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【幼少期】マツコ・デラックスは小学生から化粧に興味があった

天海 修平 天海 修平 • 更新: • 公開: • 読了約 22 分
目次

マツコ・デラックスの美意識の原点は、テレビで活躍するようになるずっと前にさかのぼります。

小学4年生の学芸会で初めて女装

文春オンラインが2022年に掲載した半生の紹介記事によると、マツコが初めて女装したのは小学4年生の学芸会でした。

当時のマツコは、周囲と自分の違いを意識していたといいます。そこで、学芸会で女装して歌うという行動に出ました。

この経験を通して、自分の個性を周囲に認めてもらう方法を見つけたことが、その後の表現活動にもつながっていきます。

また、笑いを取ることを意識し続けた結果、一時期は不登校気味になったことも報じられています。

ここで興味深いのは、幼少期の女装が、現在のような華やかなステージ表現とは異なり、自分の個性を周囲に示すための行動でもあったことです。

小学生時代から母親の化粧品を使っていた

2022年12月、マツコはTBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」に出演し、化粧に興味を持ち始めた時期について語りました。

本人の説明によると、小学生の頃から母親の鏡台に置かれた化粧品を手に取り、紅をさしていたそうです。

特に興味を引かれたのが、当時の資生堂の化粧品や広告でした。

友人の家が化粧品店だったこともあり、アイドルのポスターではなく、化粧品の広告ポスターをもらっていたと振り返っています。

「完全に女装しだしたのは十代後半くらい」

――2022年12月、TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」での発言(スポニチ報道)

