映画コメンテーターやタレントとして知られるLiLiCo(リリコ)さん。テレビでは明るくエネルギッシュな姿が印象的ですが、若い頃はスウェーデンから18歳で来日し、歌手を目指して芸能界に飛び込みました。1989年の歌手デビュー後は、演歌歌手として地方を回り、仕事がない時期には約5年間も車中生活を経験しています。
転機となったのは2001年のTBS系『王様のブランチ』へのレギュラー出演です。そこに至るまでには、歌手、モデル、声優など、さまざまな仕事への挑戦がありました。2026年現在の活動にもつながるLiLiCoさんの生い立ち、10代・20代の写真やエピソード、下積み時代の苦労、映画コメンテーターとして成功した経緯を、本人のインタビューと公式プロフィールをもとに振り返ります。
【写真で振り返る】LiLiCoの若い頃はどんな人?ストックホルムでの生い立ち

LiLiCoさんの若い頃を知るうえで欠かせないのが、スウェーデンで過ごした子ども時代です。
公式プロフィールによると、LiLiCoさんは1970年11月16日、スウェーデンのストックホルム生まれ。父親はスウェーデン人、母親は日本人です。身長は168cmで、国籍はスウェーデンと公表されています。
スウェーデンで育った少女時代幼少期のLiLiCoさんは、現在の華やかなファッションや明るいキャラクターからは想像しにくい経験もしていました。
2021年の『女性自身』のインタビューでは、スウェーデンの小学校・中学校時代に、周囲から浮いた存在になり、いじめを受けていたことを明かしています。本人によれば、外見や独特のメーク、ファッションなどが周囲になじまなかったそうです。
そんな学校生活の中で心の支えになっていたのが、音楽やファッション、海外のアーティストでした。特に1980年代の音楽カルチャーから強い影響を受け、ドイツ出身の歌手サンドラのファッションをまねするなど、自分らしいスタイルを楽しんでいました。
当時のLiLiCoさんにとって、音楽やファッションは単なる趣味ではありません。学校でのつらい時間から離れ、自分の好きな世界に没頭できる大切な居場所だったのです。
若い頃の写真には日本文化への憧れもLiLiCoさんの若い頃の写真を探している人に注目してほしいのが、幼少期のスウェーデンで撮影された写真です。
『CHANTO WEB』の2023年のインタビュー記事には、スウェーデンで撮影された4歳頃の写真が掲載されています。また、『女性自身』の2021年の特集でも、本人の青春時代や当時のカルチャーを振り返る写真が紹介されました。
写真とともに注目したいのは、日本への憧れがすでに幼い頃から育まれていたことです。
日本に住む母方の祖母は、スウェーデンにいるLiLiCoさんへ、海苔や梅干しなどの日本の食品と一緒にレコードや雑誌を送っていました。日本語が読めない時期から、アイドルの写真や日本の音楽に親しんでいたといいます。
当時、LiLiCoさんが興味を持っていたのは、中森明菜さんや河合奈保子さんなどのアイドル文化。早見優さんの英語の発音にも驚いたというエピソードを語っています。
こうした日本の音楽やテレビへの関心が、後の来日と歌手への挑戦につながっていきました。
【18歳で来日した理由】日本のテレビに憧れ、1989年に歌手デビュー
LiLiCoさんが18歳でスウェーデンを離れ、日本にやって来た理由は、芸能界で歌手になるという夢を実現するためでした。
日本のテレビが人生を変えるきっかけに2023年の『CHANTO WEB』のインタビューで、LiLiCoさんは子どもの頃に見た日本のテレビが来日のきっかけだったと説明しています。
本人が魅力を感じたのは、日本のテレビにあふれる多彩な番組やCM、華やかな映像表現でした。スウェーデンのテレビ環境とは違う、日本のエンターテインメントの世界に強く惹かれたのです。
18歳になったタイミングで通っていた学校を辞め、母方の祖母を頼って日本へ移住しました。母親との関係についても、当時は折り合いが悪く、母のもとを離れたい気持ちがあったと本人が振り返っています。
来日後に最初に暮らしたのは、東京都葛飾区にある祖母の家でした。
日本語がほとんど分からない状態で芸能界を目指す来日当初の大きな壁は、日本語でした。
