な評価、恋愛、仕事などに悩みながら、自分の人生を模索する若者たちを描く作品の中で、自然体の演技を見せました。
この作品が長く記憶されている理由は、登場人物が決して完璧ではなく、それぞれに悩みや葛藤を抱えていたからです。
手塚さんの柔らかな雰囲気と繊細な表現は、作品の世界観にもよくなじんでいました。
TBSの番組資料では、1983年から1997年まで続いたシリーズ作品として記録されています。
1987年『男女7人秋物語』にも出演20代後半には、1987年放送の『男女7人秋物語』にも出演しています。
明石家さんまさん、大竹しのぶさん、岩崎宏美さん、柳葉敏郎さんらが出演したTBSの恋愛ドラマです。
手塚さんが演じたのは島村一枝。
前作『男女7人夏物語』の続編で、1987年10月9日から12月18日まで全11回が放送されました。
青春ドラマだけでなく、恋愛を中心とした大人の人間関係を描く作品にも出演したことで、演技の幅を広げていきました。
【経歴・出演作の年表】手塚理美の人生とキャリアを一覧で整理
ここまで紹介した出来事を、年代順に整理します。
| 年代・時期 | 出来事・作品 | キャリア上の意味 |
|---|---|---|
| 小学2年生頃 | モデル活動を開始 | 芸能活動の原点 |
| 12歳頃 | ユニチカ2代目マスコットガールに選出 | 広告モデルとして注目 |
| 1975~1978年 | ユニチカの歴代マスコットガールに記録 | 企業広告で活動 |
| 18歳頃 | シチズン「カスタリア」の広告撮影 | 篠山紀信による撮影写真が残る |
| 19歳 | 約1年間の休業 | 自分の人生と仕事を見つめ直す時期 |
| 20歳頃 | 手塚さとみから手塚理美へ | 本名で女優活動へ |
| 1982年 | NHK『ハイカラさん』 | 朝ドラヒロイン |
| 1983年 | TBS『ふぞろいの林檎たち』 | 水野陽子役で代表作を獲得 |
| 1987年 | TBS『男女7人秋物語』 | 島村一枝役 |
| 1990年 | 真田広之と結婚 | 家庭生活と俳優活動 |
| 1997年 | 真田広之と離婚 | 新たな人生のスタート |
| 2025年 | 若い頃の写真をInstagramで公開 | モデル時代の経験を回想 |
| 2026年 | BS日テレの旅番組などに出演 | 現在もテレビで活動 |
この年表から分かるのは、手塚さんのキャリアが、単純に若い頃の人気だけで成立しているわけではないということです。
幼少期のモデル経験、19歳の休業、20歳頃の改名、朝ドラへの出演、そして青春ドラマでの評価という複数の転換点があります。
特に19歳の休業を経て女優へ進んだことは、長く活動を続けるうえで重要な出来事だったと考えられます。
【真田広之との結婚】1990年の結婚から1997年の離婚まで
手塚理美さんの人生を振り返る際には、俳優の真田広之さんとの結婚についても触れておく必要があります。
2人は1990年に結婚しました。
その後、2人の男児に恵まれましたが、1997年に離婚しています。結婚生活は約7年間でした。
離婚に至った経緯1997年3月、手塚さんは離婚会見を開きました。
当時の報道では、真田さんの女性問題が取り沙汰されていました。
一方、手塚さん本人は会見で、人生観や俳優としての価値観の違いが大きくなったことを離婚の背景として説明しています。
また、離婚前には約1年半の別居期間があったと報じられています。
2016年には、手塚さんがテレビ番組で当時の心境を振り返り、離婚よりも関係修復を望んでいたことを語ったと日刊スポーツが報じました。
この経緯からも、離婚が単純な一つの出来事だけで決まったものではなかったことがうかがえます。
現在はそれぞれ俳優として活動しており、過去の夫婦関係と現在の仕事は分けて考える必要があります。
手塚さん自身も俳優として活動を続け、2025年には次男の舞台を観劇したことがORICON NEWSで報じられています。
【2026年最新】手塚理美は現在65歳!女優・旅番組でも活躍
2026年10月30日現在、手塚理美さんは65歳です。
1961年6月7日生まれで、若い頃から続けてきた芸能活動は現在も続いています。
2026年8月には『友近・礼二の妄想トレイン』に出演2026年の活動で注目したいのが、BS日テレの『友近・礼二の妄想トレイン』です。