この発言から分かるのは、化粧への関心と、本格的な女装を始めた時期は別だったということです。

小学生時代にはすでにメイクやビジュアル表現への関心があり、それが10代後半の行動につながっていきました。

【高校時代】女装を本格化させ、芝浦GOLDに通っていた

マツコデラックス若い頃

マツコ・デラックスの若い頃を語るうえで、大きな転換点となるのが高校時代です。

高校3年生頃から本格的な女装を始める

文春オンラインによると、マツコが本格的に女装にのめり込んだのは高校3年生頃でした。

当時は、学校生活と女装した自分の姿を切り替えていました。

外出先のコンビニのトイレで着替えとメイクを済ませ、女装姿になってから夜の街へ出かけていたといいます。

当時のマツコが通っていた高校として知られているのは、千葉県立犢橋(こてはし)高等学校です。

同校時代には、SMAPの元メンバーである木村拓哉と同級生だったことでも知られています。

ただし、同じ学校に在籍していたことと、当時から親しい関係だったことは別の話です。高校時代のエピソードを扱う際には、この点を混同しないことが大切です。

伝説のクラブ「芝浦GOLD」に通った理由

高校時代のマツコが足を運んでいた場所として知られるのが、東京・芝浦にあったクラブ「GOLD」です。

芝浦GOLDは、当時の東京のクラブカルチャーを象徴する場所の一つでした。

マツコは高校3年生頃、コンビニのトイレで着替えてメイクをし、そこへ通っていたと文春オンラインが伝えています。

この経験は、単に女装を楽しんでいたというだけではありません。

学校という日常生活の場から離れ、自分らしい装いで過ごせる場所を求めていたことも読み取れます。

現在のマツコが見せる、ファッションやカルチャーに対する独特の視点。その背景には、若い頃から異なる文化や人々に触れてきた経験があったのでしょう。

【美容専門学校・Badi時代】マツコ・デラックスの20代は編集者だった

現在のマツコ・デラックスからは想像しにくい可能性がありますが、若い頃には美容師を目指し、その後は出版社で雑誌編集の仕事をしていました。

東京マックス美容専門学校に進学

高校卒業後、マツコは美容専門学校へ進学しました。

人物紹介を掲載している双葉社のインタビューサイト「THE CHANGE」では、出身校を東京マックス美容専門学校と紹介しています。

文春オンラインの記事によると、美容専門学校には1年間通い、その後、美容師として働くための実習を経験しました。

2015年のテレビ朝日系「マツコ&有吉の怒り新党」でも、マツコ本人が美容専門学校を卒業した後、美容師のインターンをしていたと説明しています。

しかし、美容師としての仕事を続けるなかで、自分が本当にやりたいことについて考えるようになりました。

やがて、文章を書く仕事に関心を持ち、出版社へ転職することになります。

ゲイ雑誌『Badi』の編集者として活動

マツコの20代を語るうえで欠かせないのが、ゲイ雑誌『Badi(バディ)』です。

『Badi』は1993年創刊のゲイ雑誌で、当時のゲイカルチャーを伝える媒体として知られていました。

マツコは20代半ば頃に同誌の編集部員となり、記事の執筆や編集の仕事に携わります。

作家の中村うさぎも、2023年のリアルサウンドのインタビューで、マツコが20代の頃に『Badi』の編集をしていたことを語っています。

中村が注目したのは、マツコの文章の面白さと、物事を見る独特の切り口でした。

つまり、現在のテレビで見せる鋭いコメント力は、突然生まれたものではありません。

雑誌編集者として文章を扱い、読者に何を伝えるか、どのような視点で物事を切り取るかを考えていた経験も、現在の仕事の土台になっています。

編集者時代のドラァグクイーン活動

マツコは編集者として働く一方、ドラァグクイーンとしての活動も始めていました。

ドラァグクイーンとは、衣装やメイク、パフォーマンスなどを通じて、誇張した女性的表現や独自のキャラクターを演じる表現者です。

一般的な女装とは異なり、舞台表現やショーとしての要素が強いことが特徴です。

当時の『Badi』周辺では、ゲイであることを隠すのではなく、表現者自身が顔を出して活動する文化も広がっていました。

GQ JAPANの2019年の特集では、当時の編集者が『Badi』の顔出し方針について語っています。

マツコもその編集部に所属し、雑誌の仕事と自分自身の表現活動を並行させていました。

【年代別年表】マツコ・デラックスの若い頃からデビューまで

ここまでの経歴を整理すると、幼少期からテレビ出演までの流れが分かりやすくなります。

時期 出来事 関連する人物・場所
小学生時代 母親の化粧品に興味を持つ。小学4年生の学芸会で女装 資生堂、母親
高校時代 高校3年生頃から本格的な女装を始める 千葉県立犢橋高校
高校3年生頃 女装してクラブへ通う 芝浦GOLD
高校卒業後 美容専門学校で学び、美容師の実習を経験 東京マックス美容専門学校
20代半ば ゲイ雑誌の編集者・執筆者として活動 『Badi』
20代 ドラァグクイーンとしても活動 東京のクラブカルチャー
30歳前 編集部を離れ、千葉の実家に戻る 中村うさぎとの出会い以前
2002年 初の著書『アタシがマツコ・デラックス!』を出版 中村うさぎ
2005年 『5時に夢中!』出演をきっかけにテレビでの活動を拡大 TOKYO MX

※年齢・時期は本人の発言や報道、出版社のプロフィールをもとに整理。学校時代や編集者時代の一部は、公開資料で年単位まで特定されていません。

【20代のファッション】マツコは金髪坊主にギャルソンを着ていた?

マツコ・デラックスの20代のファッションは、現在のゆったりとしたドレススタイルとはかなり違っていました。

本人が2023年8月にテレビ朝日系「マツコ会議」で明かした内容は、当時のファッションを知るうえで貴重な証言です。

コム・デ・ギャルソンなどの服を着るために減量

マツコは20代前半について、かなり自由なファッションを楽しんでいたと振り返っています。

特に憧れていたブランドが次の3つです。

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当時は女装する時と普段の服装を分けており、普段は男性的なファッションを楽しんでいたといいます。