LiLiCoさんは日本語をほとんど話せず、日常生活で使う簡単な言葉も分からない状態からスタートしています。祖母と会話をしたり、日本のテレビ番組を見たりしながら、少しずつ日本語を覚えていきました。
また、祖母はLiLiCoさんの夢を応援し、雑誌に掲載されたオーディション情報を切り抜いて渡してくれたそうです。
本人はアルバイトをしながらオーディションを受け続け、芸能事務所への所属を実現しました。来日しただけで芸能界に入れたわけではなく、生活費を稼ぎながら自分でチャンスを探す日々だったのです。
1989年、浜松のデパート屋上で歌手デビューLiLiCoさんの芸能活動が始まったのは1989年です。
2022年に公益財団法人運動器の健康・日本協会のインタビューで本人が語ったところによると、最初の歌の仕事は静岡県浜松市のビアガーデンでした。
2025年のJ-WAVE NEWSのインタビューでは、浜松市のデパート松菱の屋上にあったビアガーデンで、5月2日に歌手としてデビューしたと振り返っています。
デビュー当時は、華やかなコンサートホールでもテレビ番組でもありませんでした。お客さんはビールを飲むことが目的で、ステージの歌を熱心に聴いてくれる状況ではなかったそうです。
それでも、プロとして歌って初めてお金を受け取れたことが、本人にとって大きな喜びでした。
当時は、外国人が演歌を歌うという珍しさもあり、演歌歌手の付き人をしながら前歌を担当する仕事にも取り組んでいました。
現在の映画コメンテーターとしての印象が強いLiLiCoさんですが、芸能界での出発点は、地方のビアガーデンやスナックで歌う歌手だったのです。
【20代の下積み時代】LiLiCoが経験した車中生活5年間の苦労
LiLiCoさんの若い頃を語るうえで、最も大きな反響を呼ぶエピソードが、約5年間にわたる車中生活です。
現在の華やかな芸能活動からは想像しにくいものですが、これは本人が複数のインタビューで明かしている実体験です。
20歳から25歳頃まで家のない生活歌手デビューを果たしたものの、思うように仕事が取れなかったLiLiCoさん。20歳の誕生日を迎える頃には、生活資金も底をついてしまったといいます。
『CHANTO WEB』の2023年のインタビューでは、マネージャーと2人で約5年間、車で生活しながら仕事を続けたことを語っています。
生活のために歌っていた場所は、健康ランドやスナックなど。地方へ出向き、出演できる場所を探しながら活動を続けていました。
2021年のTOKYO FM『木村拓哉 Flow』でも、本人は車中生活の実態を詳しく説明しています。
多くの人がキャンピングカーを想像するようですが、実際は普通の乗用車でした。座席をリクライニングさせて眠るしかなく、体をまっすぐ伸ばして寝ることも難しかったといいます。
つまり、快適な車上生活ではなく、住居を持てない状況の中で仕事を続けるための生活手段だったのです。
車中生活に至った背景には事務所の問題も同じTOKYO FMのインタビューでは、東京・中野にあった事務所内に住んでいた時期があり、その後、事務所の鍵が交換され、荷物などを差し押さえられたことで住む場所を失った経緯も語られています。
こうした状況が重なり、車中生活へと移っていきました。
日本には祖母がいたものの、LiLiCoさんは祖母に頼り続けることを選びませんでした。2020年放送のフジテレビ系『ボクらの時代』に関する報道では、本人が「甘えるのが嫌いだった」と話したことも紹介されています。
ただし、この経験を単純に美談として扱うことはできません。住居がない状態で仕事を続けることは、身体的にも精神的にも厳しいものです。
2026年3月に公開された東京都の広報メディア『TOKYO UPDATES』でも、LiLiCoさんは車中生活を理想的なものではなかったと振り返っています。その一方で、苦しい時期を通じて忍耐力や人とのつながりの大切さを学んだと語っています。
苦しい時期でも芸能活動を諦めなかったLiLiCoさんは、昼間にテレビ局やラジオ局へ営業電話をかけ、夜には地方のスナックなどで歌う生活を続けていました。
