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貴乃花の横綱昇進はいつ?1994年の全勝連覇と伝達式の口上を徹底解説

黒田 亮 黒田 亮 • 更新: • 公開: • 読了約 15 分
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元大関・貴乃花光司が第65代横綱に昇進したのは、1994年(平成6年)11月23日です。22歳3か月という若さで横綱昇進を決めた背景には、同年の秋場所と九州場所で達成した2場所連続の15戦全勝優勝がありました。

実は、貴乃花は1994年秋場所でも15戦全勝優勝を果たしていました。しかし、その時点では横綱昇進は見送られています。なぜ秋場所後は推薦されず、九州場所後には満場一致で横綱昇進が決まったのでしょうか。日本相撲協会の公式プロフィール、横綱昇進の内規、当時の報道記録をもとに、昇進決定までの経緯と伝達式の口上、2026年現在の公式記録を整理します。

【昇進日は1994年11月23日】貴乃花が第65代横綱になった経緯

貴乃花横綱昇進

貴乃花光司の横綱昇進が正式に決まったのは、1994年11月23日です。

ただし、昇進に向けた重要な動きは2日前から始まっていました。九州場所で全勝優勝を果たした貴乃花に対し、11月21日に横綱審議委員会が横綱推薦を決定。続いて23日に日本相撲協会の番付編成会議と理事会で昇進が正式に承認されました。

横綱昇進までの重要な日程

1994年11月20日、貴乃花は九州場所千秋楽を15戦全勝で終え、秋場所に続く連続優勝を達成しました。

翌21日には、東京・両国国技館で開かれた横綱審議委員会が貴乃花の昇進を審議。出席委員による満場一致の推薦答申となりました。

そして11月23日、福岡市内で開かれた番付編成会議と理事会で正式決定。協会から派遣された使者が二子山部屋の宿舎を訪れ、貴乃花に昇進を伝えました。

当時の共同通信配信記録にも、22歳の貴乃花が第65代横綱に昇進し、使者から伝達を受けた経緯が残っています。

1994年11月23日と1995年1月の違い

ここで間違えやすいのが、横綱昇進決定日と新横綱として土俵に上がった時期の違いです。

貴乃花の昇進決定日は1994年11月23日ですが、日本相撲協会の歴代横綱公式プロフィールでは、横綱在位の開始は1995年1月場所となっています。

したがって、「貴乃花が横綱になったのはいつ?」という質問には、昇進が決まった日を尋ねているなら1994年11月23日、横綱として最初に出場した場所を尋ねているなら1995年1月場所と答えるのが正確です。

【1994年秋場所の全勝優勝】なぜ貴乃花の横綱昇進は一度見送られたのか

貴乃花の横綱昇進を理解するうえで欠かせないのが、1994年秋場所後の出来事です。

この場所で貴乃花は15戦全勝優勝を達成しました。大関として圧倒的な成績を残し、横綱昇進への期待が一気に高まったものの、横綱審議委員会から推薦を得ることはできませんでした。

秋場所後に推薦されなかった理由

理由は、当時の横綱推薦の内規にあります。

横綱昇進は単に一度優勝すれば決まるものではありません。横綱審議委員会の内規では、品格と力量が抜群であることに加え、大関で2場所連続優勝することを原則としていました。

また、2場所連続優勝に準ずる好成績を挙げた場合にも、推薦の対象となる余地があります。

1994年秋場所の貴乃花は全勝優勝という申し分のない結果でしたが、その直前の場所では優勝していませんでした。そのため、連続優勝の原則を満たせず、昇進は見送りとなったのです。

九州場所で求められた結果は連続優勝だった

秋場所後に昇進が見送られたことで、貴乃花は九州場所でも優勝を求められる状況になりました。

そして迎えた1994年11月の九州場所。貴乃花は初日から安定した相撲を続け、千秋楽まで一度も敗れることなく15勝を挙げました。

これにより、秋場所と九州場所の2場所連続優勝が成立。しかも両場所とも15戦全勝という、非常に強い内容でした。

秋場所後には推薦を得られなかった横綱昇進が、九州場所後には満場一致の推薦へと変わりました。単なる優勝回数の積み重ねではなく、昇進基準を明確に満たす結果を連続して示したことが決定的だったのです。

【九州場所15戦全勝】貴乃花の横綱昇進までの年表と関係者

1994年の貴乃花は、横綱昇進をめぐって何度も注目を集めました。秋場所での全勝優勝から九州場所での連覇、そして正式決定までの流れを時系列で確認します。

横綱昇進までの主要な出来事
時期・日付 出来事・関係者 結果・意味
1994年9月 秋場所 15戦全勝で優勝。通算6回目の幕内優勝。
1994年9月場所後 横綱審議委員会 2場所連続優勝の原則を満たさず、推薦見送り。
1994年11月6日~20日 九州場所 再び15戦全勝。2場所連続優勝を達成。
1994年11月21日 横綱審議委員会 出席委員の満場一致で横綱推薦。
1994年11月23日 日本相撲協会の番付編成会議・理事会 横綱昇進を正式決定。第65代横綱誕生。
1994年11月23日 二子山部屋の宿舎で伝達式 使者から昇進を伝達され、貴乃花が口上を述べる。
1995年1月 初場所 日本相撲協会の公式記録上、新横綱として初めて土俵に上がる。
横綱昇進に関係した人物・組織

