1983年に大ヒットした葛城ユキの「ボヘミアン」。印象的なハスキーボイスと力強い歌唱で知られるこの曲は、実は葛城ユキが最初に歌ったオリジナル曲ではありません。1982年に大友裕子が先に発表しており、作詞を飛鳥涼(ASKA)、作曲を井上大輔が担当した楽曲です。
葛城ユキ版は1983年5月21日に発売され、オリコン週間シングルランキングで最高3位、累積売上41.4万枚を記録しました。TBS系ドラマ「赤い足音」の主題歌に起用されたことも、ヒットを後押しした要素です。2026年現在、葛城ユキは2022年6月27日に73歳で亡くなっていますが、「ボヘミアン」は昭和を代表するロック歌謡の一曲として記憶されています。
【まず結論】葛城ユキの「ボヘミアン」は誰の曲?大友裕子が原曲を歌っていた

葛城ユキの「ボヘミアン」は、飛鳥涼(ASKA)が作詞し、井上大輔が作曲した楽曲です。ただし、最初にこの曲をレコードとして発表した歌手は葛城ユキではなく、大友裕子でした。
大友裕子は1982年9月21日、東芝EMIからシングル「ボヘミアン」を発売しています。その約8か月後、葛城ユキが同じ楽曲をカバーし、1983年5月21日にシングルとして発売しました。
ASKAの公式ファンクラブサイト「Fellows」に掲載されている楽曲提供一覧にも、大友裕子版と葛城ユキ版の両方が記録されています。両作品の作詞者はASKA、作曲者は井上大輔です。
つまり、楽曲の制作陣と最初の歌唱者、そして大ヒットさせた歌手を分けて理解すると、次のようになります。
- 作詞:飛鳥涼(ASKA)
- 作曲:井上大輔
- 原曲の歌手:大友裕子
- 大ヒットしたカバーの歌手:葛城ユキ
この関係を知っておくと、「ボヘミアンはASKAが歌った曲なのか」「葛城ユキが作った曲なのか」といった疑問も整理できます。ASKAは作詞者であり、葛城ユキはこの曲を歌唱して大ヒットへ導いた歌手です。
なお、当時のクレジットでは飛鳥涼名義ですが、現在はASKAとして広く知られています。
【原曲とカバーを比較】大友裕子版と葛城ユキ版は何が違う?
「ボヘミアン」を理解するうえで欠かせないのが、1982年の大友裕子版と1983年の葛城ユキ版の関係です。
大友裕子版は、この曲が世に出た最初のレコード作品です。発売日は1982年9月21日。東芝EMIから発売され、作詞・作曲は葛城ユキ版と同じ飛鳥涼、井上大輔のコンビでした。
一方、葛城ユキ版は1983年5月21日にラジオシティレコードから発売されました。こちらはオリコン最高3位を記録し、広く知られる代表的なバージョンとなりました。
大友裕子版は楽曲の出発点大友裕子版を聴く際に注目したいのは、葛城ユキ版より先に、このメロディーと歌詞の世界が発表されていたという点です。
大友裕子の歌唱によって最初に作品化されたことは、ASKAと井上大輔が手がけた楽曲の歴史を考えるうえで重要な事実です。
葛城ユキ版はハスキーボイスが際立つ代表的なカバー葛城ユキ版の最大の特徴は、力強く存在感のある歌声です。ハスキーな声質と伸びやかな高音、タイトルを印象づける力強い歌い方が、楽曲の持つ情熱的な雰囲気を前面に押し出しています。
テレビ朝日などの訃報報道でも、葛城ユキはハスキーな声でシャウトするエネルギッシュなステージが評判だったと紹介されています。
同じ作詞・作曲の作品でも、歌い手の声質や表現方法によって、聴き手が受け取る印象は変わります。葛城ユキ版が大きな成功を収めた背景には、彼女自身の個性的な歌唱表現がありました。
比較する際には、原曲とカバーのどちらが優れているかという単純な評価よりも、声の質感、フレーズの表現、歌唱の強弱に注目すると、それぞれの魅力が理解しやすくなります。
【発売日・売上・オリコン順位】葛城ユキ版「ボヘミアン」の大ヒット記録
葛城ユキの「ボヘミアン」は、1983年5月21日にシングルとして発売されました。発売元はラジオシティレコードです。
オリコン公式の葛城ユキ作品ランキングによると、同曲の週間シングルランキング最高順位は3位。週間ランキングへの登場回数は23週に及びました。