仕事がなければ自分から売り込み、出演できる場所を探す。華やかな芸能活動とは正反対の地道な営業活動です。
2022年の公益財団法人運動器の健康・日本協会のインタビューでは、こうした下積み時代について、つらくても諦めようとは思わなかったと振り返っています。
車中生活の経験は、その後の金銭感覚にも影響しました。2020年の『ボクらの時代』では、過去の経験から、何があっても2年間は生活できるよう貯金することを意識するようになったと紹介されています。
若い頃の苦労は、単に過去の不幸な出来事ではなく、その後の生活設計や仕事への向き合い方にもつながっていたのです。
【年表で整理】LiLiCoの若い頃から芸能界で成功するまでの経歴
LiLiCoさんの芸能人生は、歌手デビューから映画コメンテーターへの転身まで、複数の職業や出会いが連続する歩みです。
本人のインタビューと公式プロフィールを照らし合わせると、主な転換点は次のように整理できます。
| 時期 | 関係する人物・作品・場所 | 主な出来事と転換点 |
|---|---|---|
| 1970年 | スウェーデン・ストックホルム | スウェーデン人の父と日本人の母のもとに誕生。 |
| 幼少期〜10代 | 母方の祖母、日本の音楽・テレビ | 日本の雑誌やレコードに親しみ、歌手への憧れを育む。 |
| 18歳 | 東京都葛飾区、母方の祖母 | 歌手を目指してスウェーデンから来日。 |
| 1989年 | 静岡県浜松市・松菱の屋上 | ビアガーデンで歌手デビュー。演歌歌手の付き人や地方営業も経験。 |
| 20歳〜25歳頃 | マネージャー、地方のスナック・健康ランド | 仕事を続けながら約5年間の車中生活を経験。 |
| 1990年代 | Vシネマ、CMナレーション、モデル業 | 歌手以外の仕事にも挑戦し、活動の幅を広げる。 |
| 1990年代後半以降 | 『サウスパーク』、声優の仕事 | 声の仕事を獲得。洋画やアニメの吹き替えにも携わる。 |
| 2001年 | TBS『王様のブランチ』 | 映画コメンテーターとしてレギュラー出演。知名度が上昇。 |
| 2024年 | 芸能活動35周年、HAPPY WOMAN賞 | 芸能活動35周年を迎え、国際女性デー関連の賞も受賞。 |
| 2025〜2026年 | J-WAVE、スウェーデンでの活動、東京都の広報企画 | 国内外で活動を広げ、学校建設支援などにも取り組む。 |
注目したいのは、LiLiCoさんが歌手一本にこだわらず、複数の仕事に挑戦していた点です。
2025年のJ-WAVE NEWSのインタビューによると、歌手の次にはモデルにも挑戦し、ファッションショーなどに出演しました。しかし、当時のモデル業界では洋服を主役にする傾向が強く、本人は雑誌モデルとしては思うような結果を残せなかったと振り返っています。
加えて、テレビ番組で水着姿の出演者として後方に座る仕事も経験しましたが、次第に自分の才能をもっと生かせる仕事をしたいと考えるようになりました。
そこで挑戦したのが声優です。特徴的な声を生かして洋画やアニメの吹き替えを担当するようになり、映画に関する仕事へとつながっていきました。
このように、LiLiCoさんの芸能活動は、歌手としての成功だけを目指す一本道ではありませんでした。仕事が得られない状況でも、自分が活躍できる分野を探し続けていたことが、後の転機につながっています。
【2001年が転機】王様のブランチで映画コメンテーターとしてブレイク
LiLiCoさんの知名度を大きく押し上げたのが、2001年から始まったTBS系『王様のブランチ』への映画コメンテーターとしてのレギュラー出演です。
ただし、番組への出演は突然舞い込んだ幸運というより、それまで積み重ねてきた映画への関心や仕事が結びついた結果でした。
雑誌の映画コラムがテレビ出演につながった2023年の『CHANTO WEB』のインタビューで、LiLiCoさんは『王様のブランチ』出演までの経緯を詳しく説明しています。
もともと映画が好きだったLiLiCoさんは、ある雑誌で映画を3本紹介するコラムの仕事を担当しました。
その際、単に人気作品を並べるのではなく、さまざまなジャンルの映画を紹介する構成を意識したそうです。