2026年8月4日放送回に、ゲストとして出演しました。
番組のテーマは「手塚理美が江ノ電で行く 路地裏絶景旅」。
手塚さんは鉄道、特に踏切が好きな一面を見せ、40年以上通っているお気に入りの踏切スポットも紹介しました。
BS日テレの番組紹介によると、新型車両700形への乗車だけでなく、沿線の景色や踏切を楽しむ姿も取り上げられています。
若い頃の広告モデル時代とは異なる、自然体の魅力が伝わる出演でした。
グレイヘアなど自然体のスタイルも話題手塚さんは、年齢を重ねてからの外見やライフスタイルについても発信しています。
婦人公論.jpでは、2020年にグレイヘアやノーメイクについて語ったインタビューが掲載され、2024年にも自然体で生きることについてのインタビューが紹介されています。
若い頃の写真と現在の姿を比べると、もちろん年齢による変化はあります。
しかし、モデル時代から印象的だった目元や表情の豊かさは、現在の活動にもつながっています。
2026年現在の活動をどう見るべきか手塚さんの2026年の活動を確認する際には、ドラマの新作出演だけに注目する必要はありません。
- 俳優としてのテレビ・映画関連の活動
- 旅番組やバラエティーへの出演
- 昔の芸能活動を振り返る発信
- 過去の作品や音源の再評価
こうした複数の活動が確認できます。
特に、2026年8月の旅番組出演は、現在の手塚さんの人柄や趣味を知ることができる具体的な出演実績です。
若い頃の美貌だけでなく、65歳になった現在も自分らしい活動を続けていることが、彼女の魅力の一つです。
【よくある質問】手塚理美の若い頃に関するFAQ
Q1:手塚理美は何歳からモデルをしていた?
小学2年生の頃からモデルの仕事を始めています。12歳頃にはユニチカの2代目マスコットガールに選ばれ、広告や雑誌などで活動しました。
Q2:若い頃の芸名は手塚さとみだった?
はい。10代のモデル時代には「手塚さとみ」という芸名を使用していました。19歳で約1年間休業した後、20歳頃に本名の「手塚理美」に戻して女優の道へ進みました。
Q3:手塚理美の若い頃の写真はどこで話題になった?
2025年12月、自身のInstagramで18歳頃のシチズン広告写真や、19~20歳頃の写真を公開しました。篠山紀信さんが撮影した広告写真も紹介され、ニュースメディアで取り上げられました。
Q4:手塚理美の代表的な若い頃の出演作品は?
1982年のNHK連続テレビ小説『ハイカラさん』、1983年のTBSドラマ『ふぞろいの林檎たち』、1987年の『男女7人秋物語』が代表的です。
Q5:手塚理美は真田広之といつ結婚・離婚した?
1990年に結婚し、2人の男児をもうけました。その後、1997年に離婚しています。
Q6:手塚理美は2026年現在何歳?
1961年6月7日生まれのため、2026年10月30日現在は65歳です。2026年8月にはBS日テレの『友近・礼二の妄想トレイン』にも出演しています。
まとめ:手塚理美の若い頃の魅力は美貌だけではない
手塚理美さんの若い頃を振り返ると、単に美しいモデル出身の女優という言葉だけでは説明できないキャリアが見えてきます。
小学2年生からモデルとして活動し、12歳でユニチカの2代目マスコットガールに選出。その後、19歳で約1年間の休業を経験し、旧芸名の手塚さとみから本名の手塚理美へ戻して女優に転身しました。
『ハイカラさん』で朝ドラヒロインを務め、『ふぞろいの林檎たち』で水野陽子を演じ、『男女7人秋物語』にも出演。1980年代を代表する女優の一人として存在感を示しました。
【プロの結論】
手塚理美さんの若い頃を知るうえで、特に注目したいのは次の3点です。
1. 写真の魅力: 18歳頃のシチズン広告や19~20歳頃の写真から、モデル時代の透明感と表現力が分かる。
2. 人生の転換点: 19歳の休業と20歳頃の改名が、モデルから女優へ進む大きな節目になった。
3. 現在まで続く表現力: 2026年もテレビ番組などに出演し、年齢を重ねた現在ならではの魅力を見せている。
若い頃の写真をきっかけに手塚理美さんを知った人は、ぜひ『ハイカラさん』や『ふぞろいの林檎たち』にも注目してみてください。
そこには、広告モデルとして活躍していた少女が、自分の意思で女優としての人生を切り開いていった軌跡が残されています。