兼高かおるは、1958年に世界早回りの新記録を打ち立て、TBSの長寿紀行番組『兼高かおる世界の旅』を通じて、日本の視聴者に世界各国の文化や暮らしを紹介した旅行ジャーナリストです。1959年から1990年まで約31年間にわたって番組を続け、訪問国数は資料によって150カ国余りから160カ国以上と記録されています。2019年1月に90歳で亡くなりましたが、その功績は現在も受け継がれています。
2026年には第4回兼高かおる賞に市川紗椰が選ばれたほか、貴重な取材資料や映像の保存、関連番組の再放送も進みました。兼高ローズという本名、芥川隆行との番組上の関係、紫綬褒章や菊池寛賞などの受賞歴、そして現在の顕彰活動まで、人物と作品の両面から功績を整理します。
【人物プロフィール】兼高かおるとは何者?本名・生い立ち・経歴を紹介

兼高かおるは、単に海外旅行を紹介するテレビ出演者ではありませんでした。
現地取材、情報収集、番組制作、ナレーションまで幅広く関わり、世界を自分の目で見て伝えることを仕事にした、日本の旅行ジャーナリズムの先駆者です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 活動名 | 兼高かおる |
| 本名 | 兼高ローズ |
| 生年 | 1928年 |
| 出身地 | 兵庫県神戸市 |
| 職業 | ジャーナリスト、旅行作家、レポーター |
| 学歴 | 香蘭女学校卒業、ロサンゼルス市立大学留学 |
| 代表番組 | 兼高かおる世界の旅 |
| 主な活動期間 | 1950年代~2010年代 |
| 逝去 | 2019年1月5日 |
| 享年 | 90歳 |
プロフィールは新潮社の著者紹介、兵庫県立美術館の兵庫ゆかりの作家資料、訃報報道などに基づいています。
兼高ローズが本名?兼高かおるとの違い検索されることが多いのが「兼高ローズ」という名前です。
報道各社の訃報では、兼高かおるさんの本名は兼高ローズと紹介されています。一方、ジャーナリストとして広く知られる活動名は「兼高かおる」でした。
したがって、兼高ローズと兼高かおるは別人ではありません。同一人物を本名と活動名で呼び分けたものです。
海外留学からジャーナリストへ兼高さんは神戸市で生まれ、香蘭女学校を卒業した後、1954年にアメリカのロサンゼルス市立大学へ留学しました。
帰国後は英字新聞『ジャパン・タイムズ』などに寄稿するフリーランサーとして活動。英語力を生かし、外国人へのインタビューや海外文化に関する記事を手がけました。
この経験が、後のテレビ番組制作につながっていきます。
当時は海外渡航が現在ほど自由ではなく、一般の日本人にとって外国の暮らしや文化は遠い存在でした。海外の情報を日本語で伝えること自体に、大きな社会的意義があった時代です。
【1958年の世界的快挙】73時間9分35秒の世界早回り記録と訪問国数
兼高かおるの名前が広く知られるきっかけになったのが、1958年の世界早回りへの挑戦です。
1958年、世界一周を73時間9分35秒で達成1958年、兼高さんはスカンジナビア航空の協力を得て、世界を早く一周する挑戦に参加しました。
この企画は新潮社が主催したもので、当初の目標は世界一周を70時間以内に実現できるかというものでした。
当時の兼高さん自身の証言によると、東京を出発し、南回りでコペンハーゲンへ向かい、さらにアラスカを経由して日本に戻るルートでした。
結果は、73時間9分35秒。
当時の世界早回り新記録を樹立しました。
この記録が大きく報じられたことから、兼高さんはテレビの世界紀行番組に起用されるようになります。
2011年に収録された放送人の会のインタビューでも、本人は1958年の世界一周がテレビ番組に携わるきっかけになったと振り返っています。
兼高かおるの訪問国数は150カ国?160カ国?もう一つ、検索時に混乱しやすいのが訪問国数です。
資料によって数字が異なります。
| 情報源 | 訪問国数の表記 |
|---|---|
| TBSチャンネル | 150カ国余り |
| 兼高かおる基金 | 約150カ国 |
| 新潮社の著者プロフィール | 160カ国 |
| 兵庫県立美術館の資料 | 160カ国以上 |
この違いを踏まえると、兼高さんの訪問国数は少なくとも150カ国を超え、160カ国前後と紹介される規模だったと理解するのが適切です。
各資料に共通する確定的な集計基準は示されていないため、150カ国と160カ国のどちらか一方だけを絶対的な数字として扱うのは慎重であるべきです。
地球180周分に相当する移動距離兼高さんの取材活動は訪問国数だけでも驚異的ですが、移動距離も桁違いでした。