このコラムに注目したのが、『王様のブランチ』の放送作家でした。その後、番組のアシスタントディレクターからオーディションの連絡が入り、LiLiCoさんは見事合格。映画コメンテーターとして出演することになりました。
つまり、ブレイクのきっかけは、映画好きという個人的な興味を、雑誌の仕事を通じて具体的な成果に変えていたことだったのです。
レギュラー出演後も約5年間は悩み続けた2001年にレギュラー出演が決まったからといって、すぐに一流の映画コメンテーターとして完成したわけではありません。
本人によると、当初は生放送でコメントすることに慣れておらず、映画出演者へのインタビューでも敬語の使い方に苦労したそうです。
『CHANTO WEB』では、映画コメンテーターになってから最初の約5年間、放送終了後に自分のコメントやインタビューを振り返って落ち込むことも多かったと語っています。
このエピソードは、現在の堂々としたLiLiCoさんの姿を理解するうえで重要です。
映画の知識があることと、テレビの生放送で視聴者に分かりやすく伝えることは別の能力です。限られた時間で作品の魅力を整理し、出演者の言葉を引き出し、視聴者の興味につなげる技術は、出演を重ねる中で磨かれていきました。
映画コメンテーターとして評価を高めた理由『王様のブランチ』への出演によって、LiLiCoさんは映画の紹介だけでなく、国内外の映画関係者へのインタビューにも携わるようになりました。
本人は『CHANTO WEB』のインタビューで、スティーヴン・スピルバーグ監督やブラッド・ピットさん、ジョニー・デップさんらと何度も会った経験にも触れています。
映画を一方的に評価するだけではなく、作品を作る監督や俳優、プロデューサーの思いを視聴者に届ける役割も担ってきました。
LiLiCoさんの強みは、映画への愛情に加え、歌手や声優として培った表現力、海外出身者としての視点、そして長年の現場経験を組み合わせられることにあります。
2001年の番組出演は、歌手としての夢を諦めた結果ではなく、これまでの経験を別の形で生かすための大きな転換点だったのです。
【2026年最新】LiLiCoの現在は?若い頃の経験が生きるマルチな活動
2026年現在のLiLiCoさんは、映画コメンテーターとしての活動を軸に、テレビ、ラジオ、声優、俳優、歌手など幅広い分野で活躍しています。
公式プロフィールに掲載されている主なレギュラー番組は次のとおりです。
- TBS『王様のブランチ』:映画コーナーを担当するテレビレギュラー。
- J-WAVE『FRIDAY SPARKLE』:ナビゲーター。
- J-WAVE『ALL GOOD FRIDAY』:ナビゲーター。
- AIR-G' FM北海道『LiLiCoのスウェーデン通信』:パーソナリティー。
テレビだけでなくラジオでも継続的に活動している点が特徴です。
スウェーデンとのつながりも新たな仕事に2025年11月のJ-WAVE NEWSでは、LiLiCoさんが故郷スウェーデンでも芸能活動を始めた経緯が紹介されました。
きっかけの一つとなったのが、2023年9月6日に松崎しげるさんとのデュエット曲『これを愛と呼ぶのか?』をリリースしたことです。
この楽曲は、スウェーデンの歌手ラッセ・ホルムさんとモニカ・トーネルさんが1986年に歌った曲を日本語でカバーしたものです。
その後、楽曲に関する縁からスウェーデンのテレビ番組に出演する機会が生まれ、日本で培ったテレビ出演の経験を海外でも発揮しました。
2025年のインタビューでは、ロックバンドのスマッシュ・イントゥ・ピーセスとの音楽制作や、日本語版の作詞についても語っています。
18歳でスウェーデンを離れ、日本で芸能活動を始めたLiLiCoさんが、長い年月を経て母国との文化的な橋渡しをする立場になっているのは興味深い変化です。
映画・舞台・国際支援にも活動を拡大俳優としても活動を続けており、2025年9月にはテレビ朝日系ドラマ『こんばんは、朝山家です。』の最終話に映画ライター役で出演しました。
また、ミュージカル『WAITRESS』への出演など、舞台にも挑戦しています。歌手としてデビューした若い頃の経験が、現在の舞台活動にもつながっています。