加えて、2022年6月27日の日刊スポーツの訃報記事では、累積売上が41.4万枚と紹介されています。昭和の音楽市場において、長期間にわたって支持された大ヒット曲だったことが分かります。
「ザ・ベストテン」とオリコンの順位は違うここで注意したいのが、ランキング番組とオリコンでは最高順位が異なることです。
「ボヘミアン」はオリコン週間シングルランキングで最高3位。一方、TBS系音楽番組「ザ・ベストテン」では最高2位と紹介されています。
そのため、インターネット上で最高順位が2位と3位の両方で紹介されることがありますが、これは必ずしも誤情報ではありません。集計対象となるランキングが違うためです。
主要データ・関係者一覧| 項目 | 内容 | 確認できる情報 |
|---|---|---|
| 楽曲名 | ボヘミアン | 葛城ユキの代表曲 |
| 原曲の歌手 | 大友裕子 | 1982年9月21日発売 |
| 作詞 | 飛鳥涼(ASKA) | 両バージョン共通 |
| 作曲 | 井上大輔 | 両バージョン共通 |
| 葛城ユキ版発売日 | 1983年5月21日 | ラジオシティレコード |
| オリコン最高順位 | 3位 | オリコン公式記録 |
| オリコン登場回数 | 23週 | オリコン公式記録 |
| 累積売上 | 41.4万枚 | 日刊スポーツ報道 |
| ザ・ベストテン最高順位 | 2位 | 当時の番組ランキングに関する報道 |
| ドラマタイアップ | 赤い足音 | TBS系ドラマ主題歌 |
このデータから分かるのは、「ボヘミアン」が一時的な話題にとどまらず、ランキングに長く登場した楽曲だったことです。発売日、最高順位、登場回数、累積売上を組み合わせることで、当時の人気の大きさが見えてきます。
特にオリコン3位と23週の登場回数は、現在でも同曲の実績を確認する際の重要な指標です。
【なぜ大ヒットした?】ハスキーボイス・歌詞・TBSドラマ「赤い足音」の影響
「ボヘミアン」が大ヒットした理由は、単純に楽曲の知名度や作詞作曲陣の名前だけでは説明できません。葛城ユキの歌唱力、楽曲の世界観、テレビドラマとのタイアップが重なったことが大きなポイントです。
1.葛城ユキのハスキーボイスが楽曲の個性を際立たせた葛城ユキといえば、独特のハスキーボイスと力強いシャウトを思い浮かべる人が少なくありません。
「ボヘミアン」では、その声質が曲の持つ情熱や切迫感と結びつき、歌い出しから強い印象を残します。一般的なポップスのように滑らかな歌唱だけで聴かせるのではなく、声の迫力そのものが楽曲の魅力になっているのです。
2017年の週刊FLASHのインタビューを掲載した記事では、葛城ユキの歌声と歌唱方法についても取り上げられています。彼女の声は、単にハスキーという言葉だけでは説明しきれない個性を持っていました。
2.飛鳥涼の歌詞が描く、自由と切ない恋愛歌詞の世界には、タロットによる占い、行方の分からない恋人、自由に生きる旅人のような男性など、象徴的なモチーフが登場します。
描かれているのは、相手を愛しながらも、その人を完全にはつなぎ止められない女性の心情です。恋愛の幸福を求める気持ちと、相手の自由を受け入れなければならない切なさが作品の中心にあります。
こうした物語性があるため、力強いロック調の歌唱でありながら、単なる勢いだけの曲にはなっていません。歌詞の内側にある不安や寂しさを、葛城ユキの声が表現しているところも聴きどころです。
3.TBS系ドラマ「赤い足音」の主題歌に起用「ボヘミアン」は、1983年のTBS系ドラマ「赤い足音」の主題歌としても使用されました。
テレビドラマの主題歌は、視聴者が作品の世界観と一緒に音楽を記憶するきっかけになります。毎週の放送を通じて同じ楽曲に触れることで、曲そのものの認知度が高まる効果もあります。
「ボヘミアン」の場合も、葛城ユキの強烈な歌唱とドラマのタイアップが結びつき、楽曲が広く知られる環境を生み出しました。
もちろん、タイアップだけで41.4万枚という売上を説明することはできません。印象的なメロディー、作詞作曲の完成度、歌い手の存在感、テレビを通じた接触機会が重なったことが、ヒットの背景にあったと考えられます。