報道によると、番組の全行程は約721万キロ。地球を約180周した距離に相当します。
加えて、1971年には女性として初めて南極点に到達。1989年には北極点も取材しました。
単に有名な観光地を訪れるのではなく、極地やジャングルなど、当時の日本人には想像しにくかった場所にも足を運んだことが、彼女の大きな特徴でした。
【TBSの名物番組】兼高かおる世界の旅はいつからいつまで?芥川隆行との関係
兼高かおるを語るうえで欠かせないのが、TBSの紀行番組『兼高かおる世界の旅』です。
放送期間は1959年から1990年までの31年間番組の放送開始は1959年12月13日。
ただし、開始当初の番組名は『兼高かおる世界飛び歩き』でした。その後、放送を一時中断し、再開時に『兼高かおる世界の旅』へと改題されています。
最終回は1990年9月30日放送の「イギリスの庭」でした。
実際の経過期間は30年10カ月ほどですが、TBSは31年もの長寿番組として紹介しています。
番組の基本データは次のとおりです。
- 初回放送:1959年12月13日
- 初期番組名:兼高かおる世界飛び歩き
- 後の番組名:兼高かおる世界の旅
- 最終回:1990年9月30日
- 放送回数:1586回
- 放送時間:主に日曜日の朝、30分番組
1919年生まれのアナウンサー、ナレーター。TBSに入社後、フリーアナウンサーとしても活動しました。『兼高かおる世界の旅』では兼高さんとの掛け合いを担当しました。
芥川隆行さんは、兼高さんの家族や親族ではなく、番組を一緒に作り上げた仕事上のパートナーです。
番組では、兼高さんが旅先で見たものや現地での経験を語り、芥川さんが聞き手として会話に加わるスタイルが定着しました。
この掛け合いが番組の親しみやすさを生み出した重要な要素でした。
芥川隆行との掛け合いはどのように生まれた?2011年の放送人の会のインタビューで、兼高さんは番組初期の制作事情を明かしています。
当初は放送作家がナレーション原稿を書き、アナウンサーが読み上げる形式でした。しかし、実際に現地を訪れた兼高さんからすると、原稿の説明と映像の内容が一致しないこともあったそうです。
そこで、本人が現地の状況を直接説明する形に変わり、芥川さんとの対話形式が生まれました。
兼高さんは芥川さんについて、次のように語っています。
とってもいいパートナーを得ました、私は。
これは単なるナレーションの交代ではありません。実際に旅をした人の経験と、聞き手の会話を組み合わせることで、視聴者が旅に参加しているような番組の雰囲気が生まれたのです。
兼高かおる世界の旅が長く愛された理由番組の強みは、海外の美しい景色だけではありませんでした。
- 現地の人々の暮らしや文化を紹介したこと
- 国家元首や著名人への取材も行ったこと
- 観光地だけでなく、秘境や極地にも足を運んだこと
- 兼高さん自身の知識と経験に裏付けられた説明があったこと
- 芥川隆行との自然な掛け合いがあったこと
TBSの番組紹介でも、兼高さんがナレーター、ディレクター、プロデューサーを担当し、世界各地の人々と交流したことが大きな見どころとして紹介されています。
【経歴・受賞歴一覧】菊池寛賞と紫綬褒章を受けた功績
兼高かおるの活動は、テレビ番組だけにとどまりません。
旅行ジャーナリストとしての実績に加え、国際交流や観光文化の発展に関わる活動でも評価されました。
兼高かおるの主要な経歴年表出典:兵庫県立美術館・兵庫文学館資料、日本旅行作家協会、TBS関連資料。
菊池寛賞は1990年に受賞兼高さんは1990年に菊池寛賞を受賞しました。
長年にわたり世界各地を取材し、海外文化を日本の視聴者に紹介してきた活動が評価されたものです。
1991年には紫綬褒章と芸術選奨文部大臣賞1991年には、紫綬褒章と文化庁芸術選奨文部大臣賞を受賞しました。
紫綬褒章は、学術や芸術、スポーツなどの分野で優れた功績を挙げた人物に贈られる褒章です。
旅行ジャーナリストという職業を超えて、放送文化や国際理解への貢献が認められたことを示しています。
そのほかにも、1985年の外務大臣表彰、1988年の兵庫県文化賞、1989年の日本旅行作家協会賞など、国内外で数々の評価を受けました。
日本旅行作家協会との関係兼高さんは、日本旅行作家協会でも重要な役割を担いました。
同協会の公式紹介によると、創立会長の斎藤茂太氏に続く2代目会長を務め、その後は名誉会長として活動しました。
旅行を単なる娯楽として紹介するのではなく、文化や歴史、人々の暮らしを伝える表現活動として発展させたことも、兼高さんの功績の一つです。
【死因と現在】2019年に逝去した兼高かおるの功績はどう受け継がれている?
