2026年11月現在、サッカー日本代表の中村敬斗選手と千葉県我孫子市のつながりが、改めて大きな注目を集めている。中村選手は2000年7月28日生まれの我孫子市出身。高野山小学校、我孫子中学校を卒業し、地元の高野山サッカースポーツ少年団でサッカーの基礎を身につけた。少年時代にプレーした五本松運動広場も、現在の中村選手と故郷を結ぶ重要な場所だ。
2026年には、北中米ワールドカップでの活躍を経て7月10日に我孫子市へ凱旋。さらに10月26日には、我孫子市とマネジメント会社の株式会社Keito-ismが連携協定を締結し、思い出の場所である五本松運動広場の愛称を「KEITO NAKAMURA FIELD」とすることが決まった。欧州でプレーする日本代表選手と故郷の関係は、単なる出身地という枠を超え、地域のスポーツ振興へと広がっている。
【中村敬斗は我孫子市出身】高野山小学校・我孫子中学校で過ごした少年時代

中村敬斗選手の出身地は千葉県我孫子市だ。
我孫子市公式ウェブサイトのプロフィールによると、2000年7月28日に生まれ、高野山小学校と我孫子中学校を卒業している。
本人も2025年に授与された市民文化スポーツ栄誉章の受章コメントで、プロサッカー選手としてガンバ大阪へ移籍するまでの17年間を我孫子市で過ごしたと振り返っている。
出身小学校は我孫子市立高野山小学校中村選手の出身小学校は、我孫子市にある高野山小学校だ。
小学生時代の中村選手は、学校生活とサッカーを両立しながら、複数のチームでプレーする経験を積んだ。
2025年4月に公開されたサッカー専門メディア「サカママ」のインタビューでは、本人が小学生時代のチーム遍歴やサッカーへの思いを詳しく語っている。
特に興味深いのは、最初から強豪クラブだけを目指していたわけではない点だ。
小学1年生で地元の高野山サッカースポーツ少年団に入り、小学2年生では柏イーグルスTOR'82へ移籍。その後、小学4年生で柏レイソルU-12のセレクションに合格した。
しかし、柏レイソルでの活動を続けるなかで、自分の好きなドリブルを生かせる環境について考えるようになったという。
小学6年生で柏レイソルを退団し、再び高野山サッカースポーツ少年団へ戻った。
出身中学校は我孫子市立我孫子中学校中村選手が卒業した中学校は、我孫子市立我孫子中学校である。
中学校時代は、サッカー選手として大きな成長を遂げた時期でもある。
学校生活と並行して三菱養和サッカークラブのジュニアユースに所属。中学1年生から本格的な育成環境で技術を磨いた。
本人はインタビューで、中学1年生の頃を振り返り、サッカーが楽しくて仕方なかったと話している。
学校が終わると練習に向かう生活を送り、ゴールを決めることへの喜びが大きな原動力になっていた。
高野山小学校から我孫子中学校へ進み、地元で過ごした少年時代は、現在の攻撃的なプレースタイルにつながる重要な時期だった。
【高野山サッカースポーツ少年団から世界へ】中村敬斗のサッカー経歴と才能の原点
中村敬斗選手の少年時代を語るうえで欠かせないのが、高野山サッカースポーツ少年団(高野山SSS)だ。
プロ選手になった後のインタビューでも、本人は少年団で過ごした時間について印象深く語っている。
サッカーを始めたきっかけは兄と2006年ドイツW杯サカママのインタビューによると、中村選手は兄がサッカーをしていた影響で、幼い頃から自然にボールを蹴っていた。
本格的にサッカーを好きになったのは6歳の頃。
2006年ドイツワールドカップで活躍するクリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシを見て、サッカーに夢中になったという。
その頃から、漠然とプロサッカー選手になりたいという夢を抱くようになった。
小学生時代には、自主練習にも積極的に取り組んでいた。
本人が明かした練習内容には、次のようなものがある。
- コーンを並べて繰り返すドリブル練習
- 同じ小学校のサッカーが上手な友人との1対1
- 坂道ダッシュによる走力・精神力の強化
- シュート練習の反復
なかでも特に力を入れていたのがシュート練習だった。
現在の中村選手の特徴である、強烈なシュートやゴール前での決定力には、少年時代からの積み重ねがある。
少年団に戻った決断が大きな転機に興味深いのは、柏レイソルU-12というJリーグクラブの育成組織に所属しながら、再び地元の少年団を選んだことだ。
本人によれば、柏レイソルではパスをつないでいくサッカーがチームのコンセプトだった。一方、自分はドリブルが大好きで、次第にプレーの楽しさを感じにくくなっていたという。
そこで小学6年生のときに退団し、以前所属していた高野山SSSに戻ることを決めた。
