松重豊さんの息子は、松重暢洋さんです。俳優の父と同じ芸能界に進んだわけではなく、TBSラジオのコンテンツ制作部で番組を作る仕事に就いています。
この親子関係を明確に伝えているのが、Business Insider Japanの2020年4月14日の本人取材記事です。同記事では、松重暢洋さんを1995年生まれ、2018年TBSラジオ入社と紹介し、父親が俳優の松重豊さんであることも明らかにしています。
また、2024年12月26日には松重豊さん自身が、TBSラジオ局内で撮影した息子とのツーショットを公開しました。松重さんは、ラジオ局へ仕事で訪れると息子がいるため、親として振る舞うことになるという趣旨のコメントを添えています。日刊スポーツも、TBSラジオに勤める息子との写真として報道しました。
したがって、アナウンサー説は完全な作り話というわけではありません。本人が実際にアナウンサーを志望して就職活動をした時期があったため、現在の職業と過去の進路希望が混同されているのです。
松重暢洋さんのプロフィール
松重暢洋(まつしげ・のぶひろ)
- 生年:1995年
- 父親:俳優・松重豊
- 出身大学:立教大学
- 学科:現代心理学部映像身体学科
- 入社:2018年
- 勤務先:TBSラジオ
- 職種:番組ディレクター
プロフィールはBusiness Insider Japan、TBSグループの社員紹介を参照。
注目したいのは、松重暢洋さんが父親の知名度を前面に出す俳優の道ではなく、番組の企画や編集を担う制作側の仕事を選んだことです。本人もBusiness Insider Japanの取材で、二世俳優として活動することには相応の覚悟が必要だという趣旨を語っています。
【学歴と就職活動】立教大学からアナウンサーを目指した理由

松重暢洋さんの学生時代を知ると、現在のラジオディレクターという仕事につながる経験が見えてきます。
立教大学現代心理学部映像身体学科で映像制作に熱中松重さんが進学したのは、立教大学現代心理学部映像身体学科です。映画や舞台、映像表現などに関心を持つ学生が集まる学科で、在学中は映像制作に取り組んでいました。
Business Insider Japanの本人取材によると、大学時代には自らYouTubeサークルを立ち上げ、動画撮影や映像コンクールへの応募などを経験しています。
当時はYouTubeが新しい映像メディアとして成長していた時期です。高価な撮影機材をそろえなくても、個人や小規模なグループで映像作品を制作し、インターネットで発信できる環境が整いつつありました。
松重さんもその流れの中で映像制作に熱中していました。現在の番組編集や音声コンテンツの制作に、学生時代の経験が生かされていることは、2023年のTBSグループ公式インタビューでも本人が説明しています。
アナウンサーを志望したきっかけは親からの助言では、なぜ映像制作に熱中していた学生がアナウンサーを目指したのでしょうか。
きっかけの一つは、大学3年生の春に経験した進路への迷いでした。2歳年上の姉が映像関係の会社に就職したものの、長時間労働の職場だったことを知り、映像制作をそのまま職業にすることに抵抗を感じるようになったといいます。
加えて、YouTubeサークルの仲間と方向性が合わなくなり、活動から距離を置く時期もありました。将来の仕事について考え込んでいた松重さんに、親が提案したのがアナウンサーという進路です。
その助言を受け、松重さんはアナウンススクールに通い始めました。授業自体は楽しかったものの、もともとアナウンサーになりたいという強い志望動機があったわけではなかったそうです。
つまり、アナウンサー志望は幼い頃からの夢というより、大学生活の途中で進路を模索する中で生まれた選択肢でした。
アナウンススクールに通ったものの採用試験は全敗アナウンススクールで学んだ後、松重さんは秋から始まったアナウンサー採用試験に挑戦しました。
しかし、結果は厳しいものでした。Business Insider Japanの記事では、キー局のアナウンサー採用試験はすべて不採用となり、翌年1月にはテレビを見る気持ちもなくなったと紹介されています。
本人は当時の自分について、アナウンサーになることへのモチベーションが十分ではなかったと振り返っています。また、仮に採用されていたとしても、松重豊の息子という肩書きだけが先行することへの不安があったと語っています。
このエピソードで重要なのは、単に採用試験に落ちたという結果ではありません。本人が自分の適性や、本当に情熱を注げる仕事について考え直す転機になったことです。
【就職の転機】アナウンサー試験不採用から2018年TBSラジオ入社へ
アナウンサー採用試験に落ちた松重暢洋さんは、就職活動を終わらせたわけではありませんでした。むしろ、落ち込んでいた時期に自分の好きなものを改めて見つめ直したことが、ラジオ業界への進路につながります。
音楽とお笑いが好きだったことが転機に松重さんが昔から関心を持っていたのは、音楽とお笑いでした。
落ち込んでいた時期に接していたメディアはYouTubeとラジオ。映像制作が好きだったことに加え、ラジオも自分にとって大切な存在だったと気づきます。