兼高かおるさんは、2019年1月5日に90歳で亡くなりました。
テレビ朝日などの訃報報道では、死因は心不全と伝えられています。
兼高かおるの死因は心不全2019年1月9日、兼高さんの訃報が報じられました。
旅行ジャーナリストとして長年活躍し、海外旅行が一般的ではなかった時代から世界各国を紹介し続けた人物の逝去は、放送・旅行業界にも大きな影響を与えました。
享年90歳でした。
兼高かおる旅の資料館は閉館兼高さんに関係する施設として知られていたのが、兵庫県淡路島の「兼高かおる旅の資料館」です。
1985年に開館した同館には、兼高さんが世界各地から持ち帰った民芸品や旅の収集品が展示されていました。
しかし、2020年2月末に閉館しました。
閉館後もコレクションの保存・継承は課題として残り、関連団体による収集品の移管計画が進められました。
2025年、貴重なコレクションの保存活動が進展兼高かおる基金は、兼高さんが訪問した約150カ国から集めた膨大なコレクションを、愛知県犬山市の野外民族博物館リトルワールドへ寄贈する取り組みを進めました。
2025年には、収集品の移管と保存に向けたクラウドファンディングを実施。
その結果は次のとおりです。
- 支援者数:526人
- 集まった寄付金額:11,720,000円
- 当初の目標金額:700万円
目標を大きく上回る支援が集まりました。
これは、兼高さんの功績が単に過去のテレビ番組として残っているだけではなく、実物資料や文化的コレクションとして後世に引き継がれていることを示す動きです。
2026年も関連展示や映像の再放送が実施2026年には、兼高さんの功績を紹介する複数の取り組みが行われました。
| 時期 | 取り組み | 内容 |
|---|---|---|
| 2026年4月29日~6月15日 | 松本市立博物館「旅心」展 | 取材メモや旅道具を展示 |
| 2026年5月26日 | 日比谷カレッジ講演会 | 貴重な映像とともに旅の魅力を紹介 |
| 2026年9月27日~30日 | 放送大学関連番組の再放送 | ペルー・メキシコ・ネパール・ブラジル編などを放送 |
これらは兼高かおる基金の公式発表に掲載された2026年の活動です。
特に注目したいのは、取材映像だけでなく、実際に使用した道具やメモなど、制作過程を伝える資料も展示・保存の対象になっていることです。
【兼高かおる賞2026】市川紗椰が受賞!賞の意味と歴代受賞者
2026年の兼高かおる関連ニュースで大きな話題となったのが、第4回兼高かおる賞です。
2026年の受賞者はタレント・モデル・文筆家などとして活躍する市川紗椰さんに決まりました。
日本旅行作家協会の発表によると、2026年6月16日に受賞が決定し、7月9日に東京都内で表彰式が開催されました。
兼高かおる賞とは?兼高かおる賞は、兼高さんの旅行ジャーナリストとしての業績を称え、その精神を次世代に伝えることを目的とした賞です。
日本旅行作家協会と日本旅行業協会などが関わり、兼高かおる基金も後援しています。
単に旅行回数や海外での活動実績が多い人物を表彰する制度ではありません。
公式の選考基準では、次のような要素が重視されています。
- 企画力や行動力
- 表現力とチャレンジ精神
- 好奇心と気品
- 忍耐力やプロ意識
- 国際貢献への姿勢
- 旅行に関わる仕事での実績
- 今後のさらなる活躍への期待
特に、すでに実績のあるベテランだけではなく、これから新しい活動を切り開く人物の発掘にも重点が置かれています。
兼高かおる賞の受賞者一覧日本旅行作家協会と兼高かおる基金の公開情報をもとに整理すると、次のようになります。
| 回 | 年 | 受賞者 |
|---|---|---|
| 第1回 | 2022年 | ヤマザキマリ |
| 第2回 | 2023年 | 山口智子 |
| 第3回 | 2025年 | サヘル・ローズ |
| 第4回 | 2026年 | 市川紗椰 |
なお、基金側の資料では第1回の開催年を2021年と記載する箇所があり、初回の年次には資料間で表記の違いがあります。第2回は2022年度に中止され、2023年に実施されたことも基金の公式情報に記載されています。
2026年の受賞者・市川紗椰に注目が集まる理由市川紗椰さんは、モデルやタレントだけでなく、キャスター、文筆家としても活動する人物です。