本人は当時を振り返り、少年団について次のように表現している。
「少年団が1番楽しかった」
このエピソードは、ジュニア年代の育成を考えるうえでも興味深い。
有名クラブに所属することだけが、選手の成長につながるわけではない。自分の持ち味を発揮できる環境で、サッカーそのものを楽しむことも重要なのだ。
三菱養和サッカークラブへの進学小学6年生の頃、中村選手は次の進路を考え始めた。
きっかけとなったのは、三菱養和SCジュニアユースに所属していた小学校の先輩からの誘いだった。
練習生として参加した後、セレクションに合格。中学1年生から三菱養和サッカークラブのジュニアユースに加入した。
その後はユースへ進み、育成年代の競争のなかで実力を伸ばしていく。
2017年にはU-17ワールドカップに出場。日本人選手として初めて同大会でハットトリックを達成した。
そして2018年、高校2年生の時期にガンバ大阪とプロ契約を結び、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。
【中村敬斗の経歴年表】我孫子からガンバ大阪、欧州、そしてリヨンへ
中村選手のキャリアは、国内の育成年代からJリーグ、欧州クラブ、そして日本代表へと広がってきた。
ここでは、我孫子での少年時代から2026年11月現在までの歩みを整理する。
中村敬斗の年代別キャリア一覧出典:Jリーグ公式選手紹介、我孫子市公式プロフィール、本人インタビュー、所属クラブ発表をもとに整理。
ガンバ大阪でプロデビュー、欧州へ挑戦2018年にガンバ大阪とプロ契約を結んだ中村選手は、同年3月のルヴァンカップ・浦和レッズ戦で公式戦初ゴールを記録した。
Jリーグ公式の特集では、自陣から約60メートルをドリブルで独走して決めたゴールが紹介されている。
その後、2018年11月にはV・ファーレン長崎戦でJ1初ゴールとなる決勝点を記録。若いながらも得点能力を示した。
2019年には欧州へ渡り、オランダのFCトゥウェンテ、ベルギーのシント=トロイデン、オーストリアのFCジュニアーズなどで経験を積んだ。
2021年にはLASKリンツに加入。欧州でプレーの幅を広げ、2023年8月にはフランスのスタッド・ランスへ移籍した。
2026年9月、リヨンへの移籍が決定2026年の大きなキャリア上の転換点が、フランスの名門オリンピック・リヨネーズへの移籍だ。
2026年9月2日、リヨンは中村選手の加入を正式発表した。
契約期間は2030年6月30日までの4年間。背番号は11と報じられている。
スタッド・ランスでの3シーズンを経て、新しいクラブでさらなる挑戦を始めた。
リヨンの発表では、中村選手はクラブ史上初の日本人選手と紹介されている。2026年11月2日現在、所属先をスタッド・ランスとする古いプロフィールも残っているが、移籍後の所属クラブはリヨンだ。
【2026年7月10日】中村敬斗が我孫子に凱旋!W杯後に母校と地元市民と再会
2026年7月10日、中村敬斗選手が地元・我孫子市に凱旋した。
北中米ワールドカップで日本代表として戦った後の帰郷であり、我孫子市にとっても特別な一日となった。
初出場のワールドカップで1ゴール1アシスト中村選手にとって2026年大会は初めてのワールドカップだった。
我孫子市の公式発表によると、全4試合に先発出場。グループステージ初戦のオランダ戦でゴールを決め、第2戦のチュニジア戦ではチームの先制点をアシストした。
攻撃面だけでなく、攻守にわたって日本代表に貢献した。
その後、日本代表はブラジルとの試合で敗退。中村選手自身も悔しさを語っている。
300人以上の市民が市役所で歓迎7月10日の午後1時15分ごろ、中村選手は我孫子市役所に到着した。
市公式サイトによれば、会場には300人以上の市民が集まり、温かい拍手で出迎えた。
セレモニーには、母校の高野山小学校と我孫子中学校の児童・生徒も参加。
高野山小学校からは花束と手賀沼のうなきちさんのぬいぐるみが贈られ、我孫子中学校からは花束と80周年記念タオルが贈呈された。
かつて通っていた学校の後輩たちとの再会は、凱旋行事のなかでも印象的な場面となった。
中村選手は地元の応援について、次のように感謝を伝えている。
「皆さんの応援が大きな力になりました」
ワールドカップ期間中には、我孫子市からのメッセージや応援ボードの寄せ書きも本人に届いていたという。
サイン入りユニフォームを我孫子市へ寄贈凱旋時には、チュニジア戦で着用したサイン入りユニフォームも我孫子市に寄贈された。
このユニフォームにはワールドカップ通算1,000試合を記念した特別なロゴが入っている。
市役所本庁舎のロビーで展示されることになり、地元の人々が中村選手の活躍を身近に感じられる記念品となった。