本人はBusiness Insider Japanの取材で、音楽とお笑いに情熱を注ぐなら、アナウンサーよりもラジオの方が自分に合っているのではないかと考えた経緯を説明しています。
興味深いのは、ラジオを熱心に聴くヘビーリスナーだったわけではないという点です。YouTubeで松本人志さんと高須光聖さんのラジオ番組『放送室』を聴いたことなどをきっかけに、音楽アーティストの番組にも関心を広げていきました。
ラジオを単なる放送メディアではなく、好きな音楽やお笑いに関われる仕事の場として捉え直したのです。
ニッポン放送とTBSラジオを受験就職活動では、ラジオ局にも目を向けました。Business Insider Japanの記事によると、松重さんが受験したのはニッポン放送とTBSラジオです。
ここで訂正しておきたいのが、東京FMの採用試験に落ちてTBSラジオへ来たという話です。
2020年の記事では、当時の番組内で語られた東京FMの受験失敗説について、実際には東京FMではなく、ニッポン放送とTBSラジオを受験したと説明されています。
そして、内定を得た唯一の会社がTBSラジオでした。
2018年、松重暢洋さんはTBSラジオに入社。アナウンサーではなく、番組制作の現場でキャリアをスタートさせます。
入社1年目から企画を提案入社後、最初にアシスタントディレクターとして担当した番組が『アフター6ジャンクション』です。
2018年11月には、ロサンゼルスの音楽レーベル「Brainfeeder(ブレインフィーダー)」を紹介する特集を自ら提案しました。関係者を探し、パーソナリティーのRHYMESTER・宇多丸さんに企画をプレゼンした結果、放送が実現しています。
Business Insider Japanの取材では、この企画を父親にも聴いてほしいと伝えたエピソードも紹介されています。父親も音楽好きだったことから、親子で音楽の話をする機会があったそうです。
入社直後から、単に指示された作業をこなすだけでなく、自分の興味を番組企画に変える経験を積んでいました。
【経歴・関係者一覧】松重暢洋のキャリアを時系列で整理
ここまでの経緯を、人物関係と仕事の変遷が分かる形で整理します。
出典:Business Insider Japan、TBSラジオ公式メディア、TBS INNOVATION LAND、民放online、radiko news、KAI-YOU。
この年表から分かるのは、松重さんのキャリアがアナウンサー試験の不採用だけで説明できるものではないということです。ADとして経験を積み、ディレクターとして担当番組を持ち、さらに自分で企画を立ち上げる立場へと仕事の幅を広げています。
『たまむすび』ではどんな仕事をしていた?松重さんと『たまむすび』の関係も、検索されることの多いテーマです。
TBSラジオの公式WEBメディア「オトビヨリ」が2021年12月に掲載した本人インタビューでは、松重さんが『たまむすび』のディレクターとして働いていたことが紹介されています。
特に担当していたのが、東京に関する人・モノ・場所を紹介する「TOKYOもん」というコーナーです。取材先のリサーチや原稿作成など、放送の裏側を幅広く担当していました。
本人によれば、ディレクターの仕事は音源集めや編集、効果音やジングルの制作だけではありません。放送内容の原稿を書いたり、その日の選曲を考えたりすることもあります。
また、2023年のTBSグループ公式インタビューでは、「TOKYOもん」を2〜3年担当した経験が、その後の『東京閾値』につながったと説明しています。
『たまむすび』で培った取材経験を、独立した番組の企画へ発展させたわけです。
【現在の仕事】『脳盗』『東京閾値』で見せるディレクターとしての実力
2026年現在の松重暢洋さんを知るうえで、特に注目したい番組が『脳盗』です。
『脳盗』はどんな番組?『脳盗』は、ヒップホップユニットDos MonosのTaiTanさんと、バンドMONO NO AWAREの玉置周啓さんが出演するTBSラジオの番組です。
番組の出発点には、2人が自主制作していたPodcast『奇奇怪怪明解事典』があります。松重さんはこのPodcastのファンで、2人ともライブを観に行くほど好きなアーティストだったと、2023年のTBSグループ公式インタビューで明かしています。
知人を通じて交流する中で、TBSラジオでも一緒に番組を作りたいという話が進み、『脳盗』がスタートしました。
制作では、松重さんも企画を提案し、TaiTanさんらと毎週3〜4時間ほどの会議を重ねていたそうです。ただし、番組の構成をすべて一人で決めるわけではなく、出演者との話し合いを通して内容を形にしていく制作スタイルです。
本人が特にこだわっているのが音の編集です。ジングル、トーク、BGM、サウンドステッカーなどを組み合わせ、楽曲を流すタイミングまで含めて一つの音声体験を作っています。
映像制作を経験した学生時代の編集スキルが、ここで生きているのです。
『東京閾値』では自ら取材・出演もう一つの代表的な仕事が『東京閾値』です。
2023年4月から半年間、地上波で放送されたこの番組は、東京の人や場所、文化などを取り上げるルポルタージュ型の音声コンテンツでした。