そして、憧れの服を着るために、1年間で50〜60kgほど体重を落とした経験も明かしています。

ただし、マツコ自身は、実際に憧れの服を着てみると、期待したほど気持ちが高揚しなかったと説明しています。

金髪坊主・迷彩パンツ・エンジニアブーツ

さらに興味深いのが、当時の普段着です。

マツコが明かしたスタイルは、次のようなものでした。



金髪の坊主頭

髪を大胆に短く刈り込み、強い存在感を出すスタイル。


迷彩柄の短パン

ストリート感のあるラフな着こなし。


エンジニアブーツ

無骨な印象の強いブーツを組み合わせていた。


マツコは、ブランド服よりも古着を着崩すようなファッションのほうが、自分の好みに合っていたと振り返っています。

また、女装する時には超ミニスカートも着用していたそうです。

こうした証言からは、単に流行を追うのではなく、自分が本当に好きなスタイルを探し続けていた姿が見えてきます。

現在のマツコのファッションにも通じるのは、他人の評価より、自分の感覚を大切にする姿勢なの可能性があります。

【昔の画像が少ない理由】マツコ・デラックスの若い頃の写真はどこにある?

「マツコ・デラックスの若い頃の写真を見たい」と検索する人が多い理由の一つは、現在の姿からは想像しにくい若い頃のファッションや女装姿への関心でしょう。

しかし、マツコ本人は、若い頃の写真がほとんど残っていないことを明かしています。

本人が若い頃の写真を残さなかったと告白

2022年7月、テレビ朝日系「マツコ&有吉 かりそめ天国SP」で、若い頃の写真について語る場面がありました。

マツコは、有吉弘行との会話の中で、自分も昔の写真をほとんど残していないと話しました。

当時は、周囲の人が写真を撮っているのを見ても、特に必要性を感じていなかったそうです。

ところが、年齢を重ねるにつれて考え方が変わりました。

特に気になっているのが、女装を始めたばかりの頃の自分の姿です。

どんなメイクをしていたのか、どんな格好だったのか、今になって振り返りたいと思っても、写真がなければ確認できません。

その後悔を込めて、若い頃の自分に伝えたい言葉として「素直に生きろって」と話しています。

子どもの頃の写真は残っている

一方、若い頃の写真が少ないからといって、幼少期の写真まで存在しないわけではありません。

同じ番組で、マツコは両親が撮影した3〜4歳頃の写真を久しぶりに見たことも話していました。

上野公園の不忍池が写った写真で、長い年月を経て色が茶色く変わっていたそうです。

また、運動会の写真を見たことで、忘れていた学校時代の記憶がよみがえったとも語っています。

つまり、写真が残っている幼少期と、本人があまり撮影していなかった若い頃では事情が違います。

ネット上の昔の画像を見る際の注意点

現在、検索エンジンでは「マツコ・デラックス 昔の画像」「マツコ・デラックス 高校時代 写真」などの検索結果に、さまざまな画像が表示されます。

ただし、画像が掲載されていることと、本人の当時の写真だと確認できることは同じではありません。

特に卒業アルバムとされる画像については、元のアルバムや撮影時期、出典が明らかでない場合があります。

確認する際には、次の点を見ておきたいところです。

- 本人の発言や出演番組で紹介された画像か
- 新聞社・出版社などが出典を明示しているか
- 撮影された年代が分かるか
- 別人の画像や加工画像ではないか

若い頃の姿を知るうえでは、本人がテレビ番組やインタビューで語ったファッションの具体的な情報も重要な手がかりになります。

【デビューまでの経緯】中村うさぎとの出会いが人生を変えた

マツコ・デラックスが現在のような知名度を得るまでには、編集者時代の仕事と、作家・中村うさぎとの出会いが大きく関係しています。

『Badi』退職後は約2年間、実家で過ごす

文春オンラインによると、マツコは30歳を前に『Badi』の編集部を辞め、千葉の実家に戻りました。

仕事上の人間関係などで精神的に追い込まれ、約2年間、引きこもり状態で過ごした時期があったといいます。

テレビで見せる堂々とした姿からは想像しにくい経歴ですが、現在の地位に至るまで、順調な道のりだけを歩いてきたわけではありません。

その後、マツコの文章に注目したのが作家の中村うさぎでした。

中村うさぎが文章の才能を見抜いた

2023年9月のリアルサウンドのインタビューで、中村うさぎはマツコとの出会いを振り返っています。

