スタジオジブリの高畑勲監督が手がけた『かぐや姫の物語』は、日本最古の物語文学とされる『竹取物語』を題材に、ひとりの女性が地上で生きる喜びと悲しみを描いた長編アニメーション映画です。2013年11月23日に公開され、上映時間は約137分。従来のジブリ作品とは異なる水彩画のような映像表現と、かぐや姫の内面に踏み込んだ大胆な物語解釈で国内外から注目を集めました。
特に気になるのは、かぐや姫がなぜ月ではなく地球を選んだのか、月の世界で犯した罪とは何だったのか、そして地上で愛する人々と出会いながら、なぜ最後には月へ帰らなければならなかったのかという点です。高畑監督は原作に明確な説明がない部分に独自の解釈を加え、生命の輝き、自由への願い、避けられない別れを重ね合わせました。2026年現在も、本作は高畑勲の演出思想を知るうえで欠かせない作品です。
【作品の全貌】高畑勲『かぐや姫の物語』のあらすじと結末

物語は、山で竹を取って暮らす翁が、光り輝く竹の中から小さな女の子を発見するところから始まります。
翁は女の子を家に連れ帰り、媼とともに大切に育てます。不思議なことに、姫は驚くほどの速さで成長。山の子どもたちと自然の中を駆け回り、草木や動物に囲まれながら、自由で生き生きとした毎日を送ります。
その姿は、後に都で「なよ竹のかぐや姫」と呼ばれる高貴な女性とは対照的です。山での暮らしには、季節の変化や仲間との遊び、自然の恵みを感じる喜びがありました。
しかし、翁が竹の中から黄金や高価な衣装を見つけたことで、生活は大きく変わります。翁は、それが娘を高貴な身分にするための天からの意思だと考え、都に屋敷を構えて姫を育てることを決意します。
都での生活と失われていく自由都に移った姫は、相模から貴族の女性としての作法や教養を教え込まれます。美しい衣装をまとい、言葉遣いや立ち居振る舞いまで厳しく制限される生活です。
やがて姫の美しさは都中に知れ渡り、5人の貴公子が求婚に訪れます。姫はそれぞれに実在するかどうかも疑わしい宝物を持ってくるよう要求し、相手の虚栄心や嘘を見抜いていきます。
さらに帝からも求婚されますが、姫は自分の意思を無視して迫られることに強い拒絶を示します。
かつて山で自由に生きていた少女は、周囲が望む美しい女性という役割を演じることを強いられていました。翁の愛情から始まった行動も、姫の気持ちを置き去りにしてしまいます。
月からの迎えと涙の結末都での生活に耐えきれなくなった姫は、月を見上げながら帰還を願うようになります。その願いが月の世界に届き、満月の夜に天人たちが迎えに来ることになります。
しかし、迎えが近づくにつれて姫の気持ちは変わります。地上で過ごした時間、翁と媼との生活、山で遊んだ子どもたち、そして捨丸との思い出。それらを失いたくないと強く願うようになるのです。
姫は帰りたくないと訴えますが、月からの使者を止めることはできません。最後には天人の羽衣を着せられ、地上での記憶を失っていきます。
月へ帰る姫が一瞬だけ地球を振り返る場面には、言葉では説明しきれない悲しみがあります。物語は、帰還を幸福な故郷への帰還としてではなく、愛した世界との取り返しのつかない別れとして描いています。
【最大の謎を解明】かぐや姫が地球に来た理由と月に帰る理由、罪と罰の真相
なぜ月ではなく地球に憧れたのか高畑勲監督が本作で最も掘り下げた問題のひとつが、かぐや姫が地球にやってきた理由です。
映画では、月の世界にいる姫が、かつて地球を訪れたことのある人物から地上の話を聞きます。そこには草木や花、水の流れ、四季の移り変わりがあり、人間たちは喜び、悲しみ、怒りながら限られた命を生きています。
月の世界は、苦しみや悲しみから切り離された清浄な場所として描かれます。一見すると理想郷ですが、そこには地上のような激しい感情や生命の躍動がありません。
それに対して地球には、いつか失われるからこそ美しいものがあります。
花は散り、季節は移り、人は年を取り、やがて死を迎える。それでも人々は誰かを愛し、自然を楽しみ、今日という時間を生きています。
姫が地球に憧れたのは、単に美しい景色を見たかったからではありません。限りある命を持つ存在として生きること、その中で感情を味わうことに強く惹かれたからです。
かぐや姫が犯した罪とは何だったのか原作の『竹取物語』では、かぐや姫自身が月の世界で罪を犯し、その罰として地上に降ろされたと説明します。しかし、具体的にどのような罪だったのかは明かされません。