もともとは『金曜たまむすび』の「TOKYOもん」というコーナーが出発点です。松重さんは、このコーナーで積み重ねてきた取材経験を生かし、30分番組として独立させる企画を考えました。
番組では、制作だけでなく本人も出演し、都内各地を訪れて取材しています。メディアで大きく扱われていない場所を訪れ、そこで暮らす人々の声を拾うという手法が特徴でした。
その後、番組は『東京閾値(tracks)』としてリニューアルされ、Amazon Audibleで独占配信されました。地上波のコーナーを独立番組に育て、さらに音声配信へ展開した事例です。
2026年現在も『脳盗』の制作に関わっている2026年の活動を確認するうえで参考になるのが、2026年3月5日公開のradiko newsの記事です。
同記事の2026年2月の番組シェアランキングでは、TBSラジオ『脳盗』が4位にランクインしています。また、2月8日には松重暢洋さん本人のXアカウントから番組に関する投稿が紹介されています。
加えて、2026年10月10日公開のKAI-YOUの記事では、松重さんが『脳盗』のディレクターとして紹介されています。同記事によると、TaiTanさんからの打診をきっかけに、Tohjiさんが出演する特別番組「シャイニングラジオ Tohji東京ドーム直前SP」も実現しました。
こうした2026年の情報からも、松重さんが現在もTBSラジオの制作現場で活動していることが分かります。なお、2026年の最新報道で直接確認できる担当実績は『脳盗』であり、過去の担当番組すべてが現在も継続しているという意味ではありません。
【プロの結論】松重暢洋のキャリアが示すアナウンサーとディレクターの違い
松重暢洋さんの経歴を理解するうえで、もう一つ大切なのが、アナウンサーとラジオディレクターの仕事の違いです。
どちらも放送に関わる仕事ですが、役割は大きく異なります。
アナウンサーとラジオディレクターの違い| 比較項目 | アナウンサー | ラジオディレクター |
|---|---|---|
| 主な役割 | 情報やニュースを伝える | 番組を企画・制作する |
| 主な仕事 | 原稿読み、進行、取材、出演 | 企画、構成、編集、選曲、演出 |
| 放送中の役割 | 視聴者・聴取者に直接伝える | 番組全体の進行や演出を管理する |
| 求められる能力 | 発声、伝達力、取材力 | 構成力、企画力、編集力、調整力 |
| 松重さんの経歴 | 志望・採用試験に挑戦 | 現在の職業 |
松重さんの場合、アナウンサーを目指した時期には、自分が何を仕事にしたいのか明確ではありませんでした。一方、ラジオ局に入ってからは、音楽やお笑い、映像制作という好きな分野を仕事に結びつけています。
2021年のTBSラジオ公式インタビューでは、ディレクターとして原稿や音声編集に携わる面白さについても語っています。特に編集は、効果音を入れるタイミングやナレーションの配置によって、聴き手への伝わり方が大きく変わる仕事です。
つまり、表舞台で話す仕事に就かなかったからといって、メディアの仕事を諦めたわけではありません。自分の得意分野を生かせる場所を見つけたことが、キャリア形成のポイントでした。
二世という肩書きより、本人の制作実績を見るべき理由松重豊さんの息子という情報は、松重暢洋さんの知名度を高めるきっかけになりました。しかし、本人の仕事を理解するには、父親の名前だけでは不十分です。
実際に、2018年の入社後には『アフター6ジャンクション』で音楽特集を企画し、『たまむすび』ではディレクターとして番組制作を経験。さらに『脳盗』の立ち上げや『東京閾値』の企画など、制作実績を積み重ねています。
2024年のTBSグループ公式社員紹介では、コンテンツ制作部所属の7年目のラジオマンとして紹介されました。2026年10月の報道でも『脳盗』のディレクターとして名前が挙がっています。
このように、松重暢洋さんのキャリアは、親の知名度だけで成立しているものではありません。企画を立ち上げ、出演者と話し合い、編集によって番組の完成度を高めるという、制作現場での実績が評価の中心にあります。
松重暢洋さんの仕事から分かる、ラジオ業界の変化もう一つ見逃せないのは、松重さんのキャリアが地上波ラジオとPodcastの融合を象徴していることです。
『脳盗』はPodcastで人気を得ていたクリエイターと地上波ラジオを結びつけた番組です。一方、『東京閾値』は地上波の企画を音声配信サービスへ発展させています。
かつてのラジオディレクターには、放送時間内に番組を成立させる技術や進行管理が求められました。現在はそれに加えて、Podcast、SNS、音楽、イベントなど複数の接点を組み合わせ、番組の世界観を育てる発想も求められています。
松重さんが2023年のインタビューで語った、番組の枠を広げていきたいという将来像にも、こうした制作環境の変化が表れています。
アナウンサー採用試験に落ちた経験は、結果だけを見れば挫折です。しかし、その後に自分の好きなものを仕事に結びつけたことで、現在の制作活動につながっています。これは放送業界を目指す人にとっても参考になるキャリアの歩みです。
【よくある質問】松重豊の息子と松重暢洋に関するFAQ
Q1:松重豊の息子はアナウンサーですか?