今回の昇進には、貴乃花本人だけでなく、横綱審議委員会、日本相撲協会、二子山部屋など複数の関係者・組織が関わっています。

  • 貴乃花光司:1994年当時の東大関。秋場所と九州場所で連続全勝優勝を達成した。
  • 横綱審議委員会:横綱推薦を審議する組織。11月21日に貴乃花を推薦した。
  • 日本相撲協会:番付編成会議と理事会で昇進を正式決定した。
  • 二子山部屋:貴乃花が所属していた部屋。昇進伝達式の舞台となった。
  • 陣幕理事:元横綱北の富士。昇進を伝える使者を務めた。
  • 放駒役員待遇:元大関魁傑。陣幕理事とともに昇進を伝達した。

この経緯から分かるのは、横綱昇進が優勝の瞬間に自動的に決まるものではないということです。場所の成績を踏まえた横綱審議委員会の推薦と、日本相撲協会による正式な決定という段階を経て成立します。

【伝達式の口上】不撓不屈・不惜身命に込められた貴乃花の決意

1994年11月23日の昇進伝達式で、貴乃花が述べた口上も大きな注目を集めました。

横綱昇進伝達式では、使者から昇進を伝えられた力士が、師匠らとともに新しい地位を受ける意思を示します。その際に述べる言葉が「口上」です。

貴乃花が述べた横綱昇進の口上

「謹んでお受けします。今後も不撓不屈の精神で、力士として相撲道に不惜身命を貫く所存でございます」

この口上は、当時の共同通信配信記録や日刊スポーツが紹介した歴代横綱の伝達式の記録でも確認できます。

特徴的なのは、「不撓不屈」と「不惜身命」という2つの四字熟語を組み合わせていることです。

不撓不屈の意味

「不撓不屈(ふとうふくつ)」とは、どのような困難や苦難に直面しても、決してくじけず、信念を曲げないことを意味します。

貴乃花の場合、秋場所で全勝優勝しながら横綱昇進を見送られた経験がありました。その後も目標を変えず、九州場所で再び全勝優勝を達成しています。

この経緯を踏まえると、不撓不屈という言葉は、昇進までの道のりとも重なる表現です。

不惜身命の意味

「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」とは、自分の身や命を惜し最初に、物事に全力で取り組むことを意味します。

仏教に由来する言葉で、何かを成し遂げるために身を惜しまない姿勢を表します。力士として相撲道に身をささげるという決意を示す言葉として、横綱昇進の口上にふさわしい表現でした。

なお、貴乃花は1993年の大関昇進時にも「不撓不屈」を使用しています。横綱昇進時には、そこに「不惜身命」を加え、より高い地位に立つ責任と覚悟を表明しました。

この口上は、その後の力士の昇進伝達式で四字熟語が注目されるようになる流れの中でも、印象的な例として語り継がれています。

【横綱昇進時は22歳3か月】歴代横綱の年齢記録と比較

貴乃花が横綱に昇進した1994年11月23日、年齢は22歳3か月でした。

1972年8月12日生まれの貴乃花にとって、22歳という若さで相撲界の最高位に到達したことは、大きな記録です。当時は北の湖、大鵬に続く史上3番目の若さとして注目されました。

歴代の若年横綱との比較

横綱昇進年齢を比較すると、貴乃花の記録がいかに若いものだったかが分かります。

  • 第55代・北の湖:21歳2か月。現在も破られていない最年少昇進記録を持つ。
  • 第48代・大鵬:21歳3か月。昭和を代表する大横綱。
  • 第69代・白鵬:22歳2か月。後年、貴乃花の記録を上回る若さで昇進。
  • 第65代・貴乃花:22歳3か月。1994年11月に昇進決定。
  • 第68代・朝青龍:22歳4か月。2003年に横綱昇進。

この比較では、昇進が決定した時点の年齢を基準にしています。横綱として最初の場所に出場した時点の年齢とは、数か月の違いが生じる場合があります。

貴乃花の昇進記録は何が特別だったのか

貴乃花の昇進で特に注目すべきなのは、年齢だけではありません。

日本相撲協会の公式プロフィールによると、貴乃花は1988年3月場所に初土俵を踏み、1993年3月場所に新大関となりました。そして1995年1月場所に新横綱として登場しています。

また、横綱昇進が決まった時点ですでに幕内優勝7回を記録していました。若くして優勝を重ね、大関として2場所連続全勝優勝を達成した実績は、平成の大相撲を代表する記録の一つです。

ただし、最年少横綱の記録そのものは北の湖が保持しています。貴乃花の記録を「史上最年少」と紹介するのは正確ではありません。正しくは、22歳3か月で昇進した歴代屈指の若年横綱です。