この空白に対して高畑監督が提示したのが、月の世界の住人でありながら、地球の生命や人間の営みに憧れたこと自体が罪だったという解釈です。
月の世界の価値観では、苦しみや悲しみを伴う地上の生に執着することは、清浄な世界の秩序から外れる行為として扱われます。
つまり、姫が犯した罪は、誰かを傷つけたことでも、財産を奪ったことでもありません。地球で生きたいという願いを持ったことそのものです。
ここには作品の大きな逆説があります。地上の人間から見れば、自然を愛し、生きることを望むのは当たり前の感情です。しかし月の世界では、その当たり前の願いが罪とされてしまうのです。
地球に降ろされたことが罰だったのか姫に与えられた罰は、地上で生きることでした。
ただし、この罰は単純な苦痛ではありません。姫が望んだ自然や人間の暮らしを経験できる一方で、そこには避けられない苦しみも存在します。
大切な人との別れ、身分や社会的な立場による制約、自分の意思を無視される経験。地球で生きるということは、喜びだけを選べるものではありません。
姫は山での生活を愛し、捨丸たちと過ごす時間を楽しみ、地上で生きることに喜びを感じていきます。だからこそ、帰還が近づいたとき、その別れは耐えがたいものになります。
加えて、月へ戻る際には羽衣によって地上での記憶を失うという残酷な結末が待っています。
この点を踏まえると、罰の本質は地上に降ろされたことだけではありません。愛することを知り、失いたくないものを得た後に、それらを手放さなければならないことにもあります。
なぜ姫は最後に月へ帰らなければならなかったのか月への帰還には、原作にある「罪の償いの期限が終わった」という設定が関係しています。
映画はこの原作の骨格を残しながら、地上での苦しみから逃れたいという姫の願いと、地上で生き続けたいという本心の矛盾を描きます。
帝に迫られたとき、姫は強い絶望を感じ、月に救いを求めるような気持ちになります。しかし、実際に迎えが来ると、今度は地上を離れたくないと泣き叫びます。
ここで重要なのは、月への帰還が姫の幸福を意味していないことです。
苦しみのない世界へ戻ることは、同時に喜びや愛情、人生の記憶を失うことでもあります。姫は地球のすべてを経験したからこそ、最初に憧れた月の世界とは違う価値観を持つようになったのです。
この物語は、苦しみのない世界が必ずしも幸福な世界とは限らないという問いを投げかけています。
【原作と徹底比較】高畑勲は『竹取物語』をどう描き直したのか
原作の物語と映画の大きな違い『竹取物語』は平安時代初期に成立した作者不詳の物語です。東京大学文学部の国文学資料でも紹介されているように、竹の中から発見された姫が成長し、多くの求婚者や帝の申し出を拒み、最後に月へ帰るという筋書きを持っています。
高畑監督は、この基本的な展開を大切にしながら、原作では描写が限られている姫の心理や生活を映像として膨らませました。
主な違いを整理すると、次のようになります。
| 比較項目 | 原作『竹取物語』 | 映画『かぐや姫の物語』 |
|---|---|---|
| 地上に来た理由 | 月の世界で罪を犯し、罰として降ろされたと説明されるが、罪の具体的内容は不明。 | 地球の自然や生命への憧れを罪と結びつけて解釈。 |
| 幼少期 | 竹から発見され、急速に成長する。 | 山での生活や子どもたちとの交流を丁寧に描写。 |
| 捨丸との関係 | 登場しない。 | 幼少期からの関係を通して、地上で生きる喜びと愛情を表現。 |
| 求婚者たち | 5人の貴公子に難題を課し、求婚を退ける。 | 原作の展開を踏襲しつつ、姫の心理や求婚者の滑稽さを強調。 |
| 帝との関係 | 帝の求婚を拒絶する。 | 姫の意思を無視した接触への恐怖や拒絶を強く描く。 |
| 月への帰還 | 罪の償いの期限が終わり、天人が迎えに来る。 | 帰還への抵抗と地上の記憶を失う悲しみを強調。 |
| 物語の主題 | 人間社会や権力、男女関係、無常などを含む多面的な物語。 | 生命の喜び、自由、愛情、別れを中心に再構成。 |
映画で特に大きな役割を担うのが、幼少期から姫と交流する捨丸です。
捨丸は、姫が地上で自然体のまま生きていた時間を象徴する人物です。山でともに遊び、成長してからも再会することで、姫の心の奥に残る地上への愛着を浮かび上がらせます。
原作には存在しない人物ですが、映画では重要な意味を持っています。