中村は『Badi』で書かれていたマツコの文章に興味を持ち、編集者を通じて本人に会うことになりました。

当時、マツコはドラァグクイーンの界隈では知られていたものの、一般社会ではまだ無名に近い存在でした。

中村は小学館から刊行した対談集『人生張ってます-無頼な女たちと語る』の対談相手にマツコを指名します。

加えて、エッセイを書くことを勧め、2002年には初の著書『アタシがマツコ・デラックス!』が出版されました。

この本は、現在のマツコの活動を考えるうえで重要な転機となった作品です。


『アタシがマツコ・デラックス!』

2002年刊行・初の著書
中村うさぎとの出会いを経て世に出た、マツコの初期の著作。

『5時に夢中!』への出演がテレビでの転機に

マツコがテレビで広く知られるようになる転機となったのが、TOKYO MXの情報番組『5時に夢中!』です。

番組のプロデューサーや関係者の証言によると、当時、出演予定者が急きょ出演できなくなり、代役を探すことになりました。

そこで名前が挙がったのがマツコです。

当時の番組MCだった徳光正行とミッツ・マングローブのつながりが、出演のきっかけになりました。

急なオファーを受けて出演したところ、その存在感やコメント力が高く評価され、レギュラー出演につながります。

マツコ本人も2020年の番組内で、出演を決めた理由について、急な依頼を受けたことがきっかけだったと振り返っています。

この経緯で重要なのは、最初からテレビタレントになることを目指していたわけではない点です。

美容師、雑誌編集者、執筆活動、ドラァグクイーンとしてのステージ経験。さまざまな仕事や活動を経て、周囲からの評価と偶然の出会いによってテレビの世界へ進みました。

【2026年最新】マツコ・デラックスの現在と若い頃の違い

1972年10月26日生まれのマツコ・デラックスは、2026年11月2日現在、54歳です。

若い頃は雑誌編集者やドラァグクイーンとして活動していましたが、現在は複数のテレビ番組でMCやコメンテーターを務めています。

現在の主な出演番組

2026年11月時点で確認できる主な番組は次のとおりです。

番組名 放送局 主な役割
月曜から夜ふかし 日本テレビ 村上信五とMC
マツコの知らない世界 TBS MC
週刊さんまとマツコ TBS 明石家さんまと出演
マツコ&有吉 かりそめ天国 テレビ朝日 有吉弘行とMC
5時に夢中! TOKYO MX 月曜コメンテーター

各局の番組公式情報でも、2026年の放送・出演が確認できます。特にTOKYO MXでは、11月2日の『5時に夢中!』にマツコが月曜コメンテーターとして出演することが案内されています。

2026年には首の手術を受け、テレビに復帰

2026年の大きな出来事として、首の手術と一時休養があります。

TBS NEWS DIGの2026年4月13日の報道によると、マツコは首の手術を受け、約2か月間休養していました。

同日、出演番組に約2か月ぶりに生出演して復帰。その後、5月には『マツコの知らない世界』にも出演しています。

テレビ朝日の『マツコ&有吉 かりそめ天国』の公式バックナンバーにも、2026年5月以降の放送が掲載されています。

11月現在は、各番組の出演情報からも活動再開後の継続的な仕事ぶりが確認できます。

若い頃と現在の大きな違いは何か?

マツコの若い頃と現在を比較すると、単なる外見の変化以上の違いが見えてきます。

比較項目 若い頃 2026年現在
主な仕事 美容師見習い・雑誌編集者 タレント・司会者・コラムニスト
活動の場 美容業界・雑誌・クラブ 全国のテレビ番組
ファッション 金髪坊主・古着・ブランド服・女装 ドレスを中心とした独自のスタイル
表現方法 女装・ドラァグ・文章 トーク・コメント・番組企画
知名度 一部のカルチャー界隈で知られる存在 全国的な知名度を持つタレント

若い頃から変わっていないのは、物事を独自の視点で観察する姿勢です。

編集者時代には文章を通じて自分の考えを伝え、現在はテレビのトークを通じて世の中を分析しています。

表現する場所が変わっただけで、マツコの根本的な魅力は若い頃から育まれてきたものなのです。

【マツコ・デラックスの若い頃】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:マツコ・デラックスが女装を始めたのはいつから?