A1:いいえ。松重豊さんの息子・松重暢洋さんは、アナウンサーではなくTBSラジオの番組ディレクターです。過去にアナウンサーを目指して採用試験を受けた経験があります。
Q2:松重暢洋はアナウンサー試験に落ちたのですか?
A2:はい。Business Insider Japanの2020年4月14日の本人取材記事によると、キー局のアナウンサー採用試験はすべて不採用でした。その後、ニッポン放送とTBSラジオを受験し、TBSラジオから内定を得ています。
Q3:松重暢洋はどこの大学出身ですか?
A3:立教大学現代心理学部映像身体学科です。在学中はYouTubeサークルを立ち上げ、映像制作やコンクールへの応募などに取り組んでいました。
Q4:松重暢洋はいつTBSラジオに入社しましたか?
A4:2018年です。入社後は『アフター6ジャンクション』『TALK ABOUT』などの番組でADを務め、その後ディレクターとして活躍しています。
Q5:松重暢洋が担当した『たまむすび』とはどんな関係ですか?
A5:番組ディレクターとして携わっていました。東京の人や場所などを紹介する「TOKYOもん」の取材や原稿作成などを担当し、その経験が後の『東京閾値』につながりました。
Q6:松重暢洋は2026年現在、何をしていますか?
A6:2026年10月の報道では、TBSラジオ『脳盗』のディレクターとして紹介されています。2026年2月にも同番組の放送と本人の発信が確認できます。
Q7:松重豊は息子と同じ仕事をしているのですか?
A7:いいえ。父親の松重豊さんは俳優、息子の松重暢洋さんはラジオ番組の制作者です。親子でメディア業界に関わっていますが、職種は異なります。
まとめ:松重豊の息子はアナウンサーではなく、TBSラジオの制作者
松重豊さんの息子・松重暢洋さんは、アナウンサーではありません。立教大学現代心理学部映像身体学科で映像制作を学び、大学時代にアナウンススクールへ通った後、アナウンサー採用試験に挑戦しました。しかし、キー局の試験はすべて不採用となり、最終的には2018年にTBSラジオへ入社しています。
その後、『アフター6ジャンクション』『たまむすび』などで経験を積み、『脳盗』『東京閾値』といった企画・制作にも携わるようになりました。2026年10月の報道でも『脳盗』のディレクターとして活動が確認できます。
今回の経歴から分かるのは、アナウンサー試験の不採用が、メディア業界でのキャリアの終わりではなかったということです。映像制作で培った編集力、音楽とお笑いへの関心、番組を企画する発想を組み合わせ、自分に合った仕事を見つけていきました。
「松重豊の息子はアナウンサーなのか」という疑問への答えは、明確です。アナウンサーを目指した経験はあるものの、現在の職業はTBSラジオのディレクター。父親の知名度だけでなく、本人が手掛けてきた番組や企画に目を向けると、松重暢洋さんの本当のキャリアが見えてきます。
主な参考資料:Business Insider Japan「YouTube世代の僕がラジオに就職した理由。いつか2つのメディアの融合を」(2020年4月14日)、TBSラジオ「オトビヨリ」(2021年12月17日)、TBS INNOVATION LAND(2023年12月6日・2024年9月27日)、民放online(2024年3月22日)、radiko news(2026年3月5日)、KAI-YOU(2026年10月10日)。