加えて、2024年には国際女性デー関連の表彰でHAPPY WOMAN賞を受賞しました。
東京都の広報メディア『TOKYO UPDATES』が2026年3月20日に掲載したインタビューでは、ネパールやウガンダでの学校建設支援や、女性と子どもの生活環境を改善するための活動についても紹介されています。
芸能活動だけでなく、社会的な取り組みにも活動の範囲を広げていることが、2026年現在のLiLiCoさんの特徴です。
【プロの結論】LiLiCoが芸能界で成功した本当の理由LiLiCoさんの芸能人生を振り返ると、成功の要因は単に明るい性格や外国人タレントとしての個性だけではありません。
大きく分けると、次の3つが要点です。
1つ目は、仕事の形を変える柔軟性です。
歌手として思うように結果が出なかった時期も、モデルやナレーション、声優など、活躍できる可能性のある仕事に挑戦しました。最初の夢に固執するのではなく、表現者として自分の能力を生かせる場所を探し続けたことが、キャリアの幅を広げています。
2つ目は、現場で経験を積み重ねる力です。
車中生活を経験しながら地方営業を続けたことも、映画コメンテーターになってから約5年間、放送後に反省を重ねたことも、仕事に対する姿勢は一貫しています。目立つ仕事だけでなく、地道な準備や改善を続けてきました。
3つ目は、人とのつながりを次の仕事に変える力です。
祖母の紹介したオーディション、雑誌の映画コラム、放送作家との出会い、声優の仕事など、LiLiCoさんの転機には人とのつながりがありました。2026年の東京都のインタビューでも、人との会話や信頼関係が新たな機会につながるという考えを語っています。
2001年の『王様のブランチ』出演だけを切り取ると、突然のブレイクに見える可能性があります。しかし、その背景には1989年から積み重ねた経験と、複数の仕事に挑戦してきた時間がありました。
LiLiCoさんの若い頃は、成功までの道のりが決して一直線ではなかったことを教えてくれます。
【LiLiCoの若い頃】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:LiLiCoの若い頃の写真はどこで見られますか?
A1:『CHANTO WEB』の2023年のインタビュー記事には、スウェーデンで撮影された4歳頃の写真が掲載されています。また、『女性自身』の2021年の特集でも、子ども時代や青春時代のエピソードとともに写真が紹介されています。
Q2:LiLiCoはなぜ18歳で日本に来たのですか?
A2:子どもの頃に見た日本のテレビや音楽に憧れ、日本で歌手になりたいと考えたためです。18歳で母方の祖母を頼って来日し、アルバイトをしながらオーディションを受け、芸能界への道を切り開きました。
Q3:LiLiCoは本当に5年間も車中生活をしていたのですか?
A3:はい。本人が複数のインタビューで明かしています。20歳から25歳頃まで、マネージャーとともに約5年間、普通の乗用車で寝泊まりしながら、健康ランドやスナックなどで歌う仕事を続けていました。
まとめ:LiLiCoの若い頃は夢を諦めず挑戦し続けた時間だった
LiLiCoさんの若い頃は、スウェーデン・ストックホルムでの幼少期から始まり、18歳での来日、1989年の歌手デビュー、20代の約5年間に及ぶ車中生活へと続く波乱に富んだものでした。
歌手として思うような成功をつかめず、モデルや声優などさまざまな仕事に挑戦した時期を経て、2001年に『王様のブランチ』の映画コメンテーターに抜てきされます。
その後もテレビやラジオ、映画、舞台、音楽などへ活動を広げ、2026年現在は日本とスウェーデンをつなぐ仕事や国際支援活動にも取り組んでいます。
若い頃の写真からは、現在の華やかな姿につながる個性やカルチャーへの関心を感じられます。そして、本人のインタビューから見えてくるのは、環境が厳しくても自分の可能性を探し続けた姿です。
LiLiCoさんの芸能人生を理解するうえで大切なのは、2001年のブレイクだけではなく、そこに至るまでの長い下積みと挑戦の積み重ねです。歌手を目指した18歳の決断が、現在の多彩な活動へとつながっています。