A1:小学生時代に学芸会で女装した経験があり、本格的に女装にのめり込んだのは高校3年生頃です。本人は2022年のラジオ番組で、完全に女装し始めたのは10代後半頃と説明しています。

Q2:マツコ・デラックスの若い頃の写真が少ない理由は?

A2:本人が若い頃、写真を撮ることに恥ずかしさを感じ、あまり記録を残していなかったためです。2022年の「かりそめ天国」では、女装を始めた頃の写真がないことを後悔していました。

Q3:マツコ・デラックスは東京マックス美容専門学校の卒業生?

A3:はい。双葉社の人物紹介では東京マックス美容専門学校卒業と紹介されています。卒業後は美容師のインターンを経験し、その後、雑誌編集者へと転職しました。

Q4:マツコ・デラックスは20代にどんなファッションをしていた?

A4:本人によると、20〜24歳頃はコム・デ・ギャルソン、ヨウジヤマモト、イッセイ ミヤケなどに憧れていました。また、金髪坊主に迷彩柄の短パン、エンジニアブーツというスタイルも楽しんでいたそうです。

Q5:マツコ・デラックスはいつテレビデビューした?

A5:テレビでの活動が広がる大きな転機は、2005年のTOKYO MX『5時に夢中!』への出演です。急な代役出演が好評となり、レギュラーにつながりました。それ以前にもテレビ出演経験があったと報じられています。

Q6:マツコ・デラックスは2026年現在もテレビに出演している?

A6:はい。『月曜から夜ふかし』『マツコの知らない世界』『週刊さんまとマツコ』『マツコ&有吉 かりそめ天国』『5時に夢中!』などに出演しています。2026年には首の手術による休養を経て復帰しています。

まとめ:マツコ・デラックスの若い頃を知ると現在の魅力が見えてくる

マツコ・デラックスの若い頃を振り返ると、現在の個性的なキャラクターは、決してテレビ出演をきっかけに突然生まれたものではないことが分かります。

小学生時代から化粧に興味を持ち、高校3年生頃には本格的な女装を開始。芝浦GOLDに通い、東京マックス美容専門学校で美容を学んだ後、20代にはゲイ雑誌『Badi』の編集者として文章や編集の仕事に取り組んでいました。

そして、中村うさぎとの出会い、2002年の初著書、2005年の『5時に夢中!』出演を経て、全国的なタレントへと成長していきます。

【プロの結論】マツコの魅力は外見だけでは説明できない

マツコ・デラックスの若い頃を調べる際に注目したいのは、昔と現在の体型やメイクの違いだけではありません。

美容、ファッション、雑誌編集、文章表現、クラブカルチャーという複数の経験が、現在の独自の視点を形成してきた点にこそ注目する価値があります。

また、若い頃の写真が少ない理由も、本人が語った写真への照れや後悔を知ることで理解できます。ネット上の画像だけで過去の姿を判断するよりも、本人の発言や当時の仕事の記録を組み合わせて見るほうが、実像に近づけます。

2026年、54歳を迎えたマツコ・デラックス。美容師を目指した学生時代から編集者、そしてテレビタレントへ。異色の経歴をたどると、現在の言葉の鋭さやファッションへのこだわりにも、確かな背景があることが見えてきます。

若い頃のマツコを知ることは、現在のマツコがなぜ多くの視聴者に支持されているのかを理解する手がかりにもなるのです。

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天海 修平

映画配給会社の広報を経て取材記者に。作品の公式サイトと配給発表、映画祭のプログラミングを公式発表として確認し、興行成績は興行通信社の数字のみを引用します。

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