また、帰郷時の取材では、ブラジル戦での敗戦についても率直に振り返っている。
本人は大舞台で通用した部分がある一方、まだ力不足を感じたと語り、日常からレベルの高い環境でプレーする必要性を強調した。
故郷への感謝と、次のワールドカップに向けた向上心。その両方が伝わる凱旋となった。
【2026年最新】KEITO NAKAMURA FIELD誕生!五本松運動広場との深い関係
2026年10月、我孫子市と中村敬斗選手をめぐる大きなニュースが発表された。
それが、五本松運動広場の愛称を「KEITO NAKAMURA FIELD」とする取り組みだ。
10月26日に株式会社Keito-ismと連携協定を締結我孫子市は2026年10月29日、株式会社Keito-ismとの連携協定締結を公式発表した。
協定の締結日は2026年10月26日。
株式会社Keito-ismは、中村選手のマネジメントやマーケティング業務を行う会社だ。
今回の協定は、選手個人の知名度を利用した単なる施設の命名ではない。
市と会社が協力し、スポーツ振興や地域活性化、情報発信などを進めることを目的としている。
その具体的な取り組みの一つとして、建設中の五本松運動広場に「KEITO NAKAMURA FIELD」という愛称を付けることが決まった。
なぜ五本松運動広場なのか?この場所には、中村選手自身の思い出がある。
2025年の市民文化スポーツ栄誉章受章コメントで、中村選手は幼少期の我孫子での生活を振り返り、五本松運動広場やゆうゆう公園でサッカーの大会に出場していたことを明かしている。
また、2026年10月の連携協定に関する本人コメントでも、五本松運動広場について、サッカーの試合をした思い出の場所だと説明した。
施設が新しく整備されると知り、何か協力したいという思いを市に伝えたという。
つまり、今回の愛称決定は、行政側だけが企画したものではなく、本人からも地元に協力したいという意思が示された取り組みなのだ。
KEITO NAKAMURA FIELDはどんな施設になる?今回整備されているのは、サッカーだけでなくラグビーや陸上競技にも利用できる多目的屋外スポーツ施設だ。
我孫子市が公表している施設概要は次のとおり。
| 施設 | 公表されている規模 |
|---|---|
| サッカー・ラグビーコート | 人工芝1面・122m×68m |
| 陸上競技トラック | 全天候型400m・6コース |
| 多目的芝生広場 | 約3,400平方メートル |
| クラブハウス | 約340平方メートル |
| 屋根付きスタンド | 180席 |
| 駐車場 | 常設60台以上・臨時40台以上 |
特に注目したいのは、サッカー専用施設ではなく、地域の幅広い世代が利用できるスポーツ拠点として整備されている点だ。
市の公表スケジュールでは、設計・工事期間は2025年11月から2027年3月まで、供用開始は2027年4月予定となっている。
したがって、2026年11月現在は完成済みの施設ではなく、整備が進められている段階だ。
中村選手本人も完成後の訪問を希望連携協定の発表に掲載された中村選手のコメントでは、完成した施設を訪れる意向も示されている。
本人は、2027年に帰国した際に「KEITO NAKAMURA FIELD」へ足を運びたいと語った。
この発言からも、施設の名称だけでなく、実際に地元の子どもたちや市民と接点を持つことへの期待がうかがえる。
ふるさと納税でもスポーツ振興を支援もう一つ見逃せないのが、我孫子市が2026年10月9日に開始したスポーツ振興目的の寄附事業だ。
この取り組みは、返礼品なしのふるさと納税を通じて、世界を目指す子どもたちのスポーツ活動を応援するもの。
寄附者には、中村選手のメッセージ付きお礼状が送付される。
返礼品がないため、我孫子市内に住んでいる人も寄附できる仕組みとなっている。
中村選手の活躍をきっかけに、地元の子どもたちへスポーツの機会を広げようという取り組みが始まっているのだ。
【地元との関係を検証】中村敬斗と我孫子市をめぐる3つの重要な事実
中村選手と我孫子市の関係を理解するうえで、特に押さえておきたい事実が3つある。
① 市民文化スポーツ栄誉章を2025年に受章2025年7月1日、我孫子市制施行55周年に合わせ、中村選手は市民文化スポーツ栄誉章を贈呈された。
この章は、市にゆかりのある人物の文化・スポーツ分野での功績をたたえるものだ。
受章コメントでは、我孫子市で過ごした17年間と、手賀沼遊歩道、水の館、手賀沼公園などの思い出にも触れている。
特に、五本松運動広場やゆうゆう公園でサッカーの大会に出場していたという話は、今回のフィールド構想につながる重要な背景となっている。