旅行や文化、知的好奇心に関わる多面的な活動が、兼高かおる賞の選考理念と重なります。
今回の受賞は、兼高さんが切り開いた旅行ジャーナリズムの精神が、現在の多様なメディア活動にも引き継がれていることを示す出来事です。
重要なのは、兼高かおる賞は兼高さん本人が2026年に受賞した賞ではなく、兼高さんの名前と功績を未来へつなぐための顕彰制度だという点です。
【プロの結論】兼高かおるが日本の旅行ジャーナリズムに残したもの
兼高かおるの功績を評価する際、訪問国数や番組放送回数だけに注目すると、本質を見落とします。
本当に重要なのは、海外旅行が一般的でなかった時代に、現地へ足を運び、自分の目で確かめた情報を日本の家庭に届ける仕組みを作ったことです。
兼高かおるの功績を評価する3つの視点1. 旅行を娯楽から文化理解へ広げた
当時の日本では、海外旅行は一部の人にとって特別な経験でした。
兼高さんは、景色の美しさだけでなく、現地の人々の暮らし、宗教、歴史、習慣まで紹介しました。
海外を遠い世界の話ではなく、具体的な人間の生活として伝えた点に独自性があります。
2. 現場を知るジャーナリストが番組の中心にいた
実際に現地へ行った人が、自らの経験をもとに話す。
この制作姿勢は、映像の迫力だけでは伝えられない情報を視聴者に届けました。
芥川隆行との掛け合いも、単なる説明番組に終わらせない工夫でした。
3. 個人の実績を次世代へつなぐ仕組みが生まれた
兼高かおる賞、兼高かおる基金、収集品の保存、映像の再放送など、現在も複数の形で功績が継承されています。
2026年の市川紗椰さんの受賞も、単なる過去の偉人への追悼ではなく、これからの旅行文化を担う人材に光を当てるものです。
兼高さんの価値を知りたい人には、訪問国数だけを調べるよりも、実際の番組映像や取材資料に触れることをおすすめします。そこには、数字だけでは分からない現地の空気や、取材者としての姿勢が残されています。
【よくある質問】兼高かおるに関するFAQ
Q1:兼高かおるの本名は何ですか?
兼高ローズです。ジャーナリストとしての活動名は兼高かおるで、訃報報道などで本名が紹介されています。
Q2:兼高かおるは何カ国を訪問しましたか?
資料によって150カ国余りから160カ国以上まで幅があります。TBSや兼高かおる基金は約150カ国、新潮社や兵庫県立美術館の資料では160カ国と紹介しています。
Q3:兼高かおる世界の旅はいつまで放送されましたか?
1959年に始まり、1990年9月30日に最終回を迎えました。放送回数は1586回で、約31年間続いた長寿番組です。
Q4:兼高かおると芥川隆行はどのような関係ですか?
番組の共演者で、芥川隆行さんは兼高さんの話を聞くナレーション・対話のパートナーでした。家族関係ではありません。
Q5:兼高かおるの死因は何ですか?
2019年1月5日に90歳で亡くなりました。報道では死因は心不全とされています。
Q6:2026年の兼高かおる賞は誰が受賞しましたか?
第4回の受賞者は市川紗椰さんです。2026年6月に受賞決定が発表され、7月9日に表彰式が開催されました。
Q7:現在、兼高かおるの番組を見ることはできますか?
TBSチャンネルには番組の紹介・作品情報が残っており、放送大学でも関連映像を使った番組が再放送されています。ただし、TBSチャンネルの作品ページでは現在の放送予定は未定となっています。
まとめ:兼高かおるの功績は2026年も受け継がれている
兼高かおるは、1958年の世界早回り新記録、31年間にわたるTBS『兼高かおる世界の旅』、150カ国を超える海外取材を通じて、日本の旅行ジャーナリズムを切り開いた人物です。
1990年の菊池寛賞、1991年の紫綬褒章など、数々の受賞歴もその功績を裏付けています。
2019年に90歳で亡くなった後も、兼高かおる賞の創設、コレクションの保存、映像の再放送など、活動の足跡はさまざまな形で残されています。
2026年には市川紗椰さんが第4回兼高かおる賞を受賞し、松本市立博物館での展示や放送大学の関連番組の再放送も実施されました。
兼高さんが伝えたかったのは、世界の珍しい景色だけではありません。異なる文化を知り、現地の人々と交流し、自分の目で世界を理解することの豊かさです。
その精神こそが、没後7年を迎えた2026年にも評価され続けている最大の理由です。