オリコンの記録と当時の報道を合わせて見ると、「ボヘミアン」は音楽作品としての魅力とテレビメディアによる浸透の両方を備えたヒット曲でした。
【葛城ユキの経歴】「木曽は山の中」から「ボヘミアン」までの歩み
葛城ユキは1949年5月25日、岡山県に生まれました。本名は田中小夜子。1970年代から音楽活動を続け、1983年の「ボヘミアン」で全国的な知名度を獲得しました。
1974年:「木曽は山の中」で注目を集める歌手としての転機となったのは1974年です。「葛城ゆき」名義で活動し、楽曲「木曽は山の中」で第7回ポピュラーソングコンテストに出場。同年の第5回世界歌謡祭でも入賞し、歌手としての存在感を高めました。
ヤマハ音楽振興会のポピュラーソングコンテストの記録にも、1974年の大会における「木曾は山の中」と葛城ゆきの名前が掲載されています。
1980年:「哀しみのオーシャン」で活動の幅を広げる1980年には、ボニー・タイラーの楽曲をカバーした「哀しみのオーシャン」がヒット。同曲を収録したアルバム「寡黙」も発売されました。
この時期には「葛城ゆき」から「葛城ユキ」へと表記を変更し、力強いボーカルを前面に押し出した音楽活動を展開していきます。
1983年:「ボヘミアン」で代表的なロックシンガーに1983年にはアルバム「RUNNER」を発表し、シングルカットされた「ボヘミアン」が大ヒットしました。所属関係者のプロフィール資料では、シングルとアルバムの双方がゴールドディスクを獲得したことも紹介されています。
1986年には中国・広東省で公演を開催。関係者資料によると、3日間で延べ3万人を動員しました。日本国内だけでなく、海外でも活動の場を広げていたことが分かります。
2003年の大けがと復帰2003年10月、テレビ番組の収録中に胸椎粉砕骨折という重傷を負いました。長期間の治療とリハビリを経て、2004年5月には復帰イベントを開催しています。
その後もライブ活動を続け、歌手としての活動を継続しました。大きなけがを乗り越えてステージに戻ったことも、葛城ユキのキャリアを語るうえで欠かせない出来事です。
これらの経歴は、ヤマハ音楽振興会の大会記録、所属関係者のプロフィール資料、オリコンの人物紹介などから確認できます。
【葛城ユキの現在は?】2026年最新情報と2022年6月27日の訃報
葛城ユキの現在について調べる人が知っておくべき事実は、2022年6月27日に73歳で亡くなっていることです。
2022年6月27日、オリコンやTBS NEWS DIGなどの報道各社が訃報を伝えました。死因は腹膜がんで、亡くなったのは東京都内の病院でした。
2021年4月にステージ4の原発性腹膜がんを公表葛城ユキは2021年4月、ステージ4の原発性腹膜がんを患っていることを公表し、治療を続けていました。
闘病生活を送りながらも、2022年5月17日には千葉県成田市内のコンサートに登場し、約1年1か月ぶりのステージ復帰を果たしました。車いすに座っての出演でしたが、歌手として再び観客の前に立ちました。
2022年6月27日、73歳で逝去復帰から約1か月後の2022年6月27日、葛城ユキは腹膜がんのため亡くなりました。享年73歳でした。
オリコンの訃報記事では、本名が田中小夜子であること、1949年に岡山県で生まれたこと、1974年から歌手活動を始めたことなども伝えられています。
2026年11月現在、葛城ユキはすでに逝去しており、新たな本人のライブ活動や出演情報が続いているわけではありません。一方、「ボヘミアン」をはじめとする代表曲は、彼女の音楽的な足跡を伝える作品として残っています。
「葛城ユキ 現在」という検索では、存命中の近況と過去の活動情報が混在することがあります。情報を確認するときは、2022年6月27日の訃報を基準に時系列を整理することが大切です。
【よくある質問】葛城ユキの「ボヘミアン」に関するFAQ
Q1:葛城ユキの「ボヘミアン」の原曲を歌ったのは誰ですか?