② 2026年の凱旋で母校とのつながりを再確認7月10日の凱旋セレモニーでは、高野山小学校と我孫子中学校の後輩たちが参加した。
単なる有名選手の帰郷ではなく、実際にその学校で学んだ先輩が世界大会を経験して帰ってきたという出来事だった。
地元の子どもたちにとって、身近な地域から世界で活躍する選手が生まれたことを実感できる機会になった。
③ 2026年秋には地域活性化の協力関係へ発展10月のKeito-ismとの協定締結によって、地元との関係は新たな段階に進んだ。
KEITO NAKAMURA FIELDの愛称設定だけでなく、スポーツ振興や地域活性化、広報活動も協力事項に含まれている。
ここで重要なのは、中村選手の名前が施設に付くこと自体よりも、その施設が地域住民のための運動拠点として整備されていることだ。
一人のプロ選手の成功を、地域の子どもたちのスポーツ環境に還元する仕組みが生まれつつある。
【プロの結論】中村敬斗と我孫子の関係は一時的な凱旋では終わらない
中村敬斗選手と我孫子市の関係を振り返ると、3つの段階が見えてくる。
- 少年時代: 高野山小学校、我孫子中学校、高野山サッカースポーツ少年団で過ごした成長の時期。
- プロ選手としての活躍: ガンバ大阪から欧州へ渡り、日本代表としてワールドカップに出場するまでの飛躍。
- 故郷への還元: 市民文化スポーツ栄誉章の受章、2026年の凱旋、KEITO NAKAMURA FIELDを通じた地域貢献。
特に注目したいのは、少年時代に自分がプレーした場所を、次の世代が利用するスポーツ施設として残そうとしている点だ。
中村選手の歩みには、必ずしも有名クラブに所属し続けることだけが正解ではないという教訓もある。
本人が語ったように、自分の個性を発揮できる環境を選ぶことが、長期的な成長につながる場合もある。
これは、現在サッカーに取り組んでいる子どもや保護者にとっても参考になる考え方だろう。
我孫子市にとっても、KEITO NAKAMURA FIELDは単なる記念施設ではない。地域の子どもたちが日常的にスポーツに親しみ、将来の目標を見つけるための拠点となることが期待される。
【中村敬斗と我孫子】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:中村敬斗の出身地はどこですか?
A1:千葉県我孫子市です。2000年7月28日生まれで、高野山小学校と我孫子中学校を卒業しています。
Q2:中村敬斗の出身小学校・中学校はどこですか?
A2:出身小学校は我孫子市立高野山小学校、中学校は我孫子市立我孫子中学校です。どちらも我孫子市内にあります。
Q3:中村敬斗が少年時代に所属していたサッカーチームは?
A3:高野山サッカースポーツ少年団、柏イーグルスTOR'82、柏レイソルU-12、三菱養和サッカークラブなどです。小学生時代には高野山SSSへ戻った経験もあります。
Q4:KEITO NAKAMURA FIELDはどこにありますか?
A4:千葉県我孫子市岡発戸にある五本松運動広場の愛称です。サッカー・ラグビー・陸上競技などに対応する多目的スポーツ施設として整備されています。
Q5:KEITO NAKAMURA FIELDはいつ完成しますか?
A5:我孫子市の公表スケジュールでは、2027年4月の供用開始が予定されています。2026年11月現在は整備中です。
Q6:中村敬斗は2026年に我孫子へ帰ってきましたか?
A6:はい。2026年7月10日にワールドカップ後の凱旋を果たしました。我孫子市役所では300人以上の市民が歓迎し、高野山小学校や我孫子中学校の後輩たちも参加しました。
Q7:2026年11月現在、中村敬斗はどこのクラブに所属していますか?
A7:フランスのオリンピック・リヨネーズ(リヨン)です。2026年9月2日に加入が発表され、2030年6月30日までの4年契約を結びました。
まとめ:中村敬斗の原点・我孫子から次世代の夢へ
中村敬斗選手と我孫子市の関係は、出身地というだけでは説明できない。
高野山小学校で学び、高野山サッカースポーツ少年団でボールを追い、我孫子中学校を卒業した少年が、ガンバ大阪を経て欧州へ渡り、日本代表としてワールドカップの舞台に立った。
そして2026年、地元への凱旋を果たし、少年時代に試合をした五本松運動広場には「KEITO NAKAMURA FIELD」という愛称が付けられることになった。
2027年4月の供用開始が予定されるこの施設は、これからの我孫子市のスポーツ振興を支える新たな拠点となる。
中村敬斗という一人の選手が歩んだ道が、これからサッカーを始める我孫子の子どもたちの新しい目標につながっていく。
2026年11月現在、リヨンで新たな挑戦を続ける中村選手と、故郷・我孫子市の今後の交流にも期待が集まる。