捨丸との関係は、単なる恋愛要素ではありません。姫が何を失いたくないのか、なぜ月に帰ることを拒むのかを、観客が感情的に理解するための存在なのです。
原作に忠実でありながら、別の物語になった理由高畑監督の工夫は、原作の出来事を大幅に変更することではなく、その出来事を経験する人物の内面を描いた点にあります。
たとえば、姫が都に移される展開は原作にもあります。しかし映画では、山での自由な生活を知っている姫が、都の生活をどのように感じているかが丁寧に描かれます。
同じ出来事でも、人物の感情が描かれることで意味は大きく変わります。
この手法は、高畑監督が『アルプスの少女ハイジ』などで追求してきた、日常生活と人物の心情を丁寧に積み重ねる演出とも通じています。
『かぐや姫の物語』は、昔話を現代風に置き換えた作品というよりも、昔話の中に隠れていたひとりの人間の人生を掘り起こした作品なのです。
【制作背景と映像革命】8年以上を費やした水彩画風アニメーション
50年以上前から温められていた企画『かぐや姫の物語』は、2013年に突然生まれた企画ではありません。
スタジオジブリ関連の制作発表資料によると、高畑監督は20代の頃、東映動画に在籍していた時期に『竹取物語』の映画化企画に関わる機会がありました。当時は内田吐夢監督の構想に関連して脚色案が検討されましたが、映画化は実現しませんでした。
その後、長い年月を経て再び『かぐや姫』の企画が動き出します。
プロデューサーの西村義明氏が語った制作経緯では、高畑監督は企画を進めるにあたり、かぐや姫がなぜ地球に来たのか、そこで何を考えて生きていたのか、罪と罰とは何なのかという疑問を繰り返し提示していました。
この問いに答えるため、映画は昔話の筋書きをなぞるだけではなく、姫の感情を中心にした長編作品として構築されていきました。
制作期間8年以上、従来のアニメーションを超える挑戦映画テレビ技術協会が2014年に開催した映像技術研究会の報告によると、本作の制作には8年以上が費やされました。
最大の特徴は、キャラクターの輪郭を均一で滑らかな線に仕上げる従来のセルアニメーションとは異なる表現です。
人物の線は毛筆や鉛筆のスケッチを思わせる不均一なタッチで、輪郭が途切れることもあります。背景は淡い水彩画のように描かれ、色の濃淡や余白が画面に独特の空気感を与えています。
単に水彩画風のフィルターを映像にかけたわけではありません。手描きの線を生かしながらデジタル技術で映像を合成するため、制作工程そのものに新しい工夫が必要でした。
動きの表現が感情と直結している本作の映像表現で特に印象的なのは、姫の感情が高ぶる場面で、画面の線や動きまで変化することです。
普段の場面では柔らかな線で描かれていた人物が、怒りや絶望を感じる瞬間には荒々しい筆致に変わります。輪郭は崩れ、背景と人物の境界さえ曖昧になっていきます。
象徴的なのが、姫が都から逃げ出す場面です。十二単を脱ぎ捨てるように走り、雪や山を越えていく描写では、自由を求める感情が画面全体の動きとして表現されます。
この映像は、単に速い動きを見せるための演出ではありません。姫の心の中にある、社会的な役割から解放されたいという衝動そのものを視覚化しています。
テレビ東京の2019年の番組紹介でも、本作の制作に携わったスタッフが、従来のアニメーションとは異なる描画手法や膨大な作画作業について紹介されています。
高畑勲が目指したアニメーションとはスタジオジブリの高畑勲展では、本作が監督の遺作であり、デジタル技術を活用して手描きの線を生かした水彩画風の表現に挑んだ作品として紹介されています。
高畑監督にとって映像は、きれいな絵を動かすためだけのものではありませんでした。人物が何を感じ、何を見ているのかを観客に伝えるための演出手段でした。
そのため、あえて整えすぎない線や余白を残すことにも意味があります。
画面に描かれていない部分まで観客に想像させる。人物の気持ちが変わる瞬間を、説明的な台詞ではなく、身体の動きや線の勢いによって表現する。
本作の映像美は、物語のテーマと切り離して評価できるものではありません。自由に生きたいと願う姫の心が、自由な線によって表現されているのです。
【声優・音楽・制作陣】作品を支えた豪華キャストと久石譲の楽曲
『かぐや姫の物語』主要キャスト一覧本作では、俳優、声優、落語家、ミュージシャンなど、多彩な分野で活躍する人物が声の出演を担当しています。