【貴乃花の現在は2026年に54歳】現役時代の公式記録と現在の立場

2026年11月現在、貴乃花光司は54歳です。現役時代の横綱としての実績は、日本相撲協会の歴代横綱公式プロフィールに記録されています。

日本相撲協会が公表する貴乃花の公式記録

貴乃花の公式記録で特に目を引くのが、幕内優勝22回という実績です。

  • 四股名:貴乃花光司
  • 本名:花田光司
  • 生年月日:1972年8月12日
  • 出身地:東京都中野区
  • 最高位:第65代横綱
  • 所属部屋:藤島部屋から二子山部屋
  • 横綱在位:1995年1月~2003年1月
  • 幕内優勝:22回
  • 生涯戦歴:794勝262敗201休(90場所)
  • 幕内戦歴:701勝217敗201休(75場所)

これらは日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている数字です。引退場所も2003年1月場所と記録されています。

2018年には日本相撲協会を退職

現役引退後の貴乃花は、親方として後進の育成にも携わりました。二子山部屋から独立して貴乃花部屋を運営し、弟子の育成に取り組んでいました。

しかし、2018年9月に日本相撲協会へ退職届を提出。同年10月1日に協会が退職を発表し、貴乃花部屋も消滅しました。

そのため、2026年現在の貴乃花は、日本相撲協会に所属する現役親方ではありません。現役時代の横綱としての地位と、現在の活動上の立場は区別して理解する必要があります。

2026年の歴代横綱記録における貴乃花の位置

2026年11月現在、日本相撲協会の歴代横綱一覧では、第74代横綱・豊昇龍と第75代横綱・大の里が掲載されています。

貴乃花は第65代横綱であり、平成の相撲界を代表する横綱の一人です。幕内優勝22回という数字は、白鵬の45回、大鵬の32回、千代の富士の31回などと比較しても、歴代の名横綱に並ぶ実績です。

特に、横綱昇進前の1994年に2場所連続全勝優勝を達成したことは、貴乃花のキャリアを象徴する出来事として、現在も重要な記録になっています。

【よくある質問】貴乃花の横綱昇進に関するFAQ

Q1:貴乃花の横綱昇進はいつ決まった?
A1:1994年11月23日です。11月21日に横綱審議委員会が推薦し、23日に日本相撲協会の理事会などで正式決定しました。

Q2:貴乃花は何歳で横綱になった?
A2:昇進決定時は22歳3か月でした。1972年8月12日生まれで、1994年11月23日に昇進が決まっています。

Q3:1994年秋場所ではなぜ横綱に昇進できなかった?
A3:秋場所では15戦全勝優勝を達成しましたが、直前の場所で優勝しておらず、横綱推薦の原則である大関での2場所連続優勝を満たしていなかったためです。

Q4:貴乃花の九州場所の成績は?
A4:1994年九州場所では15戦全勝で優勝しました。秋場所に続く2場所連続全勝優勝が横綱昇進の決め手となりました。

Q5:貴乃花の横綱昇進時の口上は?
A5:「謹んでお受けします。今後も不撓不屈の精神で、力士として相撲道に不惜身命を貫く所存でございます」という趣旨の口上です。

Q6:不撓不屈と不惜身命にはどんな意味がある?
A6:「不撓不屈」は困難に負けず信念を貫くこと、「不惜身命」は自分の身や命を惜しまず物事に取り組むことです。どちらも力士としての覚悟を表しています。

Q7:2026年現在、貴乃花は何歳で、幕内優勝は何回?
A7:2026年11月現在54歳です。日本相撲協会の公式記録では、幕内優勝22回、生涯戦歴794勝262敗201休となっています。

貴乃花光司の横綱昇進は、1994年11月23日に正式決定しました。第65代横綱の誕生は、秋場所と九州場所での2場所連続全勝優勝によって実現したものです。

特に重要なのは、秋場所で15戦全勝優勝を果たしながら、一度は昇進が見送られたという経緯です。大関として2場所連続優勝するという横綱推薦の原則を満たすため、九州場所でも結果を残す必要がありました。

そして、22歳3か月での昇進、伝達式での「不撓不屈」「不惜身命」という口上、幕内優勝22回という公式記録は、貴乃花の相撲人生を語るうえで欠かせない要素です。

2026年現在も、第65代横綱としての貴乃花の記録は日本相撲協会の公式資料に残っています。昇進決定日である1994年11月23日と、新横綱として迎えた1995年1月場所を区別して覚えておくと、当時の歴史的な流れをより正確に理解できます。

貴乃花の横綱昇進は、単に若くして最高位に到達した記録ではありません。全勝優勝を重ね、昇進を一度見送られた後も結果で条件を満たした、平成大相撲を象徴する昇進劇でした。

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スポーツ紙で15年の記者歴。試合結果と記録は球団・リーグの公式記録とNPB発表で照合し、移籍報道は球団の公式コメントが出るまで断定しません。

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