A1:大友裕子です。1982年9月21日に東芝EMIから発売されました。葛城ユキ版は、その翌年に発売されたカバー作品です。
Q2:「ボヘミアン」の作詞・作曲は誰ですか?
A2:作詞は飛鳥涼(ASKA)、作曲は井上大輔です。大友裕子版と葛城ユキ版で、この制作陣は共通しています。
Q3:葛城ユキ版「ボヘミアン」の発売日はいつですか?
A3:1983年5月21日です。ラジオシティレコードから発売されました。
Q4:「ボヘミアン」のオリコン最高順位と売上は?
A4:オリコン週間シングルランキングで最高3位、累積売上は日刊スポーツの報道によると41.4万枚です。オリコン公式記録ではランキング登場回数は23週となっています。
Q5:「ボヘミアン」は何のドラマの主題歌ですか?
A5:1983年のTBS系ドラマ「赤い足音」の主題歌です。
Q6:葛城ユキは現在も活動していますか?
A6:葛城ユキは2022年6月27日に腹膜がんのため73歳で亡くなりました。2026年現在は故人です。
Q7:葛城ユキのデビュー曲は何ですか?
A7:1974年に「葛城ゆき」名義で「木曽は山の中」を歌い、歌手として本格的に活動を始めました。同年の世界歌謡祭でも入賞しています。
まとめ:「ボヘミアン」は葛城ユキの歌唱によって歴史に残った名曲
葛城ユキの「ボヘミアン」は、1982年に大友裕子が発表した楽曲を、葛城ユキが翌1983年にカバーした作品です。作詞は飛鳥涼(ASKA)、作曲は井上大輔という制作陣によって生み出されました。
1983年5月21日の発売後、オリコン最高3位、累積売上41.4万枚という実績を残し、TBS系ドラマ「赤い足音」の主題歌としても親しまれました。
この曲の魅力は、優れた作詞・作曲だけではありません。葛城ユキのハスキーボイスと力強い歌唱が、楽曲の持つ恋愛の切なさや情熱を際立たせ、他の歌手では簡単に再現できない個性を生み出しました。
2022年6月27日に葛城ユキが73歳で亡くなった後も、「ボヘミアン」は彼女を代表する作品として残っています。
この曲をより深く楽しむなら、1982年の大友裕子による原曲と、1983年の葛城ユキによるカバーを聴き比べてみるのがおすすめです。同じメロディーと歌詞でも、歌い手によって作品の表情が変わることを実感できます。
原曲を生み出した大友裕子、作詞を担当したASKA、作曲を担当した井上大輔、そして圧倒的な歌唱で作品を大ヒットへ導いた葛城ユキ。それぞれの役割を知ることで、「ボヘミアン」が長く記憶される理由が、より鮮明に見えてきます。