| 登場人物 | 声の出演 | 役割・特徴 |
|---|---|---|
| かぐや姫 | 朝倉あき | 地上で生きる喜びと悲しみを経験する主人公。 |
| 捨丸 | 高良健吾 | 姫の幼少期から関わる山の仲間。 |
| 翁 | 地井武男 | 姫を育て、都で高貴な生活を送らせようとする父親的存在。 |
| 媼 | 宮本信子 | 姫を温かく見守る養育者。語りも担当。 |
| 相模 | 高畑淳子 | 都で姫に貴族の作法を教える教育係。 |
| 女童 | 田畑智子 | 姫の身近に仕える少女。 |
| 斎部秋田 | 立川志の輔 | 姫の名付けに関わる人物。 |
| 石作皇子 | 上川隆也 | 姫に求婚する五人の貴公子のひとり。 |
| 阿部右大臣 | 伊集院光 | 姫に求婚する貴族。 |
| 大伴大納言 | 宇崎竜童 | 姫に求婚する貴族。 |
| 御門 | 中村七之助 | かぐや姫に求婚する帝。 |
| 車持皇子 | 橋爪功 | 姫に求婚する五人の貴公子のひとり。 |
| 北の方 | 朝丘雪路 | 車持皇子に関係する人物。 |
| 炭焼きの老人 | 仲代達矢 | 物語に登場する老人。 |
特に朝倉あきのかぐや姫は、無邪気な少女から自分の意思を持つ女性へと変化する過程を、繊細な声の表現で伝えています。
また、翁を演じた地井武男と媼を演じた宮本信子の存在も印象的です。姫を愛する気持ちがありながら、結果的に姫の自由を奪ってしまう二人の複雑な感情が、物語に人間的な深みを与えています。
久石譲が担当した音楽の特徴音楽を担当したのは久石譲です。
2013年11月20日に徳間ジャパンコミュニケーションズから発売されたサウンドトラックには、「小さき姫」「生きる喜び」「山里」「生命の庭」「絶望」「悲しみ」「月の都」など、物語の展開に沿った楽曲が収録されています。
本作の音楽は、壮大な冒険を盛り上げるというよりも、自然の美しさや人物の心の揺れを支える役割を担っています。
山での暮らしを描く場面では生命の躍動が感じられ、月の都が近づくにつれて、地上との距離や別れの気配が強まっていきます。
特に天人たちが迎えに来る終盤では、映像と音楽の対比が際立ちます。美しく荘厳な音楽が流れる一方で、姫にとっては最も悲しい出来事が進行しているからです。
二階堂和美の「いのちの記憶」が伝えるもの主題歌「いのちの記憶」を担当したのは、シンガーソングライターの二階堂和美です。作詞・作曲・歌唱を本人が担当しています。
この楽曲は2013年7月24日にシングルとして発売されました。スタジオジブリの公式発表によれば、高畑監督は以前から二階堂和美の歌声に注目しており、その力強さと優しさに共感して主題歌を依頼したとされています。
「いのちの記憶」というタイトルは、本作の結末と深く結びついています。
姫は月へ帰るとき、地上での記憶を失います。しかし、観客は彼女が過ごした時間を知っています。忘れてしまうことと、その人生が存在しなかったことは同じではありません。
この楽曲は、短い人生であっても、誰かと出会い、何かを愛した経験は確かに存在したという作品の余韻を支えています。
【評価と受賞歴】アカデミー賞ノミネートと高畑勲の遺作としての意味
第87回アカデミー賞にノミネート『かぐや姫の物語』は、国際的にも高い評価を受けました。
2015年開催の第87回アカデミー賞では、長編アニメーション賞にノミネートされています。アカデミー賞の公式記録には、監督のIsao TakahataとプロデューサーのYoshiaki Nishimuraの名前が記載されています。
受賞には至らず、同部門の受賞作品は『ベイマックス』でした。しかし、日本の古典文学を題材にした作品が、独創的な映像表現とともに世界的な映画賞で評価された意義は大きいものがあります。
評判が分かれる要点はどこか本作の評価を考える際には、物語と映像表現を分けて見る必要があります。
映像面では、手描きの線を生かした大胆な表現や、自然の動きを感じさせるアニメーションが高く評価されています。映画批評でも、水墨画や水彩画を思わせる画面構成と、原作に心理的な奥行きを与えた演出が注目されました。
一方、物語については、従来のジブリ作品に期待される冒険や明快な展開とは異なるため、好みが分かれる部分があります。
特に、次のような点が評価の分かれ目になります。
- 大きな事件よりも、人物の日常や心理の変化を丁寧に描いている。
- 捨丸との関係や姫の心情が、原作以上に大きな比重を占める。
- 結末は明確な幸福ではなく、喪失感と余韻を残す。
- 映像表現が写実的なアニメーションとは異なり、絵画的な印象を強く持つ。
そのため、テンポの速い娯楽作品を期待する人には長く感じられる可能性があります。一方、人物の感情や映像の細部をじっくり味わいたい人には、繰り返し鑑賞する価値のある作品です。
高畑勲の遺作となった理由『かぐや姫の物語』は、高畑勲監督が手がけた最後の長編映画です。
高畑監督は2018年4月5日に82歳で亡くなりました。スタジオジブリは翌6日に訃報を公表し、死因は肺がんと発表しています。
高畑監督は『太陽の王子 ホルスの大冒険』『アルプスの少女ハイジ』『赤毛のアン』『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦ぽんぽこ』など、アニメーション史に残る作品を数多く手がけてきました。
その最後の長編作品が『かぐや姫の物語』だったことには、表現者としての歩みを考えるうえで大きな意味があります。
高畑監督は、作品ごとに新しいテーマを見つけ、それにふさわしい表現方法を追求してきました。本作でも、長年温めていた古典文学の企画に、従来のアニメーションの枠を超える映像技法を組み合わせています。
最後まで表現の可能性を追い続けた監督の姿勢が、本作には色濃く残されています。
【プロの結論】『かぐや姫の物語』が伝える生きることの意味
月の世界と地球の世界、どちらが本当の幸福なのか本作を読み解くうえで重要なのは、月の世界と地球の世界を単純な善悪で分けないことです。
月の世界には苦しみがありません。しかし、その代わりに激しい喜びや悲しみもありません。地球には苦しみがありますが、愛情や自然の美しさ、他者とのつながりも存在します。
高畑監督が描いたのは、苦しみがあるからこそ生きる価値があるという、単純な精神論ではありません。
むしろ、苦しみを含めた人生を自分の意思で生きたいと願うことの尊さです。
姫は地上で、すべてを思いどおりにできたわけではありません。翁の愛情によって都に移され、貴族社会の規範に縛られ、望まない求婚にも直面します。それでも、山での時間や捨丸との記憶は、彼女にとってかけがえのないものでした。
自由とは、何の制約もない状態だけを意味するのではありません。自分の人生を自分の意思で選びたいという願いそのものに、本作の核心があります。
翁は悪人だったのかもうひとつ見逃せないのが、翁の存在です。
翁は姫を幸せにしたいと願っています。黄金を見つけ、都に屋敷を構え、貴族としての生活を用意するのも、娘に立派な人生を歩ませたいという愛情からです。
しかし、翁は自分が考える幸福と、姫が求める幸福を同じものだと思い込んでいます。
ここに本作の人間ドラマがあります。
善意であっても、相手の意思を聞かずに幸福を押しつければ、自由を奪うことになりかねません。翁は単純な悪役ではなく、愛情と価値観の違いによって娘を苦しめてしまう人間として描かれています。
この視点は、親子関係だけでなく、他者の人生をどう尊重するかという普遍的な問題にもつながります。
2026年に改めて鑑賞する価値公開から年月が経過した2026年に本作を見ると、映像技法だけでなく、人生の有限性を描く物語としての深みが際立ちます。
デジタル技術によって整った映像が当たり前になった時代だからこそ、あえて不均一な線や余白を残した表現には新鮮さがあります。
また、原作を知っている人ほど、映画が追加した人物の感情や生活の描写に気づきやすくなります。逆に、原作を知らなくても、ひとりの女性が自分の人生を求める物語として楽しめます。
鑑賞する際は、次の3点に注目すると作品の理解が深まります。
- 山での生活:姫が本当に求めていた自由と生命の喜びを確認する。
- 都での生活:周囲が望む幸福と本人が望む幸福の違いを考える。
- 月への帰還:記憶を失う結末が、人生の有限性とどう結びつくのかを考える。
派手な展開や明快な答えを求める人には、少し難解に感じられる可能性があります。しかし、物語の余白を自分なりに考えることが好きな人には、特におすすめできる作品です。
【高畑勲のかぐや姫の物語】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:かぐや姫が地球に来た本当の理由は何ですか?
A1:映画では、かぐや姫が地球の自然や生命、人間の感情に憧れたことが理由として描かれます。月の世界の価値観では、その憧れが罪とされ、地上で生きることが罰として与えられたという解釈です。
Q2:かぐや姫が犯した罪とは何ですか?
A2:原作では具体的な罪は明かされません。高畑勲監督の映画では、月の世界の住人が地球の生命や人間の営みに憧れること自体が罪だったという解釈が提示されています。
Q3:かぐや姫はなぜ最後に月へ帰ったのですか?
A3:原作の設定では、地上での罪の償いの期限が終わったためです。映画では帰還を望まない姫の気持ちや、地上の記憶を失う悲しみが強調されています。
Q4:『かぐや姫の物語』と原作『竹取物語』の違いは何ですか?
A4:基本的な筋書きは共通していますが、映画では幼少期の山での暮らし、捨丸との交流、姫の心理描写などが大きく追加されています。原作で説明されない罪と罰にも独自の解釈が加えられています。
Q5:主題歌「いのちの記憶」を歌っているのは誰ですか?
A5:二階堂和美です。作詞・作曲・歌唱を本人が担当しています。映画の音楽は久石譲が手がけました。
Q6:『かぐや姫の物語』はアカデミー賞を受賞しましたか?
A6:第87回アカデミー賞の長編アニメーション賞にノミネートされましたが、受賞はしていません。同部門の受賞作品は『ベイマックス』です。
Q7:『かぐや姫の物語』は高畑勲監督の遺作ですか?
A7:はい。2013年公開の本作は、高畑勲監督が手がけた最後の長編映画です。監督は2018年4月5日に82歳で亡くなりました。
まとめ:高畑勲『かぐや姫の物語』は生命の輝きを描いた最後の長編作品
高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は、『竹取物語』の物語構造を大切にしながら、原作では語られなかった姫の心情と人生を大胆に描き直した作品です。
地球に来た理由は、自然や生命への憧れ。犯した罪は、月の世界の価値観から見た地上への執着。そして月へ帰る理由は、地上での時間が終わりを迎えたからです。
しかし、映画が最も強く伝えるのは、罪や罰の説明だけではありません。
限りある命を生きること、誰かを愛すること、自由を求めること、そして別れを経験すること。そのすべてが、地上で生きるということの一部なのです。
水彩画のような映像、久石譲の音楽、二階堂和美の「いのちの記憶」、そして姫の最後の涙。これらが重なり合うことで、本作は単なる昔話の映画化を超えた作品になりました。
高畑勲が長年温めてきた『かぐや姫』という題材は、監督の最後の長編映画として、アニメーションの可能性と人間が生きる意味を同時に問いかけています。
月へ帰る姫の背中を見送った後、観客の心に残るのは、失われた記憶ではなく、彼女が地上で確かに生きた時間です。それこそが、この作品が今も語り継がれる理由なのと考えられます。
主な事実確認資料
- スタジオジブリ公式作品情報・高畑勲監督訃報・高畑勲展
- 映画テレビ技術協会「『かぐや姫の物語』のビジュアル構成」
- 東京大学文学部「竹取物語絵巻」
- 米国映画芸術科学アカデミー第87回アカデミー賞公式記録
- 徳間ジャパンコミュニケーションズ・ヤマハミュージックコミュニケーションズ